パグ太郎
パグ太郎
クラシック中心に聴いています。オーディオは手段と考えてはいるものの、気がつくと手段の魔力に取り付かれてしまうことも多く、日々修行をしております。

マイルーム

パグ太郎の部屋
パグ太郎の部屋
持ち家(戸建) / リビング兼用 / その他 / 16畳~ / 防音あり / スクリーンなし / ~2ch
10数年愛用したアンプが逝ってしまったので、久々の機器更新をしました。
所有製品
  • プリメインアンプ
    OCTAVE V110SE
  • ハードラック
    QUADRASPIRE QAVM
  • RCA/BNCオーディオケーブル
    KIMBER KABLE KS-1020
  • 電源ケーブル
  • 電源ケーブル
    KIMBER KABLE PK-10Gold

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日記

とらえ所のないリストを巡る2つの流派、あるいは「正しさ」の行き着く先について

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2017年11月02日

リストという作曲家は、自分にとっては、掴み所のない人というイメージで、なかなか取上げることが出来ないで来ました。いや、嫌いかというとそうではありません。そうではなくて、この作曲家は色々な顔を持っていて、自分にとって「この人はこういう人だよね」という整理が付けられないので困るというのが正しいかも。

自己愛の塊の様な超絶技巧を見せ付ける曲を「凄いな~」と感心して、その装飾美を楽しんでいれば良い(まあ、ヴァイオリンで言えば、パガニーニさんは、この側面だけで整理しておけば、それで収まってくれます)と思っていると、禅寺の修行僧かというような渋いモノトーンの世界を広げて見せて、うっかりすると警策(あの、肩をペッシッとやる長い板)が飛んできて精神統一を求められそうになる(ブルックナーさんは、いつでもこういう人かな)。

甘い歌声で心を溶かしそうな誘惑もあれば、思いつめたように語る哲学もありますが、何処まで本気で何処までポーズなのと思うところも。なんせ、身重にさせた貴族夫人との不倫逃避行で、愛の誘惑ではなく、哲学を語りだすのですから。表現スタイルにしても、光が充満する水の滴りや重く揺蕩う水面の存在感をリアルに再現する、具象画を描くような作品もあれば、具体的な標題は付いているけれど、それそのものはどこにも見えず、標題によって意識されることや、その雰囲気、考え方だけを抽象画の様に描いたりもします。生きた時代も、幼少期にベートーベンと接点を持ちつつ、晩年には無音調の先駆けまでやってのけられるという、そういう振り幅の大きな時代でもあったのも、その理由の一つかもしれません。

こういう多重人格的存在ですから、色々なピアニストが、多様なスタイルでリストを演じています。一般的にリスト弾きといえば、超然技巧で弾き飛ばすアクロバテッィクな格好の良さ、煌くような具象的表現に長けた演奏家の印象があります(シフラ、ボレット)。これはこれで、何かスポーツでも見ているような爽快感があったりします。更に、最近では、その上に視覚的刺激まで加わることもある様です。(リスト弾きには視覚的刺激が大切? と言わんばかりのユジャ・ワン。但し、彼女のドレスはリストでなくても、いつも同様ですが)
でも、これも、ある意味、伝統に忠実な演奏スタイルなのかもしれません。というのは、リスト自身、演奏中に客席の美人を見つめることが多く、気絶するご夫人が続出したという逸話で元祖アイドルと言われているくらいですから。(1840年代のリストの風刺画、まさに元祖アイドル)

逆に、リストを重要なレパートリーに入れていても、こういうことは絶対にしないだろう(というよりも出来ない?)と思われるのがこの人。

ブレンデルは、その著書や、インタビューの中で、リストは世間から誤解されているということを繰り返し語っています。あんな、テクニックだけの、アイドル気取りのチャラチャラした奴だというイメージは、演奏家と聴衆、つまり世間の誤解であり、本当は深い精神性・内省を有する作曲家で、多くのピアニストはそれを表現しきっていないと。自分はそこに光を当てるのだと。確かに、その通りで、彼のリストは、先ほど申し上げた、宗教家・哲学者・抽象画家の側面を、露にした素晴らしい演奏です。(先日、GRFさんにお越し頂いた時にブレンデルのリストをかけた際に教えていただいた本です)

どうやら、リスト弾きには大別すると二つの流派がありそうです。その違いを、どちらの流儀でも演奏が成立している、『巡礼の年 第1年スイス』の6曲目「オーベルマンの谷」を題材に聴き比べてみました。

技巧派を代表して、巨匠ホロビッツの演奏。

彼の演奏は、どこまでも甘美な回想から入ります。そして、その思い出は、突然、激情の衝突に切り替わり、その後の静かな和解、それに続く愛の歓喜を思い起こしつつ、心が疼くような思い出は閉じられます。どのような感情の起伏があっても、それは極めて技巧的に描かれており、内面的な深刻さは感じられません。「巡礼の年、第1年スイス」は、愛人との逃避行の思い出ですので、この表現は旅行中の二人の一幕の出来事のリアルな回想と思えなくもありません。この印象は同じ流派のボレットやシフラの演奏でも共通のものでした。

