パグ太郎
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クラシック中心に聴いています。オーディオは手段と考えてはいるものの、気がつくと手段の魔力に取り付かれてしまうことも多く、日々修行をしております。

マイルーム

パグ太郎の部屋
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持ち家(戸建) / リビング兼用 / その他 / 16畳~ / 防音あり / スクリーンなし / ~2ch
10数年愛用したアンプが逝ってしまったので、久々の機器更新をしました。
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  • プリメインアンプ
    OCTAVE V110SE
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    QUADRASPIRE QAVM
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    KIMBER KABLE KS-1020
  • 電源ケーブル
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    KIMBER KABLE PK-10Gold

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日記

バッハの宗教曲のアリアで感じる歌い手の個性、或いはつまみ食いの楽しさの後ろ暗さについて

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2018年02月10日

バッハの教会カンタータや受難曲、ミサ曲。 一曲通して聴くよりも、有名なアリアやコラールの抜粋選曲集で美味しい所のつまみ聴きすることの方が多いです。オペラと違って神聖なる宗教曲のつまみ食いというのは、一抹の後ろめたさを感じなくは無いのですが、そういう不心得な需要はそれなりに有るようで、色々な歌手がアリア集を録音していて、拙宅にも幾つか並んでいます。

バッハの女声アリアに求められるのは、透明感が高い軽めで、癖の無い伸びやかさというところでしょうか。色気とか迫力、劇的な表現など、普段、オペラや歌曲で求められる要素ではなく、清涼感のある端麗さが必要。が、意外とこれが難しいのです。つまり味のつけようが無く、単にお行儀の良い綺麗な声で終わってしまって、個性や面白みにかける危険が多い気がします。そんなテーマで、お気に入りの歌手の個性を探ってみました。

ヌリア リアル。声や表情付けに、甘さ、可愛さが乗ったリリックな声。こういう声が好きな方には堪らない魅力かと思います。バッハの音楽がポップな印象に変わるから不思議です。

この路線を更に過激に進めると、キャスリーン・バトルとパールマンのこの録音。甘みたっぷりで、口当たりが良くて、装飾過多で、楽しくて、クリスマスケーキのようなバッハ。年に一度であればこういうのも良いですね。

同じヴァイオリン伴奏アリアでも、ハーンとシェーファーとゲルネのこれはどうでしょう。ハーンのヴァイオリンばかりが注目されるこの製作企画ですが、ソプラノ・バリトンの歌手二人が良いのです。特にシェーファーは、前の二人とは真逆で硬質で輝く様な歌声で、繊細なニュアンスを洗練されたスタイルで表現しています。バッハに可愛げなど求めるのは論外!と一喝された気がします。

ここまでストイックでなくても、祈りの場に相応しい、願い、希望、喜び、感謝などなど、こめられた感情をもう少し表に出してみてもいいのではと感じる時もあります。そういう気分の時には、フランス系の演奏に行くか、メゾソプラノのソロに行って見てはどうでしょうか。(いや、何時もこんな聴き方して居るわけではないですが)

甘くもなく、ストイックでもない、典雅な上品さを楽しもうというのであれば、やはりフランス系の演奏です。ガイヤールがピッコロチェロ(5弦の小型のチェロ)を弾き、彼女が率いる古楽奏団 プルチネッラが伴奏しているこのCDは、洗練さと華を兼ね備えたピオーの声も含めて、ドイツのプロテスタント教会から、ロココの香りのするブルボン宮廷の付属教会にでも移ってきたような気持ちにさせてくれます(宗派が違う?)。

歌い手の表現を純粋に楽しみたい時は、やはり、メゾソプラノの表現が自分にはしっくり来ます。またかと言われるかもしれませんが、先ず、コジェナーのこれはいいですね(彼女のユニバーサルデビュー盤、96年当時23歳)。若々しいリリックで伸びやかな声で、宗教音楽としての透き通った美しさを備えながら、メゾソプラノならでは落ち着いた音色も加わっています。
更に6年後に彼女がマクリーシュ指揮のマタイ受難曲で聴かせてくれたのは、より深化した表現で、単に美しいだけではない個性を確立している様に思えます。

もう一人の贔屓のメゾソプラノであるフォン・オッターもあります(2008年、53歳の時の録音)。ここまでベテランになると、感情表現において、やりすぎにならないギリギリの線で止めていて、流石に年季の違いを感じさせます。この人は何をやらせても、本当にお上手。

