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日記

バッハとバルトークとの間にあるもの (紀尾井ホール室内管定期演奏会)

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2019年07月09日

紀尾井ホール室内管に初登場の鈴木雅明は、バッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)の創設者で世界的なバッハのスペシャリストとして知られています。近年は、古典やロマン派の楽曲にもタクトを振るっていますが、しかし、初登場でバルトークとストラヴィンスキーとは…興味津々の思いで紀尾井に足を運んだのですが、これはもう大満足。いずれも、いままで聴いたなかでも最高に楽しかったし、触発されることも多々あったコンサート。



第1曲は、モーツァルトのイ長調の交響曲。

イタリア旅行の成果として書かれた9曲の交響曲のなかでも最も親しまれている曲で、イタリア的な開放感と同時にモーツァルトとしてのアイデンティティが確かに感じられるとてもチャーミングなイ長調交響曲。



編成は、7-7-6-4-2の弦五部にホルンとオーボエの各2管が加わったシンプルな編成で、紀尾井では珍しい対向型・左低弦の配置。楽譜上のリピートは全て忠実。第一楽章の提示部の繰り返しはもちろん、その展開部も、続く第二楽章も第三楽章のトリオも、駆け抜けるような終楽章でさえ繰り返しを行いましたが、聴いていてけっしてくどくないのはさすが。いかにも古楽やバッハの大家らしい持ち味で、中庸なテンポのなかにイタリアやウィーンの享楽や美学と、古典派の謹厳実直さや疾風怒濤の情感との折り合いをうまくつけたような演奏でした。

さて…

時間がかかった舞台の配置替えのあいだ、かたずを呑んで待っていたバルトーク。



編成は、4-3-3-2-2の弦五部を左右対称に配置し、中央正面にピアノ、その右手にチェレスタ、後方にティンパニを中心に4人の打楽器奏者が並びます。こういう左右シンメトリックなダブルオーケストラは、バッハも含めたヨーロッパ伝統音楽への隠されたオブセッションのような気がします。

第1曲は、変拍子と無調性的な旋律が不気味に動き回る不安のフーガ。その冒頭の瞬間からたちどころに魅せられてしまいました。そもそもアンサンブル上の難曲に挑むという緊張感がステージにも客席にも漲っています。けれども、あの無機質に響きがちの主旋律には熱い血が通っていて、ティンパニのドロドロのトリルが加わりやがてグランカッサの一撃とともにクライマックスに達するころには、そんなことを忘れてわくわくするような音楽の虜にされていました。そして、やがてチェレスタの響きのなかに立ち消えていく息づかいがとてもドラマチックなのです。

二重オーケストラなので、コントラバスは結果的にふだんの紀尾井ホール室内管の2倍の4台になります。その低域の厚みがいかにもこの曲の響きを充実させてくれます。モーツァルトとは好対照。それでいて全体としてはシンプルな編成なので、それだけに打楽器群の存在感が一段と大きいこの曲の持ち味がよく出ています。

第2曲のアレグロでは、武藤厚志(読響)の遠慮容赦のない思い切ったティンパニの打音が実に快感で、ハープやピアノが加わっての打楽器的要素がとても引き立ち、左右の弦がステレオ的に掛け合い絡む響きまでが躍動します。この当たりは、なかなかオーディオでは得られない生演奏ならではの迫力です。

第3曲は、いかにもバルトークらしいシンメトリックの遊び感覚。中央のピアノとハープが大活躍で、その細かい膨大な数の音符の緻密さと技巧は、「管弦楽のための協奏曲」の「対の提示」を上回る爽快なまでの快感を伴うのです。

そういうオーケストラの各奏者の挑戦への血のたぎりが、躍動と高揚感に煽られて、最終曲でついにその興奮の最高潮に達します。バルトークの即物的なアンチロマンと、そこに潜ませた伝統や民俗への強度の愛着や執着が炸裂。

バルトークの面白さを、まさかこのバッハの泰斗から教えてもらうとは。いつもは冷静で礼儀正しい紀尾井の聴衆は、割れんばかりの拍手で何度も何度も鈴木を呼び返します。休憩前の喝采でこんなに会場が熱くなるのは、このホールでも希なことです。


そういう思いが、さらに高まったのが、休憩後のストラヴィンスキーです。



この曲は、あのロシア・バレエ団のディアギレフのアイデアによる、イタリアのナポリ楽派・ペルゴレージのパロディ。過去のイタリア音楽のリメイク路線の第三弾として作曲され、パリ・オペラ座で初演されました。指揮は、現代曲が得意なあのアンセルメでした。



編成は、バロック期のコンチェルト・グロッソ(合奏協奏曲)の形を模したもの。

コンチェルティーノ(ソリスト)として、千々岩英一(VnⅠ)、玉井菜採(VnⅡ)、安藤裕子(Va)、大友肇(Vc)の四人が中央に並行して四重奏のように並びます。その背後に扇状に弦四部が並びます。コントラバスは一番右手に五人目のコンチェルティーノの吉田秀(N響)と3人のトゥッティ。後方には管楽器群が並ぶのは近代曲と同じです。

