パグ太郎
パグ太郎
クラシック中心に聴いています。オーディオは手段と考えてはいるものの、気がつくと手段の魔力に取り付かれてしまうことも多く、日々修行をしております。

マイルーム

パグ太郎の部屋
パグ太郎の部屋
持ち家(戸建) / リビング兼用 / その他 / 16畳~ / 防音あり / スクリーンなし / ~2ch
Phileweb登録後1年、気が付くとスピーカー導入していました(2018/6) 10数年愛用したアンプが逝ってしまったので、久々の機器更新をしました(2017/6)。
所有製品
  • スピーカーシステム
    GERMAN PHYSIKS HRS120 Carbon
  • プリメインアンプ
    OCTAVE V110SE
  • ハードラック
    QUADRASPIRE QAVM
  • RCA/BNCオーディオケーブル
    KIMBER KABLE KS-1020
  • 電源ケーブル

レビュー/コメント

レビュー/コメントはありません

カレンダー

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

最新のレス

日記
製品レビュー/コメント

製品レビュー/コメントへのレスはありません

お気に入り製品

お気に入り製品はありません

日記

素材は同じでも結果は正反対?② 椿姫とボエームの近くて遠い関係

このエントリーをはてなブックマークに追加
2018年04月12日

前回は、プッチーニの『トスカ』の素材を、ヴェルディだったらどんなオペラに仕立てるだろうかなどという空想をしながら、この二人の作曲家の政治に関わる態度の違いから見える双方の魅力を書いてみました。今日は、その続きで、この二人が、社会的問題に対してどのような作品を作ったのか、今度は実在する二つの名作『椿姫』と『ボエーム』を題材に考えてみようと思います。この二つの作品、描かれている社会的テーマは殆ど同じなのです。

方や『椿姫』、原題を直訳すると「道を踏み外した女」、つまり娼婦です。話は単純です。地方都市のブルジョア一家の世間知らずの坊々が、花の都に出てきて、高級娼婦に一目惚れ。苦界から救ってやって、愛さえあれば二人の世界は永遠に続くと世を忍ぶ同棲生活を始めます。
しかし、世の中は甘くはなく、跡継ぎ息子が反社会的行為に及んだ実家では、妹の縁談すら破談になるなど、許せる話ではなく、立派な社会常識を持った親父が登場して、金でけりをつけるという非道な話なのです。その非道振りを印象付けたのが、結核で死んでいく主人公の死に際になって、親父と息子が見せる後悔です。後悔して見せた所で、自分たちの社会的立場を危うくする様な実質的な行動が全く伴わずに済むこの反省は、その白々しさを際立たせているようなものです。

ヴェルディは、当時の社会で日常的に繰り返されていた話を、その社会通念に乗ったかたちで、あからさまに描き出しています。 しかし、彼は、この酷い話を当時の価値観に同意して描いているわけでも、どうしようもない現実として客観的立ち位置で冷静に描き出しているわけではなさそうなのです。

というのも、彼自身の個人的状況を見ると、椿姫の二人の主人公そのもののような話が出てくるのです。つまり、素行の良くない歌姫と実質婚の関係になり、故郷から逃れるように世捨て人のような生活を強いられていたというのは、まさしく椿姫の世界です。そして、その実質婚から生まれた娘の存在は、ヴェルディの社会的地位では許されるものではなく、修道院に捨てているのです。当時の社会規範から外れた婚外女子は、運がよければ修道女、多くは娼婦、そして金持ちのスポンサーを見つけられた娼婦の極一部が椿姫のような高級娼婦になるという状況から言って、ヴェルディが他人事としてこれを描くことなど出来たはずがありません。
(椿姫のモデルになったとされるマリ・デュプレシ、彼女も私生児の父を持ち、身売りされ、パリで女工から商店主の愛人、そして貴族の愛人となった人物)

一方の『ボエーム』。貧乏画家とお針子の恋愛物語。不治の病にかかったお針子と、嫉妬心と貧乏ゆえに別れるしかなかっを画家、この二人のひたすら甘い悲恋の音楽劇のどこに、椿姫が登場するのでしょう。

まず、お針子という職業。これは一体、何? 富裕なブルジョアが登場した19世紀後半、それまで貴族の占有物だった、豪華な衣装・装飾品の大量消費・大量生産が始まります。その時に、生まれたのが、このお針子という職業。その供給源は捨てられた私生児の様な社会的に最下層の女性で、お針子から這い上がるためには金持ちの旦那を見つけて愛人になるか(この行為自体が同じ境遇の子供たちの再生産につながるわけですが)、さらにそれを職業にして高級娼婦になるかしかなかったといわれています。

ボエームに登場する、場末の酒場の歌手でもあり、年寄りのブルジョアの愛人として衣食住全てを貢がせつつ、貧乏画家の恋人でもあるムゼッタは、まさしく、お針子ミミと椿姫が同類であることを示す存在なのです。
(音楽の世界でもう一人の有名なお針子は、レ・ミセラブルのフランチーヌ)

