パグ太郎
パグ太郎
クラシック中心に聴いています。オーディオは手段と考えてはいるものの、気がつくと手段の魔力に取り付かれてしまうことも多く、日々修行をしております。

マイルーム

パグ太郎の部屋
パグ太郎の部屋
持ち家(戸建) / リビング兼用 / その他 / 16畳~ / 防音あり / スクリーンなし / ~2ch
Phileweb登録後1年、気が付くとスピーカー導入していました(2018/6) 10数年愛用したアンプが逝ってしまったので、久々の機器更新をしました(2017/6)。
所有製品
  • スピーカーシステム
    GERMAN PHYSIKS HRS120 Carbon
  • プリメインアンプ
    OCTAVE V110SE
  • ハードラック
    QUADRASPIRE QAVM
  • RCA/BNCオーディオケーブル
    KIMBER KABLE KS-1020
  • 電源ケーブル

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日記

映像と音楽のフラッシュ・バックから若気の至りの背伸びを思い出し、改めて時代の進歩を知る

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2018年10月05日

(最初に言い訳を。今日の日記は長いです。そして読んでくださる方のことより、自分の言いたい事を語ることを優先してした我が侭な文章になっています。それというのも、昨日のシステム・トラブルで、もう書けなくなるのであれば思いのままに書いてしまえという気分で書き上げてしまったからなのです。いや下手な言い訳ですね)


映画の挿入曲は、その使われ方が印象的であればあるほど、その映画そのもの記憶とその楽曲の印象が、全く異質なものであるにもかかわらず、接木のように結び付いて自分の中で一体化してしまうということが良くおきます。

そういう、全く異種の組み合わせを思いつくままに並べてみても(既に本日記のネタにしたものも多いですが)、

ワーグナーの『ワルキューレの騎行』は、ベトナム戦争の戦闘ヘリコプターの空襲
R.シュトラウスの『ツァラトゥーストラ』は、猿人の進化と血まみれの狩り
シューベルトのピアノ三重奏曲は、貴婦人を誘惑する若い詐欺師
ドニゼッティの『ルチア』の「甘いささやき」は、宇宙船内大劇場で歌うタコ星人の歌姫
モーツァルトの『フィガロの結婚』の「松ノ木」は、監獄の中庭に鳴り響く女性の歌声
マーラーの交響曲五番三楽章は、ベニスの干潟に立ち上る陽炎
ベートーヴェンの交響曲七番第二楽章は、どこかの惑星の反ユートピア的未来社会
バッハの『主よ、我、汝に呼ばわる』は、無重力の宇宙船で浮かび上がる、ブリューゲルの絵の前のカップル
ショスタコーヴィッチの『セカンド・ワルツ』は、ニコール・キッドマンの美しい後姿
(この後姿、この後、更に過激になりますが・・・)




と、どんどん出てきてキリがありません。そして、これらの曲を聴くと、その映像が蘇ってきて、楽曲本来の世界とはかけ離れた情景へ飛んで行ってしまうのです。(これはクラシックではないですが、先日の長唄初体験でも、ブレードランナーの雨模様のオリエンタルな街並みがフラッシュバックして驚きました)。 皆様にも、そういうお気に入りの(?)、不思議な組み合わせがあるのではないでしょうか?

という前振りを思いついたのは、先日、ベルウッドさんのKanata邸訪問記に登場したイタリアのヴィスコンティ監督の遺作『家族の肖像』が切っ掛けなのです。この作品の演出道具として使われた、モーツァルトのオーケストラ伴奏アリア『ああ、神様、出来ることなら私の思いをご説明したいのです』(K.418)にまつわる思い出が突然、蘇ったのです。

中世にまで遡るミラノの大貴族の末裔である映画監督の生涯のテーマは、自分の伝統的美意識と、それを切り捨てて変化し続ける新しい社会・世代とのギャップをどのように折り合いをつけていくのかだったと思います。この遺作となった1974年(日本公開は78年)の作品では、変化を受け入れる、あるいは、受け入れないにしても許容する姿勢を見せた諦めの境地が表現されています。その世代の断絶を繋ぐ小道具に使われたのがこの曲だったのです。
(家族の肖像のワンシーン。この書斎が舞台)