のっけから闊達で自発的な演奏が展開され、千々岩を初めとするコンチェルティーノの典雅な響きに、広田智之(都響)のオーボエを始め個々の楽器がよく歌うのです。それは、我も我もと、のど自慢、腕自慢を競って前に出て来るイタリア人気質を感じさせて、実に楽しい。この名人集団のオーケストラはもともとそういう素質を持っているのですが、堅苦しいこと抜きで楽しもうよ、という闊達な雰囲気を引き出したのは鈴木の豊富なアイデアとタクトの力に違いありません。



声楽陣は、松井亜希(Sp)、櫻田亮(Tr)、与那城敬(Br)という鈴木の手兵BCJではおなじみのスター歌手。ところが、三人はそれぞれにシグナルカラーのバカ派手な衣装で次々に登場して、アリアを精確かつ軽妙に文字通りカラフルに歌います。いつもの謹厳実直なバッハから見事な変身ぶり。ステージ左手の椅子に適宜座っている間も身振り手振りの演技やつっこみを絶やさず、それを見ていても楽しい。

音楽がクライマックスに達したのは、ガヴォッタとヴァリアツィオニ(ガヴォットとヴァリアシオン)。

バレエで言えば、個々の踊り手が次々に妙技を繰り広げる場面です。ここでは管楽器群のソロやデュオが次々と登場してアンサンブルの妙技を繰り広げます。ここで、何と鈴木は途中で指揮台を下りてしまい、アンサブルにすべてを委ねてしまうのです。自分は、左手の歌手たちと一緒に足を組んで椅子に座り、ほらごらんという言うように演奏者を指さして拍手を送る素振りは、さながら劇中劇のノリ。最後の変奏で、フルートの相澤政宏(東響)と難波薫(日フィル)の二人の妙技と、それに壮絶なオブリガートをつける福士マリ子(東響)のファゴットに客席は沸きに沸いて、ここで何と曲間の大喝采とブラヴォーの連呼。



続いてのヴィーヴォでは、右端に居たコントラバスの吉田が大きな楽器を抱えて中央に歩み出ます。首元には、いつの間にかつけた巨大な金色のボータイ。定期会員の懇親パーティではいつも盛り上げ役を務める「秀さん」こと吉田のユーモラスな格好にそれだけでも会場は笑いに包まれます。その低音の諧謔的な舞踏で会場は大盛り上がり。見事な合いの手を入れていたトロンボーンの辻姫子(東フィル)の女性らしからぬ大胆でコミカルな低音がこれを引き立てる。ここでも客席から大喝采が湧き上がりました。

こんなに徹底してカブきまくる紀尾井ホール室内管もなかなか見られない。最後に歌手陣の三重唱も加わり大団円を迎えて、ようやく最後の三度目の大喝采。



音楽の楽しみよりもマナーの監視に煩わしい日本のクラシックファンを、曲が本来意図した諧謔の喜びへと誘い出した鈴木の演出に脱帽。

このバレエ曲には、もちろん、ストーリーがあります。まあ、他愛もないドタバタ話でストーリーも飛躍だらけでさしたる脈絡もない。そういう娯楽性は、洋のオペラにせよ和の歌舞伎にせよ、同じようなもの。お約束の場面になれば、個々の役者の妙技や振りで大騒ぎ。ストーリーなど知っていようが知っていまいが、楽しみ方はそれぞれ。

会場では、歌詞対訳のリーフレットがで配られていたのですが、生真面目な日本の聴衆がいつもよくやるように紙をめくる音は聞こえませんでした。この夜の聴衆は誰もストーリーなど気にせず、ステージに集中していたのではないでしょうか?そういうエンタテイメントの本質を久々に思い起こさせた秀逸な音楽会でした。
 
 
 
 
 
 
 
尾井ホール室内管弦楽団 第117回定期演奏会
2019年6月22(土) 14:00
東京・四谷 紀尾井ホール
(2階センター 2列13番)

鈴木 雅明(指揮)
紀尾井ホール室内管弦楽団
(コンサートマスター:千々岩英一)

モーツァルト:交響曲第29番イ長調 K. 201
バルトーク:弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽 Sz.106, BB114

ストラヴィンスキー:バレエ音楽「プルチネルラ」(全曲)

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  1. 今晩は。

    このプログラムには大いにそそられたのですが、日程合わずに断念しました。

    あのバッハの大家が、バルトークの傑作とストラヴィンスキーの新古典主義? それってどういう展開になるのかという興味が、今の自分の関心事と被っていたのです

    春先にご一緒したベルチャ四重奏団の演奏会以来、バルトークの弦楽四重奏(SQ)がヘビーローテーションになっておりまして、ハイドン・モーツァルト・ベートヴェン・シューベルトとウィーンで着々と進んできた弦楽四重奏という形が、時代が一気に100年飛んで、辺境の地のバルトークで一大転換を見せたその不思議さってなんだろうかとか漠然と考えていました。その同時代にピカソとストラヴィンスキーという破壊的創造者の二人が揃って、古典主義の換骨奪胎に取り組んだということとは、どこかでつながっているのかもなんて妄想もしていました。(ストラヴィンスキーの新古典主義の作品には何故か惹かれるのです)

