パグ太郎
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クラシック中心に聴いています。オーディオは手段と考えてはいるものの、気がつくと手段の魔力に取り付かれてしまうことも多く、日々修行をしております。

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パグ太郎の部屋
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持ち家(戸建) / リビング兼用 / その他 / 16畳~ / 防音あり / スクリーンなし / ~2ch
Phileweb登録後1年、気が付くとスピーカー導入していました(2018/6)。所有製品はHRS130ですが、製品DBに登録がないので、一番近いもので代替しています。 10数年愛用したアン…
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    GERMAN PHYSIKS HRS120 Carbon
  • プリメインアンプ
    OCTAVE V110SE
  • ハードラック
    QUADRASPIRE QAVM
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    KIMBER KABLE KS-1020
  • 電源ケーブル

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日記

没後百周年の年末に登場した『ドビュッシー最後の一年』を読んで

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2018年12月17日

前回、「やってしまったCD」として、第一大戦終戦百周年プロジェクトの「ベルギー版ピンク レディー」を取り上げましたが、今年はもう一つ、ドビュッシーが亡くなって百年の記念年でもあります。あの作曲家は大戦の終戦の年に亡くなったということが、頭の中で、初めて通電しました。

その時代のつながりを、さらに印象深くしてくれたのが、記念年も押し詰まった十二月に出版された、この書籍です。著者は、ピアニストと文筆家の二足の草鞋と表現するには、その双方で素晴らしい業績を飛んでもないエネルギーで積み続けている、ドビュッシー専門家の青柳いづみこ。そのタイトルも、このタイミングにふさわしく『ドビュッシー最後の一年』。


その冒頭に出てくる逸話が、大戦の悲惨さと作曲家の人生の到達点、その両方を示すような印象的なお話でした。ドビュッシーの最後のピアノ曲は、パリのある石炭商のために作った『石炭の明かりに照らし出された夕べ』という曲らしいのですが、炭鉱地帯をドイツに占領されて高騰してしまった石炭を買う金もなくなり、マイナス十五度のパリで凍える思いをしていた病気の作曲家を見かねた石炭商が、石炭の対価としてもらったものだというのです。この年のパリの窮状、冬場の病死者の急増の話は知っていましたが、あの社会的にも成功していた著名な大作曲家が、まるでボエームに出てくる貧乏詩人のような状況だったというのには驚きました。

作曲家は、この石炭の逸話から約一年後に直腸がんで他界します。本書は、著者本人の言葉ですが、作曲家の「終活」をまとめたもの、つまり彼の人生を最後の十二か月の活動に対応した十二の章を通じて、その五十五年の人生を振り返り、彼が成し遂げたこと、そして、それよりもはるかに多い、「成し遂げられなかったこと」を並べていく作業を行っています。そして、ドビュッシーの専門家である著者は、意外にも、その最後の年が「痛恨の一年」だったと切り捨てるような評価を下しているのです。それが終活の総括だとすると、人生そのものが「痛恨」といっているようなものです。

ドビュッシーの何が痛恨と言っているのでしょう。

書き始めた曲を終わらせることができずいつまでも悩む、台本作者・詩人に歌曲・オペラにするからと言って仕事をさせておきながら作曲もせず放置。そう、気分屋で勤勉さとは真逆。それが周囲を振り回す。

そのことは作品にも表れていて、彼の作品は、「始終気分を変える複雑」さで、「寂寥感、絶望、ひきつったような笑い、抑えようのない衝動などが交錯し、聞き手をとまどわせる」とまで言っています。

またそれは共に新しい音楽を切り開いて行けたはずの、音楽家達との軋轢にもなって表れてきます。端的な例として登場するのが、ストラヴィンスキーとサティに対する複雑で、揺れ動く態度。認めていたからこその嫉妬心というだけでは割り切れない関係。

その性格は自作を社会に伝えてくれるはずの演奏家、特にピアニストたちとの距離感にも表れています。名手としての自意識、自分の周りに集まる人を遠ざけるという天邪鬼さ。病魔に侵され最後まで弾きと通せないと妻に思わせるほどの体調の中、多くのピアニストの自薦・他薦で売り込みに来るにも関わらず自作の自演を押し通し、結果としての低評価。

