パグ太郎
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クラシック中心に聴いています。オーディオは手段と考えてはいるものの、気がつくと手段の魔力に取り付かれてしまうことも多く、日々修行をしております。

マイルーム

パグ太郎の部屋
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持ち家(戸建) / リビング兼用 / その他 / 16畳~ / 防音あり / スクリーンなし / ~2ch
Phileweb登録後1年、気が付くとスピーカー導入していました(2018/6)。所有製品はHRS130ですが、製品DBに登録がないので、一番近いもので代替しています。 10数年愛用したアン…
所有製品
  • スピーカーシステム
    GERMAN PHYSIKS HRS120 Carbon
  • プリメインアンプ
    OCTAVE V110SE
  • ハードラック
    QUADRASPIRE QAVM
  • RCA/BNCオーディオケーブル
    KIMBER KABLE KS-1020
  • 電源ケーブル

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日記

シルバ・オクテットの軽めのスタンダード曲を拾ってみたら予想外の重さに時代を知る

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2019年02月09日

椀方さんの日記でご紹介のあったシルバ・オクテット。パリ管弦楽団のメンバー8人にゲスト・シンガーとゲスト・バラライカ奏者を加えて、東欧のジプシー・ロマ・ユダヤ系の音楽と、クラシック・ジャズ・ロックなど多様なジャンルの音楽との関連・融合を楽しませてくれるグループです。以前ご紹介した、チェロ奏者ガイヤールの「Exiles=亡命者たち」という録音の伴奏者として出演しており、気になる存在でした。


椀方さんの日記を見て、彼ら自身が主役となっている録音を聴いていないことに気づき、海の向こうから入手したのがこれです。

白状するとこの選択、全てが東欧・クレズマーの民俗色の濃い色に染まってしまうと胃もたれしかねないと、少し軽めの親しみやすそうなものはどれだろうという弱気の物色をした結果なのです。

収録曲の半分は曲名がイディッシュ語で意味不明(唯一、知っていたのは『素敵なあなた』のみ)だったのですが、それと並んで『オーバー・ザ・レインボウ』、『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』、『ラプソディー・イン・ブルー』なんて超有名曲も入っていて、これなら何とかなるかもと思ったのです。その時の想定は、「有名曲をクレズマー風にアレンジして混ぜているんだろう」という安易なものだったのですが、聴いてみたら大違い。まさしく、それらのスタンダードな曲の出自を語ることがこの録音の企画の柱だったのです。

20世紀前半の東欧での厳しいユダヤ人迫害により、第二次世界大戦終戦までの期間に東欧からアメリカに移住したユダヤ人200万人以上と言われています。新天地で彼らは変わらぬ差別と貧困に直面しつつも、それを乗り越えてアメリカ社会との同化を進めていったわけですが、その過程で大きな役割を果たしたのが芸能や音楽です。ご存知の通り、映画やミュージカルの世界でユダヤ系移民の子孫たちは大きな足跡を残しています。

CDのタイトル『From Shtetl to New York』、「シュテトル(ロシア・東欧諸国にあったユダヤ人居住区のこと、『屋根の上のヴァイオリン弾き』に登場するあの村です)を逃れてNYへ」は、その辺の事情を音楽を通じて再現しようという狙いを、そのままストレートに表したものなのです。

例えば、『虹の彼方に』で有名な「オズの魔法使い」の作曲者、ハロルド・アーレンはポーランド系ユダヤ人移民の子供で本名はハイマン・アルリュック、『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』の作曲者、リチャード・ロジャース(という紹介よりも、ブロードウェイ・ミュージカルの黄金時代を作った「ロジャース&ハーマンスタイン」の片方)はドイツ系ユダヤ人で本名はロガジンスキー、そして、『ラプソディー・イン・ブルー』のガーシュインの両親はロシア移民のゲルショヴィッツ。

何時の時代も、どこの国でも、「同化」は音楽などの文化混交による豊かな実りをもたらしてくれると同時に、個々人のアイデンティティをも溶け合わせてしまう過程でもあり、この3人の東欧風の名前が白人アングロ・サクソン風に変換されるその現場では、個々の人間模様に到底うかがい知ることのできない事情があったに違いありません(そういえば、『ボヘミアン・ラプソディ』でもファルーク・バルサラが、フレディ・マーキュリーに改名する時の家族の葛藤のシーンがありましたね)。

