パグ太郎
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クラシック中心に聴いています。オーディオは手段と考えてはいるものの、気がつくと手段の魔力に取り付かれてしまうことも多く、日々修行をしております。

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「神の怒り」と「不倫疑惑」の関係、あるいはマーラーの「復活」に見る反権威的性格について

ヴェルディのオペラ「オテロ」の冒頭は、夜の嵐の中での海戦のシーンから始まります。暴風の音、稲光と雷鳴、大砲の轟音。港の城壁から見守る群衆の祈り、悲鳴、歓喜の雄たけび。自然の猛威・戦闘の猛々しさ・群集のエネルギー、こういうものをオーケストラと合唱で表現させて、ヴェルディの右に出るものはいないと思います。半世紀にわたって、この曲の名盤としての地位を維持しているのが、デル モナコが主役を演じるカラヤン盤(1961年録音)、どうしてこんなに音がいいのか。ウィーン国立歌劇場の風の効果音を出す装置とか、バーデン砲学校のキャノン砲の音とかまで入っていて、純粋にヴェルディの音楽だけでも十分に語ることが出来るのにと思わないでもないです。

さて、このシーンの音楽を、ヴェルディの「レクイエム」の中の一曲「怒りの日」に差し替えても、言葉さえ判らなければ(実際わからないので)、全く違和感を感じません。同じ様に、怒りと恐怖と、力による支配の猛々しさを表現している点においては共通ですし、作曲者の美質が十二分に発揮された名曲であることには間違いないです。両曲ともオーケストラと合唱が混濁せず、スピード感を持って再現できるかどうかは、オーディオ的には面白い所。

「面白い所」ではありますが、自分の感覚として、「レクイエム」という死者を弔う音楽と、戦闘シーンの群集を鼓舞する音楽が、殆ど同じというのは、中々飲み込みやすい話ではないです。これは日本人と西洋人の感性の差かとも思ったのですが、そうではないようです。初演当初から「聖職者の衣装をまとったオペラ」とか「教会にふさわしくない」という類の批判が既に有ったようで、この居心地の悪さは当時も今も変らず、さらにヨーロッパにおいても同様のものだったようです。

ただ、大規模なオーケストラ・合唱による精神の高揚が、特に「喪に服する時には歌舞音曲は自粛」という日本人の価値観と必ずしも合わない訳ではなさそうです。たとえばマーラーの交響曲2番「復活」の4楽章・5楽章の展開。 女声の独唱・合唱と大規模オーケストラで、その音楽的な高揚、劇的効果はヴェルディにも負けないものがあります。が、その精神的・宗教的な高揚感は、ヴェルディのそれとは違って、生命の儚さ、死を悼む気持ち、そして死を受け入れて高い次元で再び復活することへの願いと同居できていますし、キリスト教のバックグラウンドが無くても、更には歌詞を見なくても普遍的に受入られるものになっています。そうなるとヴェルディに対して感じる違和感を産んでいる、その原因は何処にあるのかという様なことを考えてしまいます。宗教論議はここでの相応しい話題でもありませんので結論だけ言いますと、一神教の「怒れる神」の他者への攻撃性、内部への恐怖性みたいなことが全面に出過ぎていることがその要因ではないかと思います。

ヴェルディのレクイエムの演奏アプローチとしては、そういう難しいことは棚に上げて、スペクタクルとして楽しんでしまえという考え方と、逆に死の恐怖・異なるものへの攻撃性・怒りを、とことん追及し、全面に打ち出す考え方がどうしても出てきます。

前者の典型が、上で紹介したアバド・スカラ座管弦楽団・合唱団の演奏の様な気がします。もうこれはオペラ合唱曲だと、潔く割り切っているのではと疑いたくなります。それが証拠に、レコード会社は、「怒りの日」をオペラ合唱曲中に納めてしまうという暴挙に出ました。こういうことをやられると、上記の様な議論が馬鹿馬鹿しくなってしまいますが、通して聞いてみてもあっけらかんと楽しめます。(実はアバドのレクイエムはこちらの盤でしか持っていません)

後者の、死や審判への恐怖・支配・圧倒的な力に焦点を当てた演奏はノセダ・ロンドンシンフォニーのこれです。なにせ、ジャケットからして、「レクイエム」ではなく「DIES IRAE=怒りの日」となっており、全曲収録ではない部分収録と勘違いするくらいです。劇的ではありますが、オペラのような華々しさを楽しむ気持ちは吹き飛んでしまう迫真の演奏です。特に、「最後の審判のラッパが全ての墓の上に鳴り響く」のロンドンシンフォニーの金管群は恐ろしいばかりの完璧さで、トランペットの定位とスピードのオーディオチェックにもなります。有り得ない演出ですが、この演奏で「怒りの日」を、オペラ「オテロ」の冒頭に持ってくると、嫉妬に駆られて最愛の妻を絞殺してしまう主人公の心の闇・怒りという作品全体のテーマに合うのかもとか、妄想が膨らみます。

一方、マーラーの「復活」ですが、「生命の儚さ、死を悼む気持ち、そして死を受け入れて高い次元で再び復活することへの願い」の普遍的な表現と感じられると書きましたが、当然、この作品中にも、「復活」と対になった「最後の審判」が置かれているのです(5楽章の前半部分)。そこに描かれている、最後の審判に鳴り響くラッパも、グレゴリオ聖歌の「怒りの日」のテーマ音形も、裁かれる死者の大行進も、厳かではありますが恐怖や攻撃性は感じられません。マーラーの人生観、或いは幼児体験の中には、攻撃性や力、形式的権威に対する嫌悪感につながる何かが隠れているのかとも思います。同時進行的に作曲され、この交響曲にも一部引用されている歌曲集「不思議な子供の角笛」での軍隊や聖職者の取上げ方を見ていると、その思いがさらに強くなります。

そういう意味でマーラーの「復活」を派手にダイナミックレンジを取って劇的な効果を強調する演奏は、オーディオ的には良い録音かもしれませんが、音楽的には好みではありません。私のお勧めはメータ・ウィーンフィルのこれです。

カソリック教会は自らの現代社会への対応のための革新を行うべく1960年代前半に第2バチカン公会議を行いました。その決定の中で、恐怖を煽りすぎるという理由で、「怒りの日」はカソリックの典礼からは正式に外されています。怒りや暴力はオテロの不倫疑惑の嫉妬心の範囲にとどめて(これはこれで当人にとっては重大な悲劇ではありますが)、マーラー的感性が現代社会を平和に導くはず、という人間性への希望があったのが60年代だったのかもしれません。最近の国際情勢を見ると、対立関係で物事を捉えて、暴力に解決を求め、「怒りの日」の恐怖が抑止力として必要という状況に時代が退行している気がしてならないというのは、話が飛躍しすぎですね。

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パグ太郎の部屋
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持ち家(戸建) / リビング兼用 / その他 / 16畳~ / 防音あり / スクリーンなし / ~2ch

10数年愛用したアンプが逝ってしまったので、久々の機器更新をしました。

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  • 電源ケーブル STEALTH Cloude 99 Full
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