    という所に、このプログラムです。素晴らしい演奏だったようで、逃した魚は・・・・。おまけに日記のタイトルが「バッハとバルトークの間にあるもの」です。やはりその間には何か秘密が隠れているに違いないと勝手に確信を深めてしまいました。

    byパグ太郎 at2019-07-09 21:48

  2. パグ太郎さん

    私は、「プルチネルラ」大好き少年でしたので、プログラム自体は大いに楽しみでしたが、鈴木雅明さんの指揮ぶりはいったいどうなるのだろうと半信半疑でした。ネオバロック的な「プルチネルラ」はともかくバルトークはどうかなぁと疑りの方が大きかったです。それが、紀尾井ホール管の定期公演の歴史のなかでもとびきり楽しいコンサートでしたし、「プルチネルラ」(全曲版)の生体験のなかでも間違いなくベストでした。

    「プルチネルラ」は新古典主義の幕開けとなった作品で、1920年の初演。新古典主義は明らかに第一次世界大戦の影響が色濃く影を落としています。バルトークの「弦チェレ」は1937年にスイス・バーゼルで初演。ナチズムがいよいよドイツ圏を席巻し第二次世界大戦へ突き進み始めた時期です。

    ここには、汎ドイツ主義、ヨーロッパ音楽の主流として君臨するウィーン古典派~ドイツ的ロマン主義音楽への、強烈なアンチテーゼがあるように思えます。ドビュッシーらがその明らかな予兆を示し、それらがロシアやハンガリーなどのヨーロッパ辺境から湧き上がり、それまで無視されてきたフランスやイタリアの古典音楽への回帰とも同調したのではないでしょうか。

    鈴木雅明さんの「弦チェレ」を聴いて、最初に思ったことは「日本人のバルトークはいいなぁ」ということでした。むしろ日本人のほうがよい。

    CDも予習復習的に少し聴いてみたのですが、ショルティ/シカゴ響とかライナー/同とか、昔は「本場もの」と崇めたてまつっていたのですが、今やちっともいいと思わない。それよりも、小澤/サイトウキネンの方がずっと琴線に触れます。

    不思議な感覚です。

    byベルウッド at2019-07-10 09:34

  3. 芸大にチェンバロの保守や調律などの為に通っていた時、芸大構内で歩いているだけでオーラが漂っていたのがアルトの伊原直子さんと鈴木雅明さんでした。
    久し振りにチェンバロ専攻卒業生の演奏会に足を運んだ時、「鈴木先生は演奏会他に力を入れる為、芸大を辞められた。」と聞き、私はちょっと感動しました。
    ブリュッヘンやアーノンクールの様になるのでしょうか?
    期待無限大です。

    byジュン at2019-07-11 19:21

  4. ジュンさん

    鈴木雅明さんの演奏会の思い出として強く印象に残っているのが、10年前の栃木「蔵の街」音楽祭のチェンバロ・リサイタルのことです。

    開場時間が遅れて少し待たされたのですが、それは、人数が少ないので、客席を全てステージに上げてしまおうとの鈴木さんの提案で、ステージに椅子を用意していたためでした。

    曲の前後には、絶妙のトークで氏の気さくなお人柄を感じさせてくれて楽しい演奏会でした。愛用のチェンバロは1982年にオランダのユトレヒトで作られたルッカースのレプリカだそうで、ゆがんでしまって架台からちょっと右が浮いていました。『ほら、見るとわかるでしょう?』と笑わせてくれました。『でも、音が良いから愛用しているんです』と。

    おかげさまで、チェンバロの響きを間近で体験できるという貴重な機会をいただきました。休憩中も、調律の様子をその場で拝見させてもらいました。調律師のひとが、『見るのは結構ですがお静かに!』『弦の延長線上は弦が切れるとはねて怪我するので立たないように!』と仰っていたことを昨日のことのように覚えています。

    byベルウッド at2019-07-12 00:48

  5. おはようございます。

    チェンバロ専攻の学生さんに聞いた話ですが、暗譜で弾く(周知の通り、チェンバロはソロの演奏でも譜面を見ながら弾きます)ことがウリの一つの某美人チェンバリストの演奏会でのこと、演奏途中で先を忘れてしまったのか、途中から同じ個所を繰り返し始めたとか、、、、。
    学生さんがその話を聞いた相手がほかならぬ鈴木先生。
    何せ、あのお姿ですから、、。演奏者は客席にあの鈴木先生を見つけてビビったのかも(因みに終結部?を忘れた曲がロンドだったというウソの様なホントの話)。

    ピアノと違ってヒッチピンで弦がUターンしていないチェンバロは確かに切れると弦が飛んでいく場合が多いです。
    但し、弾いているときに切れる時もあるピアノに比べ、チェンバロは調律中に切れる時がほとんどですが。

    byジュン at2019-07-12 09:09

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