パグ太郎
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クラシック中心に聴いています。オーディオは手段と考えてはいるものの、気がつくと手段の魔力に取り付かれてしまうことも多く、日々修行をしております。

マイルーム

パグ太郎の部屋
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持ち家(戸建) / リビング兼用 / その他 / 16畳~ / 防音あり / スクリーンなし / ~2ch
Phileweb登録後1年、気が付くとスピーカー導入していました(2018/6)。所有製品はHRS130ですが、製品DBに登録がないので、一番近いもので代替しています。 10数年愛用したアン…
所有製品
  • スピーカーシステム
    GERMAN PHYSIKS HRS120 Carbon
  • プリメインアンプ
    OCTAVE V110SE
  • ハードラック
    QUADRASPIRE QAVM
  • RCA/BNCオーディオケーブル
    KIMBER KABLE KS-1020
  • 電源ケーブル

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日記

フェデリコ コッリのバッハ、あるいは、名曲のイメージを塗り替える斬新さに大いに悩む

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2019年01月18日

音楽を聴いて思ったあれこれを文章にしていると、演奏者が表現したかったのはこういうことかもという聴き手の勝手な想像を書き連ねてしまうことが良くあります。「良くあります」というより、当日記はその様な根拠のない印象が殆どですね。実奏者が目にすることがあれば(無いので助かっているのですが)、見当違いも甚だしいと笑らわれてお終いということなのでしょうが、そこは素人の無責任さの「強味」で、こうやって駄文を書いていられるわけです。

その一方で、演奏家自身が自らの演奏の解釈を明らかにしていて、それが想像もできないような奇抜な展開であることも時にはあるのです。そういう時には己の空想力の限界を思い知ることになります。

そういう斬新な解釈であっと驚かせてくれた演奏家の一人が、以前、D.スカルラッティの作品集をご紹介した、フェデリコ・コッリです。
D.スカルラッティの数百もあるソナタ作品は、タイトルも何もついていない抽象的な器楽曲で、一つ一つがきらりと光る魅力を持っている独立した小品の集まりなのですが、コッリは、その作品群を作曲家の生涯の4つの段階(抑圧、放蕩、更生、信仰)に当てはめて分類して再構成することで、一人の人間の一生の物語として演奏して見せたのです。「時代錯誤的」なロマン主義的な解釈で、ドラマティックな感情をスカルラッティに持ち込んできたというユニークな演奏でした。

そのコッリが今度はバッハの曲集をリリースしたというので入手してみました。
バッハは抽象度の高い演奏、ロマンティックな感情の乗った演奏、宗教的祈りを込めた演奏などなど、多様で幅広い解釈を受け付ける作品です。逆に、色々なアプローチがやり尽くされていて、何をやっても独自性を打ち出すことが難しい、そして下手なことをすると独りよがりの訳の分からないものになりかねない危険もあります。スカルラッティで独自解釈を展開して見せたコッリが、バッハで一体どういう物語を紡ぎだすのか、怖さ半分、楽しみ半分です。

先ずは、なんの予備知識も入れずに、演奏だけを素直に聴いてみます。予想通り、普通の演奏ではありません。まず、劇作品として何かを物語るような表現の幅、ある時は静かに話しかけ、ある時は喜びにあふれ、ある時は深刻に嘆き、ある時は一人祈るように、テンポ、強弱、音色、響きが変化し、多様な表情が入れ替わり登場します。その一つ一つは説得力があります。例えば、パルティータ4番の第5曲「サラバンド」は、滅多に聴けない程の神秘的で透明感あふれる美しさです。

中でも一番の驚きは、シャコンヌ(無伴奏ヴァイオリンのパルティータ2番の有名な、あのシャコンヌをブゾーニがピアノ用に編曲したもの)でした。こんなドラマティックなシャコンヌを聴いたことがありません。優れた俳優の朗読を聴いている様な語り口と情感あふれる表現で、一つの筋書きが構成されている印象です。これも前作同様にロマン主義作品の演奏の様で、また「時代錯誤」とも言えます。が、バッハの名作の表現としては十分成り立っているし、心を動かされる演奏であることも否定できません。そして「コッリお得意の何かの物語に仕立てているに違いない。それは一体なんだろう?」という好奇心を刺激する演奏でもあります。