プッチーニは、その辺りの隠し切れない裏事情を、そここに顔を覗かさせています。先ず、お針子という職業。 そして、男の部屋に一人で夜分に訪れるという当時の社会通念では、その手の女でなければしないような登場シーン。 目立たないことですが、恋人と知り合って直ぐに物をねだるその行為。 病気になって恋人と別れた後、子爵の「世話になる」ことの意味。

椿姫の場合は、社会の仕組みに組み込まれたブルジョアの息子の世間知らずに関わった場合の悲劇、ボエームの場合は、お針子の「世話」が出来る身分ではない貧乏詩人(を含めた自由な貧乏芸術家、英語でボヘミアン、イタリア語でボエーム)のいい加減さに関わった場合の悲劇で、その見た目は違いますが、描かれている社会的テーマは全く共有なのです。

ただ、ここでもヴェルディとプッチーニは、同じ素材で全く異なる作品を作り出しています。ヴェルディは先ほどご紹介したとおり、自分の個人的事情もあってか、この社会的テーマを赤裸々に、あからさまに描ききっています。社会と個人の軋轢から生まれる感情のほとばしりを、アリア・合唱・オーケストラの総力を使って、これでもかと見せ付けてきます。ミラノを中心に活躍した演出家ストレーレルはヴェルディの特徴を「人物の言葉や台詞を音楽にするのではなく、状況を音楽で表現しようとした」と表現しています。
(ストレーレルの対談集)

一方のプッチーニ、「金が無いなら子爵の世話になる」「病気で末期症状に至って追い出されたので還ってきた」「治る当てもなく、治す金も無い」、そういう現実を全て覆い隠して、あるいは、それを見せながらもそれが、その現実は無いかのように愛の歌で覆い尽くすことに、その才能が使われています。別の言い方をすると、ヴェルディは、政治や社会の力を前にした個人の悲劇を描き出し、プッチーニはそういう外的力を霞ませるほどの愛の光と闇を描き出しています。対象的で本当に面白い。

さて、この二つのオペラの愛聴盤。『椿姫』は、その無条理な悲劇をえぐり出すようなC.クライバーの指揮に圧倒されるこの録音。

主役のコトルバスはもう少し強い女であっても良いかなと思いもありますが、高校生の時から彼女のファン一筋の自分は既に客観的判断は不可能です。

『ボエーム』は、二人の愛の歌を甘く包むとすればカラヤン・フレーニ・パバロッティのこの録音に勝るものは無いかもしれません。
この選択、当たり前すぎて面白くないですね。以前にも書きましたが、実は、クライバーはコトルバスを主役にボエームをグラモフォンで録音しているのです。しかし、指揮者と主役が途中で喧嘩して、お蔵入りとなってしまいました。このテープが日の目を見ることは無いのでしょうか・・・。

次回の日記→

←前回の日記

レス一覧

  1. パク太郎さんこんばんは。

    つい先日このオペラの椿姫をテレオンにてオーディオテクニカのカートリッジ視聴会にてレコードで聴く機会がありました。

    組み合わせの機器が現行機器の最上位B&Wとアキュフェーズの組み合わせでしたので私のシステムとは大違いでしたが、オペラをレコードで聴くのは良かったです。
    第1幕の
    酌み交わそう、喜びの酒杯を…(乾杯の歌)の部分で
    カートリッジによって主演ボーカルが主になったりコーラスの厚みのあるもの、楽団の演奏とのバランスが良い物がありで購入する物が絞れました。
    パク太郎さんがお越しの前までにこのレコードを探して手に入れたいと思います。

    byニッキー at2018-04-13 00:31

  2. パク太郎さん

    椿姫は何回かLDでみましたが殆ど4trテープで聴く方が多かったです。2時間のロングテープで1幕から3幕に折り返し聴いていました。何と言ってもヴィオレッタ役のローレンガーが素晴らしい!最後の一声で涙を誘われてしまいます。
    ボエームはLDで何度観たか数え切れません。LDが消耗して少し傷んでいます(笑)
    劇としてはボエームのほうが好きですね。
    パクさんと同じで私もすっかりコトルバシュフアンです。
    私のLDではロドルフォ役のニール・シコフも素晴らしい!
    マルチェルロ、ムゼッタ役も良いですね。
    さっきもエンディングを観ましたがやはり涙腺を壊されました(笑)
    でも最後のミミの声・眠いわーは観客に聴こえないと思うのですが・・・

    byどんぐり at2018-04-13 10:04

  3. パグ太郎さん

    確かにこのふたつのオペラはとても対称的。座標軸をくるっとひっくり返した第1象限と第4象限のようなもの。でも原点は同じです。

    日本人にとってわかりにくいのは「高級娼婦」と「お針子」というふたつのキーワード。

    その言葉の本当の意味合いです。社会的歴史が異なると翻訳が不可能な言葉というものがいくらでもありますが、それを無理やり置き換えてしまうとものごとが通じにくくなってしまいます。

