パグ太郎
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クラシック中心に聴いています。オーディオは手段と考えてはいるものの、気がつくと手段の魔力に取り付かれてしまうことも多く、日々修行をしております。

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パグ太郎の部屋
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持ち家(戸建) / リビング兼用 / その他 / 16畳~ / 防音あり / スクリーンなし / ~2ch
Phileweb登録後1年、気が付くとスピーカー導入していました(2018/6)。所有製品はHRS130ですが、製品DBに登録がないので、一番近いもので代替しています。 10数年愛用したアン…
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    GERMAN PHYSIKS HRS120 Carbon
  • プリメインアンプ
    OCTAVE V110SE
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    QUADRASPIRE QAVM
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    KIMBER KABLE KS-1020
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日記

ハーンのバッハ新録音を語る難しさ、あるいは、20年の時の積み重ねは、天才少女の衝撃を超えられるか?について

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2019年03月02日

好きな映画女優にナタリー・ポートマンという人がいます。多くの方がご覧になっているのは、やはり『スターウォーズ エピソード1-3』のパドメ・アミダラ役でしょうか。

もう一つ上げればアカデミー主演女優賞をとった『ブラック・スワン』とか・・・。

アミダラ役で出てきたとき全く気が付かなかったのですが、彼女の13歳のデビュー作品をさんざん見ていたのです。それが、リュック・ベッソン監督、ジャン・レノ主演の『レオン』。その少女マチルダ役。デビュー作での驚くべき存在感、ジャン・レノを完全に喰っていた天才子役でした。


でも天才子役というのは難しいもの、世に定着してしまった子役のイメージを消し去るほどの強固な大人としての個性を確立すること、その上でキャリアを築いていくこと、並大抵のことではないと思います。レオン以降、暫く見る機会もなく、意識もしていなかったため、この二人が同一人物と気が付いたのは恐らく、エピソード3の公開後だったかと。その時は本当に驚いて、写真を並べて見比べてやっと自分を納得させたくらいでした。確かにこの目つきは・・・・。

閑話休題。どうして、こういう自分のウッカリぶりを晒しているかといいますと、このCDを語るきっかけが見つけられずにいるからなのです。


昨年末にリリースされてから繰り返し何度も聴いているのに、どう受け止めて良いのか整理のつかないままになっているのがこのCD。ヒラリー ハーンのバッハの無伴奏です。全6曲中の3曲を収録した20年前のデビュー録音は、17歳の若さとは思えない集中力と深みと、それまでの神聖化されていたこの曲の堅苦しさを取っ払ってしまうような素直な伸びやかさとが両立していたことが、衝撃的だったことは、これまでも何回か書いて来ました。それから20年という時間が経過して、ようやく残りの3曲が録音という形で出てきさのが、このCDです(実際の収録時期は2013年と2017年ですが)。



半分諦めつつ待っていた身としては、残された3曲が前作とセットとして、あの演奏の「続き」の様に、あの形で演奏されることを望んでしまいます。でもその一方で優れた芸術家がその間、変化していないはずもなく、様々な曲に取り組んで経験を積んで来た彼女がどう変わったかを知りたくもあります。そもそも、聴き手は初めからこの相反する気持ちを抱えて、この演奏に臨んでしまっているのです。整理がつかないのは演奏のせいではなく、受け手の側の問題なのでしょう。

やはり、20年前に衝撃を受けた演奏とは全く別物です。一つ一つのフレーズの表現に明確な意志というか意図を感じさせます。発せられる言葉に込められた思いが、重く複雑なものになっている。それを深化と捉える人もいれば、前作との対比から不自然さや作為と感じる人もいるのだと思います。単なる空想ですが、この曲を繰り返し演奏する中で、あるいは人生に経験を積む中で、演奏家のこの曲に込める想いも積み重なっていった結果の様に感じられます。この曲を知れば知るほど、一つ一つの言葉をどう語るべきかという問いが迫ってくる、それに対する答えを意識して選びとっていかなければならない、そういう20年があって出来上がってきた演奏。

17歳の演奏は、そういう蓄積も意識も感じられない、ありのままに素直に演奏している様に聴こえます。恐ろしいのは、そうであっても、この曲の本質を提示してしまっている、ある意味奇跡です。他の演奏家が意識すればするほど離れていってしまう、見失なってしまう所を、「天然」でいとも簡単に乗り越えてしまっている様に感じられるのです。その自然さが聴くものを感動させ、この演奏の力の源になっているとも思えます。

今回の演奏と並べて聴いてみると、それはその時にしか成し得なかった奇跡的な出来事だったことが改めてわかります。そして、残りの3曲が、その奇跡に匹敵するような、別の高みに達するには、それなりの時の蓄積が必要だったということなのかもしれません。実際の録音は6年前と2年前というのも、録音後、世に出す前に「まだ」とか「もう」とか、そういう葛藤があった結果であって、その期間も含めた20年が必要だったのかもしれないと勘ぐってしまいます。

