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日記

ドビュッシー/ヴァイオリン・ソナタ三昧

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2019年02月05日

ここのところ青柳いづみこさんのドビュッシー本にはまっていて、そこからドビュッシーのヴァイオリン・ソナタばかりを聴いています。



この曲は、いわば"B面"の曲。

私は、この曲をお目当てにレコードやCDを買った憶えがなく、しかも、私は、レコード、CDは、作曲家別に並べることにしているので、この曲は、そういうインデックスから外れてしまい、いったい、どこに誰の演奏のものを持っているのか、自分でもよくわかっていません。

…ところが、さがしてみるとけっこう出てくるものです。

この曲は、死の前年に完成された最後の作品、いわば白鳥の歌。初演時には、自身がピアノを弾いていますが、それが公衆の前に姿を現した最後となりました。そういう晩年の作品は、モーツァルトとかシューベルトなどをはじめ、何かと深刻ぶって語られることが多いのですが、この作品はドビュッシーの畢竟の名作とは言われていても、必ずしもそういう印象がありません。

ドビュッシーの晩年は、死に至る病に冒され、第一次大戦の重苦しい雰囲気や、自身の経済的困窮などが暗い陰を落としています。ところが、この作品は、妙に元気で明るいところがあって、あまり深刻な心境といった文脈で語られることがありません。曲の長さも13分程度でしかありません。

さらには、ドビュッシーには、他にこういうヴァイオリンとピアノのための作品がほとんど無きに均しいということもあって、この曲は、フランクのソナタとかラヴェルの作品とかと抱き合わせになることが多い…。つまりは、"B面"の曲というわけです。

必ずしも多くない所有のレコードやCDを、おぼろげな記憶とヤマカンで当たってみるとけっこうありました。
 
 
 
 
いの一番に引っ張り出してきたのがこれ。


キョンファ・チョン(Vn)/ラトゥ・ルプー(Pf)
 1977-05 Kingsway Hall, London   LONDON SLA 1250

それは李朝朝鮮の白磁の潔い意匠と虚飾のない白肌のような清冽で独特の凜とした美学に貫かれているドビュッシー。

LPのライナーノートは宇野功芳氏が書いていて、そこでは直前の来日が中止になったことが語られています。そこには『芸術に対する評価の点で彼女のプライドを傷つけた』とだけ記されていますが、公共放送の筋から「臭い」という発言があってNHK交響楽団の定期をキャンセルするなど、かなりの感情的対立があったと聞いています。両親ともに戦前の日本に留学し在日経験をしているだけに不当な差別が身に染みていたのでしょう。今でもその筋から、彼女の演奏スタイルについていまだに「正統とは違うという違和感」というある種の偏見を耳にすることがありますが、このレコードを聴くたびに首を傾げてきました。まさに、ドビュッシーがひとつの理想とした《清純さのエロティシズム》がここにあります。ルプーのピアノも光陰の移ろいが自在で美しく、A面のフランクよりもむしろ名演はドビュッシーだったのだと改めて感服します。
 
 
 
 
いろいろな盤を聴いてみようと思ったきっかけとなったのがこれ。


五嶋みどり(Vn)/ロバート・マクドナルド(Pf)
 2001-05  Meehanies Hall, Woreester, Massacheusetts   SONY SIGC 12

そもそもは先だってのコパチンスカヤにいたく感動して、プーランクのソナタ目当てに買い込んだSACD。

ドビュッシーの美学と、気まぐれなまでの語法と色彩が行き交う流転を完璧な技術で弾き込んだ、そのつきつめた集中力が素晴らしい。

反面、ある意味で楽譜をなぞっただけ…という感慨もしないではない。その突き詰め方はチョン・キョンファに似ていますが、こちらはとてもアメリカ的。そもそもドビュッシーの演奏に完璧を求めるということには矛盾があるのかもしれません。ピアノが生真面目過ぎて面白くないのが、そのことを助長しているのかもしれません。アメリカ人のフランス文化芸術への憧憬にはとても純粋で清潔な理想像があって、デカダンが欠けているということなのかもしれません。そのことが、私に他の盤も聴いてみようという思いを促したのです。

初期のシングルレイヤーは目をつぶってでも買えと言いますが、第2楽章冒頭にプレスミスと思われる瑕疵があって驚きました。初期SACDには、逆にそういうリスクもあるようです。
 
 
 
 
チョン/ルプーと同じようにフランクとの組み合わせで、定番中の定盤というべきがこれ。


オーギュスタン・デュメイ(Vn)/マリア・ジョアン・ピレシュ(Pf)
 1993-10  Hochschule fur Musik, Grosser Saal, Munchen   DG 445 880-2

