日記
ヤナーチェクの弦楽四重奏曲の悲劇と喜劇、或いは、「内緒の手紙」は決して内緒にできないのは昔も今も変わらないこと?
2019年06月19日
ヤナーチェク。自分はあまり聴かない作曲家です。多分、世間的にもそれほど知られた作曲家ではないかも。
唯一陽の目を見たのは10年前、彼の『シンフォニエッタ』が、社会現象の様なベストセラーになった村上春樹の『1Q84』で重要なシーンに使われた時でしょうか。
村上らしく、演奏家まで特定して書き込まれたのが、セル指揮クリーブランド管弦楽団と、小沢指揮シカゴ交響楽団の二つの録音。思いがけない特需で、この二つのCDの緊急生産なんてことがニュースになったりしましたね。なぜあの曲が、お話が始まるきっかけとなる二つの異世界をつなげる穴としての役割を担わされたのか、そして二人の主人公を結びつける鍵になったのか、その理由は未だにによくわかりません。軍楽隊のファンファーレの様な曲想が何かの始まりを告げる予感をもたせながら、少しゆがんだ和音のつらなりで異次元の秘密の通路を思い起こさせた、そういうことなのかもしれません。単なる憶測です。
母国の軍楽隊に献呈されたこの曲、村上も作中でそのことに触れてはいますが、実は37-8歳年下の人妻への作曲家のかなわぬ思いの産物でもあるのです。作曲家もそれを隠すなんてことに気を使ってはおらず、彼女を創造の女神にした作品を堂々と数多く残しています。その最たるものが、彼が亡くなった年、74歳の時に作曲された弦楽四重奏曲『内緒の手紙』、つまり「彼女への恋文」というタイトルの曲です。実際に700通に上る手紙が残っているというのですから、いやはや。
さて、あまり聴かないヤナーチェクですが、この『内緒の手紙』ともう一つの弦楽四重奏曲『クロイツェル・ソナタ』の2曲は例外的に時々引っ張り出して聴くことがあります。
『クロイツェル・ソナタ』? それはベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタではと思われるかもしれません。が、話は少し込み入っています。トルストイの短編小説に、『クロイツェル・ソナタ』という作品があるのです。その粗筋は、ベートーヴェンの『クロイツェル・ソナタ』を妻が不倫相手のヴァイオリニストと煽情的に演奏するのを聴いた夫が、妻を刺殺してしまうという、なんとも後味の悪い話なのです。ヤナーチェクは、ベートーヴェンの元曲ではなく、トルストイのこの小説に触発された人間模様を音楽作品にしているのです。この作曲家、どれだけ不倫ネタ好きなんだか。いやはや。

この2つの曲の内、『手紙』の方は作曲家から人妻へのストレートな愛情表現で、ある意味わかりやすいです。ただ、その暑苦しさは相当なものです。実際に残された700通の手紙の1通でこの曲に触れ、「音符一つ一つが僕の口づけ」とか書いてあるらしい(阿保らしくて読んでいられません)のですが、音楽もその通りの粘着度と温度感です。
一方の『クロイツェル』。トルストイの小説は殺人を犯した夫の告白・回顧録という形ですので、音楽も嫉妬にさいなまれる夫の心情と殺人に向かう狂気を表していると考えることもできます。きしむ様な心の痛み、一瞬の安らぎを求めても無残に引き裂かれる苛立ち、それをあざ笑うような他人の目、あるいは自分自身の目、絶望・・・・が表現されている、そう言われればそう聴こえます。でも、待てよ? ヤナーチェクの実生活での立場は、ヴァイオリンで妻を誘惑する音楽家の間男の方のはず。トルストイの「こんな淫らな音楽を書くベートーヴェンは怪しからん」「禁欲こそ人間の価値を高める」というお説教に同調するとは思えないのです。逆に、美しい芸術に心を奪われ、命を落とすことになった人妻の苦しみと悲劇を、自分の憧れの相手との関係に置き換えて表現しているのでは? そう思って聴けばそう聴こえてくるから不思議です。
どっちなのでしょう? 気になって調べだしたところ、あの700通の手紙の一つに答えがありました。「トルストイが小説で描いた不幸な女性、悩み、打ちのめされ、もだえ苦しむ女のことを想定して作曲した」と。トルストイの主張とは真逆。もっと言えば、実際には憧れだけで終わったと言われている二人の関係を念頭においてこの発言を振り返ると「自分への愛であなたも苦しんでほしい。トルストイの描いた女の様に」という悲劇とも喜劇とも受け取れる願望とも聞えます。やはり、どこまでも自分の心情に忠実で開けっ広げな人だったのですね。でも、この率直な、不器用な人間らしさが良いのです。ここまでくると、もうとやかく言うことは何もありません。
さて、この二曲、色々と名演奏はあるのですが、リリースされたばかりのベルチャ四重奏団のこの新録音は流石です。このような先鋭的な感情表現をさせたら最高ですね。

