日記
音楽鑑賞会(7) ブラームス・交響曲第2番
2013年01月30日

トスカニーニが、フィルハーモニー管の懇請を受けてロンドンに客演した1952年の伝説的ライブ。
はるかなホルンの調べからさりげなくたおやかに始まる第一楽章。ヴァイオリンとチェロの哀感と憧憬がないまぜになったような第二主題が可憐。ヴァイオリンが流麗によく歌うし、うごめくような低弦が重厚で、その合間に透明な木管群が鮮やかに歌う。まさに、天地人の音楽。メロディアスな第二楽章は軽やか。対照的に第三楽章は、各楽器の歌の交歓がしっとりと穏やか。静かに閉じた前の三楽章でため込まれた気持ちのエネルギーが爆発するような歓喜の第四楽章は、颯爽と駆け抜けるようです。
ブラームスの「田園」とも呼ばれる第二番は、ともすればゆったりとした柔和な演奏がふさわしいというような思い込みがありましたが、久しぶりにトスカニーニのブラームスを聴いてみて、そういう思い込みとは無縁の演奏に魅了されました。第一楽章などでのトゥッティでも少しの力みもなく、とかく爆演になりがちな第四楽章でもルバートやディナミークを強調せず、自然への感謝、喜びを爽やかに表現しています。手兵NBC響よりも、オーケストラの自発性や自由さがよく感じられ、特に伸びやかに歌う弦パートと木管の美しい息吹が印象的。特にホルンの柔らかで軽やかな妙技は筆舌に尽くしがたいものがあります。
カラヤンの新旧の録音も、たおやかで重層的な音の対位が美しい。新旧の解釈の差はほとんどありませんでしたが、60年代の旧録音のほうが素直で繊細さがややまさるような気がしました。ワルターのハリウッドでの録音は、ごつごつした重めな音響であまり好きにはなれません。
トスカニーニのブラームスは、特に第一番の熱く燃えるような疾走感が好きで、若い頃の私にはひとつの理想で、他の交響曲もいずれも素晴らしいと思います。第二番について現代のおおかたの好みは、ウィーン風のゆったりとした演奏なのだと思いますが、今回、聴いてみるとそういう傾向とはひと味ちがったトスカニーニを改めて再発見しました。
テスタメント SBT 3167
モノーラル
システムによっては、帯域の狭さが耳につき、聴衆の雑音が鬱陶しく感じるかもしれません。しかし、システムのグレードが高い(SNや低域解像度、音の立ち上がり、音色バランス等)と素晴らしい熱気と演奏の音楽性に胸躍るほど興奮してきます。モノーラル時代など古い録音は、真空管の古典アンプやビンテージスピーカーのほうが相性がよいと思っていましたが、正攻法の現代システムでこそ素晴らしい音楽的感動を覚えるものだということに気づきました。古い録音をどれだけうまく鳴らせるかのほうが、むしろシステムの試金石としてわかりやすいと思います。
レス一覧
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ベルウッドさん、こんばんは。
このライブ録音は伝説ではありますが、私的には知名度は低いような気がしています。
モノラルを嫌う人はやはり居られますし、ブラームスのモノラルならフルトヴェングラーで満足しちゃったりで、あまり聴かれていない音源ではないかと思うのですが、いかがでしょうw?
