パグ太郎
パグ太郎
クラシック中心に聴いています。オーディオは手段と考えてはいるものの、気がつくと手段の魔力に取り付かれてしまうことも多く、日々修行をしております。

マイルーム

パグ太郎の部屋
パグ太郎の部屋
持ち家(戸建) / リビング兼用 / その他 / 16畳~ / 防音あり / スクリーンなし / ~2ch
10数年愛用したアンプが逝ってしまったので、久々の機器更新をしました。
所有製品
  • プリメインアンプ
    OCTAVE V110SE
  • ハードラック
    QUADRASPIRE QAVM
  • RCA/BNCオーディオケーブル
    KIMBER KABLE KS-1020
  • 電源ケーブル
  • 電源ケーブル
    KIMBER KABLE PK-10Gold

レビュー/コメント

レビュー/コメントはありません

カレンダー

    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

お気に入り製品

お気に入り製品はありません

日記

二組のヴァイオリンとピアノ、或いは、ライバル関係とパートナー関係について

このエントリーをはてなブックマークに追加
2017年08月31日

レコード会社というのは、二匹目の泥鰌を狙う性格なのか、あるいはマーケットを盛り上げるためにはライバル関係を作った方が良いのか、昔から二人の指揮者・演奏家が同じ様なレパートリーで平行して録音をリリースすることが多々あった様な気がします。カラヤンとバーンスタイン、カラスとテバルディ、、、、、などなど。最近は音楽産業も余裕がないのか、そういうことも減ってきているのかもしれませんが、ファウストとイブラギモヴァ、この二人は最近のヴァイオリニストの対抗馬でしょうか。ハイぺリオンとハルモニアムンディで、レパートリーぶつけ合っている二人です(本当のメジャーレーベルが出てこないこの時点で隔世の感がありますが・・・。あ、DGのユジャ ワンとSonyのブニアティシビリのお色気対決というのがありますが、あれは別世界での対決ですので)

この二人がいつものピアノ伴奏者と録音したシューベルトのこのCD。聞き比べると、パートナーのピアニストとの関係の差が、音楽表現において大きな差として出ているのがわかります。

シューベルトの幻想曲は、1曲目と2曲目でその雰囲気ががらりと変ります。イメージで言いますと、ピアノの優しい和音に乗って、ヴァイオリンが密やかに呟き始め、伴奏に励まされるかのように次第にスピードを上げ、最後は自力で飛翔する(1曲目)、その飛び立った先には明るい大空が広がり、ヴァイオリンはリズミカルに羽ばたき、自由に舞う。ピアノは優しいリード役から、主役のジャンプ・スピンを支えるサポーターへ役割を転じています(2曲目)。オーディオ的にはこの転換と、二人の役割の入れ替わりの表現を、上手く再現できるかどうかが楽しみな所です

ファウストとメルニコフ。メルニコフのピアノは常に舞台を整える役割に徹しています。ピアノの音色からして、くすんだような渋い音。このためにメルニコフは彼のアンティーク ピアノコレクションからこの一台(何かは表記がないのでわかりません)を選んだのだと思います。1曲目から既に場を仕切っているのはファウストです。控えめに遠慮がちに立ちあがってくるそぶりは見せていても、その芯の強さは隠しようがありません。そして2曲目に入ってベールをかなぐり捨て、制約を振りほどいて飛び出していく姿には惚れ惚れとします。

イブラギモヴァとティベルギアン。ヴァイオリンはビブラートを極力排除し、弱音にこだわってジャケット写真のようなモノトーンの世界を作り出しています。そうなると曲の流れや色調を作るのはティベルギアンのピアノの役割になります。最初から最後までリード役を演じるピアノが手厚く守り支えているその中で、か弱いヴァイオリンが力を振り絞って舞っているという印象です。ヴァイオリンに、この形で迫られると、ちょっとした表情付けが際立ち、魅力的に見えてくるという効果が高まります。好みで言えば、ファウストですが、気分によってはイブラギモヴァに癒しを求めたい時もあります。

ファウストは何時ものファウストですが、イブラギモヴァという人はこんな癒し系だったかしら? 相棒がいる時と居ない時、リーダーとして振舞わないといけない時、人はその社会的役割を変え、それを演じ分けるものです。演奏家もそうかもしれません。

無伴奏バッハの時の彼女は、逞しく自立して音楽の推進力を作り出していました。キアルスクーロ弦楽四重奏団では、リーダーだからというのは判るが、ちょっとファーストヴァイオリン目立ちすぎ、もっと他を立てた方がと思うようなシーンもありました。バッハの協奏曲ではオーケストラを煽るような素振りさえ見せました。でも、相手がティベルギアンになると完全に依存型です。

男女関係の詮索をしたくてこういうことを言っているわけではありません。このティベルギアンとのペアでしか出来ない素晴らしい演奏を、今、私たちは聴いていると思いつつ、彼女の演奏家としてのさらなる飛躍(もう十分に飛躍してはいますが)にとって、この組み合わせは本当にいいのだろうかと考え込んでしまいました。社会的関係性によって初めて創り出せる表現もあれば、それが制約になってしまうこと、あるいはそれが崩れた時に起こりがちな悲劇は、ポゴレリッチの例も含め過去にも色々とありました。輝かしいキャリアを築きつつある未だ若い芸術家に対する一抹の不安が、杞憂に終わるといいのですが。

