パグ太郎
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クラシック中心に聴いています。オーディオは手段と考えてはいるものの、気がつくと手段の魔力に取り付かれてしまうことも多く、日々修行をしております。

マイルーム

パグ太郎の部屋
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持ち家(戸建) / リビング兼用 / その他 / 16畳~ / 防音あり / スクリーンなし / ~2ch
Phileweb登録後1年、気が付くとスピーカー導入していました(2018/6)。所有製品はHRS130ですが、製品DBに登録がないので、一番近いもので代替しています。 10数年愛用したアン…
所有製品
  • スピーカーシステム
    GERMAN PHYSIKS HRS120 Carbon
  • プリメインアンプ
    OCTAVE V110SE
  • ハードラック
    QUADRASPIRE QAVM
  • RCA/BNCオーディオケーブル
    KIMBER KABLE KS-1020
  • 電源ケーブル

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日記

取り除くことのできない『歪』に思いを寄せること、あるいはバッハの『ロ短調ミサ』をK.リヒター指揮の1961年の演奏で、今、聴くことについて

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2019年06月30日

今日のテーマはバッハの『ロ短調ミサ』をK.リヒター指揮で1961年に収録されたこの一枚。


この演奏に対する世間の評価は、「峻厳で、神の前で反省しないといけない気分になる」という様なものが多いのですが、昔からこれしか聴いていない自分には、本当にそんなものなのかしらと、何時も不思議に思えるのです。

だって、この曲には、神様側からの、怒りとか、お叱りとか、もっと頑張れとか、もっと真面目に生きろとか、そういう上から目線のメッセージは一切ないのです。では何がある?

この曲のテーマは至って単純。「神に救いを求める」その一言。
そう願ってはみても「本当に救ってくれるのだろうか」と思うのは人の性。
その自分の迷いを振り切るかの様に、「あなたを信じています」「あなたは万能」「あなたは偉い」「私を見捨てないで」「先に感謝しておきます」という願望・宣言をCD2枚の時間を使って延々と繰り返しているだけなのです。そうしなければならないほど、人の心は揺らぎやすいものであり、現世は自分たちの力ではどうしようもない問題を抱えているものだったのでしょう(「だった」という過去形でいいの?)。

それでは、これを作曲したバッハ、そしてそれを演じた人たちや聴いていた人たちは、本当に救ってもらえると思えたのでしょうか? そういう不信心なことを、神に救われるなんて、これっぽっちも期待していない自分の様な輩はつい考えてしまいます。 一方で、聖典の様な立派な曲といわれているから、何か感じなければ・・・、救われるとは思わないけれど、日ごろから疚しいところは沢山あるので、とりあえずは反省でもしておこうか・・・なんてことが冒頭の世評の裏にあったりしないかと捻くれたことを考えたりもします。

でも、最近ニュースで流れてくる、「引きこもり」にまつわる文字通り救いようのない事件が連鎖していくのを見ていると、この曲も現代に生きている今日的意味を持っているのではないかとも感じるのです。すごく乱暴な言い方をすれば、社会に適合しづらい辛さを抱えたまま、親子という極小の関係性の更に内側に退避せざるを得ない人たちが、近い将来直面せざるを得ない現実への不安を起爆剤として起こしてしまう暴発、そして同様の不安を抱えている多くの人たち(本人だけでなくその家族も含めた)への連鎖的影響。

これを救う手段は今、具体的には存在しないようです。そして、あのいくつかの出来事は既に過ぎ去った事件として誰も振り返りもしない様です。つまり、その問題を社会全体としては孤独の中に隔離し続けるわけで、それでは当人たちの不安も、それを周囲で無視できなくなっている社会の不安も、相互作用で積み上がり続けるという悪循環を抱え込んだまま日常は過ぎていくのだと思います。

こういう事態に直面して呆然としている時に、バッハのこの曲を聴くと、「これで救済を信じることが出来たのだろうか」とか「とりあえず反省」という当事者意識のかけらもない想いとは別の何かが見えてくる気がするのです。

この演奏の真摯さに接すると、「自力ではどうしようもない」「救いがくるかどうかも分からない」、そんなことは百も承知だったのではないかと感じられるのです。逆に、それが切実に分かっているからこそ、救いを集団として求めるという行為、つまり救いがあることを切に願っている人がこれだけいるということを確認しあう行為が必要だったのではないでしょうか。そういう想いを集約するための灯台としての役割をバッハの音楽が担っていたとすると、その音楽にあの緊迫感とか、力強さがあるのは当然のこと、いや、それ無しにその役割は担えなかったとも思えるのです。

