日記
「ロシア・ピアニズムの贈り物」(原田英代 著)
2015年01月29日

著者の原田英代さんのCDも聴いてみた。以前から気になっていたCDだったが、改めて聴いてみて驚いた。シューマンの「幻想曲ハ長調」は、その昔、ポリーニのLPを聴いて虜になった。原田のこのCDは、それ以来の衝撃だ。
原田は、遅咲きのピアニストで、東京藝術大学音楽学部、同大学院で松浦豊明氏に師事した後、渡欧。1984年ジュネーブ国際音楽コンクール・ピアノ部門最高位の栄誉に輝いている。普通ならここで華々しくデビューするだろう。ジュネーブ国際音楽コンクールといえばそのピアノ部門上位入賞者は、アルゲリッチ、ポリーニなどそうそうたるもの。日本人では、86年(三位入賞)仲道郁代も名を連ねている。原田は、それでもなお研鑽を重ね、ベルリンの壁の崩壊で東西往来が自由になった機会にモスクワ音楽院教授メルジャーノフのマスタークラスに応募。それが師との運命の出会いとなった。遅咲きというよりも、自らメルジャーノフの下での長い精進の時を選んだのだ。
原田は自分の手がピアニストとしてはとても小さいことに思い悩んでいた。ラフマニノフはおろか、チャイコフスキーのピアノ協奏曲も思うように弾けない。生涯の師ベルジャーノフとの運命の出会いのいきさつが印象深い。
原田が、オーディションのときに自分の悩みを打ち明けると、「10度はとどくのかね」と訊かれ、「いいえ」と答えると、「では、伸ばせば」との言葉が返ってきた。(p.4)
ロシア・ピアニズムは、決して大男の弾くピアノではなかったのだ。
前半は、ロシア音楽の歴史とリストを源泉とするロシア・ピアニズムの系譜を丹念にたどる。巻末に人名索引もあるので音楽史的なレファレンスとしても充実した内容となっている。名匠ネイガウスの辛辣なラフマニノフ評や、その弟子であるリヒテルやギレリスらのエピソードも豊富でロシアのピアニストの系譜の裏面史も豊富で興味深い。。
けれども、それ以上に充実しているのは著者自身の体験も交えて語られる後半のロシア・ピアニズムの真髄であろう。ここには、師メルジャーノフの肉声も含め、音楽や芸術についての驚くほどに豊かな箴言にあふれている。
著者が語るロシア・ピアニズムの真髄とは何だろうか。
それは、民衆の《歌》であり、人間の肉体と魂が発する《声》と《言葉》であった。そこに独自の「語る音楽、歌うピアノ」が確立したという。一方で、直感的なロマン的感情に任せず、厳密な読譜を求める。身体の使い方、「重量奏法」、スタニスラフスキーに学ぶ感情表現の教育メソッド、言語のリズムと音の密接性など。その修練の奥義は、日本の禅の精神にも通ずる肉体と精神との合一なのだ。
演奏家の生々しい修練や演奏活動の現場は、私たち音楽愛好家にも示唆に富んでいる。
人間の心理的考察を重要視したメルジャーノフは、ありとあらゆる時代の文学を読むことを推奨したという。リヒテルら音楽院の学生は、仲間と会うたびに「今、何世紀を読んでいるんだい」と訊きあったという。ラフマニノフの音楽や演奏はドストエフスキーかと問われたメルジャーノフは、「いや、最も近いのはチェーホフだ」と答えたという。なるほど、エレーヌ・グリモーがロシア・ピアニズムに傾倒し、いかにリストのロ短調ソナタを弾こうとも、それはドストエフスキーにはならずにスタンダールになってしまうのだと思う。