ということで、またまた自分の演奏の解釈を長文で紹介しているブックレットを読んでみました。結果は「やはり」というか、「ここまでやるか」というか、「これはちっと危なくないか?」という衝撃の内容だったのです。

15分強の長さを持つシャコンヌという曲は、ニ短調―ニ長調―ニ短調の3部構成の変奏曲です。その第1部は主題と32の変奏曲からなり、その最後に三全音という昔から「音楽の悪魔」と呼ばれている不協和音による深い断絶の後、第2部の長調に移行します。第2部は祈るような静かな旋律から輝かしい賛歌へ導かれ、再度単調に移った3部は瞑想的な曲調から始まり激しく荘厳な響きが鳴り渡る終曲に至るという構成になっています。

ここにコッリは、新約聖書そのものを見たというのです。主題と変奏の計33はキリストの人間として生きた33年を象徴する数だという伝統的聖書解釈学を持ち込み、その最後に来る悪魔の不協和音はキリストの死、つまりゴルゴダの丘での磔刑の表現であると。であれば第一部はキリストの生誕から受難までの物語であり、各変奏にはその有名な情景を充てることが出来る。その断絶・変調後の第二部はキリストの墓所の様子から輝かしい復活までの物語として解釈し、瞑想に続く激しく荘厳な第三部は、ヨハネ黙示録に表された世界の終末と最後の審判として演奏しているというのです。劇的な物語りではないかという当方の最初の印象は間違ってはいなかったとものの、想定以上。でもそう思って聴けば、そう聴こえてこなくもない所が恐ろしい。これは、どこまで本気で信じてやっているのか・・・・・? ちょっとファナティックな香りもしなくもありません。

改めてジャケット写真を見ると、スカルラッティのCDに使われた4つの人生のステージの最後の「信仰」に当たるポートレートを再利用しています。なんだか目つきが危ない様な気もしてきました。おまけに、ケースのCDの裏側の写真には十字架がぼんやりと映り込んでいます。うーん、これは楽曲の解釈とその演出というより、本当に熱烈な信仰としての表現かもしれません。


逆に全てが意図された演出という気がしなくもありません。というのも、こういう写真をブックレットに差し込んでいるのです。そして「録音現場の、ちょっと軽い気分」「鍵盤に向かう姿、バッハには多様なアプローチが可能」などというキャプションを付けているのです。
(ちょっと軽い気分でサングラス)
(多様なアプローチの一つ)

真剣な信仰心の表現と受けとめるべきなのか、ロマンティックなバッハを弾きたいという純粋な気持ちが先で、こういう解釈も成り立つと面白いでしょうというオマケ程度の話なのか、どちらとも判らず頭をひねることになりました。つまらない演奏であれば解釈ごと忘れてしまえば済む所ですが、ここまで悩んでしまうのは、この斬新な演奏が放置できない素晴らしさを持っているからだとも言えます。

ただ、困ったのはこれからシャコンヌを聞くたびに、十字架を背負ったキリストの最後の苦難の道やら、復活を告げる鐘やら、黙示録の喇叭やらを連想してしまいそうだということです。映画に上手に使われた音楽を聴くと、そのシーンが否応なしに思い浮かんでしまうようなものです。コッリさん、貴方は一体何ということをしてくれたのですか!

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  1. こんばんは

    コッリのバロック演奏、面白そうですね。

    古楽演奏には、バロックの楽譜の謎や情報紛失を独自の大胆な解釈で補って、半分自作に近いドラマ性を展開する人も多いと思いますし、それが若手演奏家の創造力をこの分野に引きつけているとも思うのですが、それが現代ピアノを用いたバッハ演奏にも及んだ感じなのでしょうか。

    私は、そういう演奏がもっとあっても良いと思いますし、多様性を高める行為は全面的に支持したいと思います。

    byOrisuke at2019-01-19 18:27

  2. パグ太郎さん

    最近は、新譜はもっぱら配信サイトからのダウンロードです。ちょうどCHANDOSのサイトで何か良いものをと当たっていたところなので、シャコンヌ・マニアの私としては一も二もなくダウンロードしてしまいました。