    『高級娼婦』は、『クルティザンヌ(Courtisane)』。英語でいえば『Courtesan』。

    その原型は、古代ギリシャの『ヘタイラ(高級遊女)』だという。ギリシャ語では「連れ」という意味で、サロンの場に連れていき華を添えるとともに、高邁な議論にも参加してその教養の高さを誇りました。遊女館にはソクラテスも弟子を連れて通ったという。逆に、正妻は、こうした公共の場に出ることが許されず、家庭に縛りつけられ子育てなど家政に専念させられたのです。妾や、お手つきの側女も同じ扱い。むしろヘタイラは正妻と同格で、しかも、社交の場にも同席することができた唯一の女性でした。

    「椿姫」の時代背景にあったのは、ブルジョワ階級のなかでも上層の富裕層の社交界に君臨したそういうクルティザンヌで、そうした女性は貧困層から美貌と知性教養を武器にのし上がった女性たちでした。

    byベルウッド at2018-04-13 10:17

  4. 一方で、『お針子』とは、『グリセット(Grisette)』。19世紀に特有のフランス語で英語にさえも訳することは困難です。「お針子」、“seamstress”ではその意は通じていません。

    もともとはGri(フランス語のグレー)が語源で、お針子さんの制服が安価なグレーの生地だったことから来ていて、そういう制服を着ているお針子という意味だったのですが、やがて、それはパートタイムの娼婦などを指す意味に使用されるようになります。現代で言えば「援助交際」みたいなものでしょうか。オペラで、「私の名前はミミ。でも本当の名前はルチーア」というのは、職業上の通称、つまり源氏名を示唆しています。

    背景には、フランス革命によって貴族支配を打倒し、高らかに自由と平等などの人権を宣言した市民階級ですが、それはやがて資産階級と労働者階級に分化し新たな階級社会を生みその格差と対立は深刻になっていきます。一方で女性を家庭に縛り付ける封建的な思想は根強く継続していくのです。そういう社会のなかで、富めるものは華やかな社交界で贅を尽くし教養文化も性愛をもカネであがない、貧者は自由を謳歌しながらも歓楽街で一時の憂さを晴らし小銭でささやかな性愛の時間を買うのです。

    ヴェルディは、ブルジョア階級のなかでも洗練された都市商工ブルジョアと地方の無教養で朴訥な地主階級とを対比させるなど、より社会分析的なリアリズムを構成のなかに取り入れていますが、プッチーニは自由奔放な生活を謳歌しながらもその場限りの刹那に活きる若者たちが真の友情や純愛に目覚めていくという共感を呼びやすいエピソードやセリフをちりばめていきます。同じ19世紀半ばのパリの世相と風俗を背景にしながら、あらゆる点で対称的です。

    でも、どちらのオペラも今でも大人気で人々の胸を打ち続けるのは、束縛を振りほどいて自由恋愛を貫くというそういう主人公の純粋な生き方に人々があこがれ続けているからなのでしょうね。

    コトルバスとクライバーの「椿姫」、フレーニとカラヤンの「ラ・ボエーム」。ともに私も愛聴しています。というか、オペラ貧者の私は全曲盤CDはそれしか持っていません(笑)。

    byベルウッド at2018-04-13 10:22

  5. ニッキーさん

    レス有難うございます。
    カートリッジによって、ソロ、コーラス、オーケストラのバランスが変わるのですね。やはり奥が深いですね。お聴きになった録音は誰のものだったのか空想して楽しみにしています。ニッキーさんは、最近はアナログに邁進ですか?

    byパグ太郎 at2018-04-14 04:26

  6. どんぐりさん

    レス有難うございます。ローレンガーの椿姫は未聴です。聴いて見ます。コトルバシュファンの方はそう多くないの嬉しいです!

    >でも最後のミミの声・眠いわーは観客に聴こえないと思うのですが・

    取り上げたストレーレルの本に、こういう部分がありました

    ヴェルディのマクベスのト書き指示に「小声で話し、場面は出来るだけ静かに演じられる。押し殺した、か弱い、震えるような声で」とある。こういう指示はオペラ界に君臨する大歌手には今でも理解しがたいものだ。彼らはひたすら、自分の歌に聞かせどころを作るのに腐心するばかりで、こういう演出の部分に踏み込んだ指示に従う気は毛頭ない。

    こういう昔ながらの状況無視の歌い上げることに燃え上がるタイプも嫌いではないですが、コトルバシュは真逆の繊細な表現で、本当に素晴らしかったですね。

    byパグ太郎 at2018-04-14 04:51

  7. ベルウッドさん

    高級娼婦とお針子の解説有難うございます。マリ デュプレシも、お針子→ブルジョワの愛人→貴族の愛人という路を歩んだ人でした。この状況をどう取り上げるかで、作者の資質が透けて見えると言えるのかもしれません。例えば、この話は「こうもり」にも見え隠れしますが、笑い話にネタにしかなっていないとか。

    byパグ太郎 at2018-04-14 05:08

レスを書く

レスを書くにはログインする必要があります
ログインする