パグ太郎
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クラシック中心に聴いています。オーディオは手段と考えてはいるものの、気がつくと手段の魔力に取り付かれてしまうことも多く、日々修行をしております。

マイルーム

パグ太郎の部屋
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持ち家(戸建) / リビング兼用 / その他 / 16畳~ / 防音あり / スクリーンなし / ~2ch
Phileweb登録後1年、気が付くとスピーカー導入していました(2018/6)。所有製品はHRS130ですが、製品DBに登録がないので、一番近いもので代替しています。 10数年愛用したアン…
所有製品
  • スピーカーシステム
    GERMAN PHYSIKS HRS120 Carbon
  • プリメインアンプ
    OCTAVE V110SE
  • ハードラック
    QUADRASPIRE QAVM
  • RCA/BNCオーディオケーブル
    KIMBER KABLE KS-1020
  • 電源ケーブル

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日記

ヨーヨー・マの最後の無伴奏チェロ組曲は、本当に最後の録音?

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2018年09月04日

本日のお題はヨーヨー・マのバッハの無伴奏チェロ組曲全曲の三度目の録音のこれ。一度目は1982年(29歳)、二度目は1994年(40歳)、そして、62歳の2017年の今回。


2度目の録音は、ここ20数年の間、繰り返し聴いてきた愛聴盤です。
Inspired by Bachという副題の通り、この曲を触媒として、多様な芸術分野の第一人者たちと6組との協演・化学反応による新たな映像表現に発展させるという試みを行ったのも、この時です(その内の一人が坂東玉三郎の舞踏)。
この取り組みが示すように、バッハのこの名作の表現の幅の無限の広がりの可能性や、本来この組曲が持っていた舞踏音楽としての躍動的な性格、そういったものを明らかにしていきたいという、演奏家の心意気を感じさせてくれる名演奏だと思っています。それまで、哲学的な深さとか、高貴な精神性といった言葉で近寄り難かったこの曲を、若々しい肉体の躍動感とか、高揚感とか、楽しさとか、そういう心持ちで、この曲に接しても良いのだと教えてくれたのが、彼でした。

そのヨーヨー・マが、3度目の録音を出したということで、早速聴いてみました。

2回目の録音、躍動的で楽しく明るかったあの演奏ですが、今回の録音を聴いてみると、あの自由で新鮮だったと感じたその姿も、一つの型に収まっていたのだということが、逆に判ってしまう様な、三回目の録音です。そう、力が抜けて、大らかで自由。好きなように、心の赴くままに、弾いていることが、強く感じられます。これが20年の熟成の結果なのでしょうか。

その熟成の結果、躍動感、疾走感、緊張感が損なわれて、緩くなったかというと、そういうことでは全くありません。自由で大らか、そう感じる一番のポイントは、音や響きを整えるよりも、演奏の流れ、唱の勢いを優先していることでしょうか。前回の演奏では、自分自身の独自の表現を新しい形で提示するためには、作品としての完成度を高めることが必要だったのかもしれません。今回は、そのような制約からも解き放たれているのです。絃を押さえる指捌き、複数の弦を交差する弓の動きが、息遣いのように音楽に重なって聴こえ、それが、躍動的なリズム、疾走するようなテンポとなって、奏者の感情が直接、音となって伝わってくるのです。だからといって、構造物としての枠組みを崩しているかということはないのですが、それを維持したまま、その型にはまることはなく、逆に即興的な躍動感や緊張感をより強く感じさせる、そういう印象なのです。

自由で大らかと感じるもう一つのポイントは、「言うべき事はしっかりと言いきる」という姿勢の強さにあるような気がします。三度目の録音に込めた思いとして、ヨーヨー・マは語っていました。人々のつながりを取り戻す力をこの音楽が持っていること、そして、未曽有の変化の中で均衡を失い、救済を求める多くの人々と、この音楽を共有していくことの大切さを。社会や人への関わりに対する強い思いは、表現の激しさ、振幅の大きさ、時には破綻ギリギリと思わせる大胆さとなって現れています。だからといって、力みすぎと感じさせることは全く無く、どこまでも悠然で自然な所が20年の熟成なのかもしれません。これは自己の想いにも囚われない境地に達してしまったのかもしれません。

