測定と聴感ついて、物理屋さんとして1つの見解を述べてみようと思います。
まず見解の前提となる物理法則という概念についてですが、物理法則とは決して現実世界を正しく表現するものなどではありません。
あくまで「現実世界を何かしらの意図に基づいて単純化して有限のパラメータで表現(モデリング)することにより、物理現象を程よく近似(シミュレーション)できると多くの人に認められているロジック」という、ただの条件付近似解の算出方法にすぎません。
そして物理現象の直接的な観測或いは物理法則による間接的な近似解算出のためのパラメータ導出の手段の一つとして、測定、つまり「基準単位を定義した際の基準単位との相対比率を数値的に示す手段」があります。
ここで大切なのは、オーディオの音質の良し悪しというものを体系的に「程よく近似するロジック」は、未だ誰も定義出来ていないという事実です。
というのも、認知関連の理論も徐々に発案されてきてはいますが、それでもオーディオの音質は元より写真や絵画の良し悪し、果ては料理の味など、観測者たる各人が保有する価値観という前提条件が大きく作用する「美」というものに関する感じ方については、未だ有効なモデルが生み出されていない現状があります。
その結果、オーディオは電気や音波、振動などといった物理現象と関連する事から、ある一部分に着目して電磁気学や流体力学、振動工学などの活用により近似解や観測値を得る事は出来ても、結局のところ、得られた個々の値が本人の知覚する音質にどのように寄与するのかという肝心な部分への紐付けはなされません。
ですので、オーディオに対してご自身の聴感で直接的或いは間接的にでも影響を感じ取れないレベルの「ノイズ」と定義した物理量を測定して、その数値が高い低いと一喜一憂している様は、正に手段が目的になってしまっており、私にとっては非常に滑稽に映ってしまうのです。
ですので、測定とはあくまで聴感を補助する手段として活用するものなのではないか、そして寧ろこの「程よく近似するロジック」が無い状態自体が、オーディオの趣味性を担保してくれている主要因なのではないかと思っています。
何やら長々と堅っ苦しく書いてしまいましたが、要は「聴いてナンボでしょ!無意味な頭デッカチにならずに素直に聴いて愉しもうよ♪」と、物理屋さんだからこそ思ってます!という日記でした。