前回の演奏はその時でなければ出来ない瞬間的な輝きだったとすると、今回は一つ一つ組み上げていったもの。前者は無意識、自然さの産物である以上、心にストレートに訴えかけてくるため誰にも拒むことが出来ない。後者は苦労して選びとられた道筋の一つであって、絶対的なものではなく、他の道を選択する人も出てくるかもしれません。そうであっても、この新録音は、対照的ともいえるデビュー盤とは異なる感情を呼び起こす名演奏として輝いています。

自分にとっては、十代にしてあれだけの演奏を残した天才少女(?)が、見違えるような姿で新たな境地に達していることを見せてくれたという、そのこと自体に感動しているのかもしれません。妙な例えだというのは承知しているですが、冒頭の天才子役の少女の驚くべき変貌を遂げた後の姿を発見した感慨に似ているのです。ビフォー・アフターの優劣とは別次元の別の生き物、それでも彼女は彼女であることは気が付けばわかる・・・なんて、やはりどう受け止めて良いのか未だに整理がついていないようですね。

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  1. パグ太郎さん、

    こんばんは。
    レオンは映画自体も衝撃的でしたが、ナタリー・ポートマン、ジャン・レノ、ゲイリー・オールドマンの3人にも非常に強い印象を受けました。
    レオンでのナタリー・ポートマン、良かったです。凄味を感じました。パグ太郎さんとちょっと違うのは私にはレオンの時がベストで、スター・ウォーズに出てきたときは、正直に言うと「あ、こんなになっちゃったんだ」という感じ。ブラック・スワンではあまりにも痛々しくて見てられない感じを受けました。
    着実に進化、成長を遂げている…ということなのかもしれませんが。

    正常進化はむしろエマ・ワトソンの方に感じます。(笑)

    いずれにしても若き天才の行く末は難しいですね。
    ヒラリー・ハーンのバッハの新録音はまだ聴いていません。
    聴くのがちょっと怖いかも。
    でも彼女は生の演奏会でも演奏やサイン会でのちょっとしたしぐさに性格的な良さ、安定感を感じましたので間違いはないとは思っていますが…

    byK&K at2019-03-02 20:12

  2. パグ太郎さん、おはようございます。

    ハーンのバッハ無伴奏は最初のリリース盤はよく聴いていました。
    もう1枚の方はまだ入手していません。

    その理由として、パグ太郎さんが心情を吐露されていますが、小生も今回は全曲を録音し直すばかりと思っていたので、20年の歳月の時空を超えて全曲録音完成でいいのかな!?という気持ちがあったからです。

    来日コンサートやリサイクルで弾くアンコール曲に1曲は弾いていましたので全曲録音し直すのも可能だったと思うのですが、これはDGとの契約上の大人の事情なんでしょうか?

    by椀方 at2019-03-03 08:31

  3. パグ太郎さん、おはようございます。

    ナタリーポートマンに関しては私もK&Kさんと同じ感覚です。
    あまりに存在感が大きかったので、レオン時代から離れられなくなっています。デビューが凄すぎると逆に苦労しますね!
    ちなみにレオンではゲイリーオールドマンの怪演が好きで、おじさん世代になったらゲイリーオールドマンみたいな、ビジュアルも含めてセクシーでチョイ悪なオヤジになりたいと思っていました。
    ただいまの私の結果は言うまでもありませんね。(笑)

    byCENYA at2019-03-03 08:44

  4. 椀方さん

    レス、有難うございます。

    楽曲に対する姿勢、つまり、作為のない自然さと、経験の積み上げによる選択の意識という、どうしようも無い違いがある以上、全く別物として聴くことが出来れば、それがベストなのでしょうね。その上で、改めて二つの違いや、根っ子にある不変な所を感じるのが良いのだと思います。(それが女優の例だったのですが・・・)

    でも、曲構成もこれで全曲完成となっているし、ハーンであるという意識は捨てきれないので、どうしても続き物として聴いてしまうのが人情で、難しい所ですね。

    契約のことは分からないですね。おまけに、彼女は同じユニバーサルのDGからデッカに移ったのかどうかも気になるところです。

    byパグ太郎 at2019-03-03 11:43

  5. ドロロンせんや君さん(長い!)

    レス、有難うございます。

    >K&Kさんと同じ感覚

    うムムムむっ・・・・。そんなにパドメって駄目ですか?!(悲)
    自身ではレイヤには全く感情移入できなかったので、やっとエピソード1でヒロインらしい姿になったと思っていたのですが。

    ゲイリー・オールドマン、良かったですよね。この延長で、フィフス・エレメントの間抜けな悪役ぶりにつながっていて、そちらも大好きです。そういえば、彼もポッターファミリーですね。

    byパグ太郎 at2019-03-03 11:54

  6. K&Kさん

    レス、有難うございます。(誤記がありましたので、修正・再掲載レスです)