軽めのメゾソプラノが並びましたが、重めのアルト・コントラルトで、更に切々とした祈りを歌唱に載せる、そういう演奏もならもう一人。
アリア集ではないので、お題から外れるのですが、アルノンクールに重用されていたベルナルダ・フィンクの肌理の詰まった感触の美しい声も捨て難いです。マタイ受難曲のペテロの否認の場で歌われる『憐れみ給え、わが神よ』は、自己の弱さに直面し泣き崩れるペテロの心情が迫るように歌われていたのが忘れられません。

アリア集という最初に決めた枠組みを自ら破ってしまいましたね。そうなれば、もう一つ、外せない方々がいます。カール・リヒター指揮のディースカウやエディット・マティスが独唱の一連の録音です。
マティスの歌声はやはり、華やかさと気品と、そして矛盾するかもしれませんが素朴な安心感があって、色々聞き比べても最後に戻ってきてしまいます。多くの作品に参加していますので、どれか一つ取るのは難しいので、やはり『マタイ受難曲』からソプラノ・アリア3曲を拾ってつまみ聴きをすることになります。まあ、信者ではありませんので、お許し頂くしかありません。

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  1. パグ太郎さん

    バッハのアリア集というアルバムのテーマジャンルは、これはこれでアリだと私も思います。いいですよね。

    そしてバッハの音楽(特に声楽曲)は宗教音楽であっても、…いや宗教音楽だからこそ大衆に浸透した俗曲をうまく取り入れて宗教的心情に導く手法が取られているので当然にポップな一面があるのだと思います。

    バトルとパールマンはいかにもアメリカ人らしいポップ的美質に磨かれていて、まさにクリスマスケーキ的なところがありますが、これがアメリカ人の宗教観であり宗教的日常なのだと思います。50~60年代に盛んに録音されたジョー・スタッフォードやローズマリー・クルーニーなどジャズ/ポップ歌手の賛美歌(HYMN)や、その後の黒人歌手のゴスペルもそうです。そこを見誤るとアメリカ人の強い宗教観を見くびってしまうことになると思います。

    ハーンのアルバムは、ヴァイオリンと人間の声(ボイス)との化学作用の追究なんだと思いますが、やはりそういうアメリカ人の宗教音楽観の延長にあります。ややストイックなタイプのドイツ系の歌手の二人をパートナーとして選ぶことで、より宗教的純粋性が表現されています。

    むしろ、ヨーロッパ人の方が無宗教的で特にフランス人はそうなんだと思います。だからガイヤールは違っていて、アルバムも自分が中心でその味覚もチョコレート的だという気がします。

    byベルウッド at2018-02-11 16:36

  2. コジェナーはいいですよね。私も長く愛聴盤でしたし、オフ会でも得意気にかけることが多かったのです。メゾソプラノの声質の美味しさが古楽アンサンブルの低めのピッチで倍加されてほんとうに癒やされます。GRANDIOSO K1に換えてからちょっとその緩みのなさ過ぎる音質が仇となってその声質が堅めになってしまい最近はちょっと悩んでいます。フォン・オッターは聴いてませんが、やはりヨーロッパ人の宗教音楽にある純粋性・透明感というのが日本人の琴線に触れるのだと思います。その意味では、波多野睦美と寺神戸亮のアルバム「ひとときの音楽」も加えてほしいです。日本人にかかるともはや《バロック音楽》という風にしかとらえておらず無宗教そのもの。

    対照的なのがリヒターで、これはちょっと別格です。

    私が言っているのは旧盤のほうで、そこではイルムガルト・ゼーフリートが歌っています。それはやはりマタイ受難曲全体のドラマと堅く結びついていて、つまみ食いはできないのだと思います。「神よ、憐れみたまえ」は、ペテロの否認を語るエヴァンゲリスト、エルンスト・ヘフリガーの痛切極まりない悔恨の号泣とも言うべき絶唱の感動の頂点で思わず息が止まってしまうその瞬間の直後に歌われ演奏されるアリアだからです。

