パグ太郎
パグ太郎
クラシック中心に聴いています。オーディオは手段と考えてはいるものの、気がつくと手段の魔力に取り付かれてしまうことも多く、日々修行をしております。

マイルーム

パグ太郎の部屋
パグ太郎の部屋
持ち家(戸建) / リビング兼用 / その他 / 16畳~ / 防音あり / スクリーンなし / ~2ch
Phileweb登録後1年、気が付くとスピーカー導入していました(2018/6) 10数年愛用したアンプが逝ってしまったので、久々の機器更新をしました(2017/6)。
所有製品
  • スピーカーシステム
    GERMAN PHYSIKS HRS120 Carbon
  • プリメインアンプ
    OCTAVE V110SE
  • ハードラック
    QUADRASPIRE QAVM
  • RCA/BNCオーディオケーブル
    KIMBER KABLE KS-1020
  • 電源ケーブル

レビュー/コメント

レビュー/コメントはありません

カレンダー

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

最新のレス

お気に入り製品

お気に入り製品はありません

日記

グールドのハイドンの魅力、或いは、音楽家の個性を巡る答のない問いについて

このエントリーをはてなブックマークに追加
2018年06月30日

グールドの演奏したハイドンのこの演奏が、時々、聴きたくなります。


何故これほど魅力的で、周期的に聴きたくなるのか、その秘密を解き明かそうと、いつも思うのですが、中々上手くいきません。何故だか判らないが良いのです。まあ、音楽は理屈ではなく、良いものは良い、それで十分だと仰る方が多いのも承知しております。そうかもしれません。でも、それではこの日記は終わってしまいます。別に日記を書くために音楽聴いているわけではありませから、「いいな~!」で終わっても良いのです。それでも、その「上手くいかない」所に、あえて踏み込みたくなるのが悪い癖。

悪い癖だとは思うのですが、音楽を聴く時に、自分が何に反応して、それをどのように聴きたいのかということに、常に意識を向けていたいのです。その「何故だか判らないけど良い」という感覚を成り立たせているポイントを明確に意識することで、そのポイントを、より鮮明に、より良く再現できる様にしたいという想いもあります。それはオーディオ的関心。もう一つは、そのポイントを意識しなければ、同じ様な特徴が他の曲・演奏に表れた場合でも、漫然と聴き過ごしてしまって退屈な音楽のままになってしまう。逆に、意識できる様になった途端に、そのポイントを聴き分けて楽しむことが出来て、退屈な音楽、つまらない演奏だと思っていたものが、そうではなくなる、その気づきの瞬間は本当に刺激的です。

でも、ハイドンの魅力というのは、一体、何なのでしょう。モーツァルトのような天上的な美しさとか楽しさもないし、ベートーヴェンのような高揚感とか悲壮感といった感情に強く訴えてくることもない、バッハのような緻密な構成美と感性の絶妙なバランスということを感じることもなく、ヘンデルのような豪華絢爛な祝祭でもない、ラモーのような個人的な安らぎとか癒しでもない・・・・。よく言われることかもしれませんが、ハイドンには突出した特長、ここが聴かせどころという所がないのです。さらさらと抵抗無く中庸の音楽が心地よく流れていく。中でもピアノ・ソナタはそういう曲です。(上に挙げた作曲家のピアノ曲には「ここ」という判りやすい聴かせどころがありますが、ハイドンにそれは・・・・、無い)。

そう考えてみると、グールドにとってハイドンは自分の個性を投影するのにピッタリの、作曲家の余計な色・模様の入っていない真っ白いカンバスみたいなものなのかもしれません。つまり聴き手はハイドンを楽しんでいるというよりもグールドを聴いている。なるほど、これまで出会った、この演奏が好きという人は皆、筋金入りのグールドマニアです。そして、グールドのバッハもいいけれど、一番はコレとまで言い切るのです。彼らはハイドンの音楽が良いと言っているのではなく、グールドを聴くのに最適な曲だと感じているだけなのかも知れません。

そういえば、もう一つ例がありました。ハイドンのピアノ・ソナタでもう一つの愛聴盤がこれです。
ポゴレリッチも、自身の世界を表現することが主目的で、楽曲をそのための手段にしてしまうタイプの演奏家の代表格です。ポゴレリッチもハイドンを白いキャンバスにして、自分の世界を描いています。ただ、二人とも自由奔放でやりたい放題かというと、そうではありません。きっちりと「さらさらと抵抗無く中庸の音楽が心地よく流れていく」ハイドンはそこに居るのです。

