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日記

レイチェル・ポッジャーのバッハの協奏曲 (音場と定位はなぜ大事か その4)

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2019年02月14日

音場と定位がどうして大事なのか、もう少し具体的にご紹介していきたいと思います。

レイチェル・ポッジャーは、古楽を得意とするヴァイオリニストで高い人気があります。私も好きなヴァイオリニストですが、その代表的な録音であるバッハの一連の協奏曲については、私はどうしてもしっくり来ません。



ヒジヤンさんとの交流で、しばしばリファレンスとして取り上げてきた「2つのヴァイオリンのための協奏曲」は、優秀録音のSACDですが、その音場や各楽器の立体的な分離がどうしてもしっくり来ないのです。

この曲は、2つの独奏ヴァイオリンと合奏とからなるリトルネロ形式によっています。

合奏部は、ヴァイオリン2部とヴィオラ、通奏低音の3声部で構成されており、通常は複数楽器による「合奏オーケストラ」で演奏されますが、ポッジャーは全ての声部をひとつの楽器として、ソロ・ヴァイオリンと対等の立場にしています。こういう構成は、近年の古楽奏法としては次第に増えてきましたので、決して奇抜なものではありません。

この結果、華麗流麗な独奏をオーケストラが包み込むような協奏曲というよりは、ヴァイオリンが4台、ヴィオラ、ヴィオローネ/チェンバロというそれぞれの独奏楽器による6つの声部が織りなす複雑な対位法の室内合奏的な音楽性が強調されています。そのことは、ライナーノーツでポッジャー自身が『それぞれのパートが、合奏としてではなく、ひとりの演奏者だけで弾かれることで、はっきりと明瞭にそれぞれの役割を演じ、従来のソリストだけではなくて、全員が協奏する』と述べている通りです。

問題は、録音がそうなっているのかどうか、すなわち、録音の立体的な空間表現とクリアな音像分離です。

この録音はなかなかの優秀録音ですが、その再生は、けっこう難物です。

というのも、各楽器の立像がかなり密集していて、システムの解像度や分解能、SN比が高くないと音や響きがごちゃごちゃになってほぐれてくれないからです。録音会場は、教会なので残響が長めで響きはむしろ豊かです。そのために余計、音がほぐれにくい。さらには、オーケストラとソリストという協奏曲の固定観念が、そういう響きをそれでよしと容認してしまうことで、余計に難しくしてしまうからです。

セッティングなどの使いこなしが成熟してくると、複雑な音の重なりがほぐれてきて、ひとつひとつの楽器のテクスチュアや音像が立ってきて、やがて、この合奏(リトルネッロ)も、二人の独奏ヴァイオリン(コンチェルタント)と同じように、ひとりひとりの独奏(ソロ)から構成されていることに気づきます。

ところが、それでも全体のアンサンブルが左右の両スピーカー間にに凝集していて、音像も大き過ぎて重なり合うので、6つのそれぞれのパートが《明瞭にそれぞれの役割を演じ》《全員が協奏する》という風になかなかなってくれないのです。二つのコンチェルタントもどちらがどちらなのかとてもわかりにくい。どちらがポッジャーで、どちらがボヤン・チチッチなのかが二人の個性が判別しない。そのために眼前のステージの情景がリアルに展開するということにならないのです。

どうもその理由は、録音時の演奏者とマイクの配置にあるようです。



写真を見ると、演奏者たちは互いに向かい合うように円陣を組んで立ち、マイクはその円陣の内側に同心円を描くように林立しています。こういう配置で収録されたサウンドは、いったいどのような空間を描くというのでしょうか。あるいは聴き手は、どのようなステージを思い描けばよいというのでしょうか。

ポッジャーが、ライナーノーツで述べているような狙いからすれば、どうしてこのような配置にするのか理解に苦しみます。想像すると、レーベルのチャネルクラシック(CHANNEL CLASSICS)は、DSD録音に注力していてディスクはSACDでリリースされ、その全てが5.1chのサラウンド録音になっていることがその原因なのではないかと思います。おそらくサラウンド効果を強調するために、このような配置にしているのではないでしょうか。その録音を、そのまま2chにミックスダウンしているだけなのではないか。2chステレオでの再生は軽視されている。だから、私のようなピュアオーディオ派の再生ではしっくりこない。