ピアノという楽器の音に、人間の歌唱や言語を聴くのは一見不可解のようだ。けれどもロシア・ピアニズムは、様々な感情によって千差万別に揺れ動く言葉の抑揚、単語や韻文の持つ言霊のような韻律を創造的に探求していく。著者は、シューベルトの「水車小屋の娘」や「冬の旅」のピアノ譜の様々な解釈とピアノ表現の創造的探求を自分の体験に基づいて詳細かつ具体的に解き明かしている。しかし、圧巻なのは著者が取り組んでいる「朗読と音楽のコラボレーション」だ。なかでも、ドイツ人女優コリンナ・ハールフォーフと共演した、アウシュヴィッツに囚われたヴァイオリニスト、アルマ・ロゼの生涯を語るプログラムは魂を揺さぶる。アルマはついに生還しなかったが、収容所のオーケストラ・メンバーに死者はいなかったという。極限状態におかれても失わなかった気高さと音楽の力を語っている。
オーディオファンにとっても参考になるのは、「音」や「響き」そのものの奥の深さだろう。
師メルジャーノフは、「ロシア人にとって『鐘の音』は特別なものだ。…優れた鐘つき男は一人で百種以上の鐘の音をつき分けることができたのだ」と語ったという。
ある批評家がシャリアピンに尋ねた。
「フェージャ(シャリアピンの愛称)、君の喉にはパレットがあるのかい」
シャリアピンが答えた。
「それなしで、どうするって言うんだい!」(p.273)
著者はボロディン四重奏団との共演体験のなかで「倍音」の重要性についても言及している。ドイツやロシアでは、響きの豊かさが足りないと、「オーヴァートーン、オーヴァートーン!」(“overtone”=倍音)と叫ばれるという。
こういったことが、オーディオではおろそかになっていないだろうか。オーディオというのは、必ずしも生音の忠実な再現だけではないが、音楽というものの本質をとらえるためには音楽家の生の音に接して音への感性を鍛える必要があるのだと思う。著者は、「活きている響き」と題している章で私たちに警鐘を鳴らしている。
…昨今テクノロジーの発展により録音技術が高度化し、何でも同じように響くことに慣れた私たちの耳は、音への感性が衰弱しはじめているのではないだろうか。
気軽に読める本ではないかもしれないが、ピアノ学習者やクラシック音楽愛好家だけではなく、オーディオファンにもおすすめしたい。

「ロシア・ピアニズムの贈り物」
原田英代 著 みすず書房
レス一覧
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ストラさん
生音に接していると感覚として身についてくる音や身体で感じる響きの種類の数は半端ではないです。
byベルウッド at2015-01-29 16:28
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ベルウッドさん、こんばんは。
いやあ、参りました。さすがに造詣の深さがにじみ出た書評でした、お見事です。私なんぞの情感ばかりの日記はどこかに隠したい思いです(笑)。
グリモーさんが少なくともロシア文学ではなさそうで、鋭い対比でしたね。ブラームスから始まって、バッハ、そのさきはペルトという流れの人ですし、『野生のしらべ』で書かれているような特異な性格の持ち主なので、スタンダールかどうかは分かりませんが・・・(笑)。
次は機会があれば、岩波書店から出ている『どこまでがドビュッシー?』について、鋭い書評をお願いできれば、と思います。
byかもん! at2015-01-29 21:18
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ベルウッドさん、こんばんは。
ベルウッドさんのこのシリーズ(勝手にシリーズだと思ってます)本当に参考になります。先日のペライアのバッハも早速購入してしまいました。私は恥ずかしながら彼の演奏を聴いたことがなかったのですが、家内と友人達は彼の大ファンで毎年コンサートに出かけおり、「ウチにCDは無いのか?」と詰問されておりました...
