ミネルヴァ
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六畳間和室で音楽や映画を楽しんでいます。 石井式リスニングルームによれば、六畳間和室は音響的に良いそうで、部屋幅、高さとも推奨値からおおよそ-10%程度で収まっています。 スピーカー配置は内振りで…

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6畳和室
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持ち家(戸建) / 専用室 / オーディオ・シアター兼用ルーム / ~6畳 / 防音あり / スクリーン~100型 / 8ch以上
狭いながらもホームシアターを楽しんでいます。 電源関係や部屋のチューニングもトライしています。 電源関係 ・電力メーターからオーディオ用幹線(CV22)を分岐   (CV22は地中埋設、オーデ…
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日記

ホールでの生演奏 対 録音音楽

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2017年02月14日

2月12日深夜のNHKBSプレミアムシアターの後半で「ドキュメンタリー カラヤン~ザ・セカンド・ライフ~(2012年 オーストリア)」が放送されました。

このセカンド・ライフと言う言葉は、カラヤンが残した録音が今に生きていることを示しています。
この中で、ホールでの生演奏と録音音楽について興味深いことが語られていたので、紹介します。

音楽評論家ペーター・ユーリング
「ホールなら席により音が違うが、レコードなら常に良い音です。
録音を聞くと生では経験できないと感じます。」

カラヤン
「私の音楽録音はピラミッドより長く生きる。」
「ホールでは席によって音の印象が異なります。そしてそれが観客の耳の届いた時、観客は音楽を誤解しかねない。」
「ホールでは聴けないような音も録音なら作れます。怖いほど美しいものを生み出せるのです。
シェーンベルクの「管弦楽のための変奏曲」は録音のおかげで大きな挑戦ができました。
こうした曲はホールでは聞き取れません。公演には不向きです。」

独グラモフォン社 元録音プロデューサー ハンス・ウェーバー
「この変奏曲でよく問題になるのは個々の楽器の音が聞こえないこと。トーンマイスター(録音技師)のギュンター・ヘルマンスがそれを解決しました。」

ヘルマンス
電話で「ヘルマンスです。今楽譜が無いのですが。」
カラヤン
「ではメモを取って。50ページだ。オーボエのソロがある。ホルンと二つの和音を作り、弦楽器が応えるピアニッシモの小節だが、ここのホルンはこだまのように響かせたい。
問題はオーボエの旋律を壊さずにホルンを弱くできるかだ。無理なら仕方ないが。これができればとても助かる。」
ヘルマンス
「できると思います。」
カラヤン
「よし!」

アンネ・ゾフィー・ムター
「例えばベルクのバイオリン協奏曲はとても複雑な曲です。主旋律と副旋律などベルクの意図が生演奏で伝わるかは疑問です。」

ベルリンフィル クシシュトク・ポロネク
「最近 ホールの響きを生かした録音が人気ですが、大きな誤りです。そんな音には満足できません。レコードにはホールとは違う響きの調整が必要なのです。」

ここまでは生演奏に対する録音音楽の優位性ないし特徴が語られています。
しかし、このドキュメンタリーではここから一転して、カラヤンらとは異なり、録音音楽に対して否定的な登場人物が現れます。

元EMIのバランス・エンジニア ウォルフガング・ギューリッヒ
「録音は残ってもいつかは聴かれなくなる。カラヤンもそうなるでしょう。」
「私には生演奏のほうがレコードの3倍もいい。全くの別物です。どんなに良い録音も生演奏の魅力にはかないません。演奏会では目で見ます。聞こえないものを目で補うのです。最高の響きを再現しても録音にはそれがない。」
「指揮台で指揮者が聞く音と録音に入る音は違う。カラヤンが録音スタジオで自分のイメージどおりの音を作れたのは幸運でした。」
「ヘルマンスと私で使用したマイクの本数は同じでした。私は離れて録音するが、彼はマイクを近づけました。私は無指向性マイクが好きです。無指向性なら奥行が出てより立体的になる。ヘルマンスは指向性マイクを使い一方向の音を拾っていたため音は平面的でした。カラヤンはどちらの方法も認めていたはずです。独グラモフォンではヘルマンスと組み、その録音に満足していました。だがEMIでは私と全く違う録音をしたのです。」
「ホールで聴く音の広がりはレコードよりはるかに大きい。カラヤンはこれを克服しようとしました。」