そして、少し前に長々と日記に書いた、エルサレム四重奏団のこれ。どこか憎めない人間の愚かを感じさせる所が不思議な彼ららしい演奏です。
そして、もう一つは、同じチェコ出身のパヴェル・ハース四重奏団のこれ。弦四本でやっているとは思えないスケールの大きなドラマティックな演奏です。

上の3つのグループがそうだという訳ではありませんが、弦楽四重奏団のメンバー間のドロドロしたゴシップネタも色々聞こえてくるものです。そういう問題を抱えてこういう曲を演奏すると、どうなってしまうのかとか、余計なことを空想してしまう曲でもありますね。いやはや。
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パグ太郎さん、こんばんは。
ふふふ、なんとも人間臭くダークサイドエロテーマなのでしょう。。。
流石はES社のトップセールスマン。
完敗です。
byCENYA at2019-06-19 20:58
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Cenya/He9nyaさん
早速のレス有難うございました。
額に第三の目ならぬ第三の耳が生やす修行を行うという怪しいカルト集団が、フロント企業を立ち上げて社員募集と称する洗脳活動を進めているという噂を耳にしました。その魔の手が身辺に及ぶとは、、、、怖いですね。
拙庵では滝に打たれて身を清め、心穏やかに衆生の救いを祈るばかりであります。(近いうちに、額に耳の生える音楽を聴かせてくださいませ)
byパグ太郎 at2019-06-19 22:53
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ヤナーチェクは、若い頃はなじみがあるのは「シンフォニエッタ」ぐらいであまり聴かない、聴こうと思わない作曲家でしたが、最近はすごく気になるし、先だってのイブラギモヴァのリサイタルなど聴くと新鮮な感動を受けたりしています。アルテミスSQも素晴らしかったでしたよ。
↓
http://community.phileweb.com/mypage/entry/2408/20180610/59684/
最初のきっかけは、松本フェスティバルで小澤が振ったオペラ「イェヌーファ」でした。あれもずいぶんとドロドロとした話しですし、世間の目というものの恐ろしさを感じました。その翌週にアメリカの同時多発テロがあったのですが…。
38歳年下の子持ちの人妻に700通もの手紙を送りつけるだなんて、今で言えばネットストーカーみたいで気味が悪いところもありますが、ヤナーチェクの恋の顛末は意外に清らかで後味の悪さはありませんね。
byベルウッド at2019-06-20 01:04
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ベルウッドさん
お早ようございます。深夜のレス有難うございます。
よく知らないだけなのかもしれませんが、ヤナーチェクは19世紀末から大戦間に東欧で生きた作家としては珍しく、戦争と革命の時代を作品に感じさせない気がします(モラヴィアの民族主義、汎スラブ主義というのはありますが)。
彼の関心とか、創作の動機はもっと個人的なところにあったからなのかもしれません。そういう意味でドロドロの人間関係を描いていても、素の性格が素直に出てきてしまっているとも思えます。不思議な作家です。
はい、アルテミスのヤナーチェクが良かったというのを貴日記で伺い、狙っていたのに聴き損なったと残念だったのを覚えています。
byパグ太郎 at2019-06-20 09:16
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