パグ太郎
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クラシック中心に聴いています。オーディオは手段と考えてはいるものの、気がつくと手段の魔力に取り付かれてしまうことも多く、日々修行をしております。

マイルーム

パグ太郎の部屋
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持ち家(戸建) / リビング兼用 / その他 / 16畳~ / 防音あり / スクリーンなし / ~2ch
Phileweb登録後1年、気が付くとスピーカー導入していました(2018/6)。所有製品はHRS130ですが、製品DBに登録がないので、一番近いもので代替しています。 10数年愛用したアン…
所有製品
  • スピーカーシステム
    GERMAN PHYSIKS HRS120 Carbon
  • プリメインアンプ
    OCTAVE V110SE
  • ハードラック
    QUADRASPIRE QAVM
  • RCA/BNCオーディオケーブル
    KIMBER KABLE KS-1020
  • 電源ケーブル

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トリオ・カレニーヌ演ずるスラブ系室内楽、あるいは「三つ目の鏡は何を映し出すのか?」について

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2020年01月24日

一昨年の六月にトリオ・カレニーヌ(トリオK)のラヴェル他のフランス系ピアノ三重奏曲の録音を取り上げました。
ラヴェルを、辺境の民俗性だとか、東欧のロマだとかの重たい文脈で「暑苦しく」ぶつけてくる東欧出身の演奏家たちも面白いが、都会的な洗練さとか夢見るような世界を描き出すトリオKも良いというような感想だったかと思います。

その彼女たちの新録音は、なんと、ロシア・東欧の重苦しい20世紀の歴史抜きには語ることが出来ない作曲家たち、ショスタコーヴィチや、先日取り上げたヴァインベルクの作品だったのです。これは、彼女たちも「東欧、ロマ、ユダヤ、クレズマー」の流れに絡めとられてしまったということなのか? いや、先日お題にした、パヴェル・ハース流の演奏家の暮らす世相を反映するようなショスタコーヴィチになるのか? そうだとすると都会的に洗練されたショスタコって何なんだ? それに、ヴァインベルグの描く世界はバルト海沿岸のモノクロームの情景とか言ったばかりなのに、彼女たちとは異質なはずで、それをどう料理するのか? なんて、またまた、傍から見ればどうでも良い、偏狭な好奇心を押さえきれずポチったのがこの録音です。


聴き始めて、最初のトラックから笑ってしまいました。こんな、愛らしいショスタコーヴィチがあったのか! 国家権力との関係において、迎合・従順・抵抗・抗議・風刺・皮肉・諦観・自負・矜持・・・・などなど、多様な顔を見せる、あるいは時に応じて仮面を付け替えるショスタコーヴィチには「素直な愛らしさ」なんて無縁なもの、その対極にあるものです。一体これは何なのか。作品番号の8番という数字を見て少し納得。1923年17歳、結核の転地療養でクリミアに滞在していた時に作曲し、初恋の人に捧げた曲だそうです。「まるで、堀辰雄」。そういう感想がショスタコに浮かぶこと自体が信じられません。

続く曲が、ドボルザークのピアノ三重奏曲4番『ドゥムキー』。こちらは作曲者の代表作の一つ、「郷愁」とか「哀愁」とかいう言葉で語られることが多い、美しい旋律にあふれた作品です。トリオKの演奏は、彼ららしい柔らかく情感にあふれた美しいもの。が、この曲が違和感なくショスタコーヴィチに続くとは。

最後の三曲目は、ヴァインベルクのピアノ・トリオです。最近ドイツ・グラモフォンが啓発活動に力を入れている(本当か?)この作曲家の作品を聴いたのは、先日紹介したミルガ・グラジニーテ=ティーラ指揮の交響曲と、クレーメル他の室内楽しかこれまでないのです。それだけの経験で比較も何も無いのですが、トリオKのこの演奏、なんだか雰囲気が違います。深刻さが薄い、薄明の中に暖かい空気が確かに感じられる、それは不協和音の軋みが円やかに流れていく演奏によるものかもしれません。同曲をクレーメル 、アデエーヴァ、ディルヴァナウスカイテ(読み方合っているのかしら?)盤で聴くと、響きも先鋭的、ザラザラとした和音の重なり合いが、底の見えない闇の深さをこれでもかと突きつけてきます。まるで別の音楽です。

