日記
「ジークフリート牧歌」
2010年10月03日

だいぶ前のことになるが、有楽町にあった中古店でたまたまこのLPを見つけた。聴いてみてたちまちとりこになった。
その後、CD(96kHz/24bitリマスター)も入手してみたが、CDフォーマットでもそのみずみずしい音は変わらない。むしろS/Nがよいこと、ピーク時でも高い解像度が保たれるなどデジタルの利点もあって好ましい。

この録音は、あの「指環」全曲録音の合間を利用して行われた。当時まだ二十代だったワルター・ウェラーらの若手を個別に抜てきしたことが古参団員の激しい反発を呼んだ。特にチェロ首席のブラベッツの抵抗は頑迷で執拗を極めた。コンマスのバリリや録音当時には不在だったボスコフスキーもそっぽを向いた。このため「ワルキューレ」の録音が頓挫してしまった…といういわくつきの録音。
そんな事情をカルショーの自伝を読んで知ったのは最近のことだが、数限りないウィーン・フィルの名演奏のなかでも際だってみずみずしい演奏となったのは、異例の若手起用が功を奏しているのだと改めて思う。カルショーは当時の混乱についていろいろ言い訳がましいことを書いているが、高齢の演奏家を外したのは意図的だったと思う。
室内楽的な小編成での演奏は、当時、画期的だったし、その細部描写は比類のないほど美しい。「大艦巨砲主義」と決めつけられがちなショルティ/デッカへの固定観念をぬぐい去る希有の名演だが、ヴェラー弦楽四重奏団のメンバーでもあったこれらの若手の清新なアンサンブルが大きく貢献していると思う。
カルショー自身も自伝のなかで「それは魅惑の音楽の夕べだった。誰も時計を見ず、演奏者たちの調和は完璧だった。ゾフィエンザールに魔法がかけられたようだった。」*と自画自賛している。
なかなかこれを超える「ジークフリート牧歌」の名演・名録音はないのではないか。
ゲオルグ・ショルティ指揮 ウィーン・フィルハーモニー
1965年11月 ウィーン・ゾフィエンザール
*「リング・リサウンディング」新訳版(山崎浩太郎訳)
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ベルウッドさん こんにちは。
カルショーの著書、実に興味深いですよね。(クラシックの)音楽プロデューサーの仕事がどんなものなのか、本当によく分かります。すでにお読みかも知れませんが、姉妹編?の『レコードはまっすぐに(Putting the Record Straight)』(学研)もお勧めですね。
また、カルショーが(ライバル視して)度々言及しているEMIのプロデューサー、ウォルター・レッグの『レコードうら・おもて(On & Off the Record)』(音楽之友社)も本当におもしろい。われわれが崇め奉っている演奏家たちが、敏腕プロデューサーの目にどう映っているのか、何だか冷水を浴びせられて正気に返る気がします。
レッグ婦人がシュヴァルツコップですが、60年代後半、彼女をライブで聴けたのは私の自慢のひとつ(同じ頃、ハンス・ホッターの「冬の旅」も聴くことができました)。本当に綺麗なドイツ語でした。
by老夫 at2010-10-03 16:39
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訂正です。
レッグ婦人 → レッグ夫人
ケアレス・ミスで失礼しました。
by老夫 at2010-10-03 20:34
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老夫さん
レスありがとうございます。
『レコードうら・おもて』は、レッグの回想録を装ってはいますが実質的にはシュワルツコップの著作、彼女によるレッグ評伝といってよいですね。演奏家たちのエピソード、特に歌手の話しはあきれるやら笑えるやら、本当に面白い。歌手というのは自身が生身の楽器ですから同情するところはありますが、本当にわがままできまぐれでプロデューサーや指揮者が泣かされたことがよくわかります(苦笑)。
byベルウッド at2010-10-03 23:06
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ベルウッドさん
『レコードうら・おもて』のほとんどは、レッグが残した文章によって構成されています。彼は、シュヴァルツコップの文章力について、「彼女が書く文字といったら、小切手にサインする自分の名前だけだからね」と語っており、シュヴァルツコップ自身がそれを認めています。
内容についても、「レッグ評伝」とはとても言えないと思いますが・・・。
by老夫 at2010-10-03 23:33
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老夫さん
あははは、そうでしたっけ(笑)。
遺稿集の編著者に過ぎず彼女の手は入っていないということですか?彼女の回想録もけっこうな部分を占めていたと記憶していましたが…。この本は5年ほど前に、図書館から借りて読んだので手元で確かめることができずいい加減なことを書いてしまいました。
すいません。
byベルウッド at2010-10-04 10:44
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