    激しいバッハですね。

    ドラマチック、あるいはパセティックなバッハといえばグリモーとかアルゲリッチがありますが、これはそういう人間の感情を超越したもっとずっと激しいバッハです。

    その振幅の大きさは、むしろ、弱音の時の音の小ささです。特に、長調に転じたところの音の小さいこと。ここはちょうど曲の真ん中です。64回繰り返される4小節単位の変奏が32回目が終わって転調するわけで、祈りとか天からの啓示みたいな雰囲気です。この長調の中間部がアルペジオで盛り上がって、再び短調に回帰するところでまた弱音になります。ここは壮大で運命的な終結とも言うべき長大なクレッシェンドになります。音の小さい部分に合わせてボリュームを上げていると、とんでもないことになります。

    こういうダイナミックスは、デジタル、もっと言えばハイレゾの真骨頂のようなところがあるかもしれません。アナログ時代はもちろんCDでもこんな強弱の激しい演奏は成り立たなかったのではないでしょうか。生演奏でもうまくいくかどうか。最後のG音まで降りていく低域の打撃は衝撃です。ここはヴァイオリンなら最低弦の開放弦になるわけですが、もう脳天を一撃されて断罪されてしまうような感じ。オーディオでもスリリングです。

    メディアではなく、ファイルのダウンロードになるとパッケージも解説のリーフレットもありません。もちろんjpegのカバーとともに、だいたいはPDFファイルの解説もついていますが、やっぱり読まなくなってしまいますね。だから、文学的(あるいは聖書的に)どのようなドラマが込められているかは、皆目、脳天気です(笑)。

    最後の二音(D)は、短調でも長調でもない無調的で純粋なDの音に響きます。それがとても印象的でした。

    byベルウッド at2019-01-20 01:08

  3. Orisukeさん

    レス有難うございます。

    >大胆な解釈で補って、半分自作に近いドラマ性を展開する

    成程、そのような古楽演奏の文脈の中においてみることができるのですね。少なくとも、最近の2作を聴く限り、その創作と音楽演奏の結合が高い水準で成立していて感心しました。

    バッハ、それもシャコンヌで、おまけに新約聖書という権威の象徴のような組み合わせで、それを行うのは勇気のいることなのだと思います。そういう意味でも「全面的支持」は大切かもしれません。

    byパグ太郎 at2019-01-20 10:46

  4. ベルウッドさん

    早速、お聴き頂いてのレス有難うございます。

    ベルウッドさんの印象は、コッリの解釈とほぼ一致していますね。面白いので、コッリの解説を展開してみます(それは見る必要なしという場合は、ここでおやめ下さい)

    コッリは主題を8小節ではなく4小節と捉える説を取っていて、全曲の折り返しを告げるトライトーンによる断絶・変調までの第一部の変奏を32とカウントしています。

    その変装を、生誕から長老会での最初の説法、主イエスの変容からラザロの復活、山上の垂訓からエルサレム入城、ゲッセマネの祈り(20-22変奏)、ヴィア・ドロローサ(23変奏からの頂戴なクレッシェンド)に割り当てています。

    短調の第二部の最初の静けさは埋葬されたキリストの墓所の情景(唯一の動きは神の霊)、その後、146小節から徐々に光が差しキリストの復活の様子が描かれ(154小節)、マグダラのマリアが知らせ、ペテロが墓を覗き、復活を告げる鐘が鳴り響く(166小節)という壮大なクレッシェンドが展開されます。

    再び短調に移った第三部の冒頭の静けさ(222小節)は、パトモス島の洞くつでヨハネが瞑想する情景です。そして大天使ガブリエルの声が響き渡り(234小節)黙示録の内容が幻視されます。神の怒り、白い馬、正義の剣、ハルマゲドン、最後の戦いが、再度の長大なクレッシェンド(238小節以降)で描き出されます。最後のD音は(256小節)、死と復活、黙示と最後の審判の長い旅を締めくくる「神の愛」の宣言で、全てを超越し、万物を締めくくり、全てに内在し、平和と光と友愛の未来をもたらすものだということの様です。「短調でも長調でもない」「純粋なD」になるはずです。

    byパグ太郎 at2019-01-20 12:51

  5. 最後の部分は、最後の審判でしたか。最後のD音は、Deus(神) あるいは Dominus(主)の「D」というわけですね。

    グリモーは、シャコンヌのことを『「生と死」の音楽だ』と言ってました。

    byベルウッド at2019-01-20 16:59

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