(注)「認めていたはずです」と言っていることに注意。カラヤンがEMI録音を認めているというのは、単なるギューリッヒの想像、希望的観測だということです。
実際カラヤンは英EMIとも契約していましたが、ヘルマンスとの録音に大変満足し、この録音で世界市場に打って出る決意を固め、EMIとは契約解除し、独グラモフォンとの単独契約で行くことにしました。もっともその後しばらくしてEMIとも再契約したのですが、別の事情があったためで、EMI録音が心底気に入り、認めたからではないでしょう。

EMI元プロデユーサー ペーター・アルヴァルト
「録音で現実の音は再現できない。今日でも誰も解決できない問題です。たとえ3次元映像で演奏会を見られたとしてもライブを体験する代わりにはなりません。」

生演奏の録音に悲観的な録音エンジニアが録音したものを、私は聞きたくないです。仮に完全には不可能だとしても挑戦して闘い抜いて欲しい。生演奏に白旗を上げてあっさり投降するするよりはむしろ玉砕して欲しい。
そういう録音が聞きたいのです。どおりで私はEMI録音が嫌いな訳です(笑)。

カラヤンが言ったように独グラモフォン音源はピラミッドより長く生きるのでしょうが、EMI音源は元EMIのギューリッヒがいみじくも言ったように、そのうち誰も聞かなくなるのでしょう。

以下は本題とは関係の無い、ドキュメンタリーの一部紹介です。

カラヤン
「人は生まれ変わるものです。私は必ず戻ってきます。」

カラヤンは「輪廻転生」または「同一物の永劫回帰」を信じていました。現代の宇宙論では宇宙創成のビッグバンが、宇宙のありとあらゆる所で、未来永劫際限なく起こり続けるという説が有力で、「同一物の永劫回帰」が起こるのは必然となります。
一説では原子よりも小さい原初の宇宙が宇宙空間の「量子のジタバタ運動」からひょっこり出現し、10のマイナス43乗秒というとてつもない一瞬で銀河系の大きさまで急膨張したとされています。
その膨張速度は光の速さをはるかに超えていますが、空間自体が膨張しているので特殊相対性理論とは矛盾しません。

「私の録音はもはや聴いて楽しむことはできない。それは自分から離れて行った、私とは別の物だから。」

もちろん、その録音と同じ演奏を老境のカラヤンが最早できないのは明らかとしても、このカラヤンの言葉には言いようのない寂しさを覚えます。自分の録音はピラミッドより長く生きる、と言っていたのに自分ではもう楽しめないとは。

カラヤンの最後の練習
「ある日彼は腕を小さく動かし、無言で指揮をしていました。最後の音が鳴りやむと彼は15秒ほど手を止め、そのまま指揮棒を落とし動かなくなりました。私たち団員は茫然として何もできぬまま様子をうかがっていました。さらに40秒ほどたって、ついに誰かが立ち上がり、助けを呼びに行ったのです。それが最後の練習になりました。その後彼から何の連絡もありませんでした。それを彼に責めることはできません。もう仕事はできないと悟ったのでしょう。」

このようにカラヤンは彼の最後の仕事を終えたのでした。そして「セカンド・ライフ」としての録音音楽をヘルマンスとともに残したのです。

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  1. ミネルヴァさん、初めまして。

    面白い内容ですね。自分もホールでの生演奏対録音音楽には関心がありますので、題名に目が留まり拝見させていただきました。

    カラヤン等が演奏家として語り、他の方が録音サイドの視点で語っているのですね。自分はオーディオを趣味に持ち、生演奏と再生音楽を楽しむ視点で書き込みしてみます。

    生演奏対再生音楽(オーディオ)の比較ですが、以下の条件での捉え方です。
    ・生演奏ではPA等を使わないクラシック音楽の場合での比較です。
    ・生演奏の座席位置は、よい音で聴ける(好みの音で聴ける)場所を前提とします。
    ・再生音楽は、録音のよいソース(好みの録音のソース)で、自宅のオーディオで再生することを前提とします。

