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「新ウィーン楽派の人々(ジョーン・アレン スミス 著)」

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2020年09月23日

シェーンベルクを中心とする、ウェーベルン、ベルクら、いわゆる「新ウィーン楽派」の人々のかかわり合いを伝える口伝史。

サークルにかかわった人々への膨大なインタビューに基づいている。インタビューは1972年から74年にかけて行われた。ここに登場する芸術家は、ツェムリンスキーやマーラー、その妻アルマなど音楽関係者ばかりではなく、オスカー・ココシュカ、グスタフ・クリムトなどの画家やアドルフ・ロースなどの建築家、リヒャルト・デーメルら詩人・文学者、哲学者、俳優、劇場関係者など芸術各方面の多岐にわたる。それはまさに二十世紀初頭のウィーン文化の爛熟を示す。

そこでシェーンベルクは前衛音楽家として活動するが、その演奏会は、敵意を持った人々に常に妨害され騒動を巻き起こし、批評家たちからは否定され拒絶され、音楽大学など楽界からは無視される。シェーンベルクは、そういうウィーンに失望し怨念を抱き、ベルリンを経て新大陸へと流亡することになる。


本書の中核は、そういうウィーンでシェーンベルクが格闘する過程の中心にあった「ウィーン私的演奏協会」をめぐる人々の証言にある。

「私的演奏協会」は、もちろん「室内交響曲」などシェーンベルクや当時の若手前衛の作品を紹介したが、一方で、ブラームスやシューベルト、ベートーヴェンなどウィーン古典派や後期ロマン派から、時にはシュトラウス親子のウィンナワルツなどもしばしば取り上げた。経済的には困窮を極めていたから編成は極小で、そこから魅力的な室内楽編曲版も生み出されていく。また、ここからはコーリッシュ四重奏団など、後々に新ウィーン楽派の音楽を世に広めていった演奏家たちも輩出する。

ここは、また、シェーンベルクの教育活動の場にもなる。ウェーベルン、ベルクの二人は、いわば、その一番弟子というわけだが、この二人は弟子というよりも、シェーンベルクを先輩と仰ぐ同僚というに近く対等に議論し意見の衝突も絶えなかったという。そこに新音楽に傾倒する若い信奉者たちが集まってくる。

シェーンベルクは、その新音楽をあくまでもウィーン音楽の伝統の継続、新たな一章をなすものと見なしていた。「協会」の演目がウィーン伝統音楽で占められたこともその証しであるし、実際、シェーンベルクは「和声学」に深く精通していたし、若手たちに延々とベートーヴェンの楽曲のアナリーゼを語り続けたという。そこでシェーンベルクらは十二音の新音楽を開発するわけだけれども、シェーンベルクは学生同士の議論や作曲試作の相互批評や添削指導に終始し、ほとんど自身の音楽理論を語ることはなかったという。

シェーンベルクの交友とそのサークルに出入りする芸術家は多岐多彩だが、自身も特に絵画に強い関心を持ち、絵画展にも出展したほどだった。画家ココシュカとマーラー未亡人アルマとの恋愛もそこから生まれる。

そして、シェーンベルク自身も、そこから、深い心の痛手を負う。

ツェムリンスキーの紹介で知り合った画家リヒャルト・ゲルシュトルと家族ぐるみのつき合いとなる。ゲルシュトルはシェーンベルクを敬愛し、シェーンベルクは彼から美術の基礎を学ぶ。ところが、ゲルシュトルは、ツェムリンスキーの妹でもあるシェーンベルク夫人と深い関係に陥る。この不倫はゲルシュトルの燃えさかるような自殺で終止符を打つ。


(ゲルシュトルによるシェーンベルクの肖像画)

夫人は周囲の説得で家族に復帰したのだったが、終始無口で無気力のまま、ウィーン郊外のサナトリウムで病没する。最も親密な二人に裏切られたシェーンベルクも引き込みがちとなり、この気難しい寡夫を親族は持て余すことになる。

十二音技法を生み出してからのシェーンベルクにも、ようやく名誉と経済的安定をもたらす任用がもたらされる。ベルリンのプロイセン芸術アカデミーからフェルッチョ・ブゾーニの後任として作曲マスタークラスの教授として招聘される。ウィーンはようやく事の次第に気づきシェーンベルクを引き留めるが、

