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日記

エリーザベト・レオンスカヤ~シューベルト・チクルス Ⅵ

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2018年04月17日

レオンスカヤのシューベルト・ソナタ全曲演奏会はついに最終日を迎えました。



さすがに最終日ともなると、会場の東京文化会館小ホールの雰囲気は一変しました。これまでの5回のコンサートの聴衆は地味な装いとどこかマニアックな空気があったのですが、この日の聴衆の醸す空気はずっと華やか。何よりもNHKのカメラが何台も入っていて、天井からの吊りマイクはタイプの違う2対のマイク(計4ユニット)に変更され、さらに響板に向けてサブの近接マイクが立てられています。

最初の11番のソナタは、やはり未完のものでどこか打ち捨てられたような雰囲気がただよう。唐突で投げやりな陰鬱さがあるトリルで始まり、平穏さを取り戻したような第二主題との交代を繰り返す。どこか尋常でない音楽。レオンスカヤはそういう音楽を太めの文字で綴っていく。スケルツォは、変化に富んだリズムと和音進行が美しい。第3楽章は、美しいD505のアダージョが充てられている。



リヒテルの日本でのライブには、このソナタも入っていて、やはりD505を弾いています。終楽章のアレグロは狂気と決意が相半ばしたまま唐突に終わってしまう。その終末がいかにも廃墟のような余韻を残したのですが、会場にいつも勝ち誇ったような飛び出し拍手をする輩がいてその余韻を無惨に壊してしまい、心にトゲが刺さったかのような痛みに変えてしまったのは余計なことでした。

「さすらい人幻想曲」は、シューベルトの生前に出版された完成された曲。ソナタとして完成させることにあれほど構成に苦しんだのに、「幻想曲」という自由形式を謳ったこの曲は見事なまでのソナタ形式だし、楽章間に共通の主題を配置して曲全体の統一感までも持たせることに成功しています。シューベルトにしては強烈なまでの強靱な技巧があって、とかく外向的な演奏になりがちなのですが、レオンスカヤの技巧のもたらす力感と内面的な美しさのバランスが見事です。

コンサートチューナーは、前日から若い人に交代したのですが、私にはこの若い調律師の仕事ぶりのほうが好ましく感じました。ヤマハらしい音色の等質性と中域から高域にかけての透明感が増し、何よりも低域の響きの深み増しました。スタインウェイでは高域の抜けのよさがかえって仇になってとかく外向的な音楽になってしまうのですが、レオンスカヤが弾くこの日のヤマハはシューベルトのソナタにふさわしい内向的で情感豊かな音色で素晴らしかった。第2楽章冒頭の「さすらい人」のテーマも右手と左手のバランスが完璧で静かな合唱のように美しく感じたのです。ほんとうに感動的な変奏曲。



私がこの曲を覚えたのはポリーニですが、ずいぶん経ってから聴いたリヒテルの演奏に感心しました。音色が太く、ポリーニのように軽快で完璧ではあっても、情感が薄く感じてしまいます。リヒテルの演奏が、この曲を力任せに弾くことの始まりだったように思いますが、リヒテルの演奏自身は今聴いてみると決して力ばかりではなくむしろ美しい情感の彩があっていつまでも聴いていたい名演だと思います。レオンスカヤの演奏は、ロシア・ピアニズムの力があっても、むしろウィーン的でテンポなども速めですが内面性はポリーニよりもリヒテルのこの演奏に近いと感じます。

最後のD960のソナタは感動的でした。

どこまでもつきまとう死の影のような不気味なトリル。とめどもなくさまよい続ける回想のくり返し。人間は死を間近にすると美しい過去の思い出が走馬灯のように浮かんでくると言われますが、これはそういう音楽なのでしょうか。覚醒とも諦念ともつかぬものを促すトリルが、最後の最後になってふと寄り添うようにかすかに浮揚するようにして安堵をともなった解決をもたらします。レオンスカヤのそういう低音の深く柔らかなこと。

2楽章のアンダンテは、ほんとうに深い。孤独と寂寞というのか、レオンスカヤの情感はむしろどこかに取り残された心が、姿の見えない親しいものたちを探し求めて焦燥し彷徨うかのよう。時折、姿を見つけたような気がして希望を持ちますがまた見失ってしまう。置き去りにされるということの不安感は幼少期にありがちですが、それがいままさに戻ってきたような…。まるで心の中でつぶやく独りだけの問いかけのような右手と左手の対話が何とも深い。1楽章のトリルと同じように、ほんとうに心の奥深くまでしみじみと染み渡るようにに響きました。



この曲のあまたあるCDから選ぶのは迷いますが、ひとつだけあげろと言われればかえって迷いなくリヒテルのそれをあげてしまいます。1972年ザルツブルク・アニフ城でのセッション録音。この時代、リヒテルは同じザルツブルクのクレスハイム城でバッハの平均律も録音しています。彼の最良の時期だったような気がします。旧ソ連の崩壊で版権が複雑な経緯をたどりましたが前にも紹介した“alto”レーベルで申し分のない音質でデジタルリマスタリングされたディスクを容易に入手できるのはとても幸せなことです。

後半の2つの楽章は、死期間近に完成したとは思えないような彩色の鮮やかさと堂々たる覇気に満ちています。第2楽章を弾ききるとそのまま心まで折れそうな気さえしますが、そこからの切り返しが、かえって聴いている私たちを鼓舞して心を打つようなところがあります。この曲を弾ききって、全6日にわたるチクルスを終えたレオンスカヤは晴れやかでした。会場もブラボーの嵐で、日本のコンサートには珍しいほどの満場のスタンディングオベーション。東京・春・音楽祭 実行委員長の鈴木幸一氏自ら花束を抱えてステージ上のレオンスカヤを湛えます。やはりこの公演を実現させたことには並々ならぬ感慨を持たれていたのでしょう。

この2週間、聴くだけの立場の私でさえどっしりと重い疲労感がありました。もちろん、深い感動に満たされるような充実した疲労感であったことは言うまでもありません。








エリーザベト・レオンスカヤ (ピアノ)
~シューベルト・チクルス Ⅵ

2018年4月14日(土) 14:00
東京・上野 東京文化会館小ホール
(J列23番)

 シューベルト:
  ピアノ・ソナタ 第11番 へ短調 D625
   I. Allegro
   II. Scherzo. Allegretto
   III. Adagio
   IV. Allegro
  幻想曲 ハ長調 D760 《さすらい人幻想曲》
   I. Allegro con fuoco ma non troppo
   II. Adagio
   III. Presto
   IV. Allegro
  ピアノ・ソナタ 第21番 変ロ長調 D960
   I. Molto moderato
   II. Andante sostenuto
   III. Scherzo. Allegro vivace con delicatezza
   IV. Allegro ma non troppo

 [アンコール]
 シューベルト:4つの即興曲 D899 より
  第2曲 変ホ長調
  第3曲 変ト長調

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