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日記

ダブル・ビルのオペラ 「フィレンツェの悲劇/ジャンニ・スキッキ」(新国立劇場)

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2019年04月16日

2本立て(ダブル・ビル)というのは、モーションピクチャー全盛時代にはよくあった。比較的短めの映画を2本連続して上映する。野球でいえばダブルヘッダーだが、こちらも今はなくなってしまった。バレエ公演などではダブルとかトリプルとかが多いけれど、グランドオペラ全盛の現代の主流では、ダブル・ビルの機会は少ないのではないか。

フィレンツェが舞台ということで組み合わせた、新国立の機知に富んだダブル・ビル。機会が少ないだけに、1幕もののオペラに出会う機会も自ずと限られる。そういうなかで、今まで埋もれがちだったツェムリンスキーを取り上げ、抜群の人気がある「ジャンヌ・スキッキ」と組んだダブル・ビルは、やっぱり楽しかった。

まず前半は、ツェムリンスキーの「フィレンツェの悲劇」。

ツェムリンスキーといえば、シェーンベルクに作曲のてほどきを与え、グスタフ・マーラーと深い親交があってその妻アルマをめぐっては複雑な事情があっただけに、その名前は音楽史上にしばしば登場するが、なかなかその作品に触れることはなかった。昨今は、作曲家としても見直されてきて演奏の機会も増えているという。

そのお話しは、要するに三角関係。自分の妻ビアンカが寝取られたと疑う商人シモーネが、ついにはフィレンツェ大公グィード・バルディに決闘を申込み殺してしまう。『シモーネを殺して!』と叫んでいたビアンカをまさにその手にかけようとした刹那、シモーネは妻の強靱な美に目覚め陶然と愛を叫ぶ…というもの。

三者の愛憎、階級社会、男女差別などが渦巻く退廃と虚偽がてんこ盛りの駆け引きや丁々発止の言葉のやり取りと、最後の恍惚に満ちた意外などんでん返しが見どころなのだろうが、大編成の豊麗複雑な和声と管弦楽法、精妙な調性技法でオーケストラばかりに力がはいって、舞台上の歌い手に魅力が及ばない。結局、双方の統合がないままにあっけなく最後を迎える。期待したツェムリンスキーだったが、結局は、退屈した。「ツェムリンスキーはつまらんスキー」というダジャレにもならない感想が残るだけだった。

それとは対照的に、後半のプッチーニは最高に楽しめた。

こちらは、プッチーニ唯一の喜劇で、急死した大富豪の遺産をめぐって、その親族どもが騒動を繰り広げるというお話し。若い男女の恋の成就を密かに画策するジャンニ・スキッキが遺言書の書き換えて嘘八百の偽造という悪事を堂々と繰り広げる。だまされる親族どもの俗物ぶりが、かえって悪党のジャンニ・スキッキの狡猾さを爽快にさせるという、いわゆる悪党もの。



もちろん舞台上で大活躍するのはタイトルロールのカルロス・アルバレスなわけだが、その他大勢の日本人歌手がいずれも粒ぞろいで、親戚たちのドタバタが巧妙なアンサンブルになって愉快な音楽になり、若いカップルのリヌッチョとラウレッタのアリア「フィレンツェは花咲く木のように」「私のお父さん」が、そうしたドタバタの中の一輪挿しの花のように清楚で美しく客席を華やかに沸かせるところは、さすがプッチーニの手腕。

舞台美術が秀逸で、遺言書やペン、遺品の高級時計、置き時計といった机上の文房具類が巨大にしつらえてあって、舞台上の演技の所作や進行が視覚的にもよくわかる。視覚的に見えにくいリアリズムの舞台装置は、大劇場の客席から見ているともどかしいものだが、そのことを巧妙に克服し、歌手たちの演技を喜劇らしい大胆さで触発しているのがよい。演出も実に活き活きとした闊達なものにしているのは、前半とは対照的でこれが同じスタッフなのかとあきれてしまうほど。イタリア歌劇への愛着と理解、なじみのよさの反面、ドイツ後期ロマン派音楽に対しては理解不足でこなれが悪いということなのかは、よくわからないが、こういう対比もダブル・ビルの面白さかもしれない。