(最後に触れたポゴレリチについては、機会を改めて、また書きたいと思います)

次回の日記→

←前回の日記

レス一覧

  1. パグ太郎さん

    難しいお話しですね。

    シューベルトの室内楽は、彼の友人仲間内(《シューベルティアーデ》)で演奏されるために書かれたのがほとんどです。だからそれぞれの楽器パートに人格があり互いに尊重し合い対話したり競い合ったりするようなところがあります。幻想曲も、二人の友人のタメに書かれ、初演もこの二人で行われているそうです。だから、ヴァイオリンもピアノも各々に技巧的で華麗な展開があって、ヴィルトゥオーゾ的な見せ場を持たせてありますね。

    室内楽のなかでもいわゆるヴァイオリン・ソナタは、二人の奏者が対等で互いの個性の組み合わせが多彩な音楽を創り出していますね。私の若い頃は、ピアニストは「伴奏」という位置づけだったと思いますが、振り返ってみるとけっこう大家同志の組み合わせが名盤として残っています。ヴァイオリンは、メロディー楽器で和声とリズムを持つピアノを必要としていますし、ピアノはテヌートが表現できず打音と打音のすき間を埋める弦楽器を求めています。互いに無いものを補う相手として求め合っているのです。

    シューベルトは、庄司紗矢香とカシオリのデュオで聴きましたが、確かに中間の第二部の「再会のよろこび」による変奏曲ではヴァイオリンが自由に飛翔するような華麗な演奏がとても印象的でした。カシオリはそういう場面でも楽しそうに庄司をサポートしていました。

    シモン・ゴールドベルクとラドゥ・ルプーのLPを取り出して聴いてみましたが、即物主義の古老と若き現代的ロマン主義の俊英とのペアリングが、淡泊さと深い瞑想性が共存する不思議さと、慈愛と尊崇の交錯する滋味深い音楽になっているのは、シューベルトにそういう下地があるからでしょうか。

    byベルウッド at2017-09-02 00:59

  2. (続きです)

    イブラギモーヴァ/ティベルギアン組とファウスト/メルニコフ組との比較は、ベートーヴェンの作品12の2で聴いてみました。

    イブラギモーヴァは、2011年にバッハの無伴奏を聴きました。まだ乾いていない漆黒の漆塗りに金箔をはいていくような危ういまでに精緻な美しさに息を呑みました。ハイペリオンのCDではまだそこまで極めきっていなかったという気がします。むしろその音色や演奏スタイルは、ウィグモアホールライブのこのベートーヴェンの方が近いと思います。録音はホール音響のよさが活きていて素晴らしい。

    古楽奏法のノンビブラート的な演奏は、ピュアトーンともいうべきものですが、そこはティベルギアンも存分に共感し協調していて、このベートーヴェンには二人の個の独立と協調という颯爽とした清新さがあります。ライブ録音のせいなのか、本来の楽器バランスがそのままで、少しヴァイオリンが控えめに聞こえますが、決してティベルギアンもぎらついて存在を誇示するようなことはなくて、テーマ、オブリガート、ユニゾンとヴァイオリンと交互に立ち位置を変えていく過程で音色の暖かみと澄んだ音の芯が保たれていきます。

    ファウストは、もともと音楽一家に育ち家族によるクァルテットの一員として出発しています。だからとても室内楽的。そこがイブラギモーヴァや庄司など多くのソロヴァイオリニストと違うところ。協奏曲のソロでも、アゴーギグや音程を微妙に際立たせて目立とういうところがありません。ハルモニアムンディの録音は、ヴァイオリンのバランスが大きくてファウストのそういうところが出にくいのですが、よく耳を傾けるとそういう室内楽的な融合性の強いファウストの姿勢が聞こえてきます。メルニコフのピアノは、クレジットがないので不明ですが、そう古くはないベーゼンドルファのように思えます。ヴァイオリンとの親和性に気を配りながらもよきウィーンの時代を再現しようという意欲満々だという気さえします。

    《今》という視点からすれば、イブラギモーヴァ/ティベルギアン組が、断然、新鮮味の点で上回っていて好みです。

    byベルウッド at2017-09-02 01:16

  3. ベルウッドさん

    今回も、印象だけのテーマ投げ込みに、事実と論理でのレベル上げをして頂きありがとうございます。

    イブラギモヴァの無伴奏バッハはCDでも、十分素晴らしかったと思いますが、その後の更なる深化とライブならではの高みというのが有ったということなのですね。

    彼女の音はまさしく、「危ういまでに精緻な美しさに息を呑む」ことが多いです。そしてティベルギアンは、その危うい繊細さを支える大きな存在だということは、全く同感であります。そこに私は一抹の不安を感じてしまったということかもしれません。一方のファウストはやりたいことをやっているように聴こえながらも、安心感があったのですが、それは育ちということもあったのですね。(そ言う言う意味では、イブラギモーヴァの方が苦労が多かったかもしれませんね)

    この二組、どちらも私にとっては大切な存在で、このまま巨匠・大家と呼ばれるまで、進化し続けて欲しいというのが切なる願いです。

    byパグ太郎 at2017-09-02 05:20

レスを書く

レスを書くにはログインする必要があります
ログインする