円陣配置とマイクアレンジは、独奏協奏曲のほうでも同じです。ソリストのポッジャーが円陣の一方に立ち、他の演奏者と向き合うように演奏しています。



コンチェルタントは、ポッジャーひとりなので、二重協奏曲よりはだいぶ聴き取りやすい。でも、音がごちゃごちゃと交錯して音像が明瞭に分離してくれないので、《全員が協奏》するというイメージを持ちにくいことは共通しています。

ピュアオーディオ一辺倒の私は、このチャネルクラシックと、ペンタトーンの2レーベルはどうも苦手です。どちらも、5.1ch録音を最優先にしていて2chステレオ再生は軽視しているように思えてなりません。SACDというのは、あくまでも5.1ch/サラウンドのためのメディアであって、ピュアオーディオにとっては決して理想の音源ではないと感じる理由のひとつです。

一度、しっかりしたサラウンド再生を実現されておられる方のシステムを聴かせていただきたいと思っています。もしかしたら、この録音に対する私の印象は一変してしまうかもしれません。



さて、いよいよ、この続きは、パッヘルベルのカノンの登場です。

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  1. こんばんは

    ご指摘の「円陣配置」は、古楽録音の現場写真を見ると結構な確率で採用していますね。特にヴァイオリンやチェンバロが指揮を兼ねる場合が多いように思います。ただ、録音したものを聴いても、左にヴァイオリン、右に低弦、真ん中ソリストで決して円形には聞こえません。

    演奏する側はこの方が合わせやすいのでしょうから、演奏サイドから出た要求を録音サイドが無理矢理形にしてしまったのかなと推測していますが、自然な音場感や定位はまず無理だと思います。音像定位や音場感はPyramixの中で100%後付けでつくり出せると考えるエンジニアが絶賛増殖中なのでしょうね。

    byOrisuke at2019-02-15 00:44

  2. Orisukeさん

    コメントありがとうございます。

    >ご指摘の「円陣配置」は、古楽録音の現場写真を見ると結構な確率で採用しています

    ぜひ、そういう写真やそうやって録音された具体的な事例をいくつか教えて下さい。もしかしたら私も持っているソフトもあるのかもしれません。

    私には、この円形陣はともかくとして中央に同心円状に配置するマイクアレンジは意外でしたし、いまだに首をひねっています。

    半円形もしくは馬蹄形の配置で、中央前方頭上にツリーなどのメインマイクというのなら、とてもオードドックスな収録風景だと思います。実際、私たちがよく取り上げる幸田浩子の「カリオン」は、その形です。そして、その再生は、単に《左にヴァイオリン、右に低弦、真ん中ソリスト》というのではなく、奥行きのある半円形の立体感をともなった再生となるということは、以前にヒジヤンさんが詳細に説明されています。

    また、そういう陣形は、実際のステージ上での演奏にも採用されることがあります。

    私は、2012年4月のN響のサントリーホール定期、河村尚子のソロ、ノリントンの指揮で、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番を聴きましたが、まさにそういう配置でした。すなわち、ソリストの河村は客席に完全に背を向けて響板を取り外したピアノを弾き、指揮者のノリントンはそのピアノの奥に河村と向き合うように立ち、オーケストラは河村のピアノを取り囲むように配置されるというものです。そして、それは客席からは、(当然ですが)そういう円陣の視覚のままに聞こえます。立体感とはそういうものだと思います。

