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コミュニティには新製品やソフトの「生の」情報交換を希望します。
「ホームシアターファイル」「Phileweb」にそれぞれ一度掲載されたことがありますが、いまだにPhilenumberは持っていません。
高校生時代からこの趣味を途切れることなく続けてきてつくづく思うのは、趣味のオーディオ・ビデオには「良し悪し」や「正しい・間違い」などはなく、ただあるのは「好き・嫌い」だけであるということです。値段の高い・安いや他人の評価は、参考になりこそすれ、自分の幸せを保証してくれはしません。一方で、自分の評価が他人にはそのまま当てはまらないこともままあります。結局は自分で決めて納得するしかないのですが、その納得の仕方も「自分が気に入っているから」「人が高い評価をしているから」「値段が高いから」「有名なブランドだから」と人によってまちまちでしょう。私はなるべく「自分が気に入るかどうか」を軸に、選択をしてきたつもりですし、今後もそうしたいと思っているのですが、俗人で雑念も多いだけになかなか一筋縄では行きません。隣の芝生はしょっちゅう青く見えますし、新製品にはいつも目を取られ、他言に左右されることもしばしば。
迷ったときにいつも私がふと思い出すのは、1986年冬号の別冊FM fan誌に掲載されていた黒田恭一氏の寄稿「音楽を紡ぎだす人の姿を感じとるためのオーディオ」です。せっかくなので最後の部分を引用します。これはフリードリヒ・グルダの新譜「さすらい人」の印象から始まり、音楽を再生する装置に対する思い、を綴ったものです。
「再生装置と、コンパクトディスク、ないしはレコードのむこうにあるはずの、音楽への熱い思いを胸のうちにたぎらせていないかぎり、オーディオ機器は限りなく洗濯機にちかづく、とはいえないか。オーディオ機器を洗濯機の近くにおいて、まるで洗濯機のよしあしを述べたてるようにしてオーディオ機器を語った言葉は、悲しいかな、コンパクトディスクやレコードのむこうにあって真摯に音楽とむかいあっているミュージシャンをミイラ化する。」
「もう一度書くが、ぼくは、ぼくの再生装置のきかせる音に、完全に満足しているわけではない。ときには、ここがああならとか、あそこがこうならとか、あのアンプにしたらどうであろうかとか、あれこれ考えることもなくもない。現在の再生装置のいたらぬところもわかっている。しかし、にもかかわらず、ぼくは、ぼくの再生装置に、ぼくに音楽を感じさせてくれるということで、大いに感謝している。できることなら、いいこだね、お前は、と頭のひとつもなでてやりたいような気持ちである。」
「すくなくともぼくの再生装置は、「さすらい人/フリードリヒ・グルダ」が、フリードリヒ・グルダという音楽家のきわめて音楽的な営みの結果であることを、ぼくに教えてくれる程度には、性能がいいのである。だから、ぼくは、、「さすらい人/フリードリヒ・グルダ」とタイトルのつけられた、一枚のコンパクトディスクという商品と、「ひとりで」むきあっていたにもかかわらず、少しも寂しくなかった。」
「再生装置を人を感じとるための道具と考えず、洗濯機と同じ商品と考えるところでとどまるかぎり、音楽を紡ぎだす人の姿はみえてこない。しかも、始末の悪いことに、物との応対だけに追われていると、赤く燃えていてしかるべき心も干物化する。」
「とかくオーディオ機器について乾いた言葉がとびかいがちなのは、おそらく干物と化した心の持ち主が、それを隠そうとして、似非技術論をふりまわしたあげく、グルメ気取りを演じるからである。」
「ききてがききてとしての謙虚さを忘れたところでは、音楽をきく喜びも、オーディオの楽しみも、あわれ、枯れはてる。なにごとによらず、対象を愛せない人は、対象にも愛されない。音楽に耳傾けることを忘れた人の前にあるとき、オーディオ機器は、いつでも寂しげな後ろ姿をしている。」
本当は全文をきちんと読んで頂きたいのですが、この文章は、いつも私を「音楽を愛するもの」としての原点に立ち返らせてくれました。これからも初心を忘れずに音楽を、そして映画を楽しんで生きたいと思います。30年前にCDプレーヤーをようやく買って味わった感動以上の感動を、より高価な機器を買えるようになった今、私が味わえるかどうかは、私次第だと思うからです。