日記
シューベルトのピアノソナタ、あるいは永遠の『未完成』の魅力について
2017年12月20日
偉大な先人の存在は、どんな世界であっても後に続く人には重いものです。クラシック音楽の歴史でも、ハイドン・モーツァルト・ベートーベンの三人が一つの規範・形を完成させてしまった後、それに続く人達は、その枠組みの中でどうやって独自性をを出していくか、あるいはその枠組みを超えていくかということに四苦八苦して来た、それが19世紀のクラシック作曲家、特にロマン派の作曲家の宿命だったというのはよく言われることです。でも、シューベルトという作曲家は、そういう宿命、「くびき」をものの見事にすり抜けて、自由に独自の世界に飛んで行ってしまった本当の天才だったのではないかと感じることが多いです。
彼の武器は、やはりメロディーメーカーとしての才能で、それを発揮することで、歌曲という先人三人には、それほど荒らされていない未開の地を開拓し、独自の沃野を作り出すことが出来たのが、その自由さの原因ではないでしょうか。他の同時代の作曲家であれば、交響曲一曲作ってしまうような素材を、惜しげもなく数分の歌曲に凝縮して詰め込んでしまうという贅沢さ、そしてその様な歌曲を多産しているという所に、彼の才能の豊かさが端的に現れてるのを感じます。まあ、実際に、歌曲の素材を弦楽四重奏・五重奏、ピアノ曲などの大作に流用してはいるのですが。
では、逆に先人達ががっちり固めてしまった他の分野でも、シューベルトの天才ぶりは発揮されているのでしょうか。例えば、ピアノソナタ。彼の作品は長くて構成力に乏しく、下手に弾くと退屈といわれます。弾く側にとっても聴く側にとっても感情移入が難しい。弾き手と聴き手の感情移入のポイントが一致するとはまりますが、逆に言うと、性格の不一致となる場合も多く、シューベルトのピアノソナタを好きな人と話をすると、シューベルトのソナタは***のピアニストでなければ駄目という限定的な聴き方をしている方が多い様な気がします。モーツァルトにしても、ベートーベンにしても、好きなピアニストは居ても、そこまで限定的な聴き手にはお目にかかったことはありません。そこに、シューベルトならではの特徴・秘密が隠れているのかもしれません。
実際に、自分がよく聴く演奏を並べてみますと、演奏者によって全く違う顔を見せることに驚きます。31歳の死の直前に作曲された3曲のピアノソナタ(19-21番、D958-960)を例にしてみてもそう思います。
先ず、極端な例。アファナシエフ。これは死の直前に書かれたという作曲の背景、シューベルトが偏執的に繰り返し取上げていたという「死」というテーマを究極まで強調しており、一音一音が足を引きずって、ゆっくりと歩むような葬列をイメージさせる演奏です。全体が重苦しく暗い葬送の曲で、演奏者もそこにドップリと身を沈めて、その視点から世界を眺めています。たまにはこういう気分の時もありますが、常に服用すると良くないことが起きそうです。
アファナシエフの「メメント・モリ」がヨーロッパ的死生観の究極の姿だとすると、東洋風の情緒的な寂しさ、孤独感の表出という印象の演奏が、内田光子です。そこに死の観念が入っていたとしても、それは物理的な死でも、絶対的な神との直面のどちらでもなく、この世から寂しく一人消えていく侘しい風情を詠っています。日本人的感性には、これが合うかもしれません。
同じ情緒であっても、もっとロマンティックな憧れの想いを美しいメロディに乗せて歌おうとするのがブレンデルではないでしょうか。ブレンデルはあの外見でも、論文などの書きっぷりでも理屈っぽい印象が強いですが、その音楽は真逆で、歌曲の作家としてのシューベルトの世界観をしっかりと継承して、ピアノソナタに於いても、そのどこを切り取っても歌心があふれている様な演奏をしてくれます。
以上、三人三様ではありますが、いずれも精神的な側面でこの曲を再構築しているのに対し、この緩い建物の構成をしっかり建て直してやろうという演奏がポリーニでしょうか。彼の演奏には、死も孤独も憧れも、適材適所で表現されていますが、その主題のどれかに偏ることはありません。それよりも内部構造を明確にし、古典的枠組みから見ても立派な作品として通るようにすることに力を注ぎ、「ソナタとはこういう建築物なんだ」ということを示すことで作品を成立させています。まさしく王道。
