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原題:Il gattopardo 公開:1963年3月28日(IT)、2004年10月30日(JP) IMDb:http://www.imdb.com/title/tt0057091/ Blu-ray発売日: 2011年6月25日 販売元: 紀伊國屋書店 ・本編スペック Disc Title: IL_GATTOPARDO Disc Size: 45,123,522,133 bytes Protection: AACS BD-Java: No Playlist: 00005.MPLS Size: 43,596,834,816 bytes Length: 3:05:54 Total Bitrate: 31.27 Mbps Video: MPEG-4 AVC Video / 27995 kbps / 1080p / 23.976 fps / 16:9 / High Profile 4.1 Audio: Italian / LPCM Audio / 2.0 / 48 kHz / 1536 kbps / 16-bit Subtitle: Japanese / 129.539 kbps ・DLA-X7の設定 シネマモード(スタンダード、6500K、ノーマル) ・BDP-83の設定 "Source Direct" mode ・画質 極上。 ・雑感 「最後に、私はいま、青年時代に見た映画『山猫』のクライマックスの台詞を思い出しております。イタリア統一革命に身を投じた甥を支援している名門の公爵 に、ある人が「あなたのような方がなぜ革命軍を支援するのですか」とたずねました。バート・ランカスターの演じる老貴族は静かに答えます。「変わらずに生 き残るためには、自ら変わらなければならない。英語で言うと We must change to remain the same. ということなんだそうです。」[1] 当時63歳の小沢一郎氏が青年時代に観たということ、また、英文で台詞を補足していることからすると1964年1月18日に封切りされた英語国際版を元に語っていると思われます。オリジナル版で該当しそうな箇所はクライマックスではなく、ほとんど冒頭に近い箇所であり、アラン・ドロン演じるタンクレディ(公爵の甥)がバート・ランカスター演じるサリーナ公爵の問いに答えての台詞、「今のような状態でいたければ全部が変わる必要があるんですよ。」[2]p.30、あるいは「すべて現状のままであって欲しいからこそ、すべてが変わる必要があるのです」[3]という謎かけに近い返答がそれにあたるでしょう。 映画の原題"Il gattopardo"は英語版では"The Leopard"つまり「豹」になり、そのパロディ映画もつくられています。しかし、gattopardoは豹ではなく山猫であり、イタリアに縁深いアフリカ山猫(gattopardo africano、[英]Serval)を指すと思われます。近寄りがたく人食いの危険性がある獅子が王を表すとするのであれば、家猫に近い見掛けを保つ山猫は、住民に寄り添って生きるサリーナ公爵を表すにふさわしいでしょう。 監督ヴィスコンティが「ランペドゥーサの観点、というよりも、この小説の主人公であるディ・サリーナ公爵のものの見かたにわたしは全く同感です。<略>わたしの描いたペシミズムは封建的土地所有制度と、ブルボン王朝政府の秩序を惜しむのではなく、ひとつの新しいものを望む意思に照準をあてたものなのです。」[2]p.226、とあるように、旧時代と新時代にまたいで生きる不幸を嘆きながらも、タンクレディに「新しいもの」を見いだし周囲の反対を押さえながら成金者の娘との結婚を後押しし、彼自身は新政府からの上院議員就任要請を断りながらも、自らが嫌う成金者に賢しさ、すばしっこさを見いだし、推挙するという矛盾した行動をもって意思をしめしています。 青年期の小沢氏に、この映画が感銘を与えた「なにか」が「なに」であるかは余人の知るところではないでしょうが、ソ連崩壊で冷戦というひとつの時代が終了した衝撃は、「僕は、冷戦の終結はパンドラの箱が開いたのと同じことだと思う」「これから資本主義の暴走が始まる。米ソの戦争はなくなったが、富の偏りによる地域紛争や民族や宗教の対立が激化する。戦後政治の惰性で生きてきた日本は、自立して世界の中で活動するために、これからどうするべきか」[4]p.34,35という当時の小沢氏の発言から、冷戦後の世界の構図では、明治維新以来、政権交代のない自民党支配にまで連綿とつづくキャッチアップ体制つまり中央集権体制による硬直した無謬主義では乗り切れないと彼に危機感を募らせるに十分だったのであろうと推測できます。独裁、全体主義はナチス・ドイツや明治政府の実績、あるいは、企業においても”驚異的”な経済成長を達成した実績があります[5]。しかし、その体制は歴史の教えるところ必ず破綻します。そこで、ピークパワーはでないかもしれないが揺れ幅の安定した破綻しない柔軟な体制を構築すること、つまり、冷戦終結以降の(以前もそうなのかもしれませんが)小沢氏の政治信条をつきつめれば「わが国に健全な民主政治を定着させること」[4]p.37 となるでしょう。 