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ウェーバーの家 (ドイツ音楽三昧 その10)

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2018年07月23日

ドレスデン滞在二日目。

この日は土曜日。天候も初夏にしては涼しく曇りがちでしたが穏やかな日でしたので、エルベ川のミニ・リバークルーズと洒落込みました。



100年以上も前からエルベ川を走っているというちょっとレトロな外輪式の蒸気船。船内で長いピストンがゆっくりと前後して外輪を回す様子を見ることができます。



ドレスデンからは、マイセンとは逆に上流側に7Kmほどさかのぼったところにあるピルニッツ宮殿を目指します。この沿岸一帯はゆるやかな河岸段丘になっていてワインの銘醸地でもあった豊かな土地柄で、川沿いには大きなシャトーのような大邸宅が散在しています。



強王が側室のために1706年に分け与えた城がもともとで、強王は1720年にお抱えの建築家に中央の庭園をはさむふたつの館を建てさせます。



一方はエルベ川に面していて中国風の意匠で飾られその一室からはゆったりと流れる川が眺められるようになっていて、一方の山側の館は日本趣味で飾られていて、門松や羽根つき、双六、チャンバラごっこなど日本の子供遊びの様子などが描かれています。とはいえ、観光施設としては修復等が不完全なうえにとても地味で、私たちのような海外観光客というよりは地元の庭園パークのようになっています。そういうところにも東独時代の閉鎖的な風情が残っているというのか、西側の観光地に較べるとそういう遅れが払拭できていないということを感じさせられます。






この宮殿から、徒歩で20分ほどのところにウェーバーの家があります。



カール・マリア・フォン・ウェーバーは、リューベック近郊に生まれ劇団を率いた父についてドイツ各地を転々としながら音楽教育を受けてその天分を発揮するようになったひと。プラハの歌劇場を見事に再興させたことで頭角を現し、1817年にザクセンの宮廷楽長に任じられ、ドレスデン歌劇場(すなわちゼンパーオーパー)にやってきます。この家は、その当時、ウェーバーが棲んでいた家。



宮廷楽長という地位にしては意外なほどに質素な家。

何よりも意外感があるのは、ここがドレスデンの中心地からは7kmも隔たった田舎に立地しているということです。その地位からすれば多忙だったに違いないと想像するのですが、どうやってドレスデンまで通ったのでしょうか。陸路ではなく川を上り下りしたに違いないのですが、さきほどの外輪船ですら40分ほどかかった道のりです。ずいぶんと隔絶した土地に暮らしていたことになります。

19世紀前半のドイツというのは、いまのクラシック音楽のありようからは考えられないような辺境の音楽でした。それまで音楽の主流の場は宮廷にあって、その宮廷音楽というのはイタリア歌劇が中心でした。ナポレオン戦争による経済的な疲弊がさらに歌劇場の荒廃をもたらしていました。ドイツオペラというのは、19世紀半ばに至ってようやく勃興した新興の音楽。この時代は、宮廷のイタリア派は衰退し、国民的人気もロッシーニが席巻していました。



その状況は、プロシアのベルリンでも同じ。今のベルリン国立歌劇場(リンデン歌劇場)もイタリア歌劇一色。そこに一石を投じたのが1821年に開館したシャウシュピールハウスとそのこけら落としで演じられたウェーバーの国民歌劇「魔弾の射手」の大成功でした。それがきっかけで本流のリンデン歌劇場でもドイツ・オペラが取り入れられて行きます。ゴットフリート・ゼンパーが設計したゼンパーオーパーが完成する1841年はそういう時代でした。



ウェーバーは結核を患い、経済的にも決して富裕ではなかったので無理を押して「オベロン」上演のために渡英しロンドンで客死します。1826年没、享年40歳の早すぎる死でした。ドイツ・オペラの完成はワーグナーらによって引き継がれることになります。

そういうウェーバーの家がドレスデン中枢から離れたこんな閑静な遠隔地にあったのは、健康面、経済面での理由ということでもあり、あるいは宮廷の権謀術数から距離を置き、エルベ河畔の自然のなかで純然たるドイツ的な音楽を育むということでもあったのではないかと思わず妄想を膨らませてしまいました。

その後、郊外地まで伸びた市バスに乗ってドレスデン市街に戻るつもりでしたが、ここでとんでもないハプニング。



実は、この日は、ここら一帯は「エルベ丘陵祭り(“Elbhangfest”)」の真っ最中。ピルニッツ宮殿の桟橋で入場料を取られたのも、逆にウェーバー・ハウスで入館料がタダだったのも、実はこのお祭りのことだったのです。一帯は、お祭りの入場料を払う代わりにいろいろな施設や催しがタダという仕掛け。えんえんと数kmも続く河畔沿いの街道は歩行者天国。おかげで私たちはトラム(市街電車)の停留所のある市街地外れの橋のたもとまでずっと歩き続けるはめになってしまったのです。

徒歩は疲れましたが、エルベ丘陵のちょっと古びた街道筋の街並みを堪能することになったのは、こういう行き当たりばったりの旅の余録ということでしょうか。


(続く)

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