    旧盤は、1958年の録音で、ようやく戦後復興の目途が立ち心の傷が癒やされつつあった時期だと思いますが、ドイツ国民大衆には戦争の悲惨、ナチズム的狂信、ホロコーストの大罪に向き合っていた時期でしょう。師キリストを否定するはずがないという自分がものの見事に裏切ってしまったという原罪感におののき強い悔恨をドイツ社会そのものが持っていた時期なのだと思います。そういう意味ではリヒターの旧盤は、曲全体のドラマだけではなく歴史的なドラマをも背負っていたという気がしてなりません。

    byベルウッド at2018-02-11 17:03

  3. パグ太郎さん こんばんは。

    社会人だった一時期、宗教曲に手を伸ばしたことがありました。心の平安を求めて、ただひたすらに心地よい、息を呑むほどに美しい音楽を求めて行きついた先がパレストリーナなどのルネッサンス期の合唱曲だったという訳です。
    バッハの著名曲も手に取りましたが、結局ほとんど聴かず仕舞いに終わっています。プロテスタント教会音楽の内省性は、私には苦痛だったのでしょう。(オイオイ慣れない言葉が浮いてるよ;^^
    加えて、仰る“一抹の後ろめたさ”。大曲を聴き通すのはシンドイといって、抜粋版・選曲集では全曲版はいつ聴いてくださるの、そういう聴き方は御心に沿いませんと迫られるような怖さが。(^^♪  いつかは全曲を聴こう、そのときは意味も分かった方がよいよね、ということで「宗教音楽対訳集成」なるものを購入したり。準備はしているのですが、なかなか一歩が踏み出せない。(^^♪

    バトルさんは手持ちしているので、ヌリア・リアルさんをポチッと。
    これでバッハの宗教曲に踏み出せればよいのですが…

    byそねさん at2018-02-11 21:13

  4. ベルウッドさん

    確かに、宗教に対する態度という意味で、アメリカ人はやはりプロテスタントで現実的でもあり、倫理的でもあると考えると、バッハをバトル流・ハーン流に演ずることは両立するのですね。そうやって見るとカソリックのフランス人はバッハとは別世界でも全く意に介さずなのかも。

    そしてリヒターは抜かすわけにも行かず入れましたが、抜粋つまみ食いとは違う別格というのは全く同感です。旧盤の時代性と、ペテロの否認を結びつけて考えたことはありませんでした。そう思ってこの部分を聞くと更に切実ですね。翻って日本は?と思うと「転向」というトラウマから生み出されたものは何だったのでしょう。波多野さんの無宗教性とつなげて考えるべきでは無いでしょうが・・・。

    色々なことを考えさせて頂けたレスでした。有難うございます。

    byパグ太郎 at2018-02-11 22:59

  5. そねさん

    レス、有難うございます。

    ルネサンスの宗教曲、美しくていいですよね。以前取上げましたが、シャルル・ラヴィエ指揮の、ピエール・ド・ラリューのレクイエムは、世俗的雰囲気まで感じさせる美しさで大好きです。バッハはやはり、深刻で身構えてしまいますね。だからこそ摘み食いであったり、日記では書きませんが、コラール前奏曲のピアノ編曲に逃げ込むことになります。どこまで行っても無宗教日本人ですね。

    byパグ太郎 at2018-02-11 23:07

  6. パグ太郎さん、こんばんは。

    先日、お越しの際にヒラリー・ハーンの『Violin & Voice』をご紹介いただきました。早速、中古盤ですが仕入れて聴いています。

    宗教曲に限らずクラシックは長いので、全楽章を通しで聴くこともほぼなく、摘まみ食いが当たり前になっています。PCオーディオだと曲の切り替えが楽なので、益々摘まんでしまうわけですね。

    いずれマタイ受難曲も通しでと思いますが、大曲への誘いという意味で、聴きやすいアリアは歓迎です。

    by横浜のvafan at2018-02-11 23:49

  7. 横浜のvafanさん

    おはようございます。レス有難うございます。あの日、器楽編曲であの曲を聴かせて頂き、ハーン/シェーファーをお勧めしたのですが、帰宅後自分でも聴きたくなり、色々較べている内にこういう記事になりました。

    PCですと益々摘み聞きになるというのはよく分かります。更に同曲異演奏の聴き比べもきっと楽ですよね。配信サービスでも検索した結果を端からなめてしまうなんてこともあります。

    byパグ太郎 at2018-02-12 07:55

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