    ポッジャーが、Orisukeさんの仰るように、演奏者の都合だけでそういう配置にして、その結果について無頓着だったとしたら、ポッジャーはあまり録音の結果には関心のない演奏者だということになります。実は、私は、ポッジャーはそういうタイプの演奏家なのではないかと密かに思っているのです。もしそうであるなら、サラウンドの再生にも余り期待できないでしょうね。

    byベルウッド at2019-02-15 02:13

  3. ベルウッドさん

    この円陣配置では演奏側は互いによく見え、呼吸も合わせやすいのは分かりますが、かなり相互干渉による混変調ひずみが心配ですね。
    私もこの2つの写真での録音はあまり好ましいとは思えません。

    byどんぐり at2019-02-15 09:15

  4. どんぐりさん

    2003年に録音したヴィヴァルディの協奏曲では、半円陣あるいは馬蹄形です。ソリストのポッジャーは横向きという感じですが、コンサートマスターの位置のような感じです。このバッハの録音は、完全な円陣でソリストは合奏部と向き合っています。ちょっと極端ですし、ここまでやる必要があるのかなと思います。

    マイクはいったいどこにメインマイクがあるのかよくはわかりませんが、少なくとも円陣の外側にはスタンドは立っていません。背を向けたり、あちらこちらを向いたマイクでは、音の回り込みや位相の食い違いや干渉が起きてしまいますよね。

    byベルウッド at2019-02-15 11:51

  5. ベルウッドさん

    チャネルクラシックのレーベルも、レイチェル・ポッジャーのバッハ ヴァイオリン協奏曲も自分のお気に入りです。ですので、このシリーズのその4は対決姿勢でのコメントとなりましょうか(笑)

    ご紹介のレイチェル・ポッジャー/バッハ ヴァイオリン協奏曲ですが、なぜ好きかと言うとまるで教会で聴いているような弦楽合奏が聴けるDiscだからです。レイチェル・ポッジャーとブレコン・バロックの演奏もとてもよいですね。このDiscは音像定位よりも、明瞭な音で教会で聴くようなたっぷりとした響きの音場空間を楽しんでいる感じです。そこに流れている音と響きを感じるだけで幸せな気分になれます。

    さてとは言え、音像定位がめちゃくちゃでよいはずもないですね。特に二つのヴァイオリンのための協奏曲の音像定位を出すのは難物です。何かを変えるとすぐに定位はバラバラになってしまいます。ですので、オーディオで何かを変えた後は必ずこの曲でチェックしています。

    録音時の配置は、低コストで音響的にも好ましい教会で録音するための知恵だと思います。ですが、録音ですからその後の編集で配置しているのでしょう。それでも、再生すると目の前で演奏しているような様子が描かれるので、録音も腕次第ですね。

    自分はチャネルクラシックのレーベルが2chステレオ再生を軽視しているようには思えません。上手く再生できていないだけではないでしょうか?ポイントは音像定位を出そうとするよりも、響き豊かな音場空間を再生することだと感じます。

    byヒジヤン at2019-02-17 10:06

  6. ヒジヤンさん

    このポッジャーのバッハは、ヒジヤンさんのお気に入りと承知で取り上げました。だから対決は避けられないと思っていました(笑)。

    私も、決して嫌いなソフトではないですし、SACDとともにDSDファイルのDLでも購入したりしてオーディオをイジった際のチェックとしてもちょくちょくかけてます。優秀録音とも思っています。ただ、どうしてもしっくりこない部分があるのです。

    きっかけは、ヒジヤンさんがこの協奏曲では、実はポッジャーは第2ヴァイオリンを担当していると仰ったことです。そこでリーフレットのクレジットを探したり、実際にスコアを眺めながら繰り返し聴いたりしたのが始まりです。それで、どうもしっくりこない。それはなぜだろうと考え始めました。そこでレーベルの配信サイトの動画や写真を見て、はたと、それがセッションの配置にあると気がついたのです。もうかれこれ2年ぐらい前の話です。

    以来、何度も聴いてきましたが、やはり、この音場や音像情景には納得感が得られません。これをどういう風に理解し、説明したらよいのだろうと考え続けてきました。満を持しての投稿というわけです(笑)。

    この曲は、ヴィヴァルディらのイタリア協奏曲に範を求めたもので、2つのヴァイオリンのコンチェルタントと合奏部(トゥッティ)とで構成され、全合奏のリトルネロとソロ(複数)部分が交代するようになっています。合奏もソロも二対となって対話するように進行します。

