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日記

ケントリッジの「魔笛」(新国立劇場・新シーズンのスタート)

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2018年10月05日

「魔笛」は、いつどこで観ても楽しい。そのたびに新たな発見がある。

新国立劇場の2018/2019シーズンが開幕した。その開幕公演。



今シーズンから、大野和士が新たに芸術監督に就任した。その就任第一作ということにもなる。そしてそれは久々の新制作。新国立の「魔笛」は1998年以来、ミヒャエル・ハンペ版が上演され続けてきたから、実に20年ぶりの新制作。ちなみに1998年の初上演では大野和士がタクトを振っていた。大野が新監督として「魔笛」を選んだのは単なる偶然とも思えない。

その新プロダクションは、モネ劇場で創作され、ミラノ・スカラ座、エクサンプロヴァンス音楽祭など、世界的に好評を博しているというウィリアム・ケントリッジの演出によるもの。



ケントリッジは南ア出身で、演劇とともにアートも学びどーイングやアニメーションフィルム制作でも世界的に称賛されているアーティスト。舞台は、プロジェクション映像を駆使して、美事なまでの光と闇のモビリティあふれるものでいかにもケントリッジらしい。映し出すのは、白いスクリーンとは真逆の黒っぽい闇のような舞台で映像は光り輝く白。その象徴が舞台上でしばしば現れる《黒板》で、「魔笛」の陽と陰の対照世界という本質をよく表象している。

舞台は、第一幕も第二幕も固定しているが、下地模様と映像投影で巧みに複雑な変化が与えられ退屈することがない。巧妙な奥行きの遠近法は、まさにバロックの意匠そのもので、現代アートでありながら「魔笛」の時代感覚を全く損なわない。衣装や小道具もそういうアートのアイデアに満ちていた。思ったのは歌手陣がすっぴんそのものなこと。歌舞伎の隈取りのようなメーキャップのアートが加わればもっと演出が冴えたのではないか。

「魔笛」のもうひとつの魅力は、人気スター無用で、伸び盛りの多士済々の若手の活きのよい軽やかなキャスティング。



今回も日本人中心だが、そのなかで新国立初登場のサヴァ・ベミッチが清新なザラストロ。長身で形のよい正義が舞台をよく引き締めてくれる。タミーノのスティーヴ・ダヴィスリムも伸びやかな若さと率直さがいかにもモーツァルトらしい。

夜の女王の安井陽子は、心躍るような超絶技巧で楽しませてくれたが、女王の邪悪さとか狂信のようなものは若干不足気味。さながら“森の小鳥”のような夜の女王で、それはそれで楽しめた。



出色だったのは久嶋香奈枝。パパゲーノのアンドレ・シュエンも巧いがちょっと無垢で野卑な善人ぶりに不足気味。それを吹き飛ばすような芸達者ぶりで「パ・パ・パ」を楽しませてくれた。



モノスタトスの升島唯博は、意表を突くような身体能力を発揮してその多才ぶりを示した。こういう多芸さと巧みな演技は得がたい才人テノールだと思う。

林正子はさすがの歌唱だったけれど、ちょっと気の強いパミーナで、モーツァルトというよりはシュトラウス的。自分のイメージとはずれがあったが、恐妻家なことは同じだから夜の女王だけではなくモーツァルトのヒロインは案外こういうことかもしれない。

増田のり子、小泉詠子、山下牧子の侍女三人も好演。

楽しかったのは童子役の三人娘。こうやって合唱団のメンバーが表役として、この「魔笛」の楽しさを盛り上げてくれるのは何だかとてもうれしい。舞台のキーポイントとなる《黒板》もこの三人娘のおかげで引き立った。

