日記
「フルトヴェングラー」(脇圭平・芦津丈夫 共著)再読
2021年01月10日
フルトヴェングラー信奉者の、フルトヴェングラー信奉者による、フルトヴェングラー信奉者のための書。
崇拝者のなかでも抜きん出て著名な丸山真男を囲んでの鼎談がまずあって、それを補足する形でそれぞれの小論文が書き加えられた三部構成になっている。丸山が辞退したので、残りの二人の共著という形をとる。丸山の辞退は健康上の理由だったが、あくまでも自分の専門の日本政治思想史とは無関係で、自分はアマチュアだからという謙遜も大いにあったのだろう。
鼎談は、主に丸山が自説を展開することで主導する。それに応える芦津は、フルトヴェングラーの愛人との偶然の出会いから生まれた未亡人との直接の親交もあり、その「手記」や、クルト・リースの「フルトヴェングラー 音楽と政治」などの翻訳も手がけたドイツ文学者。脇はドイツ政治思想史の泰斗で、ドイツ正統音楽とかかわるきっかけは丸山からリースの著書の紹介を受けたことだったという。
いずれも論議がフルトヴェングラーの賞揚と擁護だから、三者の話は確かによく噛み合うが、新たな発見や視点がない。論拠や引用は、大体が「手記」やリースらの擁護派の著書ばかり。これらはいわばアリバイ証言のための著書なので議論の方向性はどうしても限られる。
丸山は、三人のなかで最も年長だし戦前の旧制高校の寮生時代から戦後の療養生活時代まですでに相当にクラシック音楽になじんでいたが、フルトヴェングラーの生演奏には接していない。高校時代の同僚が戦後外交官となり、その特権でウィーン・フィルとの演奏を生体験したと聞いて悔しがる。「非常な秀才だが(一高時代は)ボート漕いでて寮歌ばっかりがなっていた男」とまるで野蛮人だったかのように言う。けれども、寮歌といっても開始のかけ声は「アイン、ツヴァイ、ドライ」に違いない。親しい僚友に投げかける戯れ言だからこそ、こういうところに戦前からのエリートたちがいかにドイツ教養主義にかぶれていたかがうかがい知れる。
だから、言っていることは観念的で小難しく、やたらにドイツ語のカタカナが闊歩する。そもそもフルトヴェングラーがドイツ教養主義の塊みたいな出自で、著書や手紙は文語に近い。これを引用して得意げに話しをするので語彙がことさらに堅く読みにくい。そういうところに、クラシック音楽ファンの時として鼻持ちならないエリート臭さが漂う。特に、フルトヴェングラー信奉者にはそういうのが多い。
読後感にこんなことばかり書くと反感を買うので、ひとつだけ、とても共感したことを紹介すると、それはフルトヴェングラーの演奏の根底にある「緊張と弛緩」「生物体の呼吸」という指摘。「有機体としての音楽にはもっと深い次元で大きなうねりの旋律が歌っている」。そういう「原旋律」という息の長い呼吸のうねりが、楽章や楽曲全体に底深い、スケールの大きな波動があって、しかも細部にも細やかな神経が行き渡り繊細な美学がみなぎっている。それがフルトヴェングラーの「精神性」の魅力なんだと思う。こういう指摘は素直に感服した。

「フルトヴェングラー」
脇圭平・芦津丈夫 共著
岩波新書
以下は、余計な蛇足。
いわゆる「シカゴ事件」をめぐって。
「シカゴ事件」とは、戦後、シカゴ交響楽団の招聘を受けたフルトヴェングラーが猛烈な反対運動を受けて渡米が挫折した事件のことを言う。
《客演指揮者》として招聘されたが、多くの亡命ユダヤ系音楽家の猛烈な抗議を受けたとされる。本書でもそういうふうに言及されている。けれども、これは正確ではない。経緯をたどれば、あくまでも正式な音楽監督就任要請に端を発している。《客演》なのか《音楽監督》なのかなどどうでもよさそうな些細なことかもしれないが、どうもフルトヴェングラー信奉者は、あえて客演ということに矮小化したがるような気がしてならない。そういう人々がフルトヴェングラー自身の著書をその教養のある種の聖典として偏重し、その記述に従おうとするからだろう。
さて…
1948年8月 シカゴ交響楽団は次期音楽総監督にフルトヴェングラーを指名し、本人に連絡を取る。しかし、フルトヴェングラーは、ナチ協力批判の世論が根強い米国で演奏活動を行うことに自信が持てずにいつもの優柔不断ぶりを発揮する。けれども不人気なロジンスキーを解任したばかりのシカゴ響はカリスマ指揮者の招聘が切実な問題だったので強引と言ってよいほどの懇請を繰り返す。ようやく8週間の長期客演という妥協が成立しかけた12月になって、フルトヴェングラーのもとへ突然のように不明の人物から脅迫電報が届く。同時にNYタイムズの攻撃が燃え上がり、名だたる音楽家たちがこぞって反対運動を巻き起こすことになる。1月早々に、出演ボイコットの脅迫に屈したシカゴ響の理事会は招聘撤回を表明する。この解約要請に対して、今度はフルトヴェングラーがあくまでも契約の履行をと迫ることになる。
これが、実際の経緯である。
フルトヴェングラーはもともとは渡米に否定的だったのだが、むしろ反対運動が起こってから過剰なまでに反応し、自らの傷口を広げた。誇り高い指揮者は、自分だけが攻撃の的になっていると意固地になり、友人たちの誤認、無理解と裏切りに心が傷ついたと周囲やブルーノ・ワルターのような旧友に訴えたのだ。反対署名を毅然と拒否していたワルターだが、こういう逆ギレのようなフルトヴェングラーの考え方を、手紙のやりとりの中で厳しくたしなめている。