ポリーニが構造物として内側から再構築を行ったのに対し、最近リリースされたツィマーマンの録音は、外壁を強固に美しく塗り固めるアプローチの様な印象を受けます。先ず、一つ一つの音が、硬質で美しい。そのマチエールを愛でているだけでも、この長い作品を聴き通すことができるその手腕には驚かされました。こういうシューベルトもあるのか。
他のアプローチもあると思いますが、きりがないでこの辺りで止めます。ただ、こういう特定の観点から作品を成立させている演奏がある一方で、弾き手が、作品の芯となるテーマや構造物のようなものを作っていないために「なんだか良くわからない」、そういう演奏も多いような気がします。誤解を恐れずに言うと、シューベルトのピアノ・ソナタは作品がそれ自体で自立しておらず、どういう立ち姿になるかは演奏者に委ねられている。素材としての構成要素は天才歌曲作家として素晴らしいものが用意してやったので、最終完成は宜しくと言っている、究極の「未完成」なのかもしれません。これが、構成力に乏しいとか、下手に弾くと退屈という評価や、感情移入の難しさにつながっているのではないでしょうか。そして、どのテーマ、どの手法で完成させるかが弾き手によって全く異なるために、シューベルトのソナタは***さんのピアノでなければ駄目という、奏者と聴き手の限定的組み合わせを作っている原因かもしれません。
さて、お前は誰が良いのかと問われますと、何時もの優柔不断さが出て決めきれず、その日の気分で、選ばせていただいております、というずるい回答になってしまいます。でも、歌好きの自分はブレンデルが多いかもしれませんね。
レス一覧
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パグ太郎さん こんにちは
曲のお話しといい、演奏評といいとても同感です。
ツィメルマンの最新録音は、私も今年のベストCDのひとつとして取り上げたいと思っています。ツィメルマンの演奏は、昨年、水戸で聴いて深い感銘を受けたということもあるのかもしれませんが、皆さんにお薦めしたいですね。
http://community.phileweb.com/mypage/entry/2408/20160113/50008/
D960を「間違いなくシューベルトの最高傑作」というメジューエワさんが「ピアノの名曲」という本でこの曲を詳細に説明しています。その「おすすめの演奏」のなかで、『ロシア人の演奏家はゆっくり弾く』と言っています。ロシア人は歌いたがるからだと。それに対してオーストリア人はリズムが活き活きしているのだと。
ちょうどアファナシエフがロシア人の典型。「歌う」という「たがる」という演奏。しかも単に歌うのではなく、多くを語りがりますね。だから遅い(笑)。ブレンデルがオーストリア人の典型で、もちろん歌っているのですがリズムが生きています。構造、リズム、ハーモニーを重視している。
byベルウッド at2017-12-21 11:02
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(続きです)
ポリーニは、その要素のどれもが完璧にバランスしています。私が初めてこの3曲をCDできちんと聴いたのはポリーニでしたが、ちょっと退屈したというのか、やはり集中力が続かなかったです。平凡に聞こえるんです。突出したものがないので初印象が薄い。でも、この曲にずいぶんと親しんだ今となってはとてもよい演奏だと感じています。細かい描写がとても深く明瞭に弾き込まれていますので繰り返し聴いても飽きがこない。それどころか、何度聴いても小さな発見があります。
個人的には、田部京子さんの演奏もリストに入れてほしいと思います。内田光子さんと東洋的という意味では共通なのかもしれません。大陸的ではなく島国的ということでしょうか。でも内田さんが、やはり芸術至上主義的で「歌いたがる」ところが多過ぎるほどあるのに対して、田部さんはもっと平易で語り口が自然で親しみやすい。庶民的でわかりやすいのですが、それだけにとても人間的な血の通った暖かみがあります。だからといって表面的なわけではない。NHKのドラマ「夏目漱石の妻」で背景に流れたのが田部さんの演奏でしたが、あれほど人間の苦悩とか戸惑いとかを見事に表出した効果音楽はありません。どんなドラマ、物語であってもその音楽のなかにはめ込むことができるというシューベルトの音楽の奥深さ(=「未完成」?)を見事なまでに示していたと思うのです。
byベルウッド at2017-12-21 11:06