何となく判ってきた気がします。ハイドンのピアノ・ソナタは、個性の弱い演奏家では、単なる中庸の音楽になってしまう。逆に自分の個性と、楽曲の個性のせめぎ合いで音楽を作っていくタイプの演奏家にとっては、ハイドンは相手として物足りないかもしれません。例えば、アルゲリッチが弾くハイドンのソナタ・・・・なんて想像できません。パパ・ハイドンがなぎ倒されてしまいそうで怖い(怖いけど聴いてみたい気もします)。その反対側に、ハイドンという枠組みの中で、自己の個性を自立的に投影できるピアニストとして、グールドがいて、ポゴレリッチがいる。自分は、その姿を聴くのが楽しいようです。

でも、それだけでは答えになっていません。白いキャンバスの上に描き出されたグールドやポゴレリッチの、楽曲に頼らない、彼ら自身の個性の魅力とはなにか・・・? ということが気になってきました。これまた難しい。どこまで行ってもきりが無い、堂々巡りで、答えにたどり着きませんね。

が、もう一人、最近、ハイドンのピアノ・ソナタの全曲録音を開始したピアニストがいます。
ポール・ルイス。これが良いのです。そして、ハイドンの他の例の如く、「なんだか判らないけれど良いな~」なのです。彼の全集が完結する頃までには、この堂々巡りの答えが見つかると良いな~で、本日の日記は締めさせていただきます。

次回の日記→

←前回の日記

レス一覧

  1. パグ太郎さん

    こんばんは。論旨が分かりやすくて、とても共感します。
    ハイドンは、他のジャンルはともかく、ピアノソナタやアンダンテと変奏曲などのピアノ曲は、個人的、内省的と感じます。

    私が好んで聴くのは、ブーニンの23番です。
    ブーニンが派手な一発屋ではなかったことが分かる内省的な演奏と思います。

    今夜の就寝前は、グールドのハイドンにします。

    byみゅーふぁん at2018-06-30 02:34

  2. パグ太郎さん、おはようございます。

    ハイドン、あまり派手な印象はありませんが、いったん良さに気づくと嵌りそうな予感があります。専らチェロ協奏曲を聴いていますが、昨夏、訪問先でグールドのピアノソナタを聴いて、扉が開かれたような感覚がありました。拙宅にはグールドの早弾きのモーツァルトがありますが、持つべきはハイドンなんでしょうね。

    by横浜のvafan at2018-06-30 05:30

  3. おはようございます!

    ムムム。。。またしてもネタがかぶってしまいました。。。ご紹介のポール・ルイスともう一人アン=マリー・マクダーモットの新譜がハイドンのピアノソナタで、原稿をまとめようとしていたさなかでした。

    パグ太郎さんがおっしゃる「きっちりと『さらさらと抵抗無く中庸の音楽が心地よく流れていく』ハイドンはそこに居る」というのは、その通りですし、アルゲリッチが弾かないのも、それはやっぱりハイドンのピアノ曲は弾く人を選ぶというか、個性の発揮の仕方が限定されている気はします。そしてその中でもより中庸寄りで魅力を発揮しているポール・ルイス(そしてアン=マリー・マクダーモット)に私もとても関心があります。

    わかりにくいけれどもハイドンには意外にくせがあって、むしろバッハよりも、もしかしたら開かれていないのかも。。。とちょっと逆に考えてみたくなりました。

    byゲオルグ at2018-06-30 07:46

  4. パグ太郎さん、こんにちは。

    >例えば、アルゲリッチが弾くハイドンのソナタ・・・・なんて想像できません。

    これはちょっと聴いてみたいですね(笑)
    ファジル・サイの録音が好きなのですが、もしかしたらそれがアルゲリッチに近いかもしれません。

    by眠り猫 at2018-06-30 10:53

  5. みゅーふぁんさん

    早々のレス有り難うございます。

    >論旨がわかりやすく

    お褒め頂き恐縮ですが、私の日記はどうにも理屈っぽくていけませんね。ハイドンは昔から分かりやすいのに分からない作曲家で、流して聴いているぶんには良いのですが、気になって集中して聞く出すとつかみどころがない、そういう存在です。

