日記
2008年07月07日
夢のあとに~龍岡城(臼田五稜郭)にて~(信州紀行その2)
函館の五稜郭は皆さんよくご存じだと思いますが、実は、長野県にも五稜郭があるのです。
上信越道佐久インターから国道141号線を韮崎方面に行くと臼田という町につきます。
ここに「龍岡城」という小さな城跡があります。

案内板には「五稜郭」と記載されており、
確かに星形の城郭で、お堀が曲がっているのがわかります。


この、不思議な城を造ったのは、松平乗謨〔のりかた〕(1839‐1910)という、石高一万六千石の小さな大名です。
乗謨は、幼少より俊才の誉れ高く、幕末には老中格,陸軍総裁を務めた人物です。
龍岡城は、西洋事情にも通じた乗謨が、1864年(元治元年)に西洋式城郭の築城を開始。
完成前に明治維新を迎えました。
廃藩後の龍岡城は有為転変の後、現在は小学校が建てられています。


上の写真にある建物は、龍岡城の「御台所」と呼ばれた建物で、築城当時の姿を今にとどめています。
実際に見てみるとお堀は小さいし、守りにくそうなお城ですから、実戦的なことより、乗謨の「夢の城」ではなかったかと思います。
実際、駿府城や金沢城のように城跡に県庁があったり、大学などがあるのはよくありますが、
ここでは小学校が独り占めです。
城の大手門から中に入ると、

校庭には大きな木があり、

山の方を望むと、

伸びやかな風景が広がっています。
いいですね。こんな学校で過ごすことができる子どもたちは。
明治維新以降の松平乗謨は、大給恒(おぎゅうゆずる)と名を改め、新政府に出仕します。
賞勲局総裁,枢密顧問官,元老院議官などを歴任。明治10年には佐野常民らとともに日本赤十字社の前身となる博愛社を創立しました。
勝海舟や榎本武揚のように、旧幕府高官でも元々は小身の旗本や御家人出身者で、新政府の高官になった人物はいますが、生まれながらの大名で、しかも幕府の老中、陸軍総裁であった大給恒が、明治政府の高官として活躍できたことは特筆すべきことではないでしょうか。
松平乗謨あるいは大給恒が、今の龍岡城を見たらどう思うのでしょうか。
自分の夢の跡で学び、遊ぶ子どもたちを見た彼は何を思うのか。
とても興味があります。
そんなわけで、今日の蓄音機は、G.フォーレ作曲「夢のあとに」をお届けします。
演奏は、チェロの神様、P.カザルス(1876 - 1973)です。
それでは、ここからどうぞ。
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CTIファンさん
いいお話しと写真をありがとうございました。夜更けのミミズクと申します。
「夢のあとに」を聴いてみます。楽しみです。
by夜更けのミミズク at2008-07-08 12:42
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夜更けのミミズク様
ご覧いただきありがとうございます。
オーディオとあまり関係ないことばかり書いておりますが、今後ともよろしくお願いいたします。
byNEKOMARU at2008-07-08 18:37
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