ベルウッド
ベルウッド
クラシック音楽ファン:よい演奏会があると知れば遠征もいといません。オーディオシステムは、音楽そのものを楽しむのが本来というモットーのもとにコストパファーマンス重視で小ぶりな装置を目指します。正統オーデ…

マイルーム

メインシステム
メインシステム
持ち家(戸建) / リビング兼用 / オーディオルーム / 16畳~ / 防音なし / スクリーンなし / ~2ch
スピーカー:    PSD T4 Limited Special-ネットワークレス・マルチアンプ駆動 調音パネル:    Escart Ventoスクエア パワーアンプ:   金田式DCアンプ…
所有製品

レビュー/コメント

レビュー/コメントはありません

カレンダー

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

最新のレス

お気に入り製品

お気に入り製品はありません

日記

「名指揮者列伝 20世紀の40人」(山崎浩太郎著)

このエントリーをはてなブックマークに追加
2020年11月28日

「レコードの世紀」を生き、その演奏という芸術行為の足跡をレコードに遺した40人の名指揮者たちの《私的》列伝。

もともとは、EMIの“GREAT CONDUCTORS OF THE 20TH CENTURY”の発売に沿って「レコード芸術」に掲載された紹介記事。従って、40人の人選はあくまでもEMIのシリーズで取り上げられたもの。

「はじめに」でも明言されているように、「名盤ガイド」的な買い物手引きでもなく、いわゆる「ランキング」ものでもない。だから、この曲ならこれが定盤だとか、どれが良いかといったアレーナ的推薦評ではないし、誰が誰より上だとかいった順位づけもない。そもそも著者が選んだ40人でさえないからだ。

レコードというのは記録であるから、ファンのひとりひとりにとって様々な出会いがある。一期一会のコンサート体験とは違って、その出会いは聴き手の世代と演奏者の時代との間に無限の組み合わせがある。

著者にとっては「初恋の人」はクレンペラーだという。クラシックに奥手だったという著者は高校3年生の時に運命的な出会いがあったという。それは、根拠のない確信で、一目惚れだったということを正直に独白している。

本書は、冷静で第三者的な語り口ではあっても、そういう著者の忌憚のない「音楽観」が存分に埋め込まれている。生き生きとして血が通っている。だから、冒頭のように《私的》と紹介した。

例えば、著者が感動したフルトヴェングラーは「バイロイトの第九」だけだと言う。他を聴いても感懐を覚えずすぐに関心を失ったという。それと入れ替わりに、初めは無縁と感じたトスカニーニに再会し夢中になる。

そこにはヨーロッパ音楽のスタイルの変遷に「俊敏」と「荘重」の交替が繰り返されてきたのではないかとの発見がある。『彼はオペラの指揮者ではなかった』(クレンペラー)と論破されたフルトヴェングラーと、そのフルトヴェングラーが『アリアとトゥッティしかない』と酷評したトスカニーニとの対比にも、ありきたりな2項対立ではなく、日本のクラシック界のオペラ受容をも重ね合わせる。

日本では長く器楽中心で、オペラには理解が薄かった。著者も、「典型的なオーケストラ好きでオペラなど興味がなかった」と白状する。この言葉を聞くことには、今の中堅世代であってもほろ苦い共感を伴うはずだ。脈絡と合理性を欠いた、絶叫マシン的な展開とスピードに、翻弄されるような爽快感を感じながらも、どちらかと言えば、緊密な構成を持つ有機的な変化の『移行の芸術』――大河のように滔々と流れる芸術――に魅了されるファンは今も多い。

レコードだからこその栄枯盛衰もある。「SP時代にスタンダードであったが、その後は忘れられた」ワインガルトナー。「CD時代になって、憑きものが落ちるように人気が退潮した」ベームなど。