そしてその根本にあるのは、音楽だけでなく、食事、美術、文芸、その他あらゆるジャンルにおける分不相応な貴族趣味・贅沢好き。言い換えれば自信と孤独感を突き交ぜたような鋭い感性。

彼の作品が早すぎて理解不能なものであるか、過激な革新者と比べて時代遅れなものであるか、その何れかの立ち位置しか獲得できなかった、その原因として、そういった彼の態度、感性の全てが影響していると著者は考えている様です。その人間性、芸術観は、最後の一年の彼の行動にも典型的に表れているし、それは彼の人生そのものでもあったということが、多くの実例をもって紹介されていきます。

作曲家がもうちょっと勤勉で金遣いが荒くなく、中途半端に書き散らして放置した作品を、もう少し長生きして作曲していたら、そしてそれを、ストラビンスキーやサティといった彼を置き去りにしていった革新者たちや、彼を理解し崇拝していた演奏家たちと共に深めることができたなら、、、、その後の音楽界、無調性から始まる、実験的で難解な「語法の先進性」のみが評価されて、袋小路に行き着いた現代音楽に、別の展開があったはずなのに。そういう言葉にならない著者の「痛恨」の思いが行間にあふれています。

よく言われるように、歴史に「もしも」はありません。サラエボの銃弾がなければ、大戦は起きず、ドビュッシーも暖かい冬を過ごせたかもしれない、そうかもしれません、そうでないかもしれません。そんな事は百も承知、あるいは、それだからこそ著者は「痛恨」と書かずにはおれない、著者の作曲家への強い愛情と、もっとその先を聴きたかった、弾きたかったという、その口惜しさが、全編にあふれていて息苦しさを覚えるほど。終活から見えてくるドビュッシーの顔、それは、その作品とは別の表情を教えてくれる没後百周年の最後を飾る素晴らしい作品だと思いました。

これを読みながら、聴いていたのはこの録音の最初の曲、最後の年に作曲され、初演された『ヴァイオリンとピアノのためのソナタ』です。この曲こそ、中々、完成させることが出来ず、最後の部分を一ダースも作って、ああでもいない、こうでもないとひねくり回し、待っていた出版社をやきもきさせた曲、そして、その初演となると、多くにピアニストが群がってきたにもかかわらず自演し、全く評価されなかった曲、そして青柳にも「その時自分が評価できたか自信がない」とまで書かせた曲なのです。
(因みに、このCDの最後の曲は、あの『石炭の明かりに照らし出された夕べ』です)

この新録音で、このソナタを演奏するのは、ファウストとメルニコフ。
感情表現の豊かさと、あふれる遊び心が印象的な演奏です。特に第一楽章から、弦と弓の擦れ合う繊細な響きの変化によって、泣いたり、笑ったり、気分屋の目まぐるしく変わる感情をそのままぶつけてくるような演奏で、ファウストのいつものストイックさは何処に行ったと言いたくなります。でも決して深刻になることはなく、精一杯の楽しさ、軽快さ、洗練さを演出。メルニコフも何時にもまして雄弁でダイナミック。

この演奏を聴いただけでは、彼の最後の一年が痛恨の一年であったとは感じることはできませんし、「同時代に自分が聴いたとしても評価できた自信がない」という晦渋さもなく、素直に耳に入ってきます。これはドビュッシーを置き去りにした現代音楽が辿った袋小路を、私たちが一度経験したことで、初めてそう感じられる耳になっているからなのかもしれません。そういう意味では、彼の今日の評価にとっても、「痛恨」の事態が、やはり必要なことだったのかもしれません。

この録音は、フランス・ハルモニア・ムンディが没後百周年を記念して企画したシリーズの一つです。今年はドビュッシーの新録音が続々と登場して嬉しい悲鳴を上げていましたが、中でも、このシリーズは、それぞれの企画が多彩で面白かったこと、名手を揃えた演奏レベルの高さ、そして充実したラインアップ、どれをとっても飛びぬけていたのではないでしょうか。この日記では、その中の幾つかしか紹介しませんでしたが、この最後のソナタを、このシリーズの録音でご紹介して、今年のドビュッシーテーマは締めとしたいと思います。

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レス一覧

  1. パグ太郎さん、

    こんばんは。

    ドビュッシー関連の本とCDの紹介ありがとうございます。
    ドビュッシーは大好きな作曲家のひとりですが、晩年はあまり幸せではなかったということなのでしょうか?