『このヴィーンにいた間ずっと顧みられなかったように、顧みられることなくヴィーンを後にしたいというのが私の切実な願いです。』

との痛烈な皮肉を残して、ベルリンへと去る。

任用は終身契約だったが、ベルリンは安住の地とはならなかった。健康を害したシェーンベルクにとってベルリンの冬が絶え難かったこともあるが、やはり、決定的だったのはナチスの台頭だった。当初は露骨なものではなかった反ユダヤ主義だが、すでにシェーンベルクはそのことを敏感に嗅ぎ取っている。国会議事堂放火事件の直後に、シェーンベルクはアカデミーを辞職し、フランスを経てアメリカに渡る。彼がユダヤ教に再改宗するのはこの時である。

本書のごく短いエピローグにはどこか開放的な安堵とともに深い詠嘆を伴う。世紀末ウィーンの芸術は、衰亡と爛熟の根深い矛盾そのものだったけれど、その最終的な解決は新大陸アメリカの地にあったのだろう。画家ココシュカの証言が最後に置かれている。

『シェーンベルクは苦しんだに違いありません。でも彼は、芸術の神聖な使徒でした。彼は芸術をほかの人たちよりはるかに深刻に受け止めたのです。…シェーンベルクは生きなければならなかったし、金のためではなく彼を信じる周りの人たちとともに生きなければならなかったのです。』




新ウィーン楽派の人々
同時代者が語るシェーンベルク、ヴェーベルン、ベルク
ジョーン・アレン スミス 著/山本直広 訳
音楽之友社

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  1. ベルウッドさん、こんにちは。面白そうな本ですね。解放的な安堵と深い詠嘆を伴うエピローグというのは趣味が良さそうです。芸術の孤独を捉えているのでしょうか。

    二十数年前の記憶ですが、Einsamkeit, Einsamkeit, das it’s meine Heim.(孤独よ、孤独、我が故郷)と漱石が『行人』の主人公に嘯かせたのは1912年のことでしょうか。シェーンベルクで言うと『月に憑かれたピエロ』の年です。(^ ^) もう100年以上経つわけですが、先日最近出版された無調音楽についての本を読んだのですが、驚きでした。筋立てはまるっきりアドルノでした。アドルノは優れた哲学者ですし、音楽評論をし、作曲もしたようですが、シェーンベルクより2世代若い程度ですし、早熟な博覧強記ぶりでしたから、シェーンベルクや彼と同時代の音楽についてリアルタイムに論考を発表しており、シェーンベルクも知らないはずがないくらい時代は近接していたはずです。私が驚き、少し悲しいのは、シェーンベルクを語る言葉を21世紀の私たちは未だ持っていないのではないかということです。今はアドルノが批判した大衆文化の真っ只中にいようとも、アドルノが亡くなって60年近くになるのですから。無調の定義を弄んでも詮無いのでは、、、と思いました。

    先日はお世話になりました。色々といじりました。新居は絶好調です。しかし、CDプレーヤーってどこか薄いんだよな〜って一頃前に感じていた問題にまた出会いました。純正のモールディングされたものに代わる新しい電源ケーブルがいつかそう遠くないうちに来ますので、もう少しやりますが、NASを使う→新DAC導入が解決に向かうのかを考えながら、プレーヤーを追い込んでいきたいと思います。

    byベルイマン at2020-09-24 11:57

  2. ベルイマンさん

    新ウィーン楽派の信奉者であり、何よりもアルバン・ベルクに作曲を直接学んだほどでしたから、哲学者アドルノの名は、当然ながら、本書にも登場します。

    けれども、交友はさほど深いものではなかったようです。師ベルクも「ヴォツェック」の成功で、シェーンベルク、ウェーベルンよりもずっと多忙でしたし、一方、アドルノは彼らがウィーンでは受け入れられないことに失望し早くにウィーンを去っています。

    何より、アドルノはナチの国家社会主義を支持し、その反ユダヤ主義的本質を見抜くことが出来なかった。むしろ、大衆芸術に批判的でナチズムやスターリニズムの反・退廃芸術という考えに同調した。バウハウスの閉鎖もそういうなかで不可避となります。そういうアドルノの戦前の政治姿勢に新ウィーン楽派の生き残りたちは冷ややかだったのです。

    本書は、基本的には口伝史なので、そういうアドルノには関係者の口が重く、インタビューアが水を向けてもあまり語りたがらないようです。

    十二音は調性の徹底的な追求の行き着いたものであって、シェーンベルク自身、絶対的な芸術技法とは考えていなかった節があります。彼は、テキストやドラマとそこに内在する深層心理を音楽表現の根幹に置いていたのだと思います。その意味で、彼に続くセリエリズムの人々とは違うのだと思うのです。

    『シェーンベルクは、十二音技法を生み出したことにより、作曲家としては不幸になった』と、本書にはありました。

    byベルウッド at2020-09-24 14:57

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