2016年07月24日

「誰が聴いてもわかるくらいの歴然とした差」がわからない私にはオーディオをやる資格がないのでしょうか?
人それぞれとか個々の好き好きとか口では言いつつ、これだけ一方的に煽られ続ければ、こちらから言い返したくもなります。
自分で試してみなければ発言する権利も無いなんて、そんな風に外部の感覚を締め出して内向きに籠った結果オーディオという趣味がここまで没落してきたわけで、その縮図を見ているようですね。
WAVとFLAC、タグ有りとタグ無し、それらによって音が変わるのが事実だとしても、それに何の意味があるのでしょうか?
そんな人によって認識が変わるもののために他の利点すべてを擲つのが「オーディオ」なのでしょうか?
より「高音質」なソフトが新しく登場するたびに今までのソフトを全否定してこき下ろし(違うと言われるかもしれませんが、外からはそうとしか見えませんよ)、「音質のために」今までのソフトで行ってきた数百数千枚のリッピングやライブラリの管理といった全作業をやり直すことが「オーディオ」なのでしょうか?
私は音質にはこだわりますが、音質「だけに」こだわっているわけではありません。そしてこのような姿勢が「オーディオではない」と言うのなら、オーディオなどやりたくもありません。
音が悪いとこき下ろされているソフトやファイル形式や管理方法を使っている私ですが、自宅の音には満足しています。それでも、「その満足は低レベルだ」と一方的に煽られるのは正直言って不愉快です。
ここ数カ月のコミュニティを見ていて、オーディオという趣味が非常にばからしく思えてきました。
もっとも、「誰が聴いてもわかるくらいの歴然とした差」がわからない私にはオーディオをやる資格がそもそもないのでしょうね。