ピットの東フィルは、瑕疵のない完璧な演奏。まずは東フィルの健闘を讃えたい。特にホルンが美事でバランスもよく綺麗だった。

アップライトピアノのセピア色の音色が一工夫で、ジュ・ド・タンブル(鍵盤式鉄琴)をも弾き分ける一人二役の小埜寺美樹が大活躍。

残念なのは、オーケストラにモーツァルトらしい心浮き立つような軽妙さや疾走感に不足したこと。序曲では、舞台ではすでに光と映像の巧みな動きが始まっているのに音楽にはそういう「開始」のわくわく感がわいてこない。それもこれも、アンサンブルに自発的な律動が決定的に不足していて、技巧や音色にいまひとつ個人技の冴えのようなものが足りないからだろう。

指揮者のローラント・ベーアは、そういうことは差し置いてまずは舞台上も含めてアンサンブルの完成度を求めていたように思う。でも、演出が演技の律動よりも型の様式美に徹していた以上は、モーツァルトのモビリティの美しさや楽しさは音楽がしっかりと受け持つべきだったように思う。

終演後の喝采はひときわ盛り上がった。この舞台では幕が降りないので、カーテンコールはない。それがアンサンブルと対話の面白さで見せる「魔笛」を象徴していた。最後になって、ケントリッジを始め、美術や衣装、照明、映像などのスタッフ陣も舞台に現れてひときわ大きな喝采を浴びた。

何といってもケントリッジの「魔笛」だったということに尽きる。








指揮:ローラント・ベーア 演出:ウィリアム・ケントリッジ
演出補:リュック・ド・ヴィット 美術:ウィリアム・ケントリッジ、ザビーネ・トイニッセン
衣裳:グレタ・ゴアリス 照 明:ジェニファー・ティプトン 
プロジェクション:キャサリン・メイバーグ 映像オペレーター:キム・ガニング 
照明監修:スコット・ボルマン 舞台監督:髙橋尚史

ザラストロ:サヴァ・ヴェミッチ タミーノ:スティーヴ・ダヴィスリム
弁者・僧侶I・武士II:成田 眞 僧侶II・武士I:秋谷直之
夜の女王:安井陽子 パミーナ:林 正子 
侍女I:増田のり子 侍女II:小泉詠子 侍女III:山下牧子
童子I:前川依子 童子II:野田 千恵子 童子III:花房英里子
パパゲーナ:九嶋香奈枝 パパゲーノ:アンドレ・シュエン モノスタトス:升島唯博 

合唱指揮:三澤洋史
合唱:新国立劇場合唱団
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

芸術監督:大野和士

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  1. ベルウッドさん

    おはようございます。魔笛は本当に不思議なオペラですね。ありとあらゆる解釈をのみこんでしまうブラックホールの様な存在だと思います。いろんな演出、童話、宗教劇、階級闘争、哲学、恋愛、精神分析、美術、ジェンダー・・・など、どれで切り込んでも受け入れてくれるのに、それだけでは全てを解決させてくれるほど従順ではない。演出する人に聞くと、これを解決するのが一生の課題という人が少なからずいるそうですね。

    でもモーツァルトの音楽は、そんなことを全て忘れて楽しませてくれますので、これもまた恐ろしいものです。

    byパグ太郎 at2018-10-08 09:56

  2. パグ太郎さん

    歌劇というのは、演劇・演出面での面白さがありますね。「フィデリオ」を真逆の終結に導いたりとセンセーショナルな演出上の解釈改変もあるようですが、「魔笛」は、作品自身がとてつもない柔軟性を潜在させていて自由な発想での演出とその鑑賞を可能にしています。

    ケントリッジは、南アの出身でアパルトヘイト時代に青春時代を過ごしましたが、ユダヤ系だったので白人とはいえ微妙な立ち位置だったようです。かといって名誉白人の日本人のように傍観者というわけではなく、人間の意識を冷静にシニカルに批判していました。

    今回の「魔笛」も、決してセンセーショナルな政治性を持たせるようなことはなく、素直に《正義》と《邪悪》の意外などんでん返しというモーツァルト/シカネーダが意図したメルヘンを、そのまま素直に、かつ、その本質である光と闇のコントラストを舞台上で立体化させたプロダクションでした。とても楽しめました。

    byベルウッド at2018-10-09 11:09

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