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日記

第418話 電線絵画展

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2021年03月28日

2度目の来日を果たしたペリー提督が、幕府への献上品としてモールス信号機をもたらした。その実験のため、横浜の応接場と民家の約900メートルの距離に電線を張った。これが日本初の電柱と電線となった。

この見出しで始まる、練馬区立美術館で来月18日まで開催されている「電線絵画展」に行ってみた。

緊急事態宣言が解除になったとはいえ、行くのをためらっていたが、想像の10倍は面白かった。

電線というくくりで絵画が見れるだけだと思っていたが、当時はとんでもないハイテクという印象で、今でいうと、自動運転とかそういうものに相当するのかなと思った。

電信線は明治2年に横浜ー築地に開始され、なぜか4年には東京ー長崎間に敷設される。なぜ長崎なのかは、はじめは分からなかったが、なんと西南戦争が理由だという。東京の作戦を現地に伝えるためだそうだ。

明治20年になって国産初の発電所が開設されて、ここで初めて電力の送電がはじまる。これ以前の電線は電信のみで、絵を見ても電線がとてもシンプル。また初期は直流伝送なので、トランスも描かれていなかった。

電力の送電が始まって恐らく最初の災害が、帝国議事堂の炎上だろう。明治23年に竣工するも翌年には火災によって消失してしまった。その理由が漏電によるものだそうだ。電気は危ないということで、利用者の解約が相次いだという。

あと、教科書によく載っていた岸田劉生が、実は電柱画家だとは知らなかった。おかっぱ娘という印象しかなかったが、明治24年に銀座で生まれた劉生にとって、電柱とは都会のシンボルと映ったのか、風景画には必ず電柱が描かれていたという。そんな彼が保養の為、鵠沼に移って程なく、パッタリ電柱を描かなくなってしまった。関東大震災があったからだ・・・

他にも電柱を巡って非常に面白い展示をしていた。ガイドブックはアマゾンからも買えるが、後世に名を残す人の絵は、見ていて刺激的だった。

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