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日記

紀尾井シンフォニエッタ東京 第100回定期演奏会

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2015年07月08日



紀尾井シンフォニエッタ東京(KST)の記念すべき第100回定期演奏会にふさわしい豪華な顔ぶれで、素晴らしいコンサートでした。

第1曲目は、「フィガロの結婚」。

最初のざわめきのような弦楽器の細動から心がわくわくして、最初にばーんと爆発する部分が爽快。この音の高揚感と天空にまで抜け切るような強奏は、日本のオーケストラではなかなか聴けないもの。これは明らかにコンサートマスターのアントン・バラホフスキーさんの効果なのだろうと直感しました。バイエルン放送響の第1コンサートマスターのバラホフスキーさんは、ゲストではなく今回は正メンバーとしてのお披露目。



この曲は、モーツァルトの序曲としても一番の人気曲でしばしば演奏され祝典気分を大いに盛り上げてくれるショートピースですが、ただ明るく軽快なだけではありません。こうして聴いてみるとあの「ざわつき」や高揚感のなかにちょっと猥雑な雰囲気があって、どこかとてもエッチ。そういうところに指揮者のビシュコフさんの解釈にはただならぬの懐の深さを感じます。

続いて、オーケストラの過半がいったん楽屋に引いて、二重協奏曲のためにステージ替え。第一Vnをかなり後方に下げて、チェロの台を運び入れ、二人のソリストのためのスペースを作ります。



チェロのマキシミリアン・ホルヌングさんは、1986年生まれの若いひとですが、やはりバイエルン放送響の首席を勤めてからソリストとなったひと。昨年春、河村尚子さんとのデュオで初めて聴きました。その時、「この名前はきっと忘れまい」と思ったひとですが、これほど早く、しかも、こんな形での再会になるとは思いもよりませんでした。



このブラームスも、えてして期待しがちな「雄渾」さとは違った、胸の内の心の炎を燃やすような情熱の曲。冒頭のチェロの気負いがかった入りに対して、なだめるようなホーネックさんのヴァイオリンに促されてチェロが胸の内を明かすとふたりの対話がようやくかみ合っていく。そういう心と心の対話がいかにもブラームス的。さすがはウィーン・フィルのコンサートマスターだと思いました。そして室内楽的なオーケストラの響きも見事です。スターを集めて大仰な演奏を繰り広げるメジャーレーベルの録音とはまったく別ものの演奏で、とても得難いぜいたくなナマ体験でした。



指揮者のセミョン・ビシュコフさんは、80年代後半に一気に頭角を現したひと。早くから天性を示し、音楽院時代に学生としては史上初めてレニングラード・フィルの指揮者に指名されたものの直前にキャンセルされてしまう。このことに政治的な抑圧を感じたビシュコフさんは、アメリカのユダヤ人社会の支援を受けて事実上の亡命を果たします。大指揮者の急病の代役で頭角を現しますが、1984年、ムーティの代役としてベルリン・フィルの指揮台に立ちセンセーショナルな成功を収めます。一時は、後継者としてカラヤン自身の口の端にのぼったほど。

その時にフィリップスと契約を結び、そのメジャーデビューとなったのが、センセーショナルな成功をもたらした因縁のショスタコーヴィチ第5番でした。



冷戦ただ中にあった当時は、まだまだ大仰な悲愴感から勝利の大行進といった「第5」ばかりでしたが、ビシュコフさんのショスタコーヴィチは、まるでマーラーの交響曲を聴いているかのようで、抑圧と不安が入り交じるような緊張と、葬送の行進のような屈折した喜怒哀楽と詠嘆に満ちた悽愴な終結の交響曲。録音もいかにもフィリップスらしい精緻で高精細な優秀録音。特に第3楽章のラルゴの美しさ、悲しみは秀逸。私にとってはいまだにこの曲の決定版となっています。

そのビシュコフさんは、カラヤン美学の信奉者として知られます。学生時代、カラヤン/ベルリン・フィルのレニングラード公演で切符が手に入らず会場に忍び込もうとして女子トイレで補導された逸話が有名。最近のN響への客演でも、そういうカラヤン流の緻密で流麗な音楽構築と濃厚な美学を見せていてTVで観た「幻想」などは大変な秀演でした。

ところが、この夜のトリとなったベートーヴェン「第7番」は違っていました。

それは冒頭の序奏の響きからして違う。1980年代後半以降ピリオド奏法が盛んに取り入れられるようになってから、ほんとうにベートーヴェンの演奏は多様化し懐が広くなりました。伝統の雄壮・壮麗さを強調するロマンチシズムや白熱の狂乱狂舞とか、あるいは大編成による深いビロードの手触りの流麗・華麗なカラヤン流とも違う、純粋にリズム動機の絢爛たる反復と展開に徹した「第7」です。そのことは、第2楽章に至って確信します。いささかの感傷もない極度に純化された「アレグレット」がほんとうに見事。そこから終曲まで、オーケストラの力量の限りを尽くしての大熱演でした。

KSTは、「100回」の成熟を示すというよりは、新旧世代交代への意欲的な取り組みを見せるようなフレッシュさがありました。事実、今回のメンバーはかなり新しくなっています。特に大活躍だったフルートは、難波薫さんが首席をとって宮崎由美香さんとの女性コンビ、クラリネットの金子平さん、ファゴットの岩佐雅美さんは、ともに読響の若い首席。こういうフレッシュな顔ぶれに刺激を受けたのか、トランペットの杉木峰夫さん、岡崎耕二さん、ティンパニの近藤高顕さんといったベテランのリズムセクションもこの夜はいつになく冴えわたっていました。

特に、フレッシュさを感じたのはホルン。「7番」では、和田博史さんに新進気鋭の日橋辰朗さんが加わってのコンビでしたが、いままで聴けなかったような音色。思い切りのよい吹奏がしばしばはっとするような響きを生んでいたし、その一方では時に吹き始めのタイミングがずれることもありましたが、私はその積極性を高く評価したいと思いました。

「おめでとうございます」の言葉をステージ上の全員に贈りたい。そんなコンサートでした。


(蛇足)
当日は、録画されるのか何台かTVカメラが設置されていました。カメラの横には、台本代わりにスコアが置いてあってところどころにマークがしてあります。




紀尾井シンフォニエッタ東京 第100回定期演奏会
20年の集大成を名指揮者ビシュコフとともに

2015年7月3日(金) 19:00
東京・四ッ谷 紀尾井ホール

セミョーン・ビシュコフ(指揮)
ライナー・ホーネック (ヴァイオリン)
マキシミリアン・ホルヌング(チェロ)

紀尾井シンフォニエッタ東京
コンサートマスター:アントン・バラホフスキー

モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」序曲 KV492
ブラームス:ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲イ短調 Op.102
ベートーヴェン:交響曲第7番イ長調 Op.92

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  1. ベルウッドさん、BSのクラシック倶楽部での放映を期待したいですね

    by椀方 at2015-07-11 11:50

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