デュメイは、フランス・パリ生まれで、パリ音楽院に学び、かのアルテュール・グリューミオ―に師事したフランコ・ベルギー派正統のヴァイオリニスト。まさに、ドビュッシーの弾き手としてふさわしい。その美音は、まさにフランス感覚にあふれていて観念や概念のようなものを突き破って直接五感に飛び込んできます。ピレシュは必ずしもドビュッシーの弾き手ではないのですが、その透明感のある洗練された音色は魅力ですし、和声のつかみもクリーン。ピレシュは、どの録音もとてもよく外れが少ない。おそらくピレシュはとても耳のよいピアニストで、録音に協力的で積極的に関与しているのではないでしょうか。日本コロンビア(DENON)時代のかけだしの頃に、録音現場で多くのことを学び吸収し、その後に活かしてきたのだと想像します。このCDもとびきりの美音で聴かせてくれます。
 
 
 
 
フランクの裏にはドビュッシー有り…と、ひらめいて引っ張り出してきたのがこれ。


ドーラ・シュヴァルツベルグ(Vn)/マルタ・アルゲリッチ(Pf)
 2005-12  Dada Studio Schaerbeek, Belgium   AVANTIclassic 5414706 10232

ここにはむせかえるほどの濃厚な香りが漂っています。バラとかヤマユリとか、あるいは、南洋の果実の腐れ落ちる寸前のような香りが部屋いっぱいに拡がる。

ドビュッシーが耽溺した象徴派の詩人たちは、言葉の意味や概念というよりも、そこに表徴されるものに対する感覚から喚起される情念と官能の世界を追究したのだと思います。語感や気配などの聴覚や光や色彩、揺らぎなどの視覚、風のそよぎなどの触覚、そして、もうひとつ隠微なところに潜在するのが嗅覚なのだと思います。ドビュッシーはそれらを音楽に置き換えようとしているのです。シュヴァルツベルグは、ゆったりとテンポを取り、揺らし、漂わせて、さらに温度感覚や、感覚深部の内臓感覚までをも喚起させていきます。

そのパートナーのアルゲリッチのピアノにも凄味が光ります。

ヴァイオリンは、楽器のなかでも音色が人声に近く、その音の操作の豊かな自在性から、ヴァイオリニストはまるでオペラ歌手のように自由奔放に歌い、動き、揺らす。一方で、楽器が左耳元にあるために自分の音を客観的に聴けていない。ヴァイオリニストとは、そういうナルシストなのです。そのヴァイオリンを冷静に聞き耳をたてながら、間合いとバランスを取り、全体を構成していくのがピアニストの知性なのだと思います。アルゲリッチは、そのキャリアの後半はほとんどを、ピアノデュオも含めた室内楽演奏に捧げています。天性のパートナー感覚こそがアルゲリッチの才能の本質なのではないでしょうか。

アルゲリッチの凄さは、単に合わせるだけでなく、自らも積極的に反応し、切り返し、時には対峙することもいとわずに音楽をぶつけ合っていくところです。このドビュッシーでは、そのあらゆる感覚の交代のなかで、多様な感覚が次々と連鎖していき、時としてぶつかり合ったり、重なり合ったりと同時多重的ですが、アルゲリッチは積極的にシュヴァルツベルグとそういう感覚たちを立体的に分担しているところです。吹き抜ける風にそよぐ木々の梢から漏れる太陽の輝き…というように、風にゆらぐ葉をシュヴァルツベルグが鳴らせば、同時にアルゲリッチが木々のざわめきや、梢の枝葉からこぼれる光の輝きを弾き分ける。そういう五感のリエゾンが、このふたりのドビュッシーでは秀逸なのです。
 
 
 
 
よく見つけたと、自分で自分を誉めたい気分になったのがこれ。


安芸晶子(Vn)/ジョアン・パネッティ
 1999-06  The Music Shed in Norfolk, Connecticut   EPSON TYMK-016

安芸晶子は、水戸室内管弦楽団の創設メンバーとして、あるいはサイトウキネンなどでコンミスのひとりとして活躍してきたヴァイオリニストです。その稀少なソロアルバムは、彼女が初渡米で訪れたイェール大学のサマースクールの思い出があふれる、"シェド(小屋)"と呼ばれるコネチカット州ノーフォークの木造の小さな音楽堂が収録場所として選ばれています。

