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日記

コンセルトヘボウでコンセルトヘボウを聴く(その2)

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2014年12月03日

音響の優れた世界的な名ホールであるアムステルダムのコンセルトヘボウで、世界最高のオーケストラ、ロイヤル・アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(RCO)の演奏を聴きました。そのお話しの続き。


作曲家の柴田南雄氏がこう言っています。

「マーラーはレコードで聴くのとナマを聴くのでは、どうしても大差がある。SPがLPに、LPのモノーラルがステレオに、それからCDに、とたしかに音質、音量とも向上いちじるしいが、それでもなお、指揮者と、100人を越すオーケストラと大合唱とが、聴き手と同じ時間と空間を共有して、時々刻々に生み出すその鮮烈な音空間、そこに生ずる音像、その色彩、運動、力は、どんな機械装置でも再現できるはずがない。」(岩波新書「グスタフ・マーラー」)

まさに至言というべきですが、だからこそナマはオーディオの目標であり、耳を鍛え、チューニングの規範になるのだと思うのです。ところが、さらにもうひとつ付け加えたくなりました。『マーラーは、欧米の超一流オーケストラで聴かないと聴いたことにはならない』。それほどにコンセルトヘボウのコンセルトヘボウは強烈でした。



6番は、声楽のない純器楽曲で、しかも、律儀なまでに古典的交響曲形式に忠実な曲です。それだけに文学性は薄いと思っていましたが、今回の演奏で鮮烈なまでにマーラーの深みにはまりました。この曲にユダヤ民族の運命、ホロコーストの予見を聴いたのです。そんなことはコンセルトヘボウで聴くまでは微塵も考えたことはなかったのです。

そのことはもちろんこの日の朝に「アンネ・フランクの家」を訪ねたからだと言えます。私たちは、たまたまアムステルダム観光のいの一番にこの場所を選んだのですが、そのお話はまたの機会とするとして、それはやはり衝撃的でした。そして、その日の夜のコンサートで、マーラーの6番が鳴り始めて「そうだったのかと」を身も震えるような衝撃を再び受けることになったのです。



第一楽章は、二つの主題を持つソナタ形式となっています。軍隊的な行進曲風の第一主題と「天翔る」ような甘い第二主題。前者はドイツ古典派的なごつごつした四拍子、いわゆる四分運動(フィアテル・ベヴェーグンク)で、後者は東欧的かつユダヤ風の甘美な哀歌。このふたつは極めて対照的。低弦の刻みと小太鼓の駆り立てるような独特のリズムで導入され、金管も加わった暴力的な和声の一撃からヴァイオリン群が強烈にがつがつと四拍子を刻む。第二主題はそのヴァイオリンが一転して甘美に歌う。それを結ぶ経過部分が独特で、ふたりのティンパニの連打で雰囲気が一変し、オーボエと三本のトランペットの長い和音、木管の美しいコラール風のハーモニーが始まりイ長調から第二主題のイ短調へと直接連結していく。

こういう提示部が二回くり返された時点で、低弦の威力、鮮烈な金管、透明な木管、先鋭で雄弁な打楽器とティンパニ、そして、変幻自在で表現力豊か、しかも、一糸乱れぬアンサンブルの弦楽器群と、コンセルトヘボウの素晴らしさが私の身体全体に浸透してきます。マーラーを聴いてきて、何もマーラーを知らなかったと痛感すると同時に、こういうマーラーが聴けるという喜びが早くも全開となってしまいます。曲は、ここから複雑に展開していきますが、対比的な主題は最後まで解決せず、極端に切りつめたコーダで一気に終わると、思わずため息をついてしまいました。

行進曲風のドイツ的四拍子は、マーラーの故郷であるボヘミアに駐屯していたオーストリア軍の軍楽隊の音が幼時体験として刷り込まれたものと言われ、第3番の冒頭のホルン8台で斉奏されるテーマや、第5番の葬送行進曲など、マーラーの「死生観」や「運命」のように解釈されていますが、第6番のこの演奏を聴くとまさにナチの出現を予見したかのように不気味であって、それは軽輩のオーケストラでは到底出せない音の深みなのだと思ってしまうのです。



ガッティの指揮がすごいと思ったのは第二楽章のスケルツォの早いテンポ。

冒頭の曲想が第一楽章とよく似ていて、マーラー自身も楽章の順番を迷ったほどで、往々にしてつい引きずられて似たようなテンポになりがち。スコアにも「Wuchtig (ausschlagen ohne zu schleppen)」(=重々しく(引きずることなく打つ))と矛盾するような難しい指示があるだけ。それをかなり早いテンポで進め、中間部は東洋的な変拍子でもあり複雑ですが、オーケストラのアンサンブルは一糸乱れることなく爽快。まさに生気に満ちた狂乱のスケルツォ。しかも「重い」。それが静かに終結するのは悲劇を予感するから。


さて、さらに後半の二楽章ですが…

(続く)

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  1. うううう・・・

    続きが早く読みたい(笑)

    byデーンちゃん at2014-12-03 21:20

  2. うううう・・・

    続きが早く読みたい(笑)

    うううう・・・待ちきれないから勝手に想像しています(爆)

    byGRF at2014-12-03 22:38

  3. ううう…

    私も続きが早く読みたい(笑)
    (≧∇≦)
    マル秘話しは拙宅にてのオフ会でよろしくお願いします。m(_ _)m

    byニッキー at2014-12-03 22:50

  4. うううう・・・

    続きが早く読みたい(笑)

    うううう...いろいろ想像しながらマーラーを改めて聴きたくなって来た...奥が深いなあ...

    では、では

    byバズケロ at2014-12-03 23:25

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