パグ太郎
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クラシック中心に聴いています。オーディオは手段と考えてはいるものの、気がつくと手段の魔力に取り付かれてしまうことも多く、日々修行をしております。

マイルーム

パグ太郎の部屋
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持ち家(戸建) / リビング兼用 / その他 / 16畳~ / 防音あり / スクリーンなし / ~2ch
Phileweb登録後1年、気が付くとスピーカー導入していました(2018/6) 10数年愛用したアンプが逝ってしまったので、久々の機器更新をしました(2017/6)。
所有製品
  • スピーカーシステム
    GERMAN PHYSIKS HRS120 Carbon
  • プリメインアンプ
    OCTAVE V110SE
  • ハードラック
    QUADRASPIRE QAVM
  • RCA/BNCオーディオケーブル
    KIMBER KABLE KS-1020
  • 電源ケーブル

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日記

プロコフィエフの魅力、不思議の国で迷っても、行き着く先には行き着けるというお話

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2018年04月30日

最近、プロコフィエフという作曲家に嵌っています。あの、小学校の音楽の時間に聴いた『ピーターと狼』(今でもこれは教科書にのっているのでしょうか?)の作曲者です。数年前にソフトバンクの携帯の広告で『ロミオとジュリエット』の一部が使われたので、そちらの方が有名かも。
(ディズニー映画にもなった『ピーターと狼』

この作曲家、1891年生まれで亡くなったのが1953年。同じ帝政ロシア生まれで、第二次大戦後まで生きた著名な作曲家としては、ストラビンスキーより11歳若く、ショスタコービッチよりも15歳年上。年代的には、十分に「現代音楽」。

ただ聴いてみると、美しい旋律にあふれており、自然に体が動くようなリズムで親しみやすく、何を描写しているか手に取るようにわかります。広告やドラマに多用されるはずです。でも、あの同世代の「現代音楽」の作曲家の中で、これでポジションが取れるのか?、なんて余計な心配をしてしまいそう。

その中でも、ここ数週間のヘビーローテーションとなっているのが、1935年作曲のヴァイオリン協奏曲2番。その第2楽章で、情緒的な旋律で歌い上げる独奏バイオリンは、メンデルスゾーン(1844年)・ブラームス(1878年)・チャイコフスキー(1878年)のヴァイオリン協奏曲にも負けていないロマンティックな美しさです。

でも、その一方で、彼の作品には、それだけではない斬新さ、大胆さが、そこここに顔を覗かせます。意外な和音の展開、そしてリズムの突然の切り替えは、決して難解になったとか、複雑になったとは思わせないのですが、素直には流れていかない独特の変調・場面展開が、作曲家固有の筆跡のように曲に記されているのです。

その筆跡・タッチに耳が慣れた頃に、その先に、より強烈なリズムによる凶暴性、鋭い不協和音による世界を引き裂くエネルギーの噴出が突然、現れたりします。そして、さらに彼の語り口に親しんでしまうと、御伽噺・童話につけられた親しみやすい音楽と思っていた部分にも、深層心理の深淵であったり、世界調和の崩壊の予兆が潜んでいることに嫌でも気づくことになります。やはり、50年・100年前の作曲家にはない現代性なのかもしれません。

先ほどのヴァイオリン協奏曲の例でも、美しい旋律に身を委ねていると、いつの間にか、不穏なリズムと変調に取り込まれていることに気がついたり、その悪夢から醒めると、また明るく美しい世界に戻されているという、まるで「不思議の国のアリス」のような体験を味わうことになります。そう言えば、あの物語が単純な子供向け童話の顔をしていながら、哲学的思想を裏に仕込んだでものであるという点でも似ているような気がします。
(童話の顔をしていても、異次元を垣間見せるアリス)

先日の、Orisukeさんの日記に、「冷徹さ、屈折性、子供のような無邪気さが同居している」プロコフィエフの演奏は「作曲家そのもののイメージ」という表現がありました。まさしく、自分が感じていたことをストレートに言い表されていると感じた次第です。

さて、今日、取上げたプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番。美しい旋律とリズムに光をあてて、楽しく素直な物語として演奏する、その形も魅力的です。逆に、物語の裏に隠れた屈折した冷たい世界を垣間みせることでビターな大人の味に仕立てる演奏も、それはそれで楽しめます。また、とことん冷徹で厳しい顔を見せつける現代性を強調した演奏も有るかもしれません。

聴いていて、ひたすら楽しいのは、これです。
プロコフィエフの娯楽性、楽天的な側面が前面に出ていて、ギル・シャハムというヴァイオリニストの甘さ、エンタテイナーとしての特質が、いい形で活かされています。そして、ロンドン交響楽団を指揮するアンドレ・プレビンがプロコフィエフのオーケストレーションの巧みさを最大限に引き出す好サポート。

一方、対照的な演奏がこれ。
ムローヴァらしい硬質な音色で、プロコフィエフの現代的な側面をしっかりと見せつつ、美しい旋律で聞かせるところは限りなく優美。更に、カップリングされた無伴奏のソナタ、2台のヴァイオリンのためのソナタは、プロコフィエフの冷たく、屈折した姿をストレートに表現する名演奏です。