    なんだか私の好きな作曲家の晩年は皆あまり良くなかったような…

    ラヴェルは交通事故の後遺症の脳の障害のため悲惨な生活になり最後は自殺だったか?
    サティは酒代稼ぎのためにバーで演奏していたような荒れた生活をおくって最後は体を壊したとか…
    シューマンはクララとの関係に悩んで精神を病み、やはり自殺…
    バルトークは米国に亡命後、あまり評価されず経済的に恵まれない中亡くなったとか…

    ちょっと記憶違いもあるかもしれませんが、なんともやりきれない感じです。

    青柳いずみこさんのドビュッシー没後100年の記念公演を浜離宮の朝日ホールで聴きました。演奏とトークだったのですが、晩年についてのお話はなかったような…
    あまり記憶がはっきりしないのですが…(^^;)

    byK&K at2018-12-17 20:10

  2. K&Kさん

    レスありがとうございます。

    晩年幸福であったかどうかですが、経済的には石炭を買うにも苦労したくらいですから豊かではなかったのでしょうね(でも、贅沢・浪費家だったというのも事実ですし)。奥さんも、溺愛した娘も居て、時代遅れといわれていたかもしれませんが大家としては認められていて、取り巻きもいたはずですから、世間からは忘れ去られて、家族にも去られ、貧困の内に孤独死したというような悲惨さはなかったのではないでしょうか? 彼の葬儀の参列者が少なかったのも、ドイツ軍が最後の総攻撃でパリに砲弾を撃ち込んでいる最中だったという事情もあったわけですし・・・(その名もパリ砲という史上初の長期距離砲だそうです)。

    青柳さんが、「痛恨」と言っているのは、ドビュッシー本人が痛恨と思っていたというよりも、青柳さんの「もう少し上手く生きてくれれば良かったのに残念」という気持ちの表れの様に私には読めました。

    byパグ太郎 at2018-12-18 19:07

  3. パグ太郎さん

    ドビュッシーイヤーの今年は、まさにドビュッシー回帰、あるいは見直しの一年となりました。高校の時にはいきがってよく聴きましたが、いつからかあまり好きな作曲家とは言えなくなってしまって。一時は「牧神」と「月の光」さえあればいいや…だなんて。

    ドビュッシーには、いいところと、それ以上にいやな面があって。革新や天才のひらめきとともに、鼻持ちならないエリート臭に満ちた前衛主義、難渋韜晦で時代遅れな復古主義とか。先鋭で華やかな意匠の管弦楽法とともに、ひどく怠惰で投げやりな姿勢と管弦楽編曲になじみにくいピアニズムとか。

    それで長年敬遠していたので、聴き手として新しいレパートリーが増えませんでした。今年は、聴き直してみると今までとは違ってすんなり入ってくる自分に気づき、とても楽しんでいます。そういうことの呼び水になったのが3年前のメルニコフでした。

    http://community.phileweb.com/mypage/entry/2408/20150407/46884/

    この本は、新刊なんですね。まだ区の図書館には入っていないようです。入るまで、青柳さんの他のドビュッシー本を読んでみます。

    byベルウッド at2018-12-20 10:16

  4. ベルウッドさん

    レスありがとうございます。

    >ドビュッシーには、いいところと、それ以上にいやな面があって。

    そうですね。青柳さんも、そういう面が、人生の最後に一気に出てきて、「痛恨の一年」と言わざるを得なくなったのだと思います。あるいは、病魔に侵され死を意識し、大切にしていた貴族趣味が大戦で脆くも崩れていくのを目の当たりにすることで、その性向に拍車がかかったとも思えます。

    色々なことを考えさせられる読書体験でした。

    byパグ太郎 at2018-12-20 18:48

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