この録音は、移民の子供たちが実現した「アメリカン・ドリーム」のスタンダード作品と並んで、彼らの両親たちが故郷のシュテトルで歌い踊っていた、あるいは慣れない新天地で子供たちに子守歌としてきかせていたはずの、イディシュ語の歌やクレズマーのダンス曲が交互に出てくるのです。その効果として、上下運動の激しいクラリネットの響きと『ラプソディー・イン・ブルー』のあの冒頭の有名なソロと重なって聞こえてきたり、伝統的なユダヤ式結婚式のダンス曲のリズムの中から『サン・ライズ サン・セット』の哀愁を帯びたメロディが浮かび上がるような奇妙な体験をすることになります。これを聴いていると、映画・ミュージカルの世界で大ヒットを生んだその背景には、郷愁を誘う旋律と心を揺さぶるような踊りの拍子が隠れていたということが実感できるのでした。

そして、ちょうど同時期にアメリカに渡ったラフマニノフ、プロコフィエフ、ブロッホ、ストラヴィンスキー、シェーンベルク、バルトーク、コルンゴルド、リゲティなど多くの作曲家達も、その時代に翻弄された運命を色々な形で経験することになります。彼らが、この録音で取り上げられている音楽家達のエネルギー溢れる楽曲の世界と何らかの接点があったのではと想像したくもなります(プロコフィエフの『ヘブライの主題による序曲』は彼のアメリカ亡命中の作品です)。そして、その後の音楽の歴史を見ると20世紀前半のこの騒乱がなければ、今日の「ポピュラー音楽」「現代音楽」はどういう姿になっていたのだろうとも。軽めの録音を選んだはずなのに、時代の重い転換点を感じることになってしまいました。

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  1. パグ太郎さん

    クレズマーの音楽が、二十世紀のアメリカのショービジネス文化に大量に流れ込んだということは、以前、「クレズマーの文化史」という本で知りました。

    http://community.phileweb.com/mypage/entry/2408/20180509/59412/

    彼らは、もともとは自分たちの移民のコミュニティの内輪だけで演じて楽しんでいたのですが、そのエンタテインメントとしての才能が次第に表社会へと進出し成功していったようです。これとは別にクラシック正統の音楽家たちは、すでにヨーロッパ大陸において正統教育を受けてその世界に生きていましたが、彼らはそのままロシア革命やナチの迫害などによりアメリカへ移住しました。

    バルトーク晩年の「管弦楽のための協奏曲」は移住後のアメリカで作曲され、最初に世俗的な成功を得ましたね。この曲には、ハンガリーの通俗曲やバルカン民謡的な悲歌、あるいはジャズのイディオムなどが溌剌と躍動していますね。そこにはバルトークの実状とは、むしろかけ離れた《明るい晩年》があって人々を魅了します。

    バルトークは、当時、すでに創作の意欲は失っていました。経済的な困窮を見るに見かねたクーセヴィツキーの委嘱によって作曲を引き受け、たった2ヶ月で完成させたのです。その経緯にはバルトークの支援で、亡命を果たしたライナーやシゲティらの後押しもあったとのこと。もし、彼らの提案がなかったら、先日、私たちがベルチャSQで聴いた弦楽四重奏曲第6番が最後の作品になっていただろうと言われています。


    どちらかといえば技巧的で俗っぽい慨嘆や軽いノリの音楽の「オケコン」ですが、激動の時代の重みがずっしりとつまっています。

    byベルウッド at2019-02-09 11:17

  2. ベルウッドさん

    レスありがとうございます。この時代の音楽は、少し裏を覗くと何処かに戦争と革命の世紀の時代の傷跡が出て来ますね。実はどの時代の文化であっても、そういうものが隠れているのだと思いますが、明確に意識できるのはやはりその延長線上の社会に生きているからなのかもしれません。一方、今足元で起きているexilesの結果では、どんな文化が出現しようとしているのかと考えることはありますが、さっぱりわかりません。

    byパグ太郎 at2019-02-10 23:09

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