日記
2008年07月03日
パーヴォ・ヤルヴィ マーラー:交響曲第9番 2008年6月5日
ちょっと前の話ですが、今より約ひと月前、6月5日に愛知県芸術劇場のコンサートに行ってまいりましたので、遅ればせながらレポートします。
演奏者はネーメの息子パーヴォ・ヤルヴィの指揮、オケはフランクフルト放送交響楽団、演目はR.シュトラウス「最後の四つの歌」、そして私自身熱愛するマーラーの交響曲第9番です。同世代作曲家の「死」をテーマとした最晩年の曲、ただしその曲想は対照的で、なかなかよく考えられたカップリングではないかと。
ご存じの方も多いと思いますが、名古屋の芸術劇場のコンサートホールは比較的狭く、私の席は第一ヴァイオリンのすぐ上、指揮者の左顔を眺めるようなポジションでした。ステージも狭くオケでぎゅうぎゅう詰め。
ヤルヴィはこのホールに合わせて音響や音量を整えることはせず、オケにフルパワーで演奏するのを求めていたようで、私のポジションもあいまって音量バランスについては良好とは言えませんでした。管楽器は鋭く耳に飛び込み、ffは大爆音、ソプラノの森麻季さんの歌は横から鑑賞ということで、オーディオ的に言えば(?)問題のある音響でしたね。ライブな部屋で大音量出して響きが飽和する、ちょうど自分ちの部屋みたいな(笑)
しかし結論から言うと、熱気とやる気が満ちた大変な熱演で、内容的にはすごく満足のいくものでした。
最初のシュトラウスの曲は彼晩年の心境が豊穣かつ調和的な響きに反映したかのような曲であり、音響的には楽器間、そしてオケと歌のバランスが特に求められます。ことに響きに透明性を維持するのが肝心。この意味では、今回の私の席はとても最善のポジションとは言えませんでした。心なしかヤルヴィも意欲満々という感じではなく、途中でうっかり棒を落とし森さんに拾ってもらう始末。先にも書いたように森さんは横から聴く感じで、これではどう考えてもオケ歌曲を聴くには不利な状況。と、こう書くと面白くなかったように聞こえるでしょうが、やはり朗々とした生楽器・生声に包まれるというのは心地良いものです。第一曲は楽器がバラバラに聞こえて「これでいいのか?」という感じでしたが、演奏は段々調子を上げていくような感じで、第四曲はとても印象に残りました。
しかし、今日の目玉はどうしてもマーラー。
演奏者に急病人が出たということでなかなか次のマーラーが始まらずやきもきしましたが、いざ始まってみるとヤルヴィや団員の気合の入り方もまるで違い、内容は強烈なものでした。確かにバランスはよくないと言えばそうでしょう。しかし激しく音をぶつけるような気合の入った演奏に心さらわれたのも事実です。バランスを求めて変に力を抑えるよりもこの方がよかったと思います。死の暗示から始まり、生への執着と死への恐怖、そして沈鬱と絶望が激しく交錯しながら、やがて力尽き眠りに落ちるように終わる第一楽章、夢の中の暢気な世界で厳しい現実を忘れようとぎこちなく踊る第二楽章、自暴自棄の乱痴気騒ぎとなる第三楽章、そしてついに自分の運命を直視し、生への愛を通じて死の恐怖を克服し、やがて涅槃へと至る第四楽章。シュトラウスとはうって変った、心の葛藤が複雑かつ激しい音の動きで表わされる曲なこともあり、音響上の不利は最終的に大きな問題には感じませんでした。
むしろ問題を感じたのはカミさんの隣に座っていたおっさんの体臭が物凄かったことで(苦笑)、ふと息を吸い込むと猛烈に鼻を突いてくるのです。勘弁してほしいっスほんと。
ヤルヴィは割とテンポの伸び縮みをさせつつ、盛り上げるところでドンと爆発させており、曲の構造解析や細部の彫琢よりもトータルでの表現性を重視しているように感じました。ppのところでも、音を抑えてコントロールするより、きちんと楽器に歌わせるのを心かげていたように思います。いくつか非常に印象深いところがありましたが、特にヴィオラの出来は素晴らしく、ヴィオラのトップは一際大きな拍手と歓声を受けていました。
この後息子ヤルヴィ指揮のプロコフィエフ5番(シンシナチ響)・ブルックナー7番(フランクフルト響)のCD/SACDを買い込みましたが、これがなかなか私好みで、ブルックナーチクルスも今後続けて発売されるとか。今後に期待の持てる指揮者です。たまにしか行けませんがやはり生には生の良さがありますね。