今、目の前にある現代社会の課題に対し、そういう集団として問題を確認し合う行為なんて真の意味で解決にはならないという批判はあるでしょう。それでも、孤独の中で不安を増幅させ、その負のエネルギーを蓄積し続けるよりも、不安と願いを共有することが心と社会のバランスを取り戻すことに役立つのであれば、それは本質的問題解決とはならないかもしれないけれど、ある一定の意味はあるのではないか・・・。もっと言えば、この分断された救いの無い社会の歪に打つ手を見いだせずに呆然としている我々に必要なことは、どんな形であれ社会の紐帯をとりあえず作り直すことではないか・・・・。

これは、バッハのミサ曲に限った話ではないのかもしれません。でも、バッハのこの曲の、この演奏は、より鮮明に、そういうことを意識させるくれる気がします。そう、聖典として奉られているものを畏まって聴いておくというのとは違う、今の社会で生活していく日常にしっかりと繋がっている、生きた音楽として聴こえる気がするのです。

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  1. 政治や宗教の思想信条を公衆の面前で話すのが憚れるのは日本だけの習慣でしょうか?

    小生は洗礼を受けた訳ではないですが身近にそういう方達が居たので、一度不遜にも「貴方は神の存在を信じますか〜?」尋ねたことが有りますが、その方からは「信じると心が楽になりますよ〜」と答えが返って来ました。

    いや、それだけなんですが。

    by椀方 at2019-06-30 13:47

  2. 椀方さん

    レス有難うございます。いつもにも増して理屈っぽい上に、オーディオネタでは全くなく、ソフト紹介に寄せた時事ネタ、それも「不都合な真実」に宗教を絡めるという、このコミュニティには相応しくない内容で、アップするのを躊躇しておりました。

    >憚れるのは日本だけの習慣

    酷いところでは、その話題自体で即犯罪という国がG20の中にもありますが、自主的に「憚る」ことが社会的「習慣」という不思議な国は、ほかにあるのでしょうかね。

    宗教が担っていた社会的役割の代替物、それは国や民族によって異なると思うのですが、それを近代化の過程で構築しないまま、「空気」と「自己責任」でやり繰りしているのが私たちなのかもしれません。そういう中で、バッハの宗教曲とか聴くと、そこには根っ子が生えていない気がするのです。

    byパグ太郎 at2019-06-30 15:04

  3. 取り除くことのできない『歪』に思いを寄せていたら高尚な『歪』の話でお呼びでなかった感を取り除くことができないグルマンでござった

    byグルマン at2019-06-30 15:46

  4. 書かれているような昨今の出来事に対しては、世の中のヒトゴト感覚に違和感を感じるひとりですが。

    音楽自体も「信じる者は救われる」存在ですから、バッハの時代に教会のミサに出掛けた際にカンタータを聴くのも、現代の日本で初詣に出掛けた神社でお祓を受けるのも、古刹の塔頭で護摩供養に参列するのも、その場では皆さん神妙な心持ちになっているのではないでしょうか?

    これがオーディオだと単なる鑑賞になってしまうので、心の坐り具合が良くないと思うのはむしろ健全な心持ちだと思いますよ。

    by椀方 at2019-06-30 16:24

  5. パグ太郎さん、こんにちは。
    人それぞれに抱えているものや基準が違うので、人間関係では何かしらの溝(ズレ、歪み)が生じてしまいます。
    その溝を埋める特効薬はないのかもしれませんが、「笑顔」には間違いなく修復効果があると実感していますし信じています。
    少なくとも自分自身はどんな状況にあろうとも笑顔で耐えるし、出来れば自分に関わってくれた人達に対しては「笑わせる事」で、手の届く範囲の歪みは解消させたいなあと思っています。
    コミュ内では一度だけでもお会いした方は、もれなくイジります!
    コレはファイルウェブ内の歪みを解消させるという大義に寄っていますので、しゃーないっス。

    byCENYA at2019-06-30 16:34

  6. グルマンさん

    レス有難うございます。

    引っ掛けではなかったのですが、期待外れでスミマセンでした。ただ、グルマンさんの日記を拝見していると、世の中には色んな歪みがあって、人によってその感度は違うものなんだなぁと素朴に思います。

    byパグ太郎 at2019-06-30 23:37

  7. 椀方さん

    再レスありがとうございます。

    仰る通り、「神妙な心持ち」と「鑑賞」は座りの悪いはなしかもしれませんね。

    全然違う話ですが、「花はどこに行ったの」をベトナム反戦という文脈で聴くのか、ルーマニア紛争で破壊されたサラエボを悼むカテリナ・ビットの文脈で聴くのか、60年代初頭のアナログ録音の再現という文脈で聴くのか、聴きたい文脈によって音楽に求めるものが変わってくるのでしょうね。

    byパグ太郎 at2019-06-30 23:58

  8. CENYAさん

    レス有難う御座います。

    「笑顔」大切ですね! CENYAさんの愛あるイジリは「大人」を感じます(失礼ながら、オーディオの行動力はヤンチャなのと対照的)。

    本当に必要なのは、そういうことかもしれません。

    byパグ太郎 at2019-07-01 00:07

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