    配置(ステージの情景)としては、大きく二つ考えられます。ひとつはソロと合奏を分けて対立するように配置する。もうひとつは、ソロを合奏のパートの首席というように配置する形。ロマン派の協奏曲のイメージが強かった20世紀半ばは、前者の配置が主流でソリストはオーケストラの前に出てその中央で二人で並んで立っていました。その後、古楽器奏法が盛んとなり、むしろ、後者が主流になってきました。譜面上は、ソロは合奏のトゥッティに参加していますので、例えば左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラと並び中央から右手後方に通奏低音が並ぶというような配置です。あるいは、左手の2つのソロ、右手に合奏というように、コンチェルタントとトゥッティを対峙させる配置も可能です。バッハのこの曲は、二つのコンチェルタントの対話と、ソロと合奏の対話という2x2のマトリックスなので、いろいろな配置が可能です。

    byベルウッド at2019-02-18 12:34

  7. さて、ポッジャーはどうしているのだろう?…考えながら、各々の楽器の音像定位をさぐるわけですが、どうにも音像が中央に寄りすぎてごちゃごちゃしていて、よくわからないのです。ここでは、つまり4台のヴァイオリンが鳴っているわけですが、よくよく聴いていてもどれがどれだがわからなくなってしまいます。音質が良くなれば、個々の楽器はきれいに分離はしてくれるのですが、立体的な音像ということでは凝集し平面的で、言ってみれば切り紙を重ねるコラージュのよう。これでは、《アンチ・協奏曲》をあえてやっているかのようなもので、バッハの2x2のマトリックスの構造も見えてきません。

    これは、明らかに録音時の演奏配置とマイク位置のせいです。どこにも透視図法的な視点設定がない。まず、演奏者から見て、聴く聴衆がどこでどうやってその音楽を聴くのかという観点が完全に欠落しています。マイクも近接マイクとアンビエンスマイクというものが不分明ですから、音や響きの方向感覚やタイムアライメント的な立体感がとらえられません。教会の響きは、各楽器音の付帯的なものとしては心地よくとらえていますが、立体的な空間としては感じ取りにくい。これはいくら編集で加工しようとも、音場の立体感をまとめることは不可能だと思えます。

    ポッジャーは、演奏の様式や形態というものには関心があっても、録音の結果ということについてはまったく無頓着な音楽家なのではないかというのは、そういう意味なのです。

    byベルウッド at2019-02-18 14:42

  8. これに対して、見事に対照的なまでの模範解答を示しているのが、イタリア合奏団によるヴィヴァルディの協奏曲集「調和の霊感」作品3の録音です。DENON(日本コロンビア)のPCM録音(coco-85102-3)。1988年と録音は決して新しくありませんが、廉価再版CD(もちろん日本製)であっても実に新鮮な音を聴かせてくれます。録音はあのピーター・ヴィルモース、技術は高橋幸夫という鉄壁のスタッフ。会場は教会ではありませんが、響きの美しいことで有名なヴェネツィア郊外のコンタリーヌ宮です。システムのグレードをさえも聴き分ける素晴らしい録音だと思います。

    イタリア合奏団も総勢11人の弦楽器で複数のソロと合奏を弾き分けていますので、人数構成はポッジャーとブレコン・バロックの構成とさして変わりはありません。それでいて、複数のソロと合奏からなす立体的な音の交錯と対比の綾が見事に立体的にとらえられていて、まさにバロック協奏曲の愉悦に満ちています。楽器はモダンですが、アマティやグァダニーニなどの名器がずらり。音色の表現力という点でもオーディオシステムの試金石的なCDとさえ言えます。

    byベルウッド at2019-02-18 14:51

  9. ベルウッドさん

    解説をありがとうございます。
    確かに、拙宅でのオフ会でポッジャーが第2ヴァイオリンだと言いました。でも、今思い返してみるとそれは定かなことではないです。推測で言っていました。

