パグ太郎
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クラシック中心に聴いています。オーディオは手段と考えてはいるものの、気がつくと手段の魔力に取り付かれてしまうことも多く、日々修行をしております。

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欲求不満がたまると在庫がたまる、或いは、やっと見つけたエルサレム四重奏団の将来への不安について

ひと月を超える休眠状態で、久々の投稿になります。身辺騒がしく音楽を聴く時間も取れずに欲求不満を溜めておりました。もう一つ溜まったのが、ネットで注文したCD。未聴のまま山積みになってきました。山が崩れないように少しづつ聴くのが精いっぱいで、感想を書くところまで手が回りません。

この間に次々に到着したのが、エルサレム弦楽四重奏団(JSQ)の一連の録音。ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ドボルザーク、ドビュッシー、ラベル、ヤナーチェク、、、、。半分以上は廃盤で中古品、注文したこと自体を忘れた頃にやってきます。聴く余裕がない時に限って、目に留まったら手を出すという馬鹿なことをやってしまいます。
(ハイドンが2枚。一つは日記でもご紹介済み)

JSQのどこに嵌まってこういう次第になったのかというのが、今日のお話です。

これまでも繰り返し書いてきましたが、今世紀になって進境著しい弦楽四重奏というジャンル、次々に登場する若手・中堅グループが皆揃って、技術、表現力が前世代より大きく進化している気がするのです。どのグループにも共通するのは、独立した個性をもった四本の楽器が、まるで一つの楽器に様にコントロールされていて、どんなにスピードが乗ったシーンでも、また火花が散る様な激しい局面でも、細部まで表情や音色を含めて、ぴったり合っている、まるで精密機器のよう。彼らの奏でる音楽は、末端まで神経が行き届いていて、鋭い切れ味の美しさ、クールな疾走感、劇的表現でも破綻しない堅牢さを感じさせるのです。

そういう技巧的な切れ味は、それ自体が聴いていて楽しいものです。ただ、技術を前提にはしているけれど、それだけではない音楽表現、感情であったり、情景であったり、空気であったりが描き出される、そういう域に達してしまうと、逆に技術が目立たなくなってくるという例も稀にあります。技術は当たり前で真っ当な演奏にしか聞こえないけれど凄いという名人芸、技が技として見えない、文字通り、わざとらしさがない。その代表格がベルチャ四重奏団だと思います。

ただ、そういう演奏ばかりに接していて、たまに往年のセピア色の録音を聴くと、肩の力が抜けてほっとする。そこには情緒とか、柔らかさとかがあって、これはこれで良いものです。自分にとってはイタリアSQとか、ズスケSQがそういう存在で、しみじみと好い音楽聞いたなって思えるのです。人間、そういつもいつも緊張しては生きていけないものなのかもしれません。で、そればかり聞いていると、我儘なもので、今度は切れ味鋭い、あの感覚が懐かしくなる。

というのを何回か行ったり来たりしていると、更に我儘な欲求が出て来ます。この現代的切れ味で、しみじみと音楽を聴くという、矛盾したことを両立させられないものかしら?

そこで登場するのがJSQです。何が違うのか?

先ず気が付くのは、第一ヴァイオリンの歌いぶりです。ロマンチックに、楽しげに、情緒たっぷりに歌う、その流麗な唄声が曲全体の流れを作っていることです。先鋭的な機能性を追求する現代の弦楽四重奏団が、意図的にそぎ落としている要素を臆面もなく披露し、それを楽しんでいる。ただ、第一ヴァイオリンだけが目立っているかというと、そうではありません。ヴァイオリンの唄声を、深くて太い音色の、音量が大きいチェロががっちり支えています。結果として奏でられる音楽が分厚いのです。このエネルギーに満ちた舞台装置の中での歌だからこそ、情熱的であったり、情緒的な感傷であったりという人間的な温もりや肌触りをより強く感じられるのかもしれません。その一方で、今時の弦楽四重奏団の精緻なアンサンブルと、細部にまで神経が行き届いた、鋭さ、切れ味、スピード感もしっかり共存しています。それを成り立たせているのは、構造物としての音楽の仕組みを透視して見せてくれるような第二ヴァイオリンとヴィオラの、目立たぬ大活躍なわけで、クールな格好の良さがそこにあるのです。
(モーツァルトとベートーヴェン)

彼らの演奏するハイドンやモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトの作品を聴いていても、歴史を背負った古典はかくあるべしというお行儀の良さを感じることは少ないのです。極めて正統的な演奏ではありながら、歌う楽しさ、心身を揺さぶるうねり、そして耳を奪う名人芸という、音楽の楽しみの本質が三つ、そのまま詰まっている気がするのです。だから、古典作品を聴いても、格式ばった退屈さを感じさせない。今、そこで作曲されたばかりの、最新作の様な生き生きとした感覚があるのです。
(そしてシューベルト、ウィーンの王道レパートリー)

一方、近現代の作品になると、作曲家は独自性だの個性だのを発揮しないといけなくなり、ちょっと耳に新しい、つまり耳慣れない、耳に優しくない、小難しい音楽になりがちとも言えます。そういう作品を、技巧を見せつける様にバリバリと弾きこなすのは、ある種の爽快感はあります。でも、そういう演奏は、オフ会の「凄いでしょうネタ」としては面白いのですが、何回も聴いていると飽きてしまいます。JSQの演奏は、名人芸の向こう側にある、作曲家の抱える情念の声とか、取り囲む世界への体当たりとか、自分の存在を示し残そうとする欲求とか、何か根源的な部分が素直に表現されています。古典の演奏にも感じた「音楽の楽しみの本質の三つ」が、形は違っていても、そこにあると思うのです。
(ドボルザーク、ドビュッシー、ラヴェル、ヤナーチェク)

そういう演奏をしてくれるのがJSQ。ちょっとほめ過ぎですね。
ですが、知名度も人気も今一つなのです。何故でしょう? まずメンバーに花がない。紅一点のお姉さまが仕切っているベルチャSQやパヴェル・ハースSQのような物語性が全く感じられない。もっさりしたおっさんの4人組。同じ男性4人でも、フランスの小洒落た都会的センスでロックだジャズだとクロスオーバー的な展開をしているエベーヌSQの様な「売り」もない。その上、この団体名、どうしても国際政治の軋みを想起させてしまいます。どう考えてもマーケティング下手。と思っていたら、次回作は大戦間のポーランドやドイツのユダヤ人のストリートミュージックを中心にした『イディッシュ キャバレ』だそうです。
個人的には、東欧・クレズマー・室内楽伴奏のソプラノという組み合わせは大歓迎ではあるのです。レコード会社も本腰を入れて売り出しということかもしれません。が、彼らの良い所を損なうだけでは? 大丈夫だろうか? 無理していないか? という心配が先立ちます。新作の発売は6月中旬。溜まったCDの山から目を逸らして、またまた予約注文ボタンを押してしまいました。

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Phileweb登録後1年、気が付くとスピーカー導入していました(2018/6)。所有製品はHRS130ですが、製品DBに登録がないので、一番近いもので代替しています。 10数年愛用したアンプが逝ってしまったので、久々の機器更新をしました(2017/6)。

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