    ブーニンですか。彼のハイドン聴いたことないです。案外面白いかもしれませんね。今度、試してみます。

    byパグ太郎 at2018-06-30 11:08

  6. 横浜のvafanさん

    レス有り難うございます。
    グールドのハイドンで、ハイドン開けるって凄いですね。でも注意しないと、彼以外の演奏はどれも面白く感じられなくなると言っていた人がいました。確かにそれだけの魅力です。

    byパグ太郎 at2018-06-30 11:13

  7. ゲオルグさん

    かぶるの大歓迎です!
    私なんか、いつも何処かでかぶって居ます。そのシンクロもまた楽しいです。(どこに何のレスを書いたか分からなくなるのが難点ですが)

    マクダーモットは未聴です。ご感想、評価楽しみにしています。ハイドンは何かしら、取り残された感じで、応援したくなってしまうのですが、いざ言葉にしようとすると、難しいですよね。

    byパグ太郎 at2018-06-30 11:30

  8. 眠り猫さん

    サイのハイドンのソナタ、全く見落としていました。というより、この二つの名前が結びつきません。でも、アルゲリッチ並みに怖いけど聞いてみたいですね。情報有り難うございます!

    byパグ太郎 at2018-06-30 11:37

  9. パグ太郎さん

    アルゲリッチには、ソナタではありませんが、協奏曲の素敵な演奏があります。

    アルゲリッチは、純然たるソロとして自己完結的に古典派の曲を構成することが感覚的にも精神的にも苦手なのだと思います。バッハはロマンチックバッハとして感情の起伏で演奏可能だったのでしょうが、ロマンチックハイドンというのは成り立たない。そうすると自己完結的にハイドンのピアノソナタを貫徹するよすがが彼女には見いだせなかったということであって、音楽的な相性ではないと思うのです。そのことを、ある種、室内楽的、デュエット的でもある協奏曲の素晴らしい演奏が示しています。

    個人的には、ブレンデルを忘れないでほしいと思っています。

    ブレンデルがいかに優れたピアニストであるかということも、ハイドンのピアノソナタがどんなに面白いのかということも、いずれもブレンデルのハイドンに触れて再発見しました。

    ブレンデルは、とても正統でなおかつハイドンを尊敬しよく研究していると思います。その分、教科書的な演奏だととらえられてしまうかもしれません。でも実に内容のある演奏だと思います。今、熱戦中のワールドカップサッカーに例えれば「おっさんジャパン」というところでしょうか。応援するほうも「おっさん」ということですね(笑)。

    ポゴレリッチは、アルゲリッチと同じような精神的な問題を抱えていますが、あくまでも孤高、孤独な演奏家。その代わりに自己完結のよすがを因数分解に求めているように感じます。全体を構成するというよりは、パーツを極めていってそれをパズルのように組み合わせる世界は独特の美意識です。ハイドンがまるでスカルラッティのように響きます。その代わりに古典的な様式美や、人間の感情や個人信条を盛り付ける器としてのソナタ形式は浮かび上がってきません。そういう指先感覚のピアニズムでハイドンを弾くというタイプのピアニストもグールドを始めとしてひとつの類型として少なくないようです。

    アルゲリッチは、自分がけっしてヴィルトゥオーソではないと強調していたそうですが、ブレンデルもやはり同じようなことを言っています。その共通した意識が、ふたりのハイドンには内在していると思うのです。

    byベルウッド at2018-07-02 00:39

  10. ベルウッドさん

    レス有り難うございます。ご指摘のポイントは、実は関心事項のど真ん中のテーマに深く関わっていて、今回の文脈では深く語ることが難しいと感じて回避してしまいました。

    ひとつはアルゲリッチ。室内楽、連弾を含めた複数ピアノに活動の中心を移した理由や楽曲選択との関係、更には楽曲と彼女の音楽との関係は?

    もう一つはブレンデルのロマンティシズムの魅力。

    この二つは重なり合うテーマでもあり、例えば、ロマンティックなハイドンとはブレンデルのハイドンだと感じており、アルゲリッチがこういう路線を採らないのは何故とか。

    上記の問題意識はハイドンに限らない話で、自分にとっては昔からあれこれ考えていてまとまっていないのです。文章に出来るのは何時になるやらです。

    byパグ太郎 at2018-07-02 09:02

レスを書く

レスを書くにはログインする必要があります
ログインする