フルトヴェングラーへの攻撃と擁護は相半ばしたが、一般大衆はかえって彼の第三帝国時代の政治姿勢のあれこれについて多くを知るようになった。最終的にシカゴ響理事会が解約手続きを完了したのは5月になってからのこと。経済的な窮境にあったフルトヴェングラーだったが、理事会側の報酬全額支払いの申し出も断った。解約時に彼が受け取ったのは電報や電話代の実費900ドルだけだったという。しかし、フルトヴェングラーへの攻撃と擁護の議論はその後も延々と続くことになる。
ユーディ・メニューインとその父親は、ともにフルトヴェングラーを一貫して擁護し続けた。父親のモシェは、反シオニズムの立場を取るベラルーシ出身のユダヤ人哲学者だったが、後年、ニューヨークのユダヤ人向け新聞に次のように寄稿している。
「フルトヴェングラーは、彼をうらやましく、ねたましく思っているライバルだちの犠牲となりました。この人たちは自分たちの秘密をそのままにしておくために、彼をアメリカに近づけないよう、宣伝や中傷、誹謗に頼らざるをえなかったのです。…この人たちは少しばかり世間の注目を浴びるために、理想主義者と称する人々やユダヤ人を商売にしている人々、そして臨時に雇われたひとびとの楽隊車の流れに参加して、純真で人間性溢れる、心の広い人を無責任にも襲撃したのでした。」
個人的には「シカゴ事件」は、音楽興行とかマネジメントを生業とする何者かのしかけた陰謀によるものではないかと思っている。フルトヴェングラーの北米への進出は、亡命国家アメリカに活躍の場を見いだした音楽家たちと彼らから莫大な利益を上げていた黒幕の危機感を煽ったのだろう。
もっと根深い問題は、移民国家アメリカが本来的に持つグローバルな普遍性という価値観と、民族血統と大地に根ざす歴史的文化伝統という価値観との相互不可侵的な相克なんだと思う。その相克の裏には、レコード産業の勃興とともに演奏様式の深層における根本的な対立もあったのだろうと思える。
何が言いたいかといえば、フルトヴェングラーの政治姿勢の当否や是非ばかりをあれこれ言っていても、もっと深みや拡がりを持つ芸術論の視点にはなかなか到達できないということ。こういう価値観の対立に日本人はどうしても鈍感で、特にフルトヴェングラー信奉者は客観的、相対的な見方ができずに、この議論になるとひいきの引き倒しのようなことになってしまう。この本を読むとつくづくとそう思う。
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ベルウッドさん、こんばんは。
フルトヴェングラーときて丸山眞男と来るんですね。戦後知識人たちの判官贔屓にはなかなか同情し難いですね。フルトヴェングラーだ、ハイデガーだのとホロコーストの関連を論じながら、なぜかアメリカが史上唯一、原爆投下による大量虐殺を犯したことを俎上に上げられない。日本の抱え込んだ途方もないコンプレックスのことを考えてしまいます、フルトヴェングラー等へのドイツ礼賛には。戦後、反米はすべからくレッドパージの対象とされたのでしょうから、フルトヴェングラー礼賛で、余りにも小さなアメリカへの抵抗をしていたのであり、哀れな自尊心の鬱憤を晴らしていたんだろうなと、冷たいことを感じてしまいます。
バイロイトの第九は今後自分から聴くことはないと思いますが、空前絶後の演奏であると今だに思います。「ドン・ジョバンニ」で動いているフルトヴェングラーを観ましたが、まったく感動しませんでした。しかし、小林秀雄的モーツァルトに入れ込んでいた私は、確かVPOとの40番はワルターの泣きすぎビブラートよりずっとずっと好きで、シューリヒトの38番とともにモーツァルトの交響曲のベストで一生聴き続けるだろうと信じていた20代でした。(^^)
byベルイマン at2021-01-10 23:00
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ベルイマンさん
遅レス失礼いたしました。
戦前からのインテリには根強いヨーロッパ礼賛があって、それが敗戦ということで新興の物質物量主義文明アメリカに対しては相当に屈折したわけですね。しかもそれがホロコーストという事実も明らかになってさらに屈折したのだと思います。
でもそういう屈折した心理は日本だけじゃなくて、フランスのゴーリスム(ド・ゴール主義)にもありましたよ。ジャン・リュック・ゴダールの「勝手にしやがれ」だったか「ウィークエンド」だったか忘れましたが、録音スタジオでガラスで隔てたモニタールームでは上手く聞こえるのに、スタジオの中の生の声は実際には音痴だったという場面だけはなぜかそこだけ覚えてます。レコード音楽というのは実にアメリカ的だというわけです。
小林秀雄は本物の文芸評論家だと思いますし、あのモオツァルト評は名文だと思います。でも多くのクラシック評論のデマゴーグを生みましたね。それは本人の責任ではないと思いますけど。
ワルターのウィーン・フィル戦後復帰演奏会のライブのト短調交響曲はなぜかひどくポルタメントを強調していてあまりに俗っぽいので好きではありません。ワルターは本来あんな下品な指揮はしないはずなのですが、楽団員のほうがはしゃぎすぎてユダヤっぽいフィドルぶりをお祝い半分に出しちゃったんでしょうか。そういう演奏が無批判に賞揚されてCDが売られているのはどうかと思います。そこにも某評論家の姿が見え隠れしています。
byベルウッド at2021-01-12 16:34
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