パグ太郎
パグ太郎
クラシック中心に聴いています。オーディオは手段と考えてはいるものの、気がつくと手段の魔力に取り付かれてしまうことも多く、日々修行をしております。

マイルーム

パグ太郎の部屋
パグ太郎の部屋
持ち家(戸建) / リビング兼用 / その他 / 16畳~ / 防音あり / スクリーンなし / ~2ch
Phileweb登録後1年、気が付くとスピーカー導入していました(2018/6)。所有製品はHRS130ですが、製品DBに登録がないので、一番近いもので代替しています。 10数年愛用したアン…
所有製品
  • スピーカーシステム
    GERMAN PHYSIKS HRS120 Carbon
  • プリメインアンプ
    OCTAVE V110SE
  • ハードラック
    QUADRASPIRE QAVM
  • RCA/BNCオーディオケーブル
    KIMBER KABLE KS-1020
  • 電源ケーブル

レビュー/コメント

レビュー/コメントはありません

カレンダー

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

最新のレス

日記
製品レビュー/コメント

製品レビュー/コメントへのレスはありません

お気に入り製品

お気に入り製品はありません

日記

素材は同じでも結果は正反対?① 『トスカ』を聞きながらヴェルディを想う

このエントリーをはてなブックマークに追加
2018年04月08日

少し前の日記で、ヴェルディのオペラには、イタリアという国の置かれた政治的、外交的状況に対する、強いメッセージを持った作品が多い気がするというお話をしました。今日は、その対極にいると感じることが多い、プッチーニを取上げてみたいと思います。

一つ目の作品は、『トスカ』。
絵描きと歌姫トスカの恋人たちの仲を、横恋慕した悪辣警視総監が引き裂き、恋人の命を奪ってまで歌姫を物にしようとするお話。歌姫の勇猛果敢な逆襲(有名な「トスカの接吻」=ナイフの一刺)に会い、悪漢は、その邪な狙いを果たせず、命を落としますが、死して未だ残っていた姦計に嵌って、恋人二人も命を奪われるというのが粗筋です。ここに政治的意味合いがあるとは到底思えません。といいますか、そういうことを考えなくても、このオペラを堪能することが出来ます。もっと言えば、そういうことを忘れた方が楽しめるかも。
(トスカの接吻のシーン:メトロポリタンの最新演出、主役はS.ヨンチェバ)

しかし、この作品を仮にヴェルディであれば、完璧な歴史劇に仕立て上げていたと思います。例えば、こんな感じでしょうか。

ハプスブルグ帝国の女帝マリア・テレジアの娘、マリア・カロリーナはナポリ王国に嫁ぎ、帝国のイタリア半島支配の要となっています。彼女は、フランス王家に嫁いだ姉マリー・アントワネットを処刑したフランス革命を恐れ憎んでいますが、その革命の申し子といえるナポレオンがイタリア侵攻しようとしているその時、それに呼応してイタリアでの共和制国家樹立を目指す一派の弾圧に彼女は血道を上げて、警視総監に厳命を下しています。
(王妃 マリア・カロリーナ、このオペラの本当の主役)
ここまでは完全に史実ですが、これのヴェルディ風料理になると・・・・

王妃は、美男子の画家カバラドッシに道ならぬ恋をしていて、宮廷画家の地位を餌に政治犯の情報と自分への愛情の両方を手にしようと目論見ます。しかしながら、画家は、これまた王妃の庇護を受けて宮廷歌手となっているトスカへの愛と、政治犯との友情を貫き、王妃を振ります。その腹いせに、王妃が警視総監スカルピアに命じたのが、二人の逮捕と謀殺・・・ヴェルディであれば、お得意の政治社会的立場と個人的恋愛感情がねじれた人間関係に焦点を当てるに違いないというわけです。

プッチーニも特定の月日を指定しているのですが、この惨劇が繰り広げられた日は1800年6月14日、すなわち、イタリアの覇権を巡り、フランス・ナポレオン軍と王妃の実家である神聖ローマ帝国軍がマレンゴで、最後の決戦を行い、ナポレオンが大勝利を収めた日なのです。登場人物の私的な愛憎関係の結末と、大きな歴史劇の勝敗が逆転して展開される皮肉、これもまたアイーダ、トロバトーレなどヴェルディオペラに、繰り返し登場する劇構成です。

個々のシーンを想像しても、トスカと王妃(悪役ですからアルトですね)の二重唱とか、王妃と画家の二重唱とか、ナポレオン軍の勝利の知らせを聞いて王宮になだれ込む群衆の合唱に乗って歌われる王妃・画家・歌姫の三重唱とか。プッチーニのオリジナルには無い、ヴェルディ版空想『トスカ』には、ヴェルディの本領発揮のシーンが沢山作れそうです。

一方、プッチーニは、そういう要素を一切、かき消しています。設定としては、ナポリ王妃は名前だけで登場し、劇進行の背景としての『マレンゴの戦い』の勝敗の知らせも使われてはいますが、その政治的意味合いを、あえて強調せず、さらには、その効果を打ち消すようなことをしています。