    その理由ですが、ポッジャーの来日コンサートに行って聴いたときに”二つのヴァイオリンのための協奏曲”では第2ソロヴァイオリンを担当していたことと、ポッジャーが若いときの録音で第2ソロヴァイオリンを担当していたからです。ですが、コンサートの時はアンコールだったと思いますし、若いときの録音はリーダーではなかったので第2を担当していたのかもしれません。

    では、本文のアルバムではどうかと思い確認しました。たぶん第1ソロヴァイオリンですね。一番前に第1と第2のソロヴァイオリンが左右に少し離れた形でいますが、ポッジャーの音色は向かって左手の第1ソロヴァイオリンだと思いました。その左手後ろに弦楽器で、センター後ろにチェンバロ、右後ろに低音楽器でしょうか。

    ですが、このDiscに音像定位(主に実在感)は求めていません。教会で聴いているかの如くの音場空間(主に臨場感)なのです。それは、その2、その3の日記で記載しました通り、この曲にはウィーンの教会で聴いたときの感動を求めているからです。教会で聴く音は響きが多く、定位感は薄いですね。

    さて、臨場感をどのように感じるかが気になったので調べてみると、外的要因である視覚、聴覚などと、内的要因である過去の経験や記憶などの影響によるものがあるとのことです。ですから、特に後者は人により異なる部分ですね。だから、好みも別れると言うことなのでしょう。ですので、どちらのDiscがよいか、好きかということは不毛の議論だと思いますので割愛させてもらいます。

    加えて、録音の配置はポッジャーが決めているとは思えません。たぶん、チャンネルクラッシックの録音技師の指定でしょう。マルチマイク録音における空間のとり方も録音技師が専門でしょうからタイムアライメント論議も避けたいと思いますが、どのような配置であってもマイクからの距離のとり方などで相似させることは可能な気もします。

    結論的に、正解はベルウッドさんとのオフ会の時はこのDiscはかけないこと!だと思いました。

    参考文献
    臨場感の知覚認知メカニズムと評価技術 - NICT
    http://www.nict.go.jp/publication/shuppan/kihou-journal/kihou-vol56no1_2/0504.pdf

    byヒジヤン at2019-02-18 21:52

  10. ヒジヤンさん

    >ベルウッドさんとのオフ会の時はこのDiscはかけないこと!

    それはないでしょ!やめて下さいよぉ。お願いします。
    私もポッジャーのバッハは、のべつ幕なく聴いてますし、自宅オフ会でもよくかけています。音場・音像定位という問題意識で、今回取り上げているだけです。



    さて、以下は、見解の相違ということで…



    どちらがポッジャーかということは、私は今もってわかりません。あの時は、絶対にわかるはずだ、と意気込んでスコア片手に何度も繰り返し聴きました。けれども挫折しました。ヒジヤンさんが仰るようにどっちが右手とか左手とかは分別できないのです。それほど重なっていて、方位も不安定です。スコアを見ながらであっても、音像がフォローできないのです。この問題は一度二人で検証してみませんか?



    教会で聴く臨場感という点ですが、これが私には実感できません。響きはありますが、統一した空間感覚が欠如していて、いわゆる包まれ感とか、空間へのワープ感がないのです。これは、やはりマイクアレンジのせいだと思います。リスナーの立地点・視点という中心点がないからだと思います。

    臨場感を、音場と定位という観点から言いますと、やはり、ステージ情景というものをあらかじめ自分のイメージとして描く必要があります。これが、経験や知識によって個人差がある。だから、音場と定位を評価する際には、情景を頭に描くことがとても大事だということが、今回の連投記事の最大のポイントになっています。



    マイクセッティングはとても重要な技術的要素です。どんな配置であってもデジタル編集技術によって相似させることが可能だとは思いません。サラウンド録音であっても、音楽コンサートの録音は、やはり、従来の2ch時代からのマイクアレンジを元にしています。ホール内で、ステージとそれを前方に向かって聴く客席の視点という相対関係は一貫しているからです。

    http://surroundterakoya.blogspot.com/2007/10/49.html


    このチャネルクラシックのマイクの立て方は、ここで挙げられている各種方式のマイクアレンジからおそろしく逸脱しています。

    byベルウッド at2019-02-19 11:48

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