パグ太郎
パグ太郎
クラシック中心に聴いています。オーディオは手段と考えてはいるものの、気がつくと手段の魔力に取り付かれてしまうことも多く、日々修行をしております。

マイルーム

パグ太郎の部屋
パグ太郎の部屋
持ち家(戸建) / リビング兼用 / その他 / 16畳~ / 防音あり / スクリーンなし / ~2ch
Phileweb登録後1年、気が付くとスピーカー導入していました(2018/6) 10数年愛用したアンプが逝ってしまったので、久々の機器更新をしました(2017/6)。
所有製品
  • スピーカーシステム
    GERMAN PHYSIKS HRS120 Carbon
  • プリメインアンプ
    OCTAVE V110SE
  • ハードラック
    QUADRASPIRE QAVM
  • RCA/BNCオーディオケーブル
    KIMBER KABLE KS-1020
  • 電源ケーブル

レビュー/コメント

レビュー/コメントはありません

カレンダー

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

最新のレス

日記
製品レビュー/コメント

製品レビュー/コメントへのレスはありません

お気に入り製品

お気に入り製品はありません

日記

ファウストのベートーヴェン ヴァイオリンソナタの魅力、ついでに「聴こえていたもの」と「聴こえていなかったもの」の狭間について

このエントリーをはてなブックマークに追加
2018年07月06日

今日のテーマはベートーヴェンのヴァイオリンとピアノのためのソナタ。名曲ぞろいの10曲です。名前の通っている5番(春)、そして9番(クロイツェル)、この2曲を、やはり手に取りたくなります。最近、聴く機会が多いのは、ファウストとメルニコフのこの全集から。


ファウストについては、これまでモーツアルトの協奏曲、バッハの無伴奏、シューベルトの幻想曲など、所々で取上げてきました。新鮮な驚きをもたらしてくれる、それと同時に心にしっくりと来る、その二つを両立させることは中々難しいのです。その難関を越えているという点で見ると、現役ヴァイオリニストの中では彼女が一番のように自分には感じられます。

5番は、情緒的な旋律美の部分であっても、躍動的で踊りだしたくなる部分であっても、全曲を通して爽やかな多幸感にあふれた楽曲で、まさしくあだ名の通りの「春」のイメージです。この曲には、往年の大家の、ビブラートたっぷりの美音と、情緒過剰なくらいに歌い上げるスタイルが良く似合います。シュナイダーハンとケンプ、フランチェスカッティとカザトッシュ、グルュミオーとハスキル、個性はありますが、どれも、どこまでも甘く美しい絃の音に惑わされて夢見心地になるような演奏です。


こういう演奏に慣れた耳で、ファウスト・メルニコフを聴くと、その違いに驚かされます。この音楽を、聴いて静けさを感じるのです。「春」というニックネームに乗じて言い表してみましょう。大家の演奏に共通して感じられる、萌え立つような緑の輝き、爽やかで暖かい風、抑えていても抑えきれない心の動きとは違うのです。もっと季節は冬が残っていて吹いている風も未だ冷たいそういう空気です。その中で、目を凝らし、耳を澄まして、小さな季節の変化をとらえた時の、静かな幸福感、それを大切に掬い上げているような演奏です。決して小さくまとまっているわけではありません。その季節の変化は、自然の大きな変化の予兆として現れていて、それが弾けた時の中に現れる大きなエネルギー、大いなる喜びを内に秘めていることが、不思議なことに表現されている気がするのです。

やはり、飾り気をそぎ落としたような、神経を研ぎ澄ましたようなファウストのヴァイオリンと、それと対照的に人の心の動きに寄り添うようなメルニコフのピアノから生まれる春は、抑制の効いた、穏やかな自然との対話の形になるのは納得できます。そして、演奏家の特性と楽曲の美質が反応しあって、開拓しつくされたかと思っていた名曲に、新たな表現の形が出来上がっているのは本当に素晴らしい。

ファウストとメルニコフのこのスタイルで、情念の塊のような9番はどうなってしまうのでしょうか?