改めて聴いてみると、その立派な演奏に感服させられました。やはり五嶋みどりに通ずる"アメリカ的"なフランス憧憬の延長にあるドビュッシーですが、ややもすればその完璧さがかえって人工的にさえ感じさせるみどりに対して、ニューイングランドの豊かで穏やかな自然を感じさせる健康で暖かい呼吸感覚にあふれた演奏です。デカダンのなかに矛盾して内在するドビュッシーの《田園逃避》を体現したような演奏。

セイコーエプソンの企画になるこのアルバムの録音は、すべて日本人スタッフによるものですが、これもまた優秀録音。会場の木質の透明な響きが豊かにとらえられていて、ともすれば石質の硬い響きのピアノに慣れてしまったドビュッシーのピアニズムが、とても新鮮なものに感じさせてくれます。
 
 
 
 
「美しい夕暮れ(Beau Soir)」と珍しくドビュッシーがタイトルになっているのがこれ。


ジャニーヌ・ヤンセン(Vn)/イタマール・ゴラン(Pf)
 2010-05  Teldex Studio, Berlin   DECCA UCCD-1274

ヤンセンは、リザ・フェルシュトマンとオランダで人気を二分するヴァイオリニストで、地元ではむしろフェルシュトマンに人気を譲りますが、海外、特に日本では圧倒的にその知名度が上回ります。オランダは、フランドルの回廊を通じてベルギーやフランスの市民階級と感覚的に通じていますが、言語的気質は明らかにアングロサクソンに属しています。この演奏を聴くと、とても肉付きの豊かな雄弁なドビュッシーが現れてきます。

ヴァイオリン・ソナタは、未完に終わったオペラ「アッシャー家の崩壊」が色濃く投影していて、その楽想の断片がそこかしこに埋め込まれているそうです。原作は、もちろん、アメリカの作家ポーの恐怖小説ですが、そういうヴィジュアルなドラマを感じさせるヤンセンの演奏も、これもまた、ドビュッシーの正統と思わせるものがあります。

それに拍車をかけているのが、ピアノのイタマール・ゴラン。とてもダイナミックで劇性豊か。このピアニストも室内楽の名手で、デュオパートナーからの信頼厚く、諏訪内晶子、庄司紗矢香ともデュオを組んでいます。リトアニアに生まれ、イスラエルで育ち、ボストンで学び、パリ音楽院で教鞭をとるという、いかにもユダヤ系らしいグローバルな音楽家。そのピアノの音色や響きの感覚には、「アッシャー家の崩壊」のオペラ化に偏執しながらその死に至るまで完成させることが出来なかったドビュッシーの黒々とした執念をよく表出させています。いわばドビュッシーの二面性、光と影の《影》の方が引き立っています。その意味ではラヴェルに接近し過ぎ…との違和感は多少なりとも拭えません。
 
 
 
 
21世紀世代にとって、ドビュッシーこそが近代フランスの元祖と思わせるのがこれ。


ファニー・ロビヤール(Vn)/パロマ・クイデル(Pf)
 2017-03  Auditorium Eric & Sylvie Boissonnas, Flaine   EVIDENCE EVCD039


これはもう、天性のフランス音楽。

もともとはトリオ・カレニーヌというピアノ三重奏団のメンバーで、パリ音楽院でイザイ弦楽四重奏団に師事し、メネヘム・プレスラーのマスタークラスにも参加しています。プレスラーは、ボザール・トリオの創設から解散まで不動のメンバーだったピアニストで、その経歴はイタマール・ゴランとも共通しますが、ピアニストとしての原点は1946年にサンフランシスコで開催されたドビュッシー国際ピアノコンクールでの優勝でした。そういう人々に師事した彼らは、血統書付きのフランス正統の音楽家なのです。

そういう血筋がとてもよく出ている演奏で、身体に染みこんだドビュッシーという点では、シュヴァルツベルグと共通ですが、こちらは若くて自然児のような健康美のドビュッシー。香りという点では、むしろ、薄化粧で、すべすべの美肌や伸びやかな肢体を惜しげもなく晒すようなドビュッシー。その感覚は、嗅覚ではなく、味覚や触覚の方が大いに優っています。ドビュッシーやラヴェルらが規範として仰いだ、クープランやラモーなどのフランス古典派の優美なクラブサン曲を思わせるような律動や、弦を爪で引っ掻くクラブサンの鍵盤の触覚が活き活きと反映されているようなドビュッシーになっています。トリオから抜き出したデュオだけに、ヴァイオリンにもドビュッシーの音楽の感覚が自然と備わっていて、デュオのバランスも理想的。
 
