パグ太郎
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クラシック中心に聴いています。オーディオは手段と考えてはいるものの、気がつくと手段の魔力に取り付かれてしまうことも多く、日々修行をしております。

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フェデリコ コッリのバッハ、あるいは、名曲のイメージを塗り替える斬新さに大いに悩む

音楽を聴いて思ったあれこれを文章にしていると、演奏者が表現したかったのはこういうことかもという聴き手の勝手な想像を書き連ねてしまうことが良くあります。「良くあります」というより、当日記はその様な根拠のない印象が殆どですね。実奏者が目にすることがあれば(無いので助かっているのですが)、見当違いも甚だしいと笑らわれてお終いということなのでしょうが、そこは素人の無責任さの「強味」で、こうやって駄文を書いていられるわけです。

その一方で、演奏家自身が自らの演奏の解釈を明らかにしていて、それが想像もできないような奇抜な展開であることも時にはあるのです。そういう時には己の空想力の限界を思い知ることになります。

そういう斬新な解釈であっと驚かせてくれた演奏家の一人が、以前、D.スカルラッティの作品集をご紹介した、フェデリコ・コッリです。
D.スカルラッティの数百もあるソナタ作品は、タイトルも何もついていない抽象的な器楽曲で、一つ一つがきらりと光る魅力を持っている独立した小品の集まりなのですが、コッリは、その作品群を作曲家の生涯の4つの段階(抑圧、放蕩、更生、信仰)に当てはめて分類して再構成することで、一人の人間の一生の物語として演奏して見せたのです。「時代錯誤的」なロマン主義的な解釈で、ドラマティックな感情をスカルラッティに持ち込んできたというユニークな演奏でした。

そのコッリが今度はバッハの曲集をリリースしたというので入手してみました。
バッハは抽象度の高い演奏、ロマンティックな感情の乗った演奏、宗教的祈りを込めた演奏などなど、多様で幅広い解釈を受け付ける作品です。逆に、色々なアプローチがやり尽くされていて、何をやっても独自性を打ち出すことが難しい、そして下手なことをすると独りよがりの訳の分からないものになりかねない危険もあります。スカルラッティで独自解釈を展開して見せたコッリが、バッハで一体どういう物語を紡ぎだすのか、怖さ半分、楽しみ半分です。

先ずは、なんの予備知識も入れずに、演奏だけを素直に聴いてみます。予想通り、普通の演奏ではありません。まず、劇作品として何かを物語るような表現の幅、ある時は静かに話しかけ、ある時は喜びにあふれ、ある時は深刻に嘆き、ある時は一人祈るように、テンポ、強弱、音色、響きが変化し、多様な表情が入れ替わり登場します。その一つ一つは説得力があります。例えば、パルティータ4番の第5曲「サラバンド」は、滅多に聴けない程の神秘的で透明感あふれる美しさです。

中でも一番の驚きは、シャコンヌ(無伴奏ヴァイオリンのパルティータ2番の有名な、あのシャコンヌをブゾーニがピアノ用に編曲したもの)でした。こんなドラマティックなシャコンヌを聴いたことがありません。優れた俳優の朗読を聴いている様な語り口と情感あふれる表現で、一つの筋書きが構成されている印象です。これも前作同様にロマン主義作品の演奏の様で、また「時代錯誤」とも言えます。が、バッハの名作の表現としては十分成り立っているし、心を動かされる演奏であることも否定できません。そして「コッリお得意の何かの物語に仕立てているに違いない。それは一体なんだろう?」という好奇心を刺激する演奏でもあります。

ということで、またまた自分の演奏の解釈を長文で紹介しているブックレットを読んでみました。結果は「やはり」というか、「ここまでやるか」というか、「これはちっと危なくないか?」という衝撃の内容だったのです。

15分強の長さを持つシャコンヌという曲は、ニ短調―ニ長調―ニ短調の3部構成の変奏曲です。その第1部は主題と32の変奏曲からなり、その最後に三全音という昔から「音楽の悪魔」と呼ばれている不協和音による深い断絶の後、第2部の長調に移行します。第2部は祈るような静かな旋律から輝かしい賛歌へ導かれ、再度単調に移った3部は瞑想的な曲調から始まり激しく荘厳な響きが鳴り渡る終曲に至るという構成になっています。

ここにコッリは、新約聖書そのものを見たというのです。主題と変奏の計33はキリストの人間として生きた33年を象徴する数だという伝統的聖書解釈学を持ち込み、その最後に来る悪魔の不協和音はキリストの死、つまりゴルゴダの丘での磔刑の表現であると。であれば第一部はキリストの生誕から受難までの物語であり、各変奏にはその有名な情景を充てることが出来る。その断絶・変調後の第二部はキリストの墓所の様子から輝かしい復活までの物語として解釈し、瞑想に続く激しく荘厳な第三部は、ヨハネ黙示録に表された世界の終末と最後の審判として演奏しているというのです。劇的な物語りではないかという当方の最初の印象は間違ってはいなかったとものの、想定以上。でもそう思って聴けば、そう聴こえてこなくもない所が恐ろしい。これは、どこまで本気で信じてやっているのか・・・・・? ちょっとファナティックな香りもしなくもありません。

改めてジャケット写真を見ると、スカルラッティのCDに使われた4つの人生のステージの最後の「信仰」に当たるポートレートを再利用しています。なんだか目つきが危ない様な気もしてきました。おまけに、ケースのCDの裏側の写真には十字架がぼんやりと映り込んでいます。うーん、これは楽曲の解釈とその演出というより、本当に熱烈な信仰としての表現かもしれません。


逆に全てが意図された演出という気がしなくもありません。というのも、こういう写真をブックレットに差し込んでいるのです。そして「録音現場の、ちょっと軽い気分」「鍵盤に向かう姿、バッハには多様なアプローチが可能」などというキャプションを付けているのです。
(ちょっと軽い気分でサングラス)
(多様なアプローチの一つ)

真剣な信仰心の表現と受けとめるべきなのか、ロマンティックなバッハを弾きたいという純粋な気持ちが先で、こういう解釈も成り立つと面白いでしょうというオマケ程度の話なのか、どちらとも判らず頭をひねることになりました。つまらない演奏であれば解釈ごと忘れてしまえば済む所ですが、ここまで悩んでしまうのは、この斬新な演奏が放置できない素晴らしさを持っているからだとも言えます。

ただ、困ったのはこれからシャコンヌを聞くたびに、十字架を背負ったキリストの最後の苦難の道やら、復活を告げる鐘やら、黙示録の喇叭やらを連想してしまいそうだということです。映画に上手に使われた音楽を聴くと、そのシーンが否応なしに思い浮かんでしまうようなものです。コッリさん、貴方は一体何ということをしてくれたのですか!

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