ピット内の沼尻竜典は、ツェムリンスキーが得意のようで思い入れもたっぷりのようだがかえって肩に力が入りすぎて舞台がよく見えていなかったようだ。プッチーニではそれなりにまとまったが、プッチーニ本来の管弦楽の醍醐味には欠けていたのは東フィルの実力なのか。演出の粟國淳などとは逆に、指揮者やオーケストラはドイツ偏重というのが日本の音楽界の事情なのかもしれない。
 
 
 
 
 
 
新国立劇場 2018/2019シーズン
オペラ「フィレンツェの悲劇/ジャンニ・スキッキ」

『フィレンツェの悲劇』/アレクサンダー・ツェムリンスキー

『ジャンニ・スキッキ』/ジャコモ・プッチーニ

2019年4月7日 14:00
東京・初台 新国立劇場/オペラパレス
(1階 13列26番)

指揮:沼尻竜典
演出:粟國 淳
美術:横田あつみ
衣裳:増田恵美
照明:大島祐夫
舞台監督:斉藤美穂

《フィレンツェの悲劇》
グイード・バルディ:ヴゼヴォロド・グリヴノフ
シモーネ:セルゲイ・レイフェルクス
ビアンカ:齊藤純子

《ジャンニ・スキッキ》
ジャンニ・スキッキ:カルロス・アルバレス
ラウレッタ:砂川涼子
ツィータ:寺谷千枝子
リヌッチョ:村上敏明
ゲラルド:青地英幸
ネッラ:針生美智子
ゲラルディーノ:吉原圭子
ベット・ディ・シーニャ:志村文彦
シモーネ:大塚博章
マルコ:吉川健一
チェスカ:中島郁子
スピネッロッチョ先生:鹿野由之
アマンティオ・ディ・ニコーラオ:大久保光哉
ピネッリーノ:松中哲平
グッチョ:水野秀樹

管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

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  1. 今日は。

    フィレンツェの悲劇ではなく、今日のパリの悲劇の衝撃から中々立ち直れそうにありません。

    それはさておき、フィレンツェを舞台にした20世紀前半のオペラを組み合わせてのダブル・ビルというのは、マーケティング術としては秀逸ですね。ツェムリンスキー単独では興行的に厳しそうですし、プッチーニの神曲三部作のトリプル・ビルでは当たり前すぎる(昔、三部作一挙上演を見たことがありましたが、やはりジャンニ・スキッキが一番でした)。

    マーケティング的に秀逸でも、演奏・演出にそこまでギャップがあると辛いものがあったということでしょうか。

    byパグ太郎 at2019-04-16 12:58

  2. パグ太郎さん

    あの悲劇から受ける喪失感はあまりにも重くてなかなか受け入れがたいです。

    中学生の頃、美術の授業で、突然、先生が「今日は法隆寺金堂の壁画が消失した日だ。みんなよく覚えておけ」と急に深刻な口調で話し始めた時の何やらわからないままに異様なほどの雰囲気に呑まれたことを覚えています。その先生は日本画が本職だったのですが、消失以来、10年以上が経っても、そういう深い喪失感は国民の心の傷となって残るのです。


    模写保存とか修復というのは、その文化財が古く貴重であればあるほど避けられない大事な作業です。今回も、単なる犯人捜しではなく、今後のこうした作業における管理体制などの反省材料として活かしてもらえればと切に願うばかりです。ちなみに、法隆寺のケースでは、模写作業で画家が使用した電気座布団のスイッチの切り忘れが発火原因になったとされています。


    さて、今回のダブル・ビルは、いわゆるプッチーニ三部作という公演に較べると、フィレンツェという基軸での二部公演は長さといいとてもよかったと思います。

    問題はツェムリンスキーですね。演出や演技ということでは、まだまだ消化不足。上演を重ねていけばこなれていくのかもしれません。コルンゴルドは、ツェムリンスキーに薫陶を受けた作曲家のひとりですが、今や完全復活で演奏・上演の機会も多く、演奏者側の解釈も深まり、また、聴く側の理解も深まっています。

    byベルウッド at2019-04-18 12:41

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