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日記

若き才能たちの共演 トリフォノフとマイスター 読響土曜マチネーシリーズ

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2017年09月21日

この半年聴き続けてきた「土曜マチネーシリーズ」。いよいよ最後にして待ちに待ったその日を迎えました。

というのも、そもそもこの公演シリーズのチケットを買ったのは、この日のソリスト・トリフォノフを聴きたかったから。この日だけとも思ったのですが、よい席も確保したいしそれならえいっとばかりに半年のシリーズチケットを買ってしまえ…それが読響をこの半年間聴き続けた真相だったのです。

そもそも我が家のトリフォノフブームのきっかけとなったのは「超絶技巧」というリスト練習曲集のCD。その後、ベルリンフィルのジルベスターコンサートでラフマニノフの3番を演奏したシーンもNHKBSプレミアムシアターで放映されました。

共通しているのは、超絶技巧を難なく乗りこなしてしまう、技巧を超越したところに現れる甘美でロマンチックな美しい音楽。

そのトリフォノフが、演奏したのはプロコフィエフの第2番。

この曲は、とびきりの難曲として有名です。この曲の愛聴盤は、ユンディ・リー。小澤征爾/ベルリンフィルとのライブ録音。カップリングされたラヴェルとともにユンディの若々しい感性と若さにまかせた快走ぶりではちきれんばかりの若いエネルギーに満ちています。



この録音のリハーサル場面が残されていて、NHKで放映されていました。

小澤征爾は、若いユンディ・リーから、超難所の部分で何度も「もう少し早めに」と煽られる。「(ユンディの演奏は)若い、若い。若いことはいいことだ。若いプロコフィエフだ。」と小澤が言うと、インタビュアーに「作曲者はもっと若かったですよ。」とたしなめられる。「ホント?いくつだったの?ええっ21歳?じゃぁ、これは若者の音楽なんだ。」と感服する。

録音直前の最終リハーサルでも、また、もう少し早くと督促されて、「Too slow?」とちょっと肩をそびやかしオケに向かって「He likes faster. Young, young. So we go younger.」とニヤリとしたと思うとすぐに真顔にもどり一気にタクトを振り下ろすのです。

トリフォノフのプロコフィエフは、そういう『若いプロコフィエフ』とは全く違う。超難曲という常識や、それをさらに快速で飛ばす若きヴィルトゥオーソを期待すると、むしろ違和感さえ覚えるような濃艶なプロコフィエフなのです。難所を難所とさえ思わせない演奏は、うっかりするとそのあっけなさに聴いていて何も残らないということもあり得ますし、あるいは若きプロコフィエフのメカニカルで尖ったようなモダニズムがその痕跡もとどめないまでに別の音楽になっているかのように感じてしまいます。

そういう一見技巧の廃墟のようなプロコフィエフから、えもいわれぬような甘美なまでの早熟の若者の感傷や陶酔、闘争的なまでの自尊心やナルシズムが湧き上がってくる。そういう新しいプロコフィエフ像が現れてくるのです。第1楽章の長大かつ猥雑なまでに技巧的なカデンツァ。思わず聴き手の感性に空白を生じさせるまでの過剰感ですが、それが終わった途端にオーケストラのトゥッティが強烈な不協和音を鳴らす。その瞬間にはっと我に返って思ったのは、その音響が先だってチューリッヒで観たオペラ「炎の天使」の響きにそっくりなのです。そこで初めて自分が今聴いているのはプロコフィエフなのだと我に返りました。

ピアノは、この日もファツィオリ。かつてはどこへ行ったらファツィオリが聴けるのか、誰がファツィオリが弾くのかと東京中を探し回りましたが、先日のヒューイットに続いて何と同じ週に連続してのファツィオリです。トリフォノフは好んでファツィオリを弾くそうですが、どちらかといえば繊細でひ弱に見えるファツィオリがプロコフィエフで唸るような荘重な低音を聴かせ、キラキラと星が砕け散るような高域の輝きを聴かせたのは爽快でした。



読響は、大変な好演でした。

作曲者自身、この協奏曲のオーケストラについて「ショパンの協奏曲のような単なる伴奏」と言い放ったそうですが、音響的に見事な背景的響きに徹しながらも、前述のような要所ではほとばしるような音圧と斬新な響きを叩き出す。全力で曲に取り組まなければなかなか達成できない立派な「伴奏」でした。読響の生真面目さは、こういう時に素晴らしくハイレベルな好演をもたらすようです。

そのことはプログラム最初のスッペの「詩人と農夫」序曲でも、後半のベートーヴェン「田園」でも遺憾なく発揮されました。読響は、指揮者をえり好みするところがあるように思えます。指揮者の実力がそのまま出てしまう。悪くいえば、指揮台で指揮者が踊るに任せて自分で自分の音楽でかぶいて見せるほどの自主性はないということかもしれません。けれどもよい指揮者を得ると果然活気づきます。スッペでの遠藤真理(チェロ)も素晴らしかったし、何よりバランスがよいスッペ。ベートーヴェンは、私にとってこれまで聴いた生の「田園」で一番感心した「田園」となりました。

ここまでのレベルになると、どうしても気になってくるのが低域、コントラバス群の弱さです。ホールのせいもあるのでしょうが、執拗なまでに低域の弱さが露呈するのはやはり実力なのでしょう。「田園」は、14型の2管編成に対してコントラバスは6台。決して大きい編成ではない中でのバス6台です。古典編成でありながらベートーヴェンは、中期の交響曲からしきりにチェロとベースのパートを分けて書いています。ベートーヴェンの交響曲にとってどれほどベースの太く厚く重い音色が大事なことか。最近のピリオド・スタイルの演奏に慣れてしまうと、そこのところが忘れられてしまいがち。

指揮者のコルネリウス・マイスターは、1980年生まれの若手。この日が、読響の「主席客演指揮者」としてのお目見えだそうです。読響はとてもよい指揮者を捕まえました。上記のコントラバスの改善も含めてその指導力に期待したいと思います。





第2009回土曜マチネーシリーズ
読売日本交響楽団

2017年9月16日(土) 14:00
東京・池袋 東京芸術劇場コンサートホール
(2階H列 42番)


指揮=コルネリウス・マイスター
ピアノ=ダニール・トリフォノフ

スッペ:喜歌劇「詩人と農夫」序曲
プロコフィエフ:ピアノ協奏曲 第2番 ト短調 作品16
(アンコール)
プロコフィエル:「シンデレラ」より「ガヴォット」

ベートーヴェン:交響曲 第6番 ヘ長調 作品68「田園」

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  1. トリフォノフ、全くスコープの外にありました。ショパンコンクール、チャイコフスキーコンクール等の優勝直後にメジャーレーベルからデビューして、且つジャケ売りの匂いがするものは、少し寝かしてみてからというのが恒例になっておりまして・・・。

    でも、日記拝見して(リンクの過去分も)、これは聞いてみなくてはと思っております。食わず嫌いはいかんですね。

    byパグ太郎 at2017-09-22 00:09

  2. パグ太郎さん

    メジャーコンクール優勝→メジャーレーベルデビュー→ジャケ映えのパターンは、ユンディ・リも同じですね。私はユンディがショパンコンクール優勝直後の初来日にはさっそく川口でのリサイタルに駆けつけています。そのソノリティの美しさに一目惚れ。即、DGのデビューアルバムを買いました(汗)。このパターンのドツボにハマってしまうミーハーです(爆)。

    最近の某韓国系の青年は、見た目が今ひとつなのでまったくときめきませんけど…。

    byベルウッド at2017-09-22 09:21

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