では標題の「オーベルマンの谷」は何処にいったのでしょう。オーベルマンとは、当時のベストセラー小説で、懐疑主義・自殺願望と青年オーベルマンの苦悩と旅を書簡集の形式でつづったものです。この小説は社会現象化して、憧れた若者の自殺者が増えたというほどだったそうです。この演奏解釈で言えば、「オーベルマン」のタイトルは、愛の逃避行の思い出に、上流社会で話題となっている高尚な小道具・お飾りとして、この名前を使ってみましたという感じかもしれません。今で言えば、ちょっとお高くとまっている女の子とのデートの車の中に、正統派だが人気のある作家(村上春樹あたり?)の小説をさりげなく置いておくようなもの?

さて、一方の「リストの誤解を解く」と真剣なブレンデルの演奏はどうでしょうか? 先ず、冒頭の回想から違います。苦い思い出、そしてその悩みや孤独の苦しさが下降のアルペジオでの厳しい思いとなって表されます。その激情との和解は、絶望や諦観が根底にある悟りに近いもので、やはり下降が繰り返し強調されます。それに続く歓喜は、その悟りの末に、やっとの思いで見出した微かな救済や解放への望みの発見であり、それを手がかりに生き続けることへの決意や喜びを懸命に奮い立たせている姿の様に感じられます。

ここには、個人的な愛の逃避行へのゴシップ的示唆など一片もありません。「オーベルマン」の苦悩と救済に向けての旅路は、抽象化された音楽として演じられており、ブレンデルの目指す「内政的・哲学的、本当のリスト」を世間の誤解から救い上げることに成功していると思います。この傾向の演奏は、何処までも正統派で立派なアラウも同様ですし、普段は技巧派の印象の強いベルマンも珍しくこの解釈で弾いていますが、この解釈を意識して徹底させている、その深さではブレンデルが一番かもしれません。(先ほど取上げた村上春樹の小説『色彩を持たない・・・・』によると、ブレンデルは「格調があり」「端正な演奏」で、ベルマンは「それよりももう少し耽美的」だと主人公は語っていますが)

作品により全く異なる顔を見せるリスト、彼にどの方向から光を当てるのか、それ自体が演奏者の価値観・生き方を示しているのかもしれません。どのリストが本当のリストかではなく、どのリストを選ぶかで、演奏家、更には聴き手の本質がわかるのかもしれません。オーディオも同じかも。このコミュニティに参加して幾つかのお宅を訪問させて頂くという貴重な体験をさせて頂きました。夫々のお宅でどのような音に仕立てておられるのか、そこから見えて来るその方の好み、もっと言えば、その方の音楽の聴くポイントの方が、どの音が良いか・正しいかを論ずるよりも、私には興味深いのです。

ブレンデルはいみじくも、「リストの作品自体にも大きな質の差があり」演奏家は「価値のあるものとないものとを区別しなければならない」「その選択は主観的なものだ」という主旨のことを言っています。これでは「正しいのは自分だ」といっているようにしか聴こえません。そう考えるよりも、「ブレンデルがどの曲を選択しているか、その選択自体が、ブレンデルの本質と美点を表している」と思った方が自分にはしっくり来ます。

そういうブレンデルにも若い時に録音した超絶技巧練習曲集があります。その中に含まれているかもしれない「正しくないリスト」を、彼がどのように「正しく弾いている」のか聴きたくもあり、聴くのは怖くもあり、ポチッと押す手が止まるのでありました。

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  1. 驚きました、また被りましたね。いま、ブレンデルのこのインタビューによる著書をあと少しで読み終わるところです。
    私にとってリストほど昔と今とイメージが違っていて、好悪が逆転してしまった作曲家はほかにいません。
    以前、ワイマールにリストの終生の棲家を訪ねて改めてこの作曲家・ピアニストへの尊崇が深まりました。
    http://community.phileweb.com/mypage/entry/2408/20160114/50017/

    byベルウッド at2017-11-03 11:44

  2. ベルウッドさん

    レス有難うございます。こう被ると因縁の様なものを感じますね。
    リストは好き嫌いが先鋭化しがちな作曲家ですね。やはり、振れ幅の大きさ、ベルウッドさんの喩えを借用すると、変臉で見るたびに顔が変わる特性が、そうさせているのかもしれません。

    私自身はブレンデルのリストが一番しっくりきますが、同時に彼の民俗的、ジプシー的側面にも惹かれます。今、書いてみたいと思っているのは、そういう伝統が、リストに限らず色々なところに顔を見せている、その面白さについてです。(何時になるかわかりませんが)

    byパグ太郎 at2017-11-03 17:30

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