堀辰雄風(?)ショスタコーヴィチ を選曲し、望郷のメロディメーカーであるドヴォルザークと並べて見せる流れから考えて、ヴァインベルクをこういう形で演じて見せるのは確信犯、自分たちのスラブ音楽はこれだという明確な自己主張がそこに感じられます。流石、自国文化中心主義のフランス人トリオです。

ベアトリーチェ  ラナとパヴェル・ハース弦楽四重奏団の録音を日記で取り上げた時に、優れた演奏は、作曲された時代の世相を映す鏡でもあり、演奏家の住む社会を投影する鏡でもあるというお話を書きました。トリオKのこの演奏を聴くと、演奏家自身のアイデンティティを映し出す三つ目の鏡でもあるという、当たり前のことに気づかされるのでありました。

最後に一つ。このCDの作曲者名の表記は「Chostakovitch」。チョスタコビッチ? 「チョピンとは俺の事かと、ショパン言い」というフランス語の表音法を習った大昔の事を思い出しました。イニシャルであるD.SCH.の音形をサイン替りに曲に散りばめているこの作曲家の名をフランス風表記にしてしまうなんて、フランス人の自国中心主義もここまで行くとやりすぎです。

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  1. こんにちは

    「チョピンとは俺の事かと、ショパン言い」
    ↑大笑いしてしまいました。

    そういえば、ドビュッシー四重奏団のアルバムも「チョスタ」になってました。もしかしてフランスでは普通なんですかね?

    ショスタコの室内楽は、この5年くらいで凄まじい数録音・再発が続いていますね。HMV検索したところ変なのがいくつもあったので、気になって今しがたポチってしまいました(汗)。ご期待(?)くださいませ。

    byOrisuke at2020-01-26 13:03

  2. Orisukeさん

    レス有難うございました。

    チョピンの川柳にはドイツ語用(?)の本歌(ギョエテとは俺のことかとGoethe言い、斎藤緑雨作)があって、そちらの方が有名かもしれません。チョスタコはフランス語表記で、他のフランス製作の録音でもこういう表記があるみたいです。でもDSCH崩してしまっていいのでしょうかね。

    「変なのがいくつも」のレポートを楽しみにお待ちしています。

    byパグ太郎 at2020-01-26 14:31

  3. パグ太郎さん
    こんにちは

    トリオ・カレニーヌ、以前にご紹介があったときに気に入って入手しましたが、今日配信で聞いてみたところ、おっしゃるようにドビュッシーやラヴェルを聞いているような感じはしました。でもこういう試みは、特にショスタコーヴィチの場合、いいんじゃないでしょうか。あの重々しさは、音楽そのもの以外の要素を感じることも多いので、純音楽的には再発見・再評価の意味合いもこめて、その地平からのある種の解放はあってしかるべきなんじゃないかと、聞いていて思いました。

    ただパヴェル・ハースのドビュッシーやラヴェルがありか?と言われると、意外に面白いのかも。。。と思いますが、たぶん現実性は薄いんでしょうし、やはりニーズの問題なのかな~

    byゲオルグ at2020-01-26 14:51

  4. ゲオルグさん

    レス有難うございました。
    こういうショスタコーヴィチもアリ?に賛成一票、感謝です。そろそろ革命、大戦、冷戦の呪縛から解放さてた演奏が色々出てき初めたような気がしています。

    パヴェルハースのドビュッシー、ラヴェルというのはどうなるでしょうね。確かに興味深く、聞いてみたいです。彼らのレパートリーの広げ方の今後が楽しみ!

    byパグ太郎 at2020-01-26 17:27

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