日記
オーディオデザイン DCHP-100の私的レビュー
2012年03月20日

「私がオリジナルだ。」 (ルパンVS複製人間より、マモーの台詞)
以前からこのアンプについてはいつか書くだろうことは分かっていた。
このアンプは他のヘッドホンアンプたちとは根本から違う素性が、
聞いてすぐさまに感じられたからだ。
ただし、この特別なシングルエンドヘッドホンアンプのためには
特別なキーワードが必要だ。
それはオリジナリティという言葉だろうと思う。
このアンプのルックスやボリュウムパーツは見慣れたものではない。
ここではオーディオデザイン オリジナルのアンプを
生み出したいというある種の覚悟が強く感じられる。
また、このアンプは適切なボリュウム調整さえできれば、
上流からの音を素のままに表現することに長けるようだ。
送り出しのもつオリジナルの音が耳に届くと思う。
音調は奇抜ではないが、
そういう意味でもオリジナリティはある。
私のオーディオは、
人と違う、自分だけのオーディオをやりたいという側面と、
記録されたあるがままの情報全てを、
改変しないで出し切りたいという側面が
相克しながら形作られている。
完全に相似形ではないにしろ、
DCHP-100はそういう葛藤が一つの形になったようで
その意味で興味深い。
外観:
斬新である。
メタリックブルーとアルミシルバーの
ツートンカラーのオーディオ機器はあまり見たことがない。
計測機器のような冷静かつ精密な面持ちである。
持った重さはやや軽く、
ライトな味わいの音が出てきそうな予感がする。
中央やや右寄りに二重構造のボリュウムがある中央のツマミで粗動、
周囲のダイアルで細動する。
粗い調節と細かい調整の両方に巧みに対応する。
これはアドバンスト L-padアッテネーターといわれる、
特殊なボリュウムである。カタカタッと軽快に回るので、
操作感はかなり小気味よい。
中央のツマミを0dBに合わせた状態が音が最も澄み切るようだ。
この状態で周囲の粗動ダイアルを動かして微調整するのが、
音質的にはいい。
入出力はRCAのみである。
このヘッドホンアンプをJorma PRIME RCAでKLIMAX DSに
そのまま結線すると、アンプのボリュウムを完全に絞りきっても、
かなり盛大に音が出た。
私は普段はオフにしているDS内蔵のボリュウムを絞ることで、
これに対応している。
なお発熱はほとんどないが、筐体の両脇にはヒートシンクを完備する。
フロントパネルには他にヘッドホン1、2と、そのセレクター、
そしてpreferenceとGainのトグルスイッチが付いている。
preferenceをONにすると
高周波ノイズを除去するフィルターが入るようだが、
聴感上は焦点が甘くなるようである。
私はOFFつまりフィルターを介さないStraightを常に選んでいる。
Gainは様々なヘッドホンに対応するためのものであるが、
こちらも聴感で0dBを選択している。
足は四点支持、いや正確には2+2点支持と言うべきだろう。
前の2つはパネル両脇のアルミの支柱であり、
後はゴムのような材質のインシュレーターが
前の2本よりも狭い間隔で底板に直接取り付けられている。
前2つと、後2つの足の材質や構造が
全く違うオーディオ機器はあまり記憶にない。
全体に端正な印象であり、ピュアオーディオの機器というよりも、
実験室にある計測器のような雰囲気があり、
好感が持てる。(音もそうだが)
どこか軽みを感じさせる、絶妙な気分があり、
重厚長大、物量投入一辺倒のハイエンドアンプばかりでは
面白くないと思っていた私を喜ばせるし、
ボリュウムやカラーリングに、
他にはないオリジナリティが発揮されていて、これも嬉しい。

音質:
なかなか絶妙である。
パッと聞きではなかなか特徴の掴めないフラットな音調だが、
長期の試聴で、その傾向はおのずと知れた。
ここにまずあるのは無邪気なほどに素直な音だ。
ディスクに記録されたオリジナルの音を
ストレートに出してくる感じがある。
これは計測器的な冷静沈着な側面であるとも言える。
逆に言えば音楽の内容に寄り添うような鳴り方は一切しない。
他のアンプが大きな振幅を誇示して、グッとくる部分を
このアンプはサラリと演ってみせる。
これがもともとの音だと言わんばかりだ。
狡猾な音作りは微塵も感じないモノだ。
安定性と正確さが優先された音で、美音を演出する傾向が全くない。
そのかわり、細かな音を拾い上げる能力には素晴らしいものがある。
これでこそヘッドホンを使う価値があろうというものだ。
それでいて解像度の高さが際立ちすぎた、
ギスギスした音調でもない。
これは各楽器の分離感よりは、
多くの音源が一体化し、
一斉に鳴っている雰囲気を重視するからだろう。
また、広いレンジの中に音楽信号の全てを内包する、
意外な懐の深さは安定性の高さの証である。
音源内の全ての音が、DCHP-100に管理され、はみ出したり
勝手に独り歩きしたりしないようにできている。
音場感は広さや狭さという言葉で表現できない。
その音楽に与えられた分だけの空間を過不足なく聞かせる。
また、DCHP100の一音、一音の透明感はすこぶる高いものがあり、
注意深く成形、研磨された光学レンズを通した光、
風景を眺めるような雰囲気を感じることもある。
