日記
オラフソンのリサイタルの思い出、あるいは時代の境目を乗り越える「恐るべき子供」の 破壊的創造について
2020年04月10日
4か月前の12月の初めに、オラフソンのピアノリサイタルを聴いた時のことが遠い昔のことの様に感じられます。(こちら)
今の一連の出来事は、全てがSFのデストピア小説の中の事であるかのようで、妙な既視感と妙な非現実感が重苦しい膜の様に頭を覆っていて、目の前に起きていることを受け容れることを邪魔している、そんな気がするのです。一方、その重苦しい膜を通じて眺めやるコロナ以前の生活も、また別世界のこと、遠い過去の出来事の様に実体感を喪っている思いがします。
そんな中で届いたのが、オラフソンのドビュッシーとラモーを混ぜ合わせたこの録音です。
そう、4か月前の演奏会はこの録音の事前告知ツアーでもあったのです。なんだか、大昔に海に投げ込んだ手紙入りの小瓶が、距離と時間を乗り越えて奇跡の様に手元に戻って来たような、嬉しい懐かしさが半分、全てが変わってしまった今、その中身を覗くことへの戸惑いと怖さ、あの昔の感情が戻ってこないかもしれないという躊躇が半分の妙な心持です。
音楽というものは不思議なものです。最初の曲の冒頭を聴いただけで、4か月前の紀尾井ホールの幕間休憩のロビーが、普段とは違うざわめきに満ちていた、あの熱気が蘇って来ました。ドビュッシーとラモーを交互に聴かされ、その途中に拍手することも(日本ではその心配はないでしょうが、抗議の声を上げることも)禁じられていた聴衆の、抑えていた思いがあちこちから聞えます。「あんなのはドビュッシーではない」「ラモーをああいう風に弾くとは!」「いや、面白い!」・・・・。人を感情的に刺激する、呆れるとか、馬鹿にするということを通り越して怒りのレベルまで引き出すというのは、普通の演奏ではそう簡単にできるものではありません。
実演でも感じたことですが、、有り勝ちな、それぞれの作曲家のスタイルと思われているものとは全然違う音楽がここにあります。ドビュッシーの湿度を含んだ靄の様な響きの中から立ち現れる旋律を期待してはいけません。その代わりにあるのは鮮烈な音の粒が幕の様に降り注ぐダイナミックな音の饗宴です。それでも、描き出されている世界は何故かドビュッシー以外の何物でもない。
一方のラモーも、静謐な安らぎの小さな逸話に落ち着いて耳を傾ける積りですと驚かされてしまいます。一つ一つの小曲は、それぞれが冒険、新しい試みで、聴き手にはその世界に入ってきて存分にお楽しみくださいと誘われているのです。そして、このように演奏されると、時代も様式もかけ離れた二人の作品が並んでいても全く違和感が無い、それどころか、一方がもう一方を触発している様です。共通しているのは、実験精神?
既存の固定的な作曲家のイメージに囚われず、作曲家の世界を型にはまらない新しい姿で再構築することオラフソンは試みています。その演奏は、長く支配的であった音楽と決別し、新しい独自の響きの世界の扉を開けたドビュッシーの実験精神に、演奏家自身の姿勢を投影している。それだからこそこのダイナミックなドビュッシーが生まれているのかもしれません。
それは彼のラモーについても感じられることで、作曲家の生きた時代の最先端の試みへの誘いという印象は、やはり作曲家へ自身をなぞらえている結果と思えるのです。ラモーの最後のオペラの間奏曲をオラフソン自身がピアノ編曲した『芸術と時間の神々』はこの録音を象徴するような一曲です。まるで、ラモーでもあり、オラフソンでもあり、そしてドビュッシーと言われてもそうかと思えるような音楽が流れていて、続くドビュッシーの代表作『亜麻色の髪の乙女』に重なっているのです。
こういう試みが作品として、あるいは演奏として成立させ、200年の時代の壁を乗り越えさせて繋いでしまう才能には、恐れ入りましたとしか言いようがありません。オラフソンはインタビューで、ドビュッシーもラモーも、揃ってその時代の「アンファン・テリブル(遠慮もなしに、伝統を打ち破る、恐るべき子供)」だったと言っています。「それを言うなら、それはあなた自身でしょう」というのが、真っ先に思い浮かんだ言葉でした。
後年、時代精神の大きな転換点として振り返られることになるかもしれない今日のこの惨禍です。その断絶の壁の向こう側で体験したリサイタルの興奮の思い出を運んできてくれた、現代のアンファン・テリブルの演奏に耳を傾けつつ過ごすStayHomeな毎日なのです。