「彼らの」民主主義に対する絶対の信頼は、崩壊した全体主義国家大日本帝国の残照に背後を照らされつつ、昭和30年代から40年代に少年、青年期を迎えた年代にとり(小沢氏は昭和17年生まれ)、数年後に現れる完全な戦後世代である団塊の世代以降と違い、自らのアイディンティティを構成するのに欠かせない、信じるに足るものだったのでしょう。失わないと人はそれの価値を見いだせない。あの年代の、例えば「政治に絶望することはきわめて危険なことだ。それはファシズムにつながり、「民主政治より全体主義のほうがましだ」という意識につながりかねない。」[4]p.31 という平野貞夫氏の発言に現れている危機感は、数年後の団塊の世代以降のように「戦後民主主義」が当たり前であった世代とでは響き方が違います。たとえば、戦後世代である私には、コンセンサス社会で責任概念が元々ない日本の島人に、主権在民の民主主義が定着するとは思えない。 小沢氏は自らを保守であると定義しています。彼の保守の定義は以下の通り。 「<小沢さんはかつて自民党の実力者だったからこそ、自民党を割ることができた。つまり、旧秩序を破壊することができた。ところがそれに対して、「だから小沢は自民党の悪い体質を引きずっているのではないか」と批判する声もありますが> その場合の「自民党的体質」とは、保守的体質ということでしょ。しかし、僕が保守的なのは当たり前で、ごく自然なことじゃないの?日本国民が政党、少なくとも政権を担い得る政党に求めているのは、保守ということですよ。非保守の体質じゃない。国民は保守の政党、政治家でなければ、安心して政権をゆだねる気にはならない。 ただ、本当の保守、コンサバティブというのは、時代の変遷に合わせて、絶えず改革を行うものです。だから僕は自民党に対して守旧という言葉を使った。単に旧を守るのは、守旧派でしかないんです。それは本当の保守ではない。」[6] しかし、この定義で保守をイメージする人はもう少なくなったのではないだろうかと思います。今や、せいぜい、守旧をさして保守というのではないでしょうか。かつて、自民党中枢にいた小沢氏も、まさか、それから数十年後に国会議事堂前で反原発集会のマイクを握ることになるとは予想しなかったでしょう[7]。氏は変わらなかったが時代が変わってしまったのです。 『山猫』で描かれている、タンクレディが参戦したイタリア統一運動は、ヴィスコンティが定義するように「裏切られた革命」[2]p.226 という評価があります。政治的な運動は「カネ」や「良いこと」を確実に呼ぶことはできません。期待すれば失望の方が大きいでしょう。振り子は右に左に、時には時計を壊さんばかりに揺れます。しかし、振り子が動かない時計は、見る者がなく、針がとまったまま眠りにつくわけです。 戦後昭和の始まりを知る世代の政治家もほとんど鬼籍に入るか引退してしまい、小沢氏も70歳。今回の選挙は、『民主主義』という副読本[8] で民主主義教育を学校で受けた、ないし、その余韻を受けた「昭和型」の政治家最後選挙でしょう。 サリーナ公爵は民主主義の台頭を感じつつ静かに漆黒の夜の闇へと去っていきました。逆に、小沢氏はじめ、「彼ら」が去った後、「我々」は『茶色の朝』を迎えるのかもしれません。 さようなら、民主主義「風」。おはよう、全体主義[9]。 [1]:小沢一郎「民主党代表選挙における政見演説」2006年4月7日 [2]:ルキノ・ヴィスコンティ、溝口 廸夫 (訳)『山猫 (ヴィスコンティ秀作集 (3))』<新書館> [3]:トマージ・ディ・ランペドゥーサ、小林惺『山猫』<岩波文庫>p.41 [4]:平野貞夫『小沢でなければ日本は滅ぶ』<イースト・プレス> [5]:サムスングループ李健熙会長、就任から25年 [6]:小沢一郎、構成:小林 泰一郎『語る』<文藝春秋>p.164-p.165 [7]:20121214 日本未来の党 小沢一郎 前衆院議員 反原発集会演説 [8]:民主主義―文部省著作教科書 [9]:20121215 秋葉原 自民党 安倍 演説
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HDMIケーブルはコネクタに「刺さっているだけ」であり、家庭内における使用での安全を考慮し容易に抜ける構造になっています。そのため、刺した状態でケーブルのコネクタ部分を触ってみれば体感できますように上下左右にグラついた非常に不安定な接続です。しかし、本ケーブルの場合スープラロックと組み合わせることにより、グラつきやガタのない固定された接続のケーブルになります。 特に、高速回転するBDドライブの振動を避けられないBDプレーヤーとの接続には欠かせない機構でしょう。 ケーブル自体については1080pで15mの長さまでイコライザーなしにサポートする力があるメーカー(ATC認証は3840x2160サポートの当DGシリーズは7.5mまで、1080pまでであればHQシリーズで15mまで、1080iまでであれば同じくHQシリーズで20mまで、それぞれ取得)ですので十分な品質だと思います。本製品では、3840×2160までサポートされていますが、1920x1080程度の機材間の接続ではオーバースペックであり、現状でも扱いに困るような硬さはありませんが、より細く取り回しのよい1080pまでスペックを絞ったクラスのケーブルがほしいところです。
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