これもインタビューで言っていたことですが、三回目のこれが最後の録音なんだそうです。が、この演奏を聴くと、簡単には信じられません。だって、枯れた感が一切ないのです。強いメッセージに込められた熱量は相当なものですし、世界の人々、社会に関わる姿勢は更に強くなっています。副題である「6つのEvolutions」の示すとおり、これは進化形、つまり、これまでにない新しさと、これからも変り続けるものであって、行き着いた終着点とは思えないのです。この先、四回目もあるのではと思わせる、そしてその姿を想像したくなる、そういう未来への期待を抱かせるような、バッハの無伴奏チェロ組曲なのでした。

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  1. パグ太郎さん

    バッハと言えば、かつては、若いうちは人前で演奏するのは十年早いなどとひたすら精神面での熟成が求められ、挑戦するのは一生に一度の高みの頂という感覚が常識でした。特に、ヴァイオリンやチェロの無伴奏、ピアノの平均律曲集全曲などはそうでした。

    ところが今や、猫も杓子も…というと言い過ぎかも知れませんが、若い人もどんどん演奏会のプログラムに取り上げ、録音もします。若くて世に出た演奏家は、二度目、三度目が当たり前のようで、正直言って聴く方もいささか食傷気味です。昔のようにバッハはしかつめらしく聴くモノと決めつけず、バッハの持つ普遍性を活かした自由で多様な展開があってこそ繰り返し楽しめるのでしょうね。

    ヨーヨーマは、とびきりの天才で、若くてスターになったひと。しかも、ジャンルや伝統の枠を超えていろいろ挑戦し活躍されています。歌舞伎で言うと、本文でもちょっと触れられている坂東玉三郎がよく似ています。

    玉三郎は、歳を重ねるにつれかえって伝統歌舞伎にはあまりこだわらず、自由に活動していて、今は特に舞踏に注力しているようです。今ちょうど、和太鼓打楽器集団「鼓童」と共演して「幽玄」を共演しています。そういう演目を歌舞伎の総本山・歌舞伎座の秀山祭でやってのけるところが玉三郎の凄さです。

    ちなみに、うちのカミさんはヨーヨーマと玉三郎の大ファンです。「幽玄」を見て帰宅した大コーフンのカミさんからの受け売りです。

    byベルウッド at2018-09-05 11:42

  2. ベルウッドさん

    レス有り難うございます。遅くなってしまい失礼しました。

    正しくないのかもしれませんが、功成り名を遂げた大家しか全曲録音は許されないような、雰囲気が崩れたのがヨーヨーマの20代の録音だった様な気がします。そして2回目の録音でもっと自由に色々な演奏があっても良いというのが一般的になったという印象です、そこから後は、書いていただいた様に、猫も杓子も状態ですね。それはそれで良いことだと思います。

    ヨーヨーマも才能に溢れた人ですが、玉三郎は本当にすごいと思います。歌舞伎も舞踏も演劇も私は全く門外漢ですが、それでも彼が登場するだけで、舞台の空気が変わりますし、一つ一つの所作が美しいだけでなく、情感が細部にまで行き渡っていて怖い様な気がします(ディースカウ のリートに通じるものを感じます)。ヨーヨーマはそれに比べるともっと大らかでゆっくり楽しめます。この二人の組み合わせが不思議といいのです。

    byパグ太郎 at2018-09-08 10:24

  3. パグ太郎さん

    確かにマの若くしてのバッハは画期的だったと思います。芸術は年輪のように積み重ねるもの。そういう既成概念…というのか権威を打ち破っただけに2回目、3回目と重ねていくのはより難しかったのだと思います。

    玉三郎は、女形の重鎮である歌右衛門の崇拝者だった三島由紀夫の礼賛を受けて激しい嫉妬の的になりました。今で言うパワハラを執拗に受けました。血族の後ろ盾がなかっただけにそれは厳しいものでした。それをはねのけたのは、やはり大衆的な人気だっただことは間違いありません。秀山祭に鼓童と共に出演するのは吉右衛門の見識と度量の広さだと思いますが、同時にそれを受け入れてこその集客だという現実があるのだと思います。

    byベルウッド at2018-09-08 22:23

  4. ベルウッドさん

    玉三郎の話は、家柄や肉体的なハンディキャップについては、なんとなく聞いていましたが、それ以外にも色々あるのですね。伝統芸能でありながら、異分子の存在を内包しつつ変化し続けている姿は、日本的でない逞しさとしたたかさを感じます。

    byパグ太郎 at2018-09-09 22:48

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