    まずはどちらがよいと感じるかは、時と場合によるというのが現時点の感想です。生演奏は当たり外れの差が大きく、大きな感動を得るときもあれば、これなら家でオーディオで聴いたほうがよかったと思うことも少なくないです。生はよかったと思うときと、がっかりの時の幅がとても大きいと感じています。オーディオは比較的安定していますね。生の幅の内数にあります。生の幅の中ほどから下側付近に位置する感じでしょうか。

    ⇒つづきます。

    byヒジヤン at2017-02-14 21:34

  2. つづきです。

    また同じ次元では比較しにくいメリット/デメリットもあると感じています。
    生演奏
    ・お出かけする楽しみ
    ・演奏する姿が見れること
    ・好きな演奏家に会えること  などなど
    オーディオ
    ・いつでも、居ながらにして楽しめる
    ・周囲に気を使わなくてよい
    ・好みの音量が選べる     などなど
    ですから、対等に比較することは難しいと思いました。加えて、両輪で楽しむからこそ生まれる、新たな楽しみもあると感じています。

    費用的には、生演奏を毎週のように聴きにいくのと、オーディオの装置とソフトを購入することを比較したら、どちらが費用的にかかるのかと考えると、多くの場合オーディオの方がかかるかも知れないですね。

    では、どちらかだけを選べといわれたらどっちを取るんだろう?と考えたことがあります。その時の自分の中での答えは、「間違いなくオーディオを取る」となりました。

    当たり外れがあるとしても、音楽からより大きな感動を得るのは生演奏にあるし、費用的にも生の方がかからないとする。ならば、生だけを聴きに行けばよいのではないかと自分に問いかけたのです。ですが、答えはNoでした。

    なぜならば、オーディオでサウンド構築をしていく中で得る感動は音楽を聴くことでの感動を大きく上回るからです。こうしたらよくなるのでは....と考え、試して、当たったときの喜びや感動は、音楽を聴いての感動とは違った格別のものがあります。それこそ、同じようなことでも何度繰り返してもいいと思える永劫回帰だと思うのです。だから、オーディオをやるのだと。

    byヒジヤン at2017-02-14 21:35

  3. ヒジヤンさん、初めまして。よろしくお願い致します。

    詳しいレスをどうもありがとうございました。
    多くの点で共感いたしました。
    私もたまに生の演奏を楽しみます。先週土曜日にも、びわ湖ホールにてベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番と交響曲第3番を聴いてきました。
    でもやはり音楽を聴くのは自宅のオーディオが回数、時間ともずっと多いですね。
    従ってオーディオ抜きでは音楽を十分には楽しめません。

    私もオーディオ装置やアクセサリー、設置の工夫などで音質向上を果たすのは喜びですが、それが一番の感動か、と聞かれるとそうではなく、それはあくまで手段で、オーディオでより良い音楽体験をして感動するのが、最大の喜びです。

    今回の演奏は申し込んだ時期が遅く、いつも座る11列目、12列目あたりではなく中央の後方だったため、これなら家でカラヤンの演奏を聴いたほうがずっと良かったかな、と感じた次第です。

    同じオーケストラで去年聞いたベートーベンの交響曲第5番は、いつもの席で聞いたのと、すばらしい演奏だったので、家のオーディオで聞くより大いに感激しました。

    byミネルヴァ at2017-02-14 22:19

  4. ミネルヴァさん

    以前、放送されたときに見ました。2013年に発売されたドキュメンタリー“Karajan - The Second Life”というDVDです。邦題は『蘇るカラヤン』とも『素顔のカラヤン』ともつけられていてアマゾンでもまだ入手可能なようです。

    あの時日記にしようとも思ったのですが、カラヤンファンとしても、クラシック愛好家としても、オーディオファンとしても、非常に興味深いシーンに溢れていてどうにもまとまらなかったのでそのままになってしまいました。電話でヘルマンスに指示する場面もよく覚えています。

    ミネルヴァさんは、この間、日記でDECCAやDGとEMIとの違いを取り上げておられましたね。そしてDGのほうが好みだとも。違いについてはまったく同感でした。

    最近、マイシステムは音場の立体感が著しく改善して自己満足の真っ最中です。振動対策やスピーカーセッティングを突き詰めてきた結果、SNが上がり特に高域での音色や音像精度が上がるとCDばかりではなく、アナログLPまでこんな立体情報が入っていたのかと驚いています。そうなるとEMIの録音の素晴らしいことに感心させられます。バルビローリのシベリウスなど、部屋全体に拡がる響きと壁の向こうに展開するステージの立体スペクタクルに陶然としてきます。DGがこういう(つまり“丸い”)立体感で捉えるようになるのはCD時代になってからです。

