日記
「私的複製権」なる妄想
2015年08月05日
ここしばらく、個人的事情によりほとんどROM状態で少なくとも長文のレスや日記は書けませんでした。その間、SACDのリッピングをめぐってずいぶんとコミュがにぎやかだったようです。ただ傍観するだけでしたが、私もかねてからこのことについては思うところがありましたので、感想のようなものをまとめてみたいと思います。
まず、基本的なことですが、SACDをデコードしてDSDファイルとしてリッピングすることは、私的複製であっても違法であり、著作権の侵害にあたります。
そのことが明確になったのは平成24年の著作権改正によってですが、もちろんそれ以前からくすぶっていた問題なわけですね。PS2を使えばリッピングできるという話しは知る人ぞ知るところで、さりとて実際にやっている人々も良識あるかたはそのことを公言せずひっそりと私的使用の範囲内でされていたわけです。そもそもDSDネイティブ再生が可能となったのは、KORGのDS-DAC-10(+AudioGate)あたりですから、さほど以前から問題になっていたわけではありません。私自身は、DAC-10発売以前から、同じKORGのMR-2000SでDSD再生をしていましたが、SACDからのリッピングには金庫破りみたいな罪悪感がつきまとうことから手を染めることはありませんでした。
法の建て付けは以下のようになっています。
(1)著作者は、その著作物を複製する権利を専有する(第21条)
著作物の複製権は著作権者にあるので、その許諾なしで勝手に複製することは
禁止されている。勝手に複製するのは著作権の侵害にあたる。
(2)著作権の制限(第30条)
私的利用が目的ならば、著作権者の許諾なしで複製してもいい。
(3)技術的保護手段の回避(第30条の除外項目)
私的利用であっても、技術的保護手段を回避して複製することは認めない。
このなかで(3)について、平成24年改正時に、従来明定していた「コピーコントロール」に加えて、それまであいまいなまま許容されていた「アクセスコントロール」の回避もダメということになったというわけです。CDのリッピングはよくても、基本規格としてコピーができないようにしているSACDの(DSDレイヤー)リッピングは違法ということになりました。
さらに、技術的保護手段を回避する装置やソフトなどを製造、販売することには刑罰を設けて明確に禁じていますから、もはやSONYといえどもSACDプレーヤーからDSD信号を垂れ流すような機器は製造・発売することはあり得なくなりました。
なにやら文化庁の公式解説にSACDと書いてないじゃないか、根拠を示せということが居丈高に主張されているようですが、それはSACDが法改正の主たる関心事ではなかったというに過ぎません。昔の寮歌ではないですが、「孔子孟子を読んではみたが酒を飲むなと書いてない。酒を飲めとも書いてない」みたいなことでしょう。
しかし、個人的にはSACDは全体のなかに巻き込まれてしまったなぁという気もします。そもそもこの議論はDVD・ブルーレイの映像コンテンツが対象だったのだと思います。レンタルや図書館で借りてきて、ちゃっかり自分のHDDにコピーしてしまう。CDでも野放しになっているこの行為について、ビデオ業界としては何としても歯止めをかけたいという強い要望があったのではないでしょうか。
けれども、まっとうな音楽ファンやオーディオファイルにとって「私的複製」というのはちょっと意味が違いますよね。リッピングしてファイル化することによって携帯など再生機器を自由に替えて多様なリスニングスタイルを享受するとか、ファイルオーディオというより利便性の高い、あるいは、より高音質な再生方式で聴きたいというニーズが根底にあるわけです。要するに、ハードパッケージからフリーになりたいということです。
ハードパッケージからの解放。DSDやPCMの多様なフォーマットが自由に共存し、過去の音楽資産も含めてそれぞれの音源フォーマットのままで最良最適な再生が可能になること。それが「ファイルオーディオ」の世界だと思っていますが、SACDはこのことに完全に背を向けてしまいました。私は、HAP-Z1ESの導入を機にそういうことをひしひしと感じましたし、そのことを「ソニーの矛盾と孤独」と題した日記などでくり返しその心情を吐露してきたつもりです。
今回の法改正によって、DSDままのデジタル出力を持つSACDプレーヤーとか、SACDを読み取りデコードするソフトウェアというものの途は完全に閉ざされたことになります。ファイルオーディオを進めれば、CDは音楽資産として継承できますがSACDは無用の長物となってしまいます。DACなどの機器メーカーにとっても、音楽ソフトの供給ということが普及の大きな足かせになってしまいます。リンが、DSDというフォーマットを完全に見限ったのはそういうことなのだと思います。
法的には、ユーザー側には複製権などありません。「私的複製権」などというものは法的な基礎知識があれば妄想に過ぎないことは容易に理解できるはずです。けれども、純然たる音楽コンテンツということでは、もっとユーザー側に自由な楽しみ方ができる権利のようなものがあるんじゃないかと妄想したくなりますよね。アップルのスティーブ・ジョブズは、それを妄想とせずに音楽配信事業を実現させました。そういう「時代」に完全に背を向けてしまったSACDの命運はもはや尽きたと断言してもよいのではないでしょうか。