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ベルウッドさん 今日は。
同感というお言葉、有難うございます。
「夏目漱石の妻」は音楽どころか、番組の存在すら、全く知りませんでした。検索していたら、こういうのを見つけました。
http://www.nhk.or.jp/drama-blog/5220/255257.html
ご存知かもしれませんが、演出家の以下の文章、いいですね。
『明と暗、安らぎと不安が、繊細な合わせ鏡のようになって進んでゆくこの曲こそ、「夫婦」というものの本質と変遷を見事に表現していると思いました。(中略)
僕には、田部さんの演奏が最もこの曲の繊細にして大胆な表情を余すところなく表現しているように思えます。
それでこのドラマのために今回、田部京子さんに新たに演奏をお願いし、新録音が実現しました。かつての田部さんのCD録音より少しだけテンポを落とした、じっくりと味わい深く弾き込まれた今回の録音、絶品です。』
また聴きたいものが増えました。教えていただき有難うございます。
byパグ太郎 at2017-12-21 18:05
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パグ太郎さん
こんばんは
すいません。レスは自分で削除してしまいました。。。
シューベルトのピアノソナタ、私にとっては語るのがむずかしいのですね。自分が揺れているのがわかるというのが、最大の難点でしょうか。。。
今はケンプ盤を聞いておりますが、キンキンするなんていうレビューも見かけたことありますし、そうかな~と思わなくもないところもあって、でももっとキンキンなダルベルトを昨日は聞いていて、でもこのツンとしたのも、よくよく聞いてみると愛情の表れであるようにも思えてきて。。。などという具合です。解釈の多様性を許してくれる素材としてのこのソナタはおもしろいですよね。
ベルウッドさんが紹介された「夏目漱石の妻」は私も見ていましたし、あのドラマには田部さんのピアノが良かったとは思うのですが、学生のとき「道草」をけっこう念入りに読んだイメージが強くあって、漱石の情念をひしひしと感じた若いときの自分なら、ダルベルトの硬質なピアノを推していただろうな~などと、そんなことも思ったり。。。とまあ、ふらふらしているのですね~。
妙なお気遣いをさせてしまい、申し訳ありませんでした。
byゲオルグ at2017-12-21 23:16
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パグ太郎さん
再レス失礼します。
田部さんのシューベルトについて日記にしたことがあります。リンクするのをうっかりしていました。どうかご笑覧下さい。
⬇︎
http://community.phileweb.com/mypage/entry/2408/20161115/53613/
byベルウッド at2017-12-21 23:34
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ゲオルグさん
すみませんでした。うっかり頂いたレス消してしまったのかと思い、変なメッセージ送ってしまいました。かえってご迷惑をお掛けしました。
シューベルトは聴く側の気分でも、色々な顔を見せてくれるとも思います。そこもまた不思議な魅力ですね。
byパグ太郎 at2017-12-22 00:09
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パグ太郎さん、
こんばんは。
シューベルトについて語れるほどの知識は持っていませんが、21番は原田英代さんのSACDを持っていて、この長いソナタを最後までいいなぁと思いながら楽しく聴くことができます。
手元にブレンデルのもあるのですが、原田さんの方により歌を感じます。
それと原田さんの録音はピアノの音がすごくいいのでこの音を聴いているだけでも幸せで飽きない感じがします。こんな聴き方は邪道なんでしょうけれど…(笑)
録音はベルリンのイエス・キリスト教会で残響も多く、スタインウェイがスタインウェイらしく唄っている(ドビュッシーやラヴェルじゃないのに)のが感じられて…
この音のせいかブレンデルよりも明るい光を感じます。
ツィマーマンが録音したんですね。聴いてみたいです。
最近ほとんど録音してなかったんじゃないですか?