9番(クロイツェル)の一般的なイメージは、5番とは対照的に、「激しい情熱、感情の高まりに身を委ねて、高揚感、精神的発散、カタルシスが得られる楽曲」と言ったような感じでしょうか。そのイメージに合った演奏として、世評が高いのはクレーメル・アルゲリッチのこの演奏。そういう演奏だと言えばその通りですし、二人とも好きな演奏家で、何度もこの録音を聴いてはいるのです。が、どこかしっくりこなかったのです。


まず、クレーメルのヴァイオリン。通常でも神経質で緊張感漂う彼のヴァイオリンですが、この演奏はそれ以上の激しさ。アルゲリッチのピアノに煽られている気配は濃厚ですが、ここまで張り切らなくてもいいでしょう。一方、煽っている側の(?)、アルゲリッチですが、普段はドライブ掛けるにしても、もっと腰のほうから揺さぶってくる印象なのですが、どうも上半身でだけで上滑りしている気がするのです。失礼ながらこの程度の煽りで、あれほどの反応をしているクレーメルは、いくらなんでも姐御にビビリ過ぎ。という妙な感想で、「緊張感あふれる、火花が散る感情のぶつかり合い、スリリング」という世評は判らなくもないのですが、もう少し落ち着いてぐっとこらえて欲しいと思っていたのです。

一方で、ファウスト・メルノコフを聴くと、この曲の骨格を握っているのがピアノだということが、改めて強く感じます。メルニコフは何時も通り、しっかりと落ち着いた音楽の流れを作り出しています。そして、激情であったり情念であったりという要素を、その流れの中に深く織り込のでいる印象です。当然、これ見よがしな「煽り」はないのですが、単に大人しいばかりではないエネルギーが秘められている、そういう演奏です。その底流・骨格があって、そこにファウストのヴァイオリンが協奏的に絡んできます。ピアノの底流が深く落ち着いているだけに、向き合うヴァイオリンも、それに正対する姿勢で動かず、安易に感情の爆発をみせるなんてことはしません。でも、その一見静かな対峙が長く、緊張感が強いだけに、感情の発露に転じた時の振幅、解放感も大きい。この二人の相性の良さと信頼の深さを感じます。

という所で、この日記は終わるはずだったのですが、実は、前言撤回しないといけなくなってしまいました。

ここまで書いて何時ものことですがCDを聴き直してみたのです。スピーカーをHRS-130に変更してから、これらのCDを聴くのは初めてです。ファウスト・メルニコフ盤については、音の変化はあるのですが、演奏そのもので感じることに、本質的な違いはありません。変ったのは、クレーメル・アルゲリッチ盤の方なのです。

先ほど、「この曲の骨格を握っているのがピアノだ」と書きました。そしてアルゲリッチのピアノが何時に無く「上半身だけで上滑りしている」という暴言まで吐いてしまいました。が、改めて聴き直した所、いままでは、ちゃんと再生できていなかっただけだったことが判ってしまったのです。低音の響きの量感が違うのです。上滑りしているように感じられていた上半身の激しい動きは、実はその低音のエネルギーと一体化して繰り広げられており、その全体像で聴くことでアルゲリッチが何をしたかったのかが初めて判ったような気がするのです。

そして、この大地に根ざしたような底深い「煽り」に応えようとすれば、クレーメルのあの慌しい動きも必然性を持って聴こえてくるから不思議です。以前は、過剰と思われた激しさ、特に金切り声のようにも聞こえるヴァイオリンの重音(複数弦による和音)が、時には煩く感じられるものでした。が、改めて聴くと、それも全体の響きの中に納まっていて、それだけが耳に付くこともありません。例えは変ですが、これは、目にも留まらぬ速度で繰り広げられる剣豪同士の斬り結びを固唾を呑んで見守る緊張感です。ファウスト・メルニコフの正対する二人の静と動の鮮やかな転換とは全く異なりはしますが、この曲の優れた演奏であることが初めて体感できました(やっと世間様並みに理解できるようになっただけなのですが・・・)。

スピーカーを変えて、大規模オーケストラなどの聴き方、あるいは感じ方に変化が生まれるのではないかということは、ある程度予想していたのです。が、ヴァイオリンとピアノという、室内楽の最小の基本構成といって差し支えない編成の楽曲で、しかも散々聴いた演奏(文句を言いつつも、それなりに魅力はあったのです)の評価を、ここ迄、改めないといけないというのは衝撃でした。ファウスト・メルニコフ盤のように「聴こえていたもの」の魅力の本質は変わりはないものもあれば、クレーメル・アルゲリッチ盤のように「聴こえていなかったもの」が「聴こえていたもの」の輝きを変えてしまう、そういう「前言撤回です」という体験が続くのかもしれません。