ロシアのピアニストの話も本当に興味深いですね。以前、娘のピアノの先生(彼女はセルビア人)と雑談した際、「ピアノのコンクールでロシア人が出てくると、ロシア出身と聞いただけで負けた気がする」と言ってました。「短距離走で横に黒人のランナーが居る」ような感じだそうです。
話のレベルを落として申し訳ありませんが、音楽の世界でのロシアの存在感はただものでは無い、と感じた話でした。
byのびー at2015-01-29 23:11
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ストラさん
いやあ、脳内活性ですねぇ~。
アナログ録音は事前にマスタリング段階で雑音的なものを除去したりノーマライジングしているような気がします。サービス過剰なんですね。かえってSP時代、機械式吹き込みや、電気式であってもテープ以前のいわゆるダイレクトカッティングのものには、魂を揺さぶるような音が入っています。
そういう刺激を受けないと脳(聴感とか五感)が退化しますね。
byベルウッド at2015-01-30 09:00
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かもん!さん
よい本を紹介していただいてありがとうございました。ご紹介がなければ気がつきませんでした。本当に地味な良書です。そもそも原田英代さんというピアニストが、故国日本よりも本場ヨーロッパで高い評価と実績があるひとなのですね。
ところで昨日かおとといの日経新聞で松田華音さんについて18歳の『原石』と評してました。「天才」だと絶賛はしにくかったのでしょう。原石であのように派手に売り出すのはよくないですね。私の勝手な憶測としては、あれは母親がよくないのです。五嶋みどりさんのようにどこかで激しい母娘の葛藤が起こらないとひとりの音楽家として自立しないでしょうね。
いや、余計なことまで書いちゃいました。どうぞお許し下さい。
byベルウッド at2015-01-30 09:06
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のびーさん ありがとうございます
>「短距離走で横に黒人のランナーが居る」ような感じ
言い得て妙ですね。まさにそうなのでしょうね。なんだかこう体格的なものと、旧東欧の英才教育的なものが合体した、どうにも勝てる気がしない相手というイメージです。
ところが原田さんは、手が小さいことを悩んでいたピアニストなのです。それまでの先生も、「ラフマは無理だね」と突き放し、特殊な指遣いで大きな指の跳躍をごまかしたり…。
ところがメルジャーノフ先生はこともなげに「では伸ばしたら」と言ったというのです。小さい手でも「伸びる」…そういう修練の基本を教えているのがロシアピアニズムだというわけです。
河村尚子さんなども小柄なひとで手は決して大きくありませんが、やはりドイツでロシア系の先生についていました。日本人女性であっても世界的に活躍するピアニストが出てくるようになったのはそういうことなのかもしれません。
byベルウッド at2015-01-30 09:16
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ベルウッドさん、
超遅レスでスミマセン。
ベルウッドさんお薦めの原田さんのシューマンともう1枚グリーグのLyric Piecesを買ってみました。
まだ全曲聴いていませんが、グリーグのCDからWedding Day at Troldhaugenを聴いた後、シューマンを今聴きながら書いています。
感激しました。
散文的なシューマンの世界が心地よく広がります。
クライスレリアーナから聴き始めて続けてアラベスクを聴いた後、今最初のトラックに戻って幻想曲を聴いています。
ヘンテコな聴き方ですが聴きたい曲から聴き始めたので…
ロシアのピアニズムというと体の使い方、フィジカルについてのレッスンが特徴ということを聞いたことがありますが、原田さんの演奏はテクニカルもさることながら、アラベスクではその緩急と極めてゆっくりなパートでの音楽的表現に感銘を受けました。
録音も素晴らしく、私は例によってマルチチャンネルで聴いていますが、イエスキリスト教会の豊かな響きが心地よいです。
それに残響が多いのにピアノの切れ味がすばらしく、スタインウェイがスタインウェイらしくまさに歌っています。
マルチチャンネルのソロピアノの優秀録音に久しぶりに出会いました。
これからゆっくり聴いてみます。
ご紹介ありがとうございました。
byK&K at2015-02-04 21:04
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K&Kさん ありがとうございます。
このシューマンのCDはほんとうに素晴らしいですね。
最初に「幻想曲」を聴いてのけぞりました。次に「アラベスク」で舌を巻いて、最後にとっておいた一番好きな「クライスレリアーナ」でノックアウト。聴く順番はK&Kさんと逆ですね。私は好きなモノを最後にとっておくタイプで(笑)。
私にとっても久々のピアノソロ優秀録音です。田中伊佐資さんだったか「自分のシステムが数倍音がよくなったと錯覚するCD」というようなセレクションがありますが、そういうCDですね。ピアノの音に明晰さと響きの豊かさが両立しているし、イエスキリスト教会のホールトーンとスペース感がよく出ていますね。
演奏も素晴らしい。感情表現が豊かでほんとうに重厚なロマン主義文学を読んでいるよう。人間の感情は四字熟語にしてしまえば「喜怒哀楽」ですが、同じ喜びでも、何かを達成した喜びもあれば、愛するひとと得た幸福の喜びもあるし千差万別。原田さんのピアノはテンペラメントが豊かで、一音一音に意味が込められていると感じます。
グリークやシューベルトも買っちゃおうかな(笑)。
byベルウッド at2015-02-05 08:43
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