    昔、高城重躬さんの著書に「オーディオ100バカ」という本があって、そこでは「レコードから原音再生を求めるバカ」と言っていました。

    でも、その前の章では「原音再生を否定したバカ」とも言っています(笑)。

    そして、さらに「ナマ演奏に親しまぬバカ」とも(笑)。

    byベルウッド at2017-02-15 00:07

  5. ベルウッドさん、どうもレスありがとうございます。

    50年前からEMIの録音には失望させられ続け、いつのまにかレコードでもCDでもEMI録音と聞いただけで、購入を止めるようになりました。

    実は最近、マイシステムも音場の立体感と解像度が著しく改善して自己満足の真っ最中です。

    例の楽曲の2分19秒には歪が全くなく、3分3秒と11秒には歪があり、その歪の音像の形まで把握できるようになりました。以前はスピーカーでは歪が全く検知できていなかったのですが。

    今マイシステムでEMIの録音を聴けば、私の先入観も変わるかもしれませんね。変らないかもしれませんが(笑)。

    レコードからは原音を求めるのでなく、作曲家、演奏家が届けようとしている「音楽の精髄」を求めるべきでしょう。
    またそれを否定したら「終わり」でしょう(笑)。

    ナマ演奏も時々聞いて、それも各種のホール、異なる席で聞いてどれが自分の理想とする音か把握し、それを基準において部屋やオーディオシステムを調整しないと、再生音があらぬ方向に発散しがちですね(笑)。

    byミネルヴァ at2017-02-15 00:48

  6. ミネルヴァさん  こんにちは

    大変勉強になる日記を掲載していただいて、有難うございました。
    私も、生演奏とオーディオの両方で音楽を楽しんでいますが、高齢になると、夜出かけるのが億劫になる方も多く、その意味ではオーディオは有り難い存在だと思います。尤も、私はまだ元氣なので、夜間の外出はいといませんけど・・・・。

    録音、特にオーケストラの録音は、時代と共に変わって来ていると思います。カラヤン時代は各楽器の音を鮮明に録ることを最大の目的にしていたように思えます。その代償として、音場情報が犠牲になっていたと思います。

    私の感想としては、カラヤンの録音は、演奏記録としては大変価値があるものの、オーディオとして楽しめるかというと、ノーです。生演奏に比べて、音が平板で、楽器のバランスが不自然過ぎるのです。

    生演奏では聞こえない音を録音では聴こえるようにすると言うのは、いかがなものかというのが私の考えです。聞こえないことの多くの責任は作曲者にあるのであって、それを含めて作品の価値だと思うからです。

    それに比べ、近年の録音の大方は、音場情報をバランスよく録り入れおり、極端なピックアップもなく、不自然感は少なくなっています。

    日本勢も大変頑張っており、下記録音は大変気に入っています。

    バッティストーニ/東京フィル/レスピーギ「ローマ三部作」
    バッティストーニ/東京フィル/ムソルグスキー「展覧会の絵」

    何れもライブ録音で、前者がサントリーホール、後者がオペラシティでの演奏です。私はこの両者の演奏を客席の1階中央前から1/3程度の席で聴いていました。マイクは20本程度使用されていたと思います。

    特に前者は白熱の演奏で、当日の演奏を彷彿とさせてくれます。不自然感は何もありません。何度聴いても当日の興奮が蘇ってきます。私のVRホールで聴くと生演奏さながらです。この二つの録音はオーディオシステムの調整の基準になります。(あっ一つ不自然なところが有りました。展覧会の絵の最後のベルの音がデカ過ぎバランスを欠いています)