次回の日記→

←前回の日記

レス一覧

  1. パグ太郎さん
    ファウスト&メルニコフの全集は良いですね。
    拙宅ではHDDプレーヤーに全曲を1アルバムとして保管して、読書の際に通しで再生したりしています。

    クレーメル&アルゲリッチ盤はNo.1、No.2、No.3のを持っていて聴き比べをするのですが、小生もパグ太郎さんの当初のような印象を持っていて、共演相手を次々に喰ってしまうアルゲリッチ嬢らしくないぞ!?と思っていました(笑)

    HRS-130に変わって音楽の聞きどころ聞こえ所が変わると、今まで気になっていたところが気にならなくなるのはよくありますね。

    拙宅のユニコーンもまさしく同じ状態になっています。

    今日も西日本は大雨で警報が出ていますから、こんな日は部屋にこもって音楽ですね。

    by椀方 at2018-07-07 09:03

  2. 椀方さん

    今日は、レス有り難うございます。
    地震や大雨と続いており、心配ですね。何事も無いことをお祈りしています。確かに、ファウスト、メルニコフであれば読書しながらでも大丈夫ですね。評価を改めた後でも、クレーメル 、アルゲリッチでは本は読めないです。

    ユニコーンも置き方次第で変貌するとのこと、当方もこれから追っかけて参りたいと思います。

    byパグ太郎 at2018-07-07 11:33

  3. こんにちわ~♪
    たま~に出没してすみませぬm(_ _;)m

    ファウスト&メルニコフ盤は素晴らしい演奏ですが、音のエッジがキツク感じて疲れます(笑)
    例えると、『真っ暗闇にHIDランプ』っといったイメージかな。

    最近の録音ですとカプソン&ブラレイ盤が好みで、コチラは「暗闇にハレゲンランプ」のイメージ。

    でも、最終的にオイストラフ盤に戻ってしまう自分が・・・(爆死)
    オイストラフ盤は【薄暗闇に白熱電球】ですね。


    ところで、最近(というか2000年以降は特に)のハルモニアムンディは音圧が高くエッジを強調した録音が多いように感じます。
    私的には以前のムンディUSAプロデュース盤(米HM)のような柔らかいエッジが好みなので、今の仏HMの録音には違和感を感じます。

    例えば、ファウスト盤のシューベルト八重奏曲よりもアストンマグナ盤(92年、HMU907049)のほうがリラックスして聴けるので好きです。

    byspcjpnorg at2018-07-07 11:54

  4. パグ太郎さん

    ブラックタワー導入の興奮が冷めやらぬということのようですね(笑)。私もウェルフロートボードのバネ強化でちょっとした陶酔状態が続いています(爆)。

    仰るようにシステムが進化すると、時々、かえって音楽的な印象が良くない方向へと後退するソフトが(数は少ないですが)散見されることがありますね。

    夕べは、予習のためにブラームスのヴァイオリンソナタを聴きまくっていましたが、私の場合は、ファウスト/メルニコフのデュオがちょっと「あれ?」という感じでした。

    ファウストのVnが少し音の線が細くて、情感の冷熱に不足するような不満を感じるのと、メルニコフのピアノの音の粒が粗大でシンフォニックに響くべき部分がそうならないんです。やはりデュメイ/ピレシュのデュオはロマンスにあふれているし音も輝かんばかりに美麗です。第3番は、枯葉舞い落ちる喪失感が胸を打つのは交響曲第4番と同じで、音楽の情感としてはスケールがとても大きいと感じます。それもこれも音がよくなって感動が拡大しました。

    クレーメル/アルゲリッチのクロイツェルは、まるで巌流島の決闘みたいですね。間合いを計って距離を取りながら気合いの雄叫びを上げて威圧してみたり、スキをみて突然切り込んだり…と。才気走って少し神経質なクレーメルは佐々木小次郎、大仰にかぁっと一瞬に切り込むアルゲリッチは宮本武蔵というところでしょうか。役者はたいそう立派ですが、タテは大味というのは昔の東映かなんかのチャンバラみたいです(笑)。

    byベルウッド at2018-07-07 12:04

  5. spcjporgさん

    レスありがとうございます。

    >ファウスト&メルニコフ盤は素晴らしい演奏ですが、音のエッジがキツク

    現状、自分にはこれが一番快適で、オールドマスターは華やかで柔らかすぎ、クレーメルはハード過ぎという印象です。カプソンは、どちらかというと前者ですね。この、現状・快適というのは、時とともに変化しますし、体調・気分によっても変わりますが・・・。