 
 
 
ロシアのヴァイオリニストはどう弾くのか?という疑問に答えてくれるのがこれ。


ヴァディム・レーピン(Vn)/アンドレイ・コロベイニコフ(Pf)
 2017-07-07  愛知県・豊田市コンサートホール   NHK FM BEST OF CLASSIC

これは、NHKのライブ収録でFM放送のエアチェック。レーピンは5年ほど前に、準・メルクル率いるPMFオーケストラのソリストとして初めて聴いて、その技巧を技巧と思わせない余裕の超絶技巧と品格あふれる洗練な演奏に我を忘れるほどの驚きと感動を覚えました。

そのことは、ここでも同じ。ただ、ドビュッシーの音楽特有の様々な色彩、触感、情感などの感覚的断片が、文脈の脈絡もなく気まぐれに断ち切られ、遷移し、あるいはひとつの感覚が別の感覚や情感へ連想されて、精妙にリエゾンしながら連なっていくという幻想味に欠けるといううらみは避けられない。コロベイニコフのレパートリーにどれだけドビュッシーが入っているのかはわかりませんが、ここでの主導者は間違いなくレーピンです。ロシア人はとかく雄渾に歌い過ぎる、能弁に語り過ぎる。そういうロシア人の気質をロシアピアニズムの奥義ではちゃんと戒めているはずですが、ヴァイオリン演奏にはその節度が十分に言い聞かせられてはいないのでしょう。そこが、フランクのソナタやラヴェルのツィガーヌとかとは違っていて、ドビュッシーのひと筋縄ではいかないところなのだと思います。

NHKの収録はとても優秀で、立体感や音場感が放送音源とは思えないほど素晴らしい。この録音は、残念ながら受信時の電波状態あまり良くなくて、サーというホワイトノイズがやや目立ちます。新築時のアンテナのままなので、その更新が今年の課題のひとつです。
 
 
 
 
 
どれかひとつを選ぶとしたら?と問われれば、どれも良いのですが、もし推薦盤というのなら、やはりデュメイ/ピレシュ盤が安心してお薦めできます。それはあまりにベタだ、もっといろいろ聴いてみたいというのなら、酸いも甘いもかみ分けるベテランにはシュヴァルツベルグ/アルゲリッチ盤、気持ちが若い伸び盛りの方々にはロビヤール/クイデル盤でしょうか。

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  1. ロビヤール/クイデルは本当に素直で伸びやかな演奏でホッとしますね。以前、コパチンスカヤ/レスチェンコの真逆のフランス音楽だという日記を書いた記憶があります。

    そして、シュヴァルツベルク/アルゲリッチは大人の親密な語り合いを感じさせる演奏で、アルゲリッチ の意外な側面を見る思いがしますね。

    上げていただいた演奏以外ですと、
    ファウスト/メルニコフ、 カピュソン/シャマイウ、シルルニク/ユボーなどを良く聴きます。(全て最後の3つのソナタ集のCDですね)。

    byパグ太郎 at2019-02-05 22:25

  2. ベルウッドさん、

    デュメイ/ピレシュ盤は演奏が洗練された演奏ですので良く聴きます。五嶋みどり/マクドナルド盤もSACDで音が良いので聴きますね。ムター/オーキス盤も演奏はちょっと仰々しいですが、ときどき聴きます。

    こういうお目当てで買っていないのに不思議に溜まる物はありますね。CDリッピングされたものが他にもあると思いますので、探して聴いてみたいと思います。

    byHarubaru at2019-02-06 23:09

  3. パグ太郎さん

    このCDは、その日記を拝見して求めたものです。よいCDとよい演奏家に出会えて感謝しています。やはり若い女性の発掘の名人ですね(笑)。

    ファウスト/メルニコフは、他にどんなCDがあるかと探索したときに気になったもののひとつです。また、CDが増えちゃいますねぇ。

    byベルウッド at2019-02-07 09:34

  4. Harubaruさん

    ムターという手がありましたね。

    ドビュッシーは、どちらかといえばカラッとした音離れのよいお色気だと思うのですが、ムターのぬめぬめとしたお色気だとどうなるのか、ちょっと聴いてみたくなりました。

    この曲は、思わぬところにカップリングされたりしているので、けっこう見つかったりします。それぞれの演奏者の個性とか工夫とかが現れやすい曲でもあるし、そういう個性バラエティが聴いていて楽しいと感じます。長さも13分程度で比較にはもってこいの曲ですね。

    byベルウッド at2019-02-07 09:50

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