レコードというものが両世界大戦をはさんで興隆した文化だけに、指揮者たちの人生やキャリアに落とした戦争の影は濃い。独仏の確執を繰り返したアルザスを祖地とするミュンシュはその代表だし、新たな世界覇者となったアメリカの財政豊かなオーケストラで新天地を得たユダヤ系ハンガリー人のライナー、セルやオーマンディなど、ナチに追われ戦後も東西冷戦の狭間で復帰の実を結ぶことがなかったクライバーなど。戦後のアメリカ新興レーベル、ウェストミンスターによってウィーン録音の尖兵となったシェルヘンも、戦争が生んだニッチから名声を得た。

レコード会社の勃興そのものにも戦争は影を落とす。デッカは、戦中は潜水艦のソナー技術を担う軍需会社に過ぎなかったが、戦後の民需転用で“ffrr”という広帯域高音質録音技術で急速に成長する。起用した音楽家たちは戦後の混乱期に楽界を徘徊した無名の若手が多く新興のデッカで勝機をつかむ。

高音質技術を得たレコードは、それはすなわち巨大な虚構の世界でもあった。デッカの寵児となったアンセルメとその手兵スイスロマンド管について、デッカのカルショーは「その技術力は平凡なものに過ぎなかった」と評価していない。晩年の来日時にはそのギャップに日本の聴衆は衝撃を受けたと伝えられている。アンセルメの最後の録音は、その来日の5ヶ月後のこと。起用されたのはロマンドではなく、ニュー・フィルハーモニア管だった。《火の鳥》を演奏するには「一流」のオーケストラが必要だと、アンセルメ自身がデッカに申し入れたのだという。

一方で、チェリビダッケは、「レコードを拒否した指揮者がCDではスター」という存在だ。LP時代は、レコードとは「きちんとつくられたもの」だった。ところがCD時代になって、そういうイメージは大いに揺らぐ。その伏線となっていたのはNHK・FMが70年代から盛んに放送していた海外放送局のライブ音源ではないかという。こうしたライブ音源は、セッション録音中心のLPに対するアンチ・テーゼだった。レコード否定のチェリビダッケも没後になってそういう時流にのったのだという。

CD時代を迎えてからは、海賊版か放送音源の正規版かを問わず、盛んにライブ音源が発掘される。そのおかげで人気を維持し、あるいは生前以上の評価と人気を得た指揮者は、フルトヴェングラーを筆頭として数多い。アンセルメとは、まさに、真逆の虚実関係だけれども、そこにも新たな虚構が生まれているのかもしれません。

レコード演奏史の俯瞰ともなっている本書には、こういう著者の独特の視点と語り口から生まれる痛快な箴言にも満ちています。そこが魅力。



名指揮者列伝 20世紀の40人
山崎 浩太郎
アルファベータ


登場する指揮者(生年順)
・フェリックス・ワインガルトナー
・アルトゥーロ・トスカニーニ
・セルゲイ・クーセヴィツキー
・ピエール・モントゥー
・ブルーノ・ワルター
・サー・トマス・ビーチャム
・カール・シューリヒト
・アルバート・コーツ
・レオポルド・ストコフスキー
・ヴァーツラフ・ターリヒ
・ニコライ・マルコ
・エルネスト・アンセルメ
・オットー・クレンペラー
・ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
・フリッツ・ライナー
・エードリアン・ボールト
・フリッツ・ブッシュ
・エーリヒ・クライバー
・ニコライ・ゴロヴァノフ
・ヘルマン・シェルヒェン
・シャルル・ミンシュ
・アルトゥール・ロジンスキ
・カール・ベーム
・ディミトリ・ミトロプーロス
・ジョージ・セル
・ジョン・バルビローリ
・ユージン・オーマンディ
・パウル・クレツキ
・エドゥアルド・ファン・ベイヌム
・アンドレ・クリュイタンス
・エフゲニー・ムラヴィンスキー
・カレル・アンチェル
・ヘルベルト・フォン・カラヤン
・ルドルフ・ケンペ
・イーゴリ・マルケヴィチ
・セルジウ・チェリビダッケ
・アタウルフォ・アルヘンタ
・カルロ・マリア・ジュリーニ
・フェレンツ・フリッチャイ
・ラファエル・クーベリック

