日記
不惑の手習い
2010年04月29日
「身につかなくたっていいのだ、格好さえつけば」

このコピーが目に入って、手に取った「不惑の手習い」。
著者は小説家・法政大学教授の島田雅彦さんです。
島田さんが書道やいけばなから、天ぷら修業にフィギュア制作、左官にダンスとあらゆる習い事に挑戦したものです。
「習い事は一にも二にも練習なので、堪え性のない者には地獄だ。私も少年時代、書道、そろばん、柔道を習ったけれども、基礎を体に叩き込む前に逃げ出したので、何も身につかなかった。身についたのは日本語くらいか。読み書きや計算だって、自然にできるようになるわけではなく、十数年の訓練を通して学ぶ芸だ。」
「稽古から忍耐と退屈を間引けるのなら、習い事は快楽追求のジャンルになる。身につかなくたっていいのだ、格好さえつけば。頂上を極めるのではなく、ハイキングをするのだ。不惑の手習いとは、アマチュアリズムの追求であり、一目置かれる素人になることを目指す。」
この辺のところは、身に覚えがありますねぇ。
英会話だの、フィットネスクラブだの・・・
本書の中で紹介された習い事の中に「蓄音機」がありました。
「おお、こんなところに同好の士が!」
単細胞なものですから、ついつい「不惑の手習い」買ってしまいました。
蓄音機については、ご自宅にフロア型のHMV157を置いて、竹針で楽しんでおられる島田さん。

「音を蓄える機械の名にふさわしく、蓄音機のスピーカーから聞こえてくる音は現代人の耳にも生々しい。とりわけ歌手の声には体温さえ感じる。まさに小さな人が箱の中で歌っているようでさえある。それは機械というより楽器に近い。」
「ウン、そうそう、そーなんですよ!」
わが意を得たりと喜んで読んでいると目に留まった島田さんの写真。

「なにこのイケメン」
急に侘しい気分になりました。
中島敦の「山月記」に出てくる「虎になってしまった男」の気持ちがよく分りますなァ。
さて、「小さな人が箱の中で歌っている」「機械というより楽器に近い」と「文壇の貴公子」にも評される蓄音機ですが、本日はSP時代の二大女性歌手の競演をお聞きください。
以前「美人時計」でご紹介した、ニノン・ヴァラン(ソプラノ)とコンチータ・スペルヴィア(メゾソプラノ)です。
歌劇「カルメン」よりハバネラ(ヴァラン)→こちらから
歌劇「カルメン」よりセギティリヤ(ヴァラン)→こちらから
夢のあとに(ヴァラン)→こちらから
歌劇「カルメン」よりハバネラ(スペルヴィア)→こちらから
歌劇「ラ・ボエーム」よりムセッタのワルツ(スペルヴィア)→こちらから
ラ・パロマ(スペルヴィア)→こちらから
「不惑の手習い」で多いのが、「楽器の演奏」だそうですが、チェリストの柏木広樹さんのアルバム「Deja vu -Cello de Cinema-」は,主旋律抜きカラオケ音源の配信や本人監修による譜面集の販売も予定されているとのこと。

柏木さんは「聴いてもらう、一緒に楽しんでもらうという思いのほかに、チェロや他の楽器を、皆さんが実際に演奏するというきっかけになればと思っています」と語っておられます。
「不惑の手習い」の心強い味方になってくれそうですね。
レス一覧
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タイガーマス君さん
レスありがとうございます。
「天は二物を与えず」などと言いますが、
島田さんについては、それはあてはまりませんね。
少し嘆いてみました。
ホントに子供のころの「習いごと」は身につきませんね。
マジメにやってれば違う道もあったのでは・・・
そんなことも思ってしまいますね~
byNEKOMARU at2010-04-30 08:14