パグ太郎
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クラシック中心に聴いています。オーディオは手段と考えてはいるものの、気がつくと手段の魔力に取り付かれてしまうことも多く、日々修行をしております。

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ディリュカが明かしてくれたC.P.E.バッハの魅力、またまた人様の日記に便乗

ゲオルグさんイチオシのピアニスト、シャニ ディリュカの新録音は、なんとC.P.E.バッハとモーツァルト曲集です。

ご本家ゲオルグさんのレビュー日記への返歌ということで、屋上屋ではありますが感想を残しておきます。

これまで、彼女のシューベルトの小曲集とソナタ、メンデルスゾーンの無言歌、ベートーヴェンのチェロソナタを紹介いただいて、その繊細な優しさと、同時に豊かな広がりを感じさせるロマンティックな世界観に、いつも心奪われていました。その流れから見て、新作のこの二人の作曲家の組み合わせは意外。ロココの軽快な愉悦という共通項でくくりたくなる二人ですが、ディリュカのこれまでの作風で、それがどう料理されるのか、ちょっと想像がつきません。さらに、モダンピアノ以外に、ピアノフォルテでの演奏も収録されているとのこと。あのタッチと音色の細やかなコントロールを身上とする彼女がピアノフォルテ? ますます謎と期待が膨らみます。

膨らんだ謎と期待ですが、予約したCDが届く前にネットでのストリーミング配信が始まってしまいました。堪え切れずに手を(耳を?)つけてしまいました。

C.P.E.バッハと言えば、バロック音楽を代表する父、J.S.バッハとの葛藤、そのバロックの重厚な構築物との対極にある、軽妙な愉悦感にあふれたロココの時代の作曲家として名を残しています。ただ、サン・スーシ(without worry) 「憂い無し」を謳い文句にして、ひたすら明るいこと、心配事すら排除する様なロココ派でありながら、C.P.Eは、それだけにとどまらない、軽快さを基調としながらも、悲しみ、苦しみ、愁いという、もう少し多様な人間の感情を表現する 「感情過多」「多感形式」とも言われていたのですが、自分には今までピンと来ていなかったのです。
(『サンスーシ宮殿でのフルート演奏』 フルートはフリードリッヒ大王、チェンバロ伴奏がC.P.E.)

今回、この演奏を聴いて初めてその意味が分かった、と言いますか、C.P.E.バッハの本当の価値が分かった様な気がします。最初の曲から驚かされたのが、軽やかさ、旋律的な美しさと、哀愁が併存し、陰影のある深みのある音楽が広がっていることです。それと同時に、ロココの音楽としての、軽やかで繊細で、重たさを感じさせない、この不思議さ。モーツアルト以外のロココ風味の音楽で、ここまで情感豊かに、心に染み入る音楽を聴いたのは初めてです。

そう思っている所に、モーツァルトのピアノ・ソナタ2曲が登場します。それも、短調。正しくモーツァルトの短調。「モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない」という有名な言葉の通りの演奏です。その原点が、優美さ一辺倒のフランス風ロココとは異なる、「感情過多」「多感形式」といわれるCPEバッハにあったということが、ディリュカの二人の作曲家の演奏は明らかにしてくれます。
(あまりに有名なセリフを引用するのは気が引けたのですが)

そして、ここから一歩先に進めば、心の語り声を率直に表現するロマン主義の音楽が生まれてくるのでしょう。それは彼女がこれまで最も得意にしてきた世界です。そう考えてみると、この文脈でC.P.E.バッハの魅力を引き出し、そしてその変容をモーツァルトにつなげて見せることは、ディリュカだからこそ出来たことなのかもしれません。

ゲオルグさんも引用していますが、ブックレットにある彼女の「神の世界に境界線はない、あるのは変容だけ」という言葉を見ても、バロック・ロココ・古典・ロマンという流派の境界線よりも、その美しい変容を示すという課題に意識が向かっていることが分かります。そして、この録音は、その困難な課題を達成した素晴らしい作品だと思います。

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