    私が、最近の仏HMやαレコードにはまっているのは、上記の嗜好と連動するものなんでしょうね。

    こういう自分の好みを意識するか、しないかでも、音楽との向き合い方が違ってくるのかもしれません。(また理屈ぽいとか言われそうですね)

    byパグ太郎 at2018-07-07 12:56

  6. ベルウッドさん

    >ブラックタワー導入の興奮が冷めやらぬということのようですね

    いやー、お見苦しいところをお見せしてスミマセン。やはりハシャギ過ぎでしたね。

    ファウスト追っかけを任じて居る自分ですが、最近出たシューマン・ブラームスはパスしていて、よくわからないですが、もしかして、この二人ブラームスと相性が良くないのでしょうか?

    >巌流島の決闘

    はい、お見通しの通り、今回の日記の後半は東映時代劇のパロディです。元々ファウストのバッハ無伴奏のジャケット写真が弓道の様な精神統一の姿勢を彷彿とさせるものですので、その連想です。でも、巌流島ですと勝負は戦う前から決まっていたのですが、、、、。音楽や演奏を言葉で表現しようとすると、色々な譬えを持ち出すことになって、つい話が横道にそれてしまうのは、腕の足りていない証拠ですね。

    byパグ太郎 at2018-07-07 13:54

  7. パグ太郎さん、遅れましたがこんにちは。

    オーディオファイルの醍醐味を味わっておられますね。
    ありきたりな表現にはなりますが、「お気に入りのディスクを全て聴き直したくなるような」と言ったところですね。
    機器を替え、設置を見直しとやっていくと聴きなれたディスクから新たな発見が得られる。
    それに伴って新たなお気に入りのジャンル、レーベル、ディスク、アーティストが出来る。
    と、本当に楽しめますね。


    ファウスト/メルニコフ、クレーメル/アルゲリッチともに愛聴しておりますが、普段はファウスト盤を聴いていることが多いですね。
    まあ、これはHAP-Z1ESに入れてあるかどうかの違いだけなのですが(笑)
    改めて二枚を聴き比べておりますが、やはりどちらも良い演奏だと思います。
    …キャラクターはかなり違いますが。

    個人的な印象では、クレーメル/アルゲリッチ盤は情の通じた(ちょっとエキセントリックな)二人が傍から見ているとちょっと口喧嘩に聴こえるような会話をしている感じでしょうか?
    お互いに相手から新鮮な反応を引き出そうとイロイロとやりあって楽しんでいるように思えます。
    ファウスト/メルニコフ盤だともう少し穏やかで知的な性質の二人が語り合っているというところですね。
    お互いの「引き出し」の中からイロイロと出しては話し合い、お互いの理解を深めていく。

    私の個人的な嗜好でいくと、ファウスト/メルニコフ盤はほんの少し「知に偏りすぎ」ているようにも感じます。
    特にSACD盤だと解釈や表現の中に「もう少し情に流されて勢いにまかせても?」と感じられる部分があります。
    ほんの少しですが、音楽の流れが緩んでしまうような…
    CDだとそこまで気にはならないのですが。


    …とクロイツェル・ソナタを聴き直しながらの印象でした。

    byfuku at2018-07-10 10:54

  8. fukuさん

    レス有難うございます。

    やっと、二つの演奏のそれぞれの良さが判るようになった気がしました。クレーメル・アルゲリッチはある意味派手な打ち合いで、それをお互いに楽しんでいる、ファウスト・メルニコフはもっと真剣な語り合いというfukuさんの印象と全く同じです。で、両方とも良いけれど、後者の方がしっくりくるというのが日記のコメントだったのです。が、GRF邸のトロバドールで聴き比べさせて頂いた所、さらに印象が変わりました。

    どういうことかと言いますと、これもfukuさんの比喩を使わせていただくと、クレーメル・アルゲリッチは言葉の応酬を楽しんでいる長年連れ添ったカップルのような大人のゆとりが見えるのに対し、ファウスト・メルニコフは、お互いを知り合う、あるいはお互いの立ち位置を探り合っている若い恋人の真剣だが、どこか幼い余裕のなさを感じたのです。おそらくfukuさんがSACDとCDで印象が変わると仰っていることと通じると思います。

    システムや媒体で。演奏に対する自分の評価がどんどん変わってしまうのは、何やら恐ろしい気がします。

    byパグ太郎 at2018-07-10 22:32

レスを書く

レスを書くにはログインする必要があります
ログインする