例えば、トスカは信心深い女でカソリックの信仰に忠実、王妃にも忠義が篤く、オーストリア軍勝利のための祈りの唄を王妃に捧げる設定ですし、逆に王妃に恋人の助命を求めよとするほど政治音痴。反王政主義者の画家を一方的に賞賛しているかというとそうでもなく、インテリ革新気取りの若者への、保守的な民衆の批判的な気持ちの代弁を、端役の堂守を使って、しっかりと織り込んでいたりします。
(1899年初演時に製作されたポスター。トスカは殺害した悪役の胸に十字架を置きます。これもトスカの性格を中和させる設定の一つ)

つまり、プッチーニはヴェルディであれば複雑な政治劇にしててあげる格好の素材を前にして、その要素を意図的に外すことで、ヴェルディ流の小難しい政治劇は遠景に霞み、二人の恋人の悲劇が際立たせることに、劇作品としても音楽作品としても集中させようとしている、それによってプッチーニならではの素晴らしい作品になっているのだと思います。

この、恋愛悲劇にピッタリな演奏として、聴いているのは、これです。
(カラヤン指揮、主役はリッチャレッリとカレーラス)
トスカはマリア・カラスが一番という意見は承知の上で、あえて、優しく、信心深く、世間知らずの歌姫の悲しくも切ない恋物語を選んでみました。

プッチーニ作品の政治的な中立性は申し上げたとおりです。では、社会生活をリアルに表現するという『ヴェリズモ(真実)オペラ』の代表的存在であるとも言われるプッチーニの社会的メッセージ性について、次回取上げてみたいと思います。お題は『椿姫』と『ボエーム』。

次回の日記→

←前回の日記

レス一覧

  1. こんばんは。

    とにもかくにも、「トスカ」って凄いオペラではないでしょうか?
    何が凄いって、主要登場人物が全部死んでしまう!
    順番に「自殺」「刺殺」「銃殺」「自殺」、、と。
    死に際の派手なことこの上ない。
    おまけに舞台裏からは拷問の叫び声が聞こえてくるわけですから。

    しかし、例えばトスカとスカルピアの駆け引きに流れる音楽のなんと美しいことでしょう。

    こんなに直球で血の気も色気も濃い、且つ美しい音楽を編出すプッチーニはやはり天才!

    ヒロインの行動様式がまるで対極の「蝶々夫人」の作曲もプッチーニ(しかもトスカの次の作品)なのですから。

    byジュン at2018-04-09 20:18

  2. ジュンさん

    レス有り難うございます。

    確かに主要登場人物全員死亡で、そして誰もいなくなったですね。やはり、マリア カロリーナが不在の主役というのは正しいということで、この説頂戴しました! ヴェルディでなくとも、誰もいなくなった舞台で王妃が一人彷徨うという演出もありかもとか、勝手に妄想を広げてしまいました。

    byパグ太郎 at2018-04-09 21:09

  3. パグ太郎さん

    確かにプッチーニのテーマも、かなり強烈な政治的、社会的メッセージを胎んでいますが、ヴェルディのように筋書きを難しくしていませんね。

    あらかじめリブレットを予習したりあらすじを確認したりしなくても、とにかく見れば誰が悪人で誰が善人か、主人公は最後に死ぬとか、あれこれ考えずにわかりやすい。音楽もライトモチーフだとか何だとか小難しいことを抜きにして、情緒たっぷり、扇情的なうえに世界観光旅行なみにとてもエキゾチックです。

    若い頃は、ワーグナーの楽劇以外のオペラは認めようとせず、特に俗っぽいプッチーニは見下していました。ところが今やプッチーニの大ファンです。見れば見るほど、イタリア統一前の複雑な政治的分裂とか、アメリカ人の脳天気であけすけな帝国主義、植民地支配的な本音や対する封建的な日本社会、中国の官僚社会の旧弊や権威主義など突っ込みどころ満載で、演出や演技面でも細やかな面白さに溢れています。対してヴェルディは、構造的というのか構成的です。プッチーニのほうがヴェリズモの伝統を踏まえていますし、そのリアリズム精神は戦後のイタリア映画の面白さにも通じます。

    プッチーニは、面白い。その通りですね。

    ちなみに私は、黒人のレオンティーン・プライスを抜擢したカラヤン盤が好きです。録音は1962年ですから、公民権運動さなかのキング牧師の「I have a dream.」演説よりも1年早いということになります。「黒いトスカ」が警察トップに君臨する白人スカルピアを暗殺する。これほど強烈な政治的トスカがあったでしょうか。

    byベルウッド at2018-04-10 14:38

  4. ベルウッドさん

    レス有難うございます。

    プッチーニとヴェルディは、色々な意味で本当に対照的です。

    今、ストレーレルのインタビュー本を再読しているのですが、ヴェルディの音楽が表現しているのは、登場人物の台詞や歌詞ではなく、その状況であると言っています。

    悲劇的状況下にある恋人たちの会話があったとしても、二人だけの世界を甘い音楽で包み込むのがプッチーニ、悲劇的状況を作り出した社会構造を音楽にして観る物に突きつけるのがヴェルディとなるのは、そういうことかと思いました。ベルウッドさんの「構造的というか構成的」という受け止め方に通じるものがありますね。

    プライスのトスカのお話から、公民権運動と、アフリカ系アメリカ人、そして西欧の声楽の絡み合いを小説にした、リチャード・パワーズの「我らが歌うとき」を思い出しました。こちらも再読してみたくなりました。

    byパグ太郎 at2018-04-11 20:39

レスを書く

レスを書くにはログインする必要があります
ログインする