レス一覧
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謹言
以下、補足いたします。
本文中、
>なにやら文化庁の公式解説にSACDと書いてないじゃないか、根拠を示せということが居丈高に主張されているようですが、それはSACDが法改正の主たる関心事ではなかったというに過ぎません。昔の寮歌ではないですが、「孔子孟子を読んではみたが酒を飲むなと書いてない。酒を飲めとも書いてない」みたいなことでしょう。
の部分は、以下のように読み換えてご理解ください。
「多くの方々の丁寧な指摘にもかかわらず、文化庁の公式解説にSACDと書いてないじゃないか、根拠を示せ、そうでないと納得できないということが主張されているようですが、法文その他に対象を個別にすべて限定列挙する必要はありません。例示されてないから根拠がないというのは詭弁でしかありません。SACDが例示されなかったのはSACDが法改正の主たる関心事ではなかったというに過ぎません。」
なお、文部科学省のHP上に掲示されている法改正の審議議事録資料によれば、「暗号技術利用型の著作権保護技術」の採用例として、DVDとともに『スーパーオーディオCD』が明記されておりSACDが審議上排除されていなかったことが明白です。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/gijiroku/020/07092807/001/005.htm
また、同資料には、
『音楽CDに続く次世代オーディオとして期待されているスーパーオーディオCDは平成11年から、DVDオーディオは平成12年から発売されている。
このようなパッケージについては、先述の暗号技術利用型の著作権保護技術を採用しているが、現在のところ余り普及しているとは言えない。』
と、SACDも同じ保護技術を採用していることを明記したうえで、SACDの現状を説明しています。
byベルウッド at2015-08-05 15:57
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ベルウッド様
このコミュニティーでの議論へのお腹立ち、とても理解できます。
一言で、場違い、ですよね。
また、興味深いお話を楽しみにしております。
bymartA at2015-08-06 00:17
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martAさん
何かお目汚しになってしまい申し訳ありません。
議論に加わるのが本意ではなく(議論など成立していない?)、この機会にもう一度SACDへの不満のようなものを感想として述べたいと思ったのですが…。
今後ともよろしくお願いいたします。
byベルウッド at2015-08-06 09:33
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謹言
以下、補足いたします。
>平成24年改正時に、従来明定していた「コピーコントロール」に加えて、それまであいまいなまま許容されていた「アクセスコントロール」の回避もダメということになったというわけです。
とのくだりですが、著作権法の改正部分を以下に示します。
第二条の二十(技術的保護手段)
旧)…これに用いられる機器が特定の反応をする信号を、…記録媒体に記録し、
新)(上記部分に加えて)…、若しくは送信する方式又は当該機器が特定の変換を必要とするよう…を変換して記録媒体に記録し、…
すなわち、従来から「信号付加」方式による《コピーコントロール》は技術的保護手段として回避が規制されていましたが、今回の改正で「暗号化技術」による《アクセスコントロール》の回避も規制に加わりました。これで、SACDのリッピングも規制の対象となりました。このことは何も罪刑法定主義の原則を持ち出すまでもなく明確です。
以上のことは、このコミュでも多くのかたが丁寧に指摘されておりますので、本文中ではさらりと書いたのですが、念のために補足させていただいた次第です。
なお、条文ではわかりにくいかと思いますが、この経緯についてはlie麦畑で捕まえてさんが早くから指摘し、わかりやすく解説されておられますので参照ください。
http://community.phileweb.com/mypage/entry/3916/20150730/48301/
なお、任天堂の「マジコン」が今回規制の対象になるかどうかをめぐっての永山裕二氏の談話も、(引用孫引きですが)素直に読むと、
「そういう実際上の機能に着目して「コピー制御」をしているものは新たに対象にしましたけれども」
という一文から、今回改正の眼目のひとつが、《暗号化技術》がコピー防止という機能を有しているかどうかの論議であったことがよくわかり興味深いものがあります。いずれにせよ、永山氏の談話も従来規制していた《コピーコントロール》に加えて、《暗号化技術》をコピー防止技術として規制の対象としたことを裏付けています。
byベルウッド at2015-08-06 09:34
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