日記
第422話 音楽の考え方
2021年09月18日
「オーディオは音楽を聴く手段である」、というセリフに前から違和感があった。
そこで自分なりに考えてみた結果、オーディオは音楽ではなく音を聴くモノであるに至ったので、その理由を記してみたい。
まず、音楽と何か?
私は歌謡曲が好きなので、これで音楽の構成を考えてみると、音楽とは、聴き手にメッセージを与えるメロディー、そのメロディーにイメージを与える和音、最後はこれらに時間的な推進力を与えるリズムであるとしてみよう。
なので、音楽とはメロディー、和音、リズムとなる。
メロディーはヴォーカル、和音にキーボード、リズムはドラムスの楽器が使われる。
歌謡曲はJ-POPとも呼ばれるが、宇多田ヒカルの「オートマティック」は衝撃だった。初めて聴いたのは、日曜午後の横浜のみなとみらいを散歩しているときだった。J-WAVEのクリス・ペプラーの番組を通勤に使うポケットラジオを使って聴いている時に、この曲が流れてきたのだ。もう、立ち止まりましたね、「なんだこれは?」と。その後、彼女の生い立ちを知って更に驚きましたけどね。
その時はまだ、オーディオに興味が無かったのだが、その後、彼女のCDやリマスタリングCD、ハイレゾやレコードも手に入れた。
なぜ、同じ内容なのに同じモノを買ったのかと言えば、それは音の違いを体験したいからだ。
宇多田ヒカル以外にも、リマスタリングや初期盤といった今まで聴いたことがないモノを買うのは、音楽、つまりメロディー、和音、リズムを聴きたいからではない。
それは、今まで聴いてきたメディアとは違った、思いがけない音の違いが体験出来るかもしれないといった、淡い期待があるからだ。
音の違いとは、ヴォーカルの息使い、鍵盤を弾いた時の弦の振動、ドラムの臨場感などが思い当たる。
ここで先の音楽の定義をもう一度、記すとそれは
① メロディー
② 和音
③ リズム
となるが、逆に音楽ではないものとは何だろうか。音楽とは呼べない音、それはヴォーカルの息使いや、鍵盤の弦の響き、ドラムの臨場感が当てはまる。それらは音楽が生まれる時の副産物ありノイズである。
ここでオーディオのパラダイム転換を図ったみたい。それは音楽というのは、オーディオにとって実は音よりも地位が低いということだ。
音楽の内容はラジオやスマホでも伝えることが出来るが、音の違いは限られら機材でしか人に伝えることができない。オーディオとは音楽ではない音を再現するモノとも呼べるだろう。
私が宇多田ヒカルの音楽に立ち止まる程、感動できたのは、数千円のポケットラジオだった。しかし、CDやハイレゾ等のメディアの音の違いを体験するには、音楽が体験できた機器の数十倍のコストが必要だった。
数千円のラジオでも音楽の構成要素であるメロディー、和音、リズムは聴けても、それに伴う音の違いは、限られた機器でしか体験できないのだ。
もちろん、人によってオーディオに求めるモノが違うだろう、息使いか臨場感かは。
それは使う人の好みにオーディオ機器を煮詰めれば良いので、当然、同じ音のするオーディオ機器は存在しないというのが私の考えだ。
なので、私はオーディオの音について他のマニアの方と話をするのは、噛み合わないと思っているので、なるべく逃げるようにしています。
レス一覧
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試聴記さん、はじめまして。
なるほど、わりやすくて面白い整理ですね。有難う御座います。
色々と考えさせられましたので、勝手な自己分析を以下にしましたが、何やら自分の話に終止してしまったので、適当にスルーしてくださいませ。
私個人の場合は「オーディオは音楽/楽曲を聴く手段である」なのですが、それは例えば何処かの道を車で走行してA地点からB地点に行くとして、軽自動車で走るのとSUVで走るのとスポーツクーペで走るのとでは「B地点に到達する」という旅行為は同じですし周辺の景色も同じなのですが、運転している際の感覚が違うかと思います。
上の例だと旅行為=楽曲の再生なのですが、軽自動車よりも壊れ気味のビンテージカー、ラジカセよりも年代物の真空管アンプ等で聴く雰囲気が個人的な感覚的として好きみたいです。
エンジン音が静かなので周辺の音が聞こえやすいとか、車の窓が大きいので景色が広く見えるとか、車の性能によって色々と体験できるものが異なると思いますし、そういった体感を人それぞれの好みで追うのが試聴記さんが仰る「音」の部分なのかなと(勝手に)理解しています。
なので、決して試聴記さんの例えに反論しているわけではなく、私の場合は好きな音というのが何となく決まってしまっていて、それを追求している意識が無い=気に入った車で色々な道を走っているだけ、なのかな?と自己分析をしたところです。
私も試聴記さんと同様、オーディオの音について他の方と話をするのは苦手意識があります。
byJoe Frazier at2021-09-18 19:38
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今晩は。
若い頃の体験と、オーディオに凝った後の自分と対比して思う事は多々あります。
中学時代、ギターをやっていた時はラジカセで「耳コピ」をしてました。
モコモコしたサウンドで、自分の興味箇所にしか耳がいかず、お恥ずかしながらベースラインやリズムアンサンブルの存在意義を知ったのはかなり後です。
その当時、クラシックを聴く音楽の授業も退屈でしかありませんでしたが、音感のある人は必ずピアノを習っていて、バンドでメキメキと上達する人の家には大体はピアノや父親のちゃんとしたオーディオシステムがあったりしました。
ブラバンをやられてた人は最初からアンサンブルという概念があってこそかと思いますが、ロックってきっかけは「ギターが」「歌が」ですから、その時の土台の有る無しは大きいなと痛感しました。
後年になり、味覚育成には子供の頃から貝を食べるのが良いと聞いたりしますが、要はそういう事なのかなと思いました。
その後、大人になりオーディオに凝る事になるのですが、ある程度システムが構築された時に仕事帰りの社用車でふと流れてきたなんてことないストーンズの曲に涙が止まりませんでした。ドアに据え付けられた安っぽいフルレンジに、です。家に帰って聴いてもそこまで感動はしません。
仕事帰りの夕暮れタイミングがそうさせたのか、程よい情報量の音楽がそうさせたのか分かりませんが、今思えば両方の相乗効果なのかなと思いますし、感動にむしろ解像度なんていらないのだなと思った次第です。
何が言いたいのかというと、同じ音楽でも必要な時に必要な情報が自分の感性にアジャストした時が全てであり、その受け皿である本人がその時に持ち得た感受性次第なのかなと思いました。
byにら at2021-09-18 21:21
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Joe Frazierさん
こんばんは。くるまの例えは同じような体験をしたことがあるので、同感しました。
また、自分の好みの音を知っていることに勝ることは無いですね。
by試聴記 at2021-09-18 22:07
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にらさん
こんばんは。
わたしも学生時代、ラジカセで耳コピしていました。懐かしい~!
ハウンド・ドックとかRCサクセション等をやっていましたが、これは良いオーディオで聞くものじゃないですね。先月はスピッツをどうやったら最高に気持ちよく聴けるかかなり格闘しましたが、日本の曲は、そこそこのシステムで聴くほうが最高だと思っています。なんでだろう?
by試聴記 at2021-09-18 22:08
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