(ウォルター・レッグがマスターをプライベートで所有していたせいで、レコード化されなかった事も大きい気がしますが。)
それも相まって、個人的には、他人に教えたくない隠れ名盤の筆頭だったりしていますww。
実際トスカニーニ盤を聴いていると、フルトヴェングラーよりも説得力のある部分が多い気がします。
例えば、第4交響曲の終楽章ではフルトヴェングラー&BPO(1948)のアッチェレランドより、トスカニーニ&POの雄大な歩みの方に惹かれます。
カラヤンの話が出ていますが、後に彼がPOでブラームスを録音した際、「トスカニーニの時のように演奏して下さい」と言ったとか…。
そう言われると、VPOやBPOで振った時よりもトスカニーニの臭いが強い気もしますね。
POの団員もブラームスに関しては、クレンペラーよりもこのトスカニーニの指揮を絶賛していたらしく、それを聴き付けたクレンペラーが、「トスカニーニが何だ!マーラー先生はもっと凄かった!!」と怒ったという逸話も面白いですww。
第2交響曲は、ビューローの語った「ブラームスの田園」という言葉のせいで、ウィーン風のゆったりとした演奏が正統みたいなイメージはありますね。
バルビローリ&VRSO(オルフェオ)に代表される噛んで含めるような演奏も確かに良いですが、トスカニーニ&POの新即物主義はそれまでのブラ2の演奏に一石を投じたように思います。
例えばカイルベルト&VRSO(オルフェオ)のライブ演奏。彼の終楽章の猛進は、どの演奏よりも聴き手の血を沸かせます!!
トスカニーニとカイルベル(あとムラヴィンスキー)で、私はブラ2の既存イメージをぶっ壊されましたww。
by裏庭の英雄 at2013-01-31 02:01
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裏庭の英雄さん
さすが、お詳しいですね。いろいろ私の知らないお話をありがとうございました。とても楽しくコメント拝見しました。
>このライブ録音は伝説ではありますが、私的には知名度は低いような気がしています。
《伝説的ライブ》というのはあくまでもライブ=演奏会のことで、録音のことを《伝説》と書いたわけではありません(笑)。トスカニーニのブラームスはほぼ同時期にNBC響とのレコードがあってRCAとの契約上、この録音は日の目を見ませんでした。テスタメントレコードによってCD化されたのは2000年のことです。
フィルハーモニア管を設立したEMIのプロデューサー・ウォルター・レッグは再三トスカニーニに客演を懇請します。あくまでも個人的な憶測ですが、レッグは公式録音としてレコード化することまで考えていたのではないでしょうか。したがってこの音源は、私家版とか放送用ということを超えた本格的な音質となっています。
公演は、イタリアから米国へ帰国する途中に立ち寄るというかたちで実現し、9月29日と10月1日の2日のみ。リハーサルに立った巨匠は、オーケストラの仕上がりに満足しますが、会場が前年にオープンした2900席のロイヤル・フェスティバル・ホールだったために、弦楽器が薄いということでエキストラが呼ばれます。そのなかには、ネヴィル・マリナーや後年ロンドン響のコンマスを務めたヒュー・マグワイアがいました。
トスカニーニには、楽員に怒声を浴びせる激しい練習と極端なかんしゃく持ちという伝説がつきまとい、インテンポと火の玉のように突き進む性急なテンポというイメージがあります。実際に、聴いてみると張りつめたような楽員の緊張感が伝わってきますし、第4番の終楽章終わり近くで巨匠のかんしゃくを挑発しようとする怪しからぬ聴衆が客席で鳴らしたクラッカーの音が2発入っています。
ところが、この時のリハーサルでは、トスカニーニの声はもの静かで一番後ろに坐っていた楽員にはまったく聞こえなかったそうです。巨匠は、前列の奏者に話しかけるだけで、その指示はほとんどがテンポの修正だけだったという。同僚から、「なぜ巨匠はいままでとは違ったフレージングをとるのだろう?」と聞かれたホルンのデニス・ブレインは「さあ」と首を振ったそうです。それほど、トスカニーニはオーケストラの流れに任せ、自発的な音楽感情の発露をあるがままに引き出しています。ですから、緊張感の漲る引き締まったサウンドでありながら、決してインテンポというものではなく、心地よい揺らぎがあって、歌に満ちた流麗なカンタービレが聴けます。
>個人的には、他人に教えたくない隠れ名盤の筆頭だったりしています
中学生の頃からのトスカニーニファンとしては、日本人のドイツ教養主義ばかりを崇拝・盲従する世論を苦々しく思っていて(笑)、「どうだ!?これを聴いてみろ!」!的心境なので、もっともっとこの盤を聴いてトスカニーニの神髄を知ってもらいたいと思って紹介しました。
あ、カイルベルトは好きですよ(笑)。
byベルウッド at2013-01-31 09:36