日記
2008年10月11日
カザルスとフランコ
「チェロの神様」「弓の王」と称えられたパブロ・カザルス(1876―1973)。

オーケストラの伴奏楽器に過ぎなかったチェロを独奏楽器として確立し、演奏技術を飛躍的に進歩させた巨人です。
カザルスと言えば、「無伴奏チェロ組曲」を始め、多くの名演奏がありますが、私が好きなのは「G線上のアリア」です。
今日、技術的にはカザルスをしのぐチェロ奏者は数あれど、この曲をカザルス以上に弾ける人はまずいないと思います。「心に沁みる」演奏と言いますか、「辛いことがあったときに包み込んでくれるような音楽」
そんな感じがします。
これほど偉大な音楽家が、1936年に祖国スペインを去ってからは殆ど公の場でチェロを演奏することがありませんでした。
その原因がこの人、

フランシスコ・フランコ(1892―1975)です。
フランコは32歳の若さでスペイン陸軍の将官に抜擢され、1936年に人民戦線政府が誕生すると、反乱軍(国民戦線)の総司令官兼政府主席となり、ドイツ・イタリアの支援を受けて人民戦線政府を打倒し、統領Caudillo(カウデイーリョ)とよばれ、カトリック教、権威主義、コルポラティスムの基礎のうえに自らが党首であるファランヘ党の独裁制を樹立しました。第二次世界大戦中は中立を守り、戦後は東西対立の中、西側諸国との関係改善を行い、死去するまで40年近く独裁者として君臨し続けたのです。
カザルスは、フランコ政権の圧政に抗議してスペインを去り、「スペインに自由と人民の意志を尊重する政体が再建されない限り、チェロを演奏しない」と宣言して終生守りとおしたのです。
「人間の権威ということが問題になるときには、芸術家もどんな犠牲を払っても立場をはっきりさせねばならない」(パブロ・カザルス)
常にこの態度を崩さなかったカザルスは、真に尊敬するに値する人だといえるでしょう。
でも、フランコは本当に「悪」だったのでしょうか?
「人民戦線政府が勝利していれば、スターリン主義の国家になっていたはずで、スペインはもっと悲惨なことになっていた」
「40年間の安定政権によって、スペインには中産階級が生まれ、西欧民主主義を受け入れる地盤ができた。」
「フランコは後継者に自分の息子や親族ではなく、ファン・カルロス王子(現国王)を指名した。これだけでも凡百の独裁者とは異なる人物だ」と評価する意見もあるのです。
J.ソペーニャ氏の「スペインーフランコの四十年ー」は、スペインの歴史が二つに分裂した歴史であることに視点を置き、「ファシスト」「独裁者」だけにこだわった従来の視点とは違うフランコ政権の真実を追求した労作です。絶版になっていますが、古書で見かけたらご一読をオススメします。
フランコは遺言で,「およそ私の敵と自ら公言している全ての人々―私は敵と思っていないのです―を、私が心からゆるすと同じように、どうか私をおゆるしください。」(「スペインーフランコの四十年ー」より)と記しています。
この「私の敵」の中には、カザルスやピカソは入っていたのでしょうか。
気になるところです。
それでは、カザルスの演奏を2曲お聴きください。
いずれも、J.S.バッハの曲です。
「無伴奏チェロ組曲」の素晴らしさについては、SPレコードに当時の音楽評論家、柿沼太郎氏の批評が記されていましたので、ご紹介しておきます。
「カサルス独奏するところの、バッハの無伴奏組曲のすばらしさは、文字通りユニークで、他の追随を許さない。中でもこの第5番からの「前奏曲」は、壮大厳粛を極め、どんな驕慢な心をも圧倒せずには措かない底力をもっている。まったく怖るべき曲、同時に怖るべき演奏である。この曲と演出との総和から結果する荘厳なものに、我々はただただ頭を垂れて聞き入るほかはない。」
1曲目は、
LPレコードで「G線上のアリア」→こちらから
2曲目は、SPレコードで
「無伴奏チェロ組曲より前奏曲ハ短調その1」→こちらから
「無伴奏チェロ組曲より前奏曲ハ短調その2」→こちらから