次回の日記→

←前回の日記

レス一覧

  1. ベルウッドさん
    今晩は

    面白そうだな~。ぜひ読んでみたいと思います。

    >ヨーロッパ音楽のスタイルの変遷に「俊敏」と「荘重」の交替が繰り返されてきたのではないかとの発見がある。

    聞く側の願望もふくめて今日只今もそんな気がする私ですが、これにレコード・CD等メディアの変遷やスタジオセッションかライヴ録音かということも絡んできているっていう視点が面白いな~と特に思いました。

    ご紹介ありがとうございました!

    byゲオルグ at2020-11-28 21:42

  2. ベルウッドさん こんばんは。

    山崎浩太郎さんの本、面白そうですね
    演奏スタイルも流行がある?
    やはり聴取者の好みの、時代の影響もあるのですね。
    残る音楽、廃れて行く曲、同じように楽器の変遷もあるのでしょうね

    それと確か黒田恭一さんも押し付けがましい評論は
    しなかったような、ただ“いいですね”の評価が多かったような記憶が。

    by田舎のクラング at2020-11-28 22:47

  3. ベルウッドさん

    またまた面白そうな本をご紹介頂きありがとうございます。取り寄せて読んでみたいです。

    オーディオ、特にアナログ・ディスクで楽しむのはまだまだ20世紀の録音も多く、ここで取り上げられた指揮者達の多くはある意味で「現役」の方々です。
    さすがにフルトヴェングラーやトスカニーニを聴く機会はあまりありませんが、クレンペラーやストコフスキーのディスクは未だに結構な頻度で登場します。

    私がクラシックを聞き始めたころは「玄人はベームを素人はカラヤンを評価する」とか言われていて、ベームを聞き続けていました。いつの頃からか彼の名前をあまり耳にしなくなったのですが、そういうことだったのですね。

    byのびー at2020-11-29 03:26

  4. ゲオルグさん

    この本は、「20世紀の偉大な指揮者」シリーズというCDの企画に密着して書かれたものです。だから、レコード演奏史みたいなものなんです。

    そもそも著者は、演奏家の活動とその録音を、時代や社会史のなかで歴史物語的にとらえ直そうとする「演奏史譚」を専門としています。

    面白いですよ。ぜひ手に取って一読ください。

    byベルウッド at2020-11-29 18:42

  5. クラングさん

    山崎浩太郎さんは、カルショーの「ニーベルンゲンの指環」の新訳を手がけたひとです。旧訳は黒田恭一さんでしたから、同じ早稲田大の先輩・後輩でバトンタッチしたという感じですね。

    黒田さんは、学生の頃から音楽評などを手がけ「暮しの手帖」の花森安治に見いだされた人。権威ぶったところがなく平易にその音楽や演奏の良さを説いてくれて、クラシックの敷居を下げてくれたひとだと思います。

    山崎さんも、時々、日経新聞に音楽評を書いていますが、その目は確かです。コンサートに行ってみたくなる批評ですね。

    byベルウッド at2020-11-29 18:53

  6. のびーさん

    >「玄人はベームを素人はカラヤンを評価する」

    本書では、まさに、そのことを言っています。

    >(誰もがその名をしる、クラシック唯一のスターである)カラヤンの存在がおおきくなればなるほど、音楽ファンが心のなかのバランスを取るために、ベームを求め…

    >現世の栄華を謳歌するスターに対置される、伝統を引き継ぐ実力者

    「流行対伝統」という対置関係をつくりたがる日本人…というわけです。

    しかも、日本のベーム人気が爆発したのは、75年以来、ウィーン・フィルと来日を繰り返し、その公演をNHKが放送したからだと著者は言っています。ここでもウィーン・フィル人気の付属物みたいな存在なんですね。

    そういうことは日本独特の現象でした。だからこそ、その後の日本での人気が薄れていったということなんでしょうね。

    ベームは、ウィーン以外でもオペラを振っているし、ドレスデンやチェコなど東側でも指揮していて良質な録音も豊富です。これからはそういった音源にも耳を傾けるべきなのかもしれません。

    byベルウッド at2020-11-29 19:06

レスを書く

レスを書くにはログインする必要があります
ログインする