    近年の他の録音も鮮明でかつ臨場感たっぷりのものが多く、録音技術が大きく進化してきていることを感じます。

    byStereoHall at2017-02-15 11:41

  7. ミネルヴァさん、こんばんは

    興味深いお話をありがとうございました。
    生演奏と再生音楽。私は、はなから別物として捉えています。
    ライブを収録した作品であっても作品によって製作者が表現したいことは様々でしょうし、製作者の意図が正しく伝わる再生装置でありたいものですね。
    また、楽器の音を知るという意味でもライブは貴重な体験になりますよね。

    byバーガンディミスト at2017-02-15 22:04

  8. StereoHallさん、

    どうもレスありがとうございます。
    バッティストーニ/東京フィル/レスピーギ「ローマ三部作」
    バッティストーニ/東京フィル/ムソルグスキー「展覧会の絵」
    バッティストーニ/東京フィル/ベートーヴェン交響曲第9番

    上記を順番に聞いており、返事が遅くなってしまいました。
    どれも素晴らしい録音で、正にホールの中ほど前から1/3のところで聞いているかのような錯覚を覚え、聞き惚れました。

    これをレファランスにしておられるとは流石ですね。StereoHallさん宅ではさぞ素晴らしい音響を実現されておられることと推察します。

    特に気にいったのが「展覧会の絵」で低域の解像感、押し出し感がホールで聴くのとそっくりで驚きました。

    不自然なところが全くなく、これらに比べると確かにカラヤンの独グラモフォン録音には「作り物感」がありますね。

    でもこの「作り物感」が私は結構好きなので困ったものです(笑)。ベルリンフィルのコントラバスとチェロのゴリゴリした低域の緊張感はたまりません。

    生演奏では聞こえない音を録音では聴こえるようにすると言うのは、いかがなものか、とのことですが、私は有っても良いのではと考えています。

    作曲家が想定もしていない巨大ホールで多数の聴衆に聞かせていれば聞こえない音も出てくるでしょう。それを録音で補っても良いと考えているわけです。それを作曲が悪い、価値が乏しいというのは作曲家に酷な気がしますが。

    byミネルヴァ at2017-02-15 22:17

  9. バーガンディミストさん、

    どうもレスありがとうございます。

    仰っていること、全て同感です。今後もよろしくお願いします。

    byミネルヴァ at2017-02-15 22:25

  10. ミネルヴァさん、こんばんは。

    非常に考えさせられる話題ですね。
    かたやエンジニア並みに色々と意見を言う指揮者もいれば、Kleiberみたいに生演奏至上主義で録音そのものを嫌っていた指揮者もいるのも、それぞれの性格が見とれて興味深いです(勿論、読んだ内容でしか性格は知りませんが)。

    私も実はカラヤンのDG録音は好きです。(というか、もしかしたらDG盤全般かも…時代によっては時々少々ソース味に感じますが)

    ふと思いましたが、現代の録音編集技術を昔の作曲家に与えて「好きなようにミックスダウンして良いよ」と言ったらどんなものが出来上がるのでしょうかね。 案外予想外な展開だったりするのではないかと変な想像をしてしまいます。

    byJoe Frazier at2017-02-15 22:36

  11. Joe Frazierさん、どうもレスありがとうございます。

    そういえば、クライバー、海外に指揮に行く時はファーストクラスの2人分の席を用意させたらしいです。隣に他人が座らないように。ひとり分は料理や酒が要らないので2割引きらしいですが。

    Joe FrazierさんもDGがお好きですか(笑)。

    その発想、面白いですね。そういえばあの番組でも、もしカラヤンが今生きていたらインターネットを使ったどんな音楽配信をするだろうか?というくだりがあったような。

    byミネルヴァ at2017-02-15 22:52

  12. ミネルヴァさん

    遅い再レスで申し訳ありません。

    「ステージ音楽とレコード音楽は別物である」は、菅野沖彦氏の「新レコード演奏家論」の中の一節ですが、特にカラヤン時代は、レコード音楽は、音楽の一つのジャンルとして発展していたように思います。演奏会場では聞こえない音も、楽譜通り聴くことが出来るのも、これまでの音楽世界では味わえなかった楽しみです。

    完璧な演奏を求めて、カラヤンも自らテープに鋏を入れていたと耳にしています。ナマ演奏とは別の音楽として創造しようとしていたのではないでしょうか?