ツィマーマンは私の大好きなピアニストですけれど録音少ないですよね。
e-onkyoのハイレゾ版見たら高いのでビックリしました。HDtracksあたりからRegion Control をかいくぐって手に入れるしかないのでしょうか?
byK&K at2017-12-22 00:41
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K&Kさん
こんばんは。レス有難うございます。
原田さんの音、確かに輝きと、粒の大きさが全然違いますね。飛んでくるようです。録音も一役買っているのでしょうか。
ツィマーマンは最近、録音少ないですね。今回のシューベルトも2年ぶりでしょうか。私は昔ながらのCD一本なので、配信のことは良く判らないのです。CDでもその演奏の良さはそれなりに楽しめるような気もします。
byパグ太郎 at2017-12-22 19:19
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パグ太郎さん、
再レスお許しください。
もし、ピリスの録音をお聴きになってらっしゃいましたら、ご感想をお聞きかせいただきたいのですが…
昔、TVでピリスの公開レッスンを見たことがあるのですが、その時の課題曲が確かシューベルトのソナタでした。19-21番だったかどうかは記憶にないのですが、…
テクニック的にはかなりのレベルの若い生徒たちに対するアドバイスは非常に興味深いものでした。詳細はあまり覚えていないのですが… (^^;)
私自身はピリスのシューベルトは聴いていないので気になっています。
byK&K at2017-12-22 20:03
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K&Kさん
音楽室にグランドピアノがあって、オーディオもプロでいらっしゃるK&Kさんのご下問となると、一愛好家でしかない私は緊張してしまいます。
おまけに、ピリスですか。困りました。自分のルールとして、「否定的なことは書かない、何故なら、それは自分には理解できていないことなのだから」ということがあります。つまり、ピリスは苦手なのです。
音は綺麗なのですが、何故か心に入ってこないのです。それはシューベルトに限らず、評判のモーツアルトでも。綺麗な鈴が軽やかに鳴っているな・・・という気持ちにしかなれないのです。シューベルトのD.960で言えば、3楽章の華やかな展開とかは彼女の美質が上手く出るかもしれません。でも、例えばベルウッドさんにお勧め頂いた田部さんで3楽章を聴くと、華やかさの影にそれだけでないシューベルトの顔を感じられるのです。きっと私と波長が合わずに、ピリスの本当に良いところを私が感受できていないのだと思いますので、そうであればやはり語るべきではないのでしょうね。
byパグ太郎 at2017-12-22 21:36
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パグ太郎さん、
ありがとうございました。
ムリなお願いをして申し訳ありませんでした。
あの…確かにウチにはピアノがありますが、私が弾けるわけではないのです。
オーディオも録音はしますがプロではありません。プロというのはそれで生計を立てている方のことを言うと思いますが、私はそうではないので…
パグ太郎さんの音楽についてのお話はいつも興味深く拝見させていただいています。深すぎて私には理解できないことも多いのですが楽しみにしておりますので、またいろいろ教えてください。
よろしくお願いいたします。
byK&K at2017-12-23 00:26
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K&Kさん
おはようございます。いつもの悪い癖で、逃げ口上と言い訳を並べ立てて、持って回った言い方をしてしまいました。素直に、良く判らないのですと書けばよかったですね。ごめんなさい。
拙宅のピアノの再生、中々満足いかないのです。生音を聴く機会が少ないのも一因かなとも思っておりまして、こちらこそ色々と教えてください。
byパグ太郎 at2017-12-23 08:31
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