両方の側面をバランスを取って示してくれるのはこの録音。
ミンツの流麗な美音も魅力的なのですが、それ以上に、収録当時50歳になったばかりのアバドが率いるシカゴ・シンフォニーのダイナミックな伴奏は、雄弁にプロコフィエフの世界観を表現しきっています。

逆に、バイオリン独奏者の存在感が前面に出て、プロコフィエフの二つの顔を描ききった好演奏が、この曲の最新録音のこれ。
バティアシビリの若さに任せた(?)大胆さは痛快、ネゼ=セガン指揮のヨーロッパ室内管弦楽団は彼女にひたす追随すしています。ちょっとやりすぎという声があるのも理解できますが、これはこれで、プロコフィエフの魅力を存分に味合わせてくれます。

どの演奏も個性的。そしてどれもプロコフィエフらしい。というのもプロコフィエフは明確に有るべき姿、目的地を示しておらず、演奏者にそれを委ねている様な気がしてなりません。

ストラヴィンスキーの様な時代を切り拓いて行く過激な前衛性もなければ、ショスタコーヴィッチのようなとことん重い社会的メッセージ性も感じさせることもない。でも、時に流れとともに、前衛性は次第にスタンダードになり、社会的メッセージは切実度を薄まっていきます。その一方で、彼の一見親しみやすい仮面の下に隠された複雑な味わいは、次第にその魅力が輝きを増し、それにつれて様々な音楽家を引き寄せ、これからも色々な解釈の演奏が出てくるような予感がします。

何故なら、アリスのシチャ猫の言うとおり「行き先が決まっていないのであれば、どの路を辿っても目的地に着くことができる」のですから。

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  1. パグ太郎さん、

    >プロコフィエフは明確に有るべき姿、目的地を示しておらず、演奏者にそれを委ねている様な…

    >「行き先が決まっていないのであれば、どの路を辿っても目的地に着くことができる」のですから

    >不思議の国で迷っても、行き着く先には行き着ける

    不思議なプロコフィエフの魅力についてのユニークで楽しい分析に思わずほおが緩んでしまいました。

    プロコフィエフ、私も結構好きです。
    メロディーメーカーとしての一面と後期の現代的な作品という点では少しずれてはいますがともに時代の転換点を生きたラフマニノフとの共通点を感じます。

    でも難しい作品も多いですし、あまり多くを知りません。私が聴くのはシンデレラとかロメオとジュリエット、ちょっと変わったところではキージェ中尉などの等の耳なじみの良いものに限られます。
    (^^;)

    ご紹介いただいた音源のバティアシビリは編曲もバックもひたすら彼女に奉仕するという感じですが、楽しく聴いています。(笑)


    ご紹介をきっかけにして少しづつ間口を広げていければと思っています。

    byK&K at2018-05-01 23:31

  2. K&Kさん おはようございます。レス有り難うございます。

    先日の相互オフ会でババヤンやバティアシヴィリをご紹介した辺りから、プロコフィエフが気になりだして、色々と聴いていたのですが、この魅力はなんなんだろうと悶々としていました。

    そこにorisukeさんの何時もながらの切れ味鋭い一言があって、成る程と納得した所でした。アリスや猫は、それを膨らませる為の何時もの言葉のお遊びです。

    byパグ太郎 at2018-05-02 09:09

  3. パグ太郎さん

    プロコフィエフは、確かに小学校時代に習い覚えた作曲家ですね。ひとつは「ピーターと狼」、もうひとつは「三つのオレンジへの恋」から「行進曲」、こちらはラジオ番組のオープニングテーマでした。どちらも音楽としてはとてもポップですね。

    その後、私にとってプロコフィエフは第二波、第三波というように何度もブームが訪れます。その度に、ポップからよりシリアスな方向へと徐々に変貌していきます。

    しかもその度に何かしら付随的な余波を伴うのがプロコフィエフ。その点で大きかったのは30年前にシカゴで観たアメリカン・バレエ・シアター(ABT)による「ロミオとジュリエット」。これで大の男が観るには恥ずかしすぎる少女趣味と嫌っていたバレエというものにすっかり目覚めてしまいました。

    昨年にチューリッヒで観た「炎の天使」で何度目かのブームが訪れました。ヴァイオリン協奏曲はまだブームにはなっていませんが時間の問題のようですね(笑)。

    そういうポップな側面とシリアスな側面に一貫して共通するのは、プロコフィエフの持つ天才的なモダニズムへの閃きと自負なのではないかと思います。「前衛」ではなく、没落貴族の放蕩にも似た消費的な洗練と先鋭的な美意識、エンタテインメントに彩られた矛盾に満ちたワンダーランドともいうべきモダニズムなんだと思ってしまうのです。

    byベルウッド at2018-05-02 18:12

  4. ベルウッドさん

    今晩は。レス有難うございます。

    >チューリッヒで観た「炎の天使」

    昨年の日記拝見して、炎の天使トライしようと思ったままになっていたのを、思い出しました。

    >没落貴族の放蕩にも似た消費的な洗練と先鋭的な美意識、エンタテインメントに彩られた矛盾に満ちたワンダーランドともいうべきモダニズム

    プロコフィエフの魅力は、語る人毎に表現が異なりますが、本質的に言っていることは共通のような・・・・。その表現の差が、また面白いですね。これはストラヴィンスキーにも、ショスタコーヴッチにもない現象かもしれませんね。

    byパグ太郎 at2018-05-02 19:53

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