    ワンポイント録音で名を成した穴澤氏は、測定用マイクメーカーのB&Kに、音楽録音用のマイクを開発してくれるように頼んだと語られています。この頃から、少しずつ、レコード音楽と言えども、生演奏に近づけた方がいいという考え方が、浸透しだしたのではないでしょうか?

    東京フィルの「ローマ三部作」や「展覧会の絵」は紛れもなく一発勝負で、ミキシングの妙はあるにしても、切り貼りの世界ではありません。近年は、コストの面が大きいと思いますが、ライブ録音が多くなっていて、かつての「レコード音楽」とはニュアンスが違ってきているように思います。

    そうした中で、私の興味は、生演奏の再現にあるわけで、決してかつてのレコード音楽を認めないということではありません。「作曲者の責任」と言ったのは「演奏者の責任」ではないと言いたかったのであって、「駄目出し」をした意図はありませんので、誤解のないようにお願いします。

    客席で耳にする音を再現するのが、私の最大の関心事です。

    byStereoHall at2017-02-17 10:28

  13. StereoHallさん、再レスありがとうございました。

    「客席で耳にする音」もホールによる違い、それ以上に席の位置による違いが大きいですね。

    どこを基準にした音にするかが重要ですね。その基準によっては演奏家の作り出したいイメージと聞く側の聞きたいイメージに齟齬が生じる可能性があります。

    カラヤンは基準を客席よりも、指揮台の上で「自分が聞く音」にしていたような気がします。

    いやそれ以上にスコアから作曲家の意図を汲み取って、作り上げた自分のイメージの再現を目指したのであって、どこかの位置で聞ける音を基準にしたのではないのでしょう。

    この考え方は一本筋が通っており、嫌いではないです。

    byミネルヴァ at2017-02-17 12:03

  14. ミネルヴァさん

    「指揮台の上で自分が聞く音」とは旨い表現ですね。そのように私も思います。

    客席の位置による音の違いは大きいですね。好みの客席位置で聴きたいという願望を果たす目的で、穴澤氏は残響分離制御ユニットBM-1を開発されました。これを使えば直接音と残響の比率が自由に変えられます。

    ユーザーサイドでの利用法の他に、配信サイトでの適用も考えられているようです。パッケージメディアでは「残響たっぷりの後の方の席の音で聴きたい」と言っても、無理な話ですが、配信なら、このようなリクエストに応えられると言うことのようで、果たしてこの先、どういう展開になりますか・・・?

    byStereoHall at2017-02-17 21:21

  15. StereoHallさん、

    客席の位置が変わると、直接音と反響音のバランスも変わりますが、バイオリンの倍音の届き方、チェロ、コントラバスなどの低音の聞こえ方も変わってきますね。

    ステージから遠い席だと倍音が届きにくくなりますし、低音楽器に床鳴りや反響音が加わり分離が低下し丸い音になります。

    また音像の大きさも変化します。席の位置の変化による音響変化を作るのは相当にむつかしいですが、技術が進歩すればそのうち可能になるのでしょうね。

    byミネルヴァ at2017-02-17 22:20

  16. ミネルヴァさん

    カラヤンのDG録音はスコアリーディングというところがありますね。生の立体感というよりも音楽的なリアリゼーションに意を砕いた録音なんだと思います。ソロを浮かび上がらせたりあるパートをハイライトしたりというミキシングコンソール上の魔術のようなところがあります。

    後年のOIBP(オリジナル・イメージ・ビット・プロ セッシング)がなかなかうまくいかないのは、そういう音楽面を無視してデータだけでタイムアライメントを施しているからなのでしょう。デジタルリミックスの副作用みたいなものもあります。

    モノーラル録音であっても遠近感が得られます。仰るように、距離によってスペクトラムが変化したり間接音のバランス、タイミングの差分など自然にマイクによってとらえられた情報を脳が認知するからです。ディレイをかけた間接音付加はそういうものを破壊してしまいます。昔の疑似ステレオみたいなものですね。

    byベルウッド at2017-02-20 00:05

  17. ベルウッドさん、再レスどうもありがとうございました。

    全て同意致します。仰る通りですね。
    フルトヴェングラー指揮のオリジナルがモノラル録音のものを疑似ステレオにしたレコードも持っていましたが、感心しませんでしたね。

    byミネルヴァ at2017-02-20 13:10

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