映画の設定は1970年代。反体制・学生運動が盛んだった当時、それに参加している若者とその仲間が、先祖代々受け継いできた豪奢な貴族の館に住む老教授の所に転がり込んでくる。全く話がかみ合わない二人ですが、若者がこの曲が好きだという所から、心の交流が始まるのです。ロックを大音量で鳴らし、女子学生を連れ込んで乱痴気パーティをやっていた同じ人間が、自分と共通の意識を持っているということに驚く教授。この余り有名とはいえない曲は、モーツァルトの曲の中でも雅やかな情緒を強く感じさせるもので、特にオーボエの伴奏と声楽の掛け合いが洗練さと華やかさは『貴族趣味』の象徴として使うのにピッタリ。ここからの歩み寄りのやり取りがまた面白い。

教授は、バーンスタインの演奏が好きで、このLPをニューヨークから入手したと言うのです。それに対して若者はベームの演奏が好きだと応えるのです。でも、70年代当時のイメージで言えば、バーンスタインはミュージカルも作曲する新進気鋭のアメリカの指揮者、ベームはオーストリア生まれで伝統文化を引き継ぐ保守派の代表格。普通に考えれば好みが逆。でも逆転現象自体が、双方に意外な、歩み寄りの一面の発見(この爺さん新しいことにも理解があるのか、この若造、意外と渋い趣味だな)の心理を演出しているらいしいのです。

更に、静かな夜の書斎でかけられたオーディオの音量を若者は少し上げます。すると、老教授はそれはだめというそぶりで元に戻します。静かに流れる音楽に耳を傾けつつ、若者は、成る程という笑みを浮かべます。そこには会話はなく、音量の上げ下げと表情のやり取りだけがありました。それだけなのですが、教授が若者に美しいものを受容する一つの流儀を教え、それを若者がしっかりと受け止めるという、関係性が信頼感のようなものにまで更に進んだ様子が伝わってきます。。

長々と書きましたが、時間にすれば短い一瞬のやりとりで、ここまでの心理描写がされていることにも驚きでした。そして、そこに好きなモーツァルトとオーディオが絡んでいたのです。早速、レコードを探したのですが、ベームもバーンスタインもこの曲を録音しておらず、完全に架空の演出だったということが判明。ヴィスコンティは、一族がスカラ座のスポンサーでもあり、自身もマリア・カラスの『椿姫』を演出するような人ですので、そんな録音が無いことは百も承知だったのでしょう。

インターネットなるものが登場するよりも20年以上前の話です。検索してポチれば当日配達なんて夢のまた夢で、中古レコード屋を廻って半年後にやっと見つけたのが、この録音。歌はアメリカのソプラノ、べヴァリー シルズ、チェッカート指揮ロンドン・フィルの伴奏の74年録音です。
当時このLPを聞きながら、ベーム・ウィーンフィルだったら、バーンスタイン・ニューヨーク・フィルだったらどういう演奏になっていたのだろうとか、やはり歌手はシュワルツコップが映画にピッタリなのにとか妄想しながら、音量上げ下げしたりして遊んでみたものです。

それから、早、ウン十年。二十歳前の背伸びした思い入れはすっかり忘れ、全くこの映画のことも、音楽のこともあまり意識することなく生きてきたわけですが、その音楽と映像が、先日のベルウッドさんの日記タイトルをみてフラッシュバックしてきたというわけです。CDラックを漁ってみました。当時のLPは既にありませんが、誰かの曲集の中に入っていたはず・・・・。そのくらい、この曲を意識することすらなくなっていたのですが、「ボーっと生きている」というのはこういうことを言うのですね。

グルベローヴァ、デセイ、バトル、プティボン・・・・。自分でも呆れるほど、出てきました。改めて聴いてみて、気に入ったのはこの二つ。

グルベローヴァの1989年の録音。
この人の高域を転がす技術、といよりも天与の声の力は流石です。他の歌手では無理して力が入っていると感じる箇所でも楽々とこなしていきます。そのため、音楽に全体としてゆとりが生まれ、結果として唄の表情・陰影の細かい部分までもしっかりと表現されています。しかもこれがライブ録音で、この破綻のなさというのは驚きです。さらにアーノンクール指揮・ヨーロッパ室内管弦楽団の伴奏がまた良いのです。特に、オーボエとソプラノの掛け合いが、典雅さというのはこういうことを言うのかという素晴らしさです。