    >こんなになっちゃったんだ

    うムムムッ・・・。これはムキになってしまいそうです(笑)。

    自分にとっては、パドメとマチルダは全く違う女優だと思って、それぞれ好きだったのですが、それが、同一人物だったことに随分後になって気が付いたのが衝撃だったということなのです。そういう意味で、変化のダイナミックレンジに驚いた点はK&Kさんと同感です。が、やっぱり両方、別物として良いのです。そしてブラックスワンの痛々しさも。

    で、ハーンも新旧別のアーティストとして聴かないと良さは受け止められないかもしれないという話につながるのですが、書き手の個人的思い入れが強すぎましたね。

    エマ・ワトソンは、小学校入学から毎年の成長を見せられてきた親戚の叔父さん気分で、最後に子連れで登場しても何の違和感もないのは全く同感です。

    byパグ太郎 at2019-03-03 12:00

  7. パグ太郎さん

    遅レス失礼します。

    ハーンのバッハをどちらも所有していないので、ちょっとレスするのに躊躇していました。ナタリー・ポートマンのことは私も同じで「レオン」のマチルダがあまりに鮮烈で、成人してからの女優としての彼女と同一人物と気がつかず、家人から大いにバカにされてしまいました。

    音楽の世界では、よく〝神童〟という言い方をしますが、ハーンは確かに子役としての驚きがあったのだと思います。それはちょっと神童とは違うのでしょう。さすがに20年前のハーンと今のハーンとを別人とは誰も思わないでしょうが、演奏するバッハは聴き手からすれば同一視しにくいのかもしれません。

    ピュアな音色と純真無垢の技巧とか、清純なエロティシズムということは少しも変わっていないのですが、それを十代の少女が演奏することの新鮮さと、成熟した大人として演奏することの尊さはずいぶんと違うのでしょうね。

    日本での人気は、その体質のようなものが数年前と今とでは違ってきているような気がします。
    ⬇︎
    http://community.phileweb.com/mypage/entry/2408/20130521/37116/

    byベルウッド at2019-03-03 14:59

  8. ベルウッドさん

    レスありがとうございます。

    ハーンのデビューCDを聴いた時に感じたのは、新しい時代が拓けたという感慨でした。それをこの若さでやってのけたという驚きと、この年齢であるからできることという納得感の双方があったと思います。それだからこそ、次の展開は難しかったのかもしれません。

    その難しさは、彼女の不易な本質、正しく「ピュアな音色と純真無垢の技巧とか、清純なエロティシズム」を保ちながら、バッハのあの曲を成熟させる道筋の困難さだったのかもしれません。

    不易な本質といえば、マチルダでもパドメでも、あの眼差しに感じる意志の強さは、変わらないということに通じるものがあるとまで言ってしまうと、流石にしつこいですね。、

    byパグ太郎 at2019-03-03 15:34

  9. パグ太郎さん。こんにちは、reviathです。

    ハーンのバッハ無伴奏は、20年前の録音、特にパルティータ第3番には衝撃を受けたクチです。
    こんな鮮烈な、瑞々しい、颯爽とした演奏が在るのか!、そんな想いで聴きました。

    私的には、バッハの無伴奏とは、シゲティやシェリング(モノ旧盤)、アドルフ・ブッシュ(パルティータ2番のみ)で永らく親しんでおりました。

    要するに、文学的表現と申しますか、喋るように語るように音楽を奏でる。
    音よりも其処に込められた思索や想いを聴こうとする、自分の嗜好とも合致した演奏を愉しんでいた。

    其処に聴こえて来たハーンの演奏は、音楽的と言うか、歌謡性を特に際立たせた、音楽ならではの魅力を最大限提示したものと聴こえて来たのです。

    そして今回の録音も、先ず聴いたのは無伴奏ソナタ第1番。
    (コレは舘山のコンコルドに行くとシゲティの演奏の真価を堪能出来るのですが)

    言語的な音楽として最右翼の曲に対して、あくまで音楽であろうとするハーンのアプローチは新鮮に感じました。

    そうした姿勢が、20年を経た今でも変わらない、のは感慨深く想えました。

    閑話休題。
    今は偶々、クラシック音楽を聴かせてくれるBar に居るのですが、バッハの無伴奏が流れています。
    イザベル・ファウストの演奏。

    彼女は、今様の歌謡性(昔に比べれば軽やかな)を持ちながら言語的な演奏も出来る方です。
    (現代は、言語的な演奏をすると「時代錯誤!」と言われかねない空気を感じます)

    今は様々な演奏形態を、深く突き詰めた形で出逢う事の出来る、過去にも稀な時代なのかも知れませんね。

    byReviath at2019-03-03 17:35

  10. Reviathさん

    レス有難うございます。
    ハーンの以降、観念やら信条やらを語るのではなく、純粋な音楽として歌う事が許される様になったというのは、仰る通りだと思います。そこから多様で豊かな演奏が次々に登場してきたのでしょうね。ファウストも、イブラギモヴァも、そこから生まれてきた演奏だと思います。

    その先を行くものが最近出て来始めたと感じています。その想いを強くしたのが、アナ ゲッケル。心安らぐ無伴奏です。

    byパグ太郎 at2019-03-03 18:32

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