音のエッジは丸くもなく、また尖るでもない。
音の輪郭が過剰に表現されることを意識的に避けているようだ。
高域方向へも低域方向へも十分に伸びている音である。
中域はまさに中庸。濃くも薄くもない絶妙なサジ加減、
いや絶妙な軽みがあると言えよう。
ただ、この帯域に濃厚さや、まぶしいほどの明るさを求める方には
このアンプは合わないと思う。
全帯域はやや柔らかな音触であり、
B~B2あたりの鉛筆で
カスレなく描写されたデッサンを眺めるような印象である。
音の締め上げを重視する向きには
このサウンドはどうだろうか。
キツイ音ばかりで辟易しているという方は歓迎だろう。
スピード感は速すぎず、遅すぎず。
これみよがしに誇示するところがなにもない。
なお、小音量時でも腰砕けない音であることも特筆すべきだ。
これは特殊なボリュウムパーツの威力であろう。
さらに、しっかりした電源部があるようで、
HD800をグリップよくドライブできるので、大音量にしても不満がない。
ジャンルで言えば
アニソンにこれほど良く合うアンプはあまりないように思う。
実物のオーケストラをホールに入れて録音するような
空間のリアリティを要求するソフトよりも、
仮想空間上に展開し、各音源が一線にバランスよく並んだような
やや二次元的な、打ち込みの音楽にマッチングがある。
そして、全体を支配する絶妙な軽みもアニソンに合うように思う。
アニソンと言われる音源を、
それほど多く持ち合わせているわけではないが、
こうして多くのアニソンが在るべき様に鳴っているのを聞いていると、
いかに偶然にしろ、このアンプが時代のニーズにマッチした
オーディオマシーンであることを痛感する。
CD,SACDプレイヤーやファイルプレーヤー、
あるいはインターコネクトケーブルの実力を測るための
普遍的なものさしとしての意味合いも個人的には感じられた。
あたりまえといえばそれまでだが、
このアンプは非常に上流の機器のクォリティに音が左右されやすい。
また上流からのRCAケーブルの品質にもかなり敏感である。
このアンプの評価についてディスカッションする場合は、
他のヘッドホンアンプ以上に上流機器、
ケーブルの条件を揃えるべきである。
KH-07Nとの比較が気になるが、
価格差云々以前にこれは全く異なる音調のアンプである。
KH-07Nの音は主観的に音楽を奏でるアンプであり
DCHP100は客観的に音楽を見るアンプである。
またKH-07Nの音は
バランス対応の高級なヘッドホンアンプの音調を意識させる、
ダイナミックで立体的な鳴りを指向しているようにも思うが、
DCHP100はあくまでも
シングルエンドのヘッドホンアンプの素性を大切にし、
その枠をあえて越えようとしない
フラットな音調=慎ましさがあるようだ。
これは日本人の軽妙で中庸な感性が生きたアンプで、
KH-07Nとはやや異なる性質を持つモノであるから、
並列しての使用は不可能ではないはずだ。
個人的な印象では、上流機器を調整して絶好調の状態で鳴らせば、
DCHP-100の方が、
アニソンをそれらしく聞かせてくれる確率は高いかもしれない。
もちろん、KH-07Nを買うのもよいが、
DCHP100をあえて選んで、
差額で高級なインターコネクトケーブルを買って、
同等以上の音質を狙うのも面白いのではないか。
個人的な印象では
ASUKAのマスターラインフィルターとの相性が良さそうに思う。
このアンプはクリーン電源を積んでおり、
電源部が弱いということはないが、
もっと強烈な音質的なインパクトが欲しいな
と思わせる瞬間はないこともない。
そこにASUKAのマスターラインフィルターがあれば、ということである。
もうすぐ出る廉価版のラインフィルターでもよいかも知れない。
どなたか試してみてくださらないだろうか。
これらがタッグを組めば、
この上なく清冽な音がほとばしるのではないかと予想するのだが。
まとめ:
このアンプは二回、自宅で試聴しており、
合計すると、2ヶ月間ほど毎日聞いていた。
特徴があると言えばある、ないと言えばない音で、
レビューをまとめるのに、大変、骨が折れるアンプだった。
ここまで使い込んでしまうと、
今、いつもの場所にDCHP100がないのが、どうも物足りない。
音の素性の良さは本物に思えたので、借り物でなければ、
電源や置き方をさらに工夫し、
自分風に磨き上げたいと思わせるアンプだった。
音楽には様々な聞き方があり、好みは分かれている。
レビューを読んで興味をもったら、
やはり試聴してみるのが一番だと思う。
オーディオでは、ある人にとって最高の音が、
他の人にとっては最悪な音でありうる世界である。
普遍性など、あるようでない。
例えば、だいたい、
普遍的なアニソンのあるべき鳴り方などというものがあるとは思えない。
私個人がこうあって欲しいと思っているに過ぎない。
普遍性というのはオーディオにとって、音楽にとって常に難題だが、
DCHP100はオリジナリティという鍵を用いて、
無謀にもそこへ近づこうとした形跡はある。
それが完全に成功したかどうかは、リスナーが判断すること。
ただ、私はその努力と、理想へのピュアな憧れに払う対価として、
22万円ちょっとの価格は十分に釣り合うもののように思っている。
追伸:
上奉書屋は2012年度より万策堂として独立しました。ご興味のある方はどうぞ。