もう一つ、ぐっと世代は若くなって、プティボンの2008年の録音。
再高音を転がす歌う装飾的技巧と歌の内面的な表現力(これが両立する歌手は中々いないのです)を、兼ね備えたという点で最近のソプラノでは一二を争う存在だと思います。高域を駆け抜ける安定感はグルベローヴァにも負けていません。その上で、この表現力。この曲の構成は、最初は静かに自分の思いを語り始め、続いて最初の旋律を再度、歌う部分で抑えても感情が高ぶってくる、そして激情があふれでるという3つに分かれているのですが、最初と反復する部分の感情表現の描き分けが秀逸なのです。ただ、ハーディング指揮・コンチェルト・ケルンはもう少し頑張って欲しかったのですが、それを補って余りある歌唱の力でした。

こうして聞き直してみると、昔の歌手の歌いぶりは、セピア色の古き良き時代を感じさせてくれて、それはそれで良いのですが、技術や表現力の進歩が、この声楽の世界にも確実にあるのだということを改めて認識することになりました。これは老教授の心境に近づいてしまったということなのか、ふと我が身を振り返ってしまうのでした。

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レス一覧

  1. パグ太郎さん

    「家族の肖像」のあのシーンについてはコメントをいただいてから思い出しました。老教授の方が「バーンスタインのモーツァルト」の肩を持ったので映画館内で小さな笑い声が起きたのをかすかに覚えています。でも、その演奏が架空のものだとはコメントをいただくまで知りませんでした。

    映画でのクラシック音楽といえば、やはり最初の衝撃は「2001年宇宙の旅」でした。今はなき京橋のテアトル東京で大画面とウエスタンエレクトリックの音響設備で聴いたサウンドは忘れ得ない思い出です。「ツァラトゥストラ」もそこで初めて知り、リゲティにも夢中になりました。高校生だったから何でもかんでも急速に吸収できたのですね。

    先日、たまたま、初台で「魔笛」を観てきたばかりです。こちらはベタな話しになってしまいますが、映画「アマデウス」のシーンが強烈に蘇ってきてしまいます。当時、ブロードウェイでもマーク・ハミル主演で観ましたが映画の音楽シーンの面白さはまた別物です。「夜の女王のアリア」の場面も鮮烈でした。

    とういうわけで、グルベローヴァのCDをポチりました。

    byベルウッド at2018-10-06 10:21

  2. パグ太郎さん、こんにちは!

    今回も最後まで読めました。(失礼っ)
    パグ太郎さんの青春時代を感じる事ができて面白かったです。

    最後の2曲は聴き比べてみたいです。
    楽しみが増えました。(笑)

    byCENYA at2018-10-06 12:14

  3. ベルウッドさん

    レスありがとうございました。お返事できずに失礼しました。

    映画のアマデウスも良かったですね。冒頭の雪の早朝、自傷したサリエリを運んで走る荷馬車とシンフォニーの組み合わせは秀逸でしたね。色々と思い出します。

    byパグ太郎 at2018-10-08 10:02

  4. CENYAさん

    最後までお付き合いいただきありがとうございました。

    冒頭の映画と音楽のリスト、皆さんご存知だとばかり思って、映画名を省いていたのですが、世代ギャップがあると全然謎ということが判りましたので、以下、答え合わせです。

    地獄の黙示録(コッポラ)
    2001年宇宙の旅(キューブリック)
    バリー・リンドン(キューブリック)
    フィフス・エレメント(ベッソン)
    ショーシャンクの空に(ダラボン)
    ベニスに死す(ヴィスコンティ)
    未来惑星ザルドス(ブアマン)
    惑星ソラリス(タルコフスキー)
    アイズ・ワイド・シャット(キューブリック)

    なんと今世紀の作品が一本もありません。それにキューブリックが1/3。SFが多い。全く偏ってますね。

    byパグ太郎 at2018-10-08 10:12

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