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オーディオ暦は中学生までさかのぼりますが、現在のシステムは、Linn + Diatoneの「日英同盟」状態です。 聞く音楽は、クラシック9割、ジャズ1割です。 リビングにオーディオ装置を置いている…

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11/24 ラトル指揮 ベルリン・フィル 東京公演 マーラー交響曲第9番

全くオーディオとは関係がないが、
間違いなく長く記憶に残るであろうコンサートを昨日聴いたので、
ここに備忘録として残しておきたい。

タイトルのとおり、
ベルリン・フィルの東京公演を昨夜サントリーホールで聴いた。

席は、RAブロックという舞台に向かって右側だったので、
オーディオ的な音の定位などとは全く無縁。
このホール特有の長めの残響(私はあまり好きではない)も、
この席では舞台正面の席ほど感じない。
さらに、オケの音が出てくるのを上から俯瞰できるような席で、
舞台にも近いので、
舞台正面の席のように音圧を感じるわけではないものの、
オケの音を適度な残響で楽しめるような席である。
また視覚的には指揮者の表情や弦楽器の運弓のうねる動きなどがよく見える。

当夜の曲目はマーラーの交響曲第9番は、
ロマン派の管弦楽技法の粋を極めた曲であり、
指揮者とオーケストラの力量が技術面でも音楽面でも試される。
指揮者はこのオケの首席指揮者を長年務めているサー・サイモン・ラトルで、
この曲は彼のレパートリーの中でも中核を占めている。
しかし、この曲のベルリン・フィルによるこれまでの録音だけとってみても、
バルビローリ、バーンスタイン、カラヤン、アバドが、
それこそ力の限りを尽くして指揮したものがある。
加えて、私は、アバドの指揮で、
1994年にも同じホールで同じオケによる同じ曲を聴いている。
こうした過去の録音や私の記憶がある中、
ラトルとベルリン・フィルがどのような演奏をするのか
私は大変楽しみにしていた。

これだけ前置きを書いておいて、いきなり結論に飛んでしまうが、
昨夜の演奏は、私にとっては、
過去のこの曲のどんな実演、どんな録音より
技術的にも音楽的にも超越した演奏に聞こえた。
かろうじてヴァイオリンの音色の美しさだけなら匹敵するオケはあると思うが、
ラトルの指揮に敏感に反応して演奏するベルリンフィルの技術力は、
頭抜けて世界最高であることは間違いない。
特にこの曲に必要なデリケートな弱音、弱音から強音の広いダイナミクス、
ラトルの要求する細やかな表情付け(2楽章でのレントラー風の表情など)、を
これまで聴いたことのないような高度なレベルで
このオケは見事にこなしていた。
(オーディオ的には是非優秀録音でのSACDがあればよいのに、と思う。)
それだけでなく、
ラトルがこの曲を通じて日本の聴衆の心に残したかったもの、
(ちなみに、終演後、ラトルは、残っていた聴衆に、
このようなコンサートの後にスピーチすることはありえないのだが、
オケとともに日本にheartを送りsupportをする使命感を持って来日した、
という趣旨のことを言っていた)
を表現する力は、昨夜の演奏は神懸かっているようにも思えた。
この曲は全編にわたって「生」と「死」との格闘がいろんな形で描かれるが、
「生」のポジティブだったり美しかったりする面と「死」との格闘ぶりは
先のアバドの実演よりも、昨夜の演奏ははるかに際立っていた。
きれいに表面をなでたような演奏では決してなく、
本質を、ユダヤ的とかではなく普遍的な形でえぐり出そうと
力を尽くしているように思えた。

また、多くの聴衆がそうであったのではと思うのだが、
私は、昨夜の4楽章を聴きながら、
3月の地震や津波で亡くなられた方々にも
思いをはせずにはいられなかった。
最後の音が消えてから、
ラトルは指揮棒を横に持ったまま、黙祷を捧げているように見え、
聴衆も拍手せず、静寂の中で徐々に緊張から解放されつつ
それぞれ思いをめぐらしているように思えた。
私にはこのまま拍手なく静かに席を立って帰るのがむしろ自然かとも思えたが、
このようなことは初めての経験であった。
(結局、最後はラトルが左手を少し横に振って、聴衆も拍手を始めた。)

本当に特別なコンサートであった。
こんなコンサートにめぐりあうことは生涯に何度もないと思うが、
そういう貴重な